氷姫(こおりひめ)きたる
無事、氷神を退けた勇者はというと…魔人たちの農作業を手伝っていた。
「トマトがだいぶ熟しているね」
赤々と熟したトマトが丸々と実っていた。
「そろそろ食べごろね、そのまま食べても美味しいし、ソースにしても、スープにしても良い、ジュースにもできるのだから、本当に素晴らしい食材よね」
次女もまたすぐそばで収穫をおこなっていた。
「私、トマト好きなのよね」
何しろ赤いのが良い。真っ赤なのが特に。まるで血のように赤いのが実に良い。
「しかしあれからしばらく経つけど、例の氷神が再び現れるような気配はないね。良い事だとは思うけど」
「安心はできないわね。あれで消えてくれたのなら何の心配もしないけれど…でも、貴方って雷だけじゃないのね? 妹の話によれば氷魔法も使えるみたいじゃない。あの時は火の魔法だったし」
「でもその三つで大体は全部だけどね。あとはまあ、回復や補助が少し」
「十分すぎるわね。何なの一体? ずっと一人で冒険していたわけでもないのよね?」
「それはまあ、そうだけど。でも、助けられたことも少なくはないよ」
「それ以上に助けていると思うけど、まあ良いわ。そろそろお昼ね。上姉さまたちも帰ってくる頃だろうから、先に戻って昼食の準備ね。手伝ってくれるでしょ?」
「うん、それじゃあ行こうか」
とりたての野菜を手に家へと帰っていく二人。知らない人が見たら勘違いしそうなほど親しげになっていた。
勇者はすっかり魔人たちとの生活に馴染んでいたのだった。
「ただいま戻りました」
長女と末っ子の魔人が帰ってくる。
「ただいま〜、あ、良い匂い! この匂いはトマトスープ! それから…ピーマンとナスの肉詰めだぁ。美味しそう!!」
「ちょうどよかった、それじゃあみんなで食べようか」
配膳しながら長女に尋ねる。
「それで、他の国の様子はどう?」
「今は均衡を保っていますね。まだ、どの国も大きな動きはないように見えます。ただ…」
「何かあるの?」
「例の姫神子の信託の影響はどの国にもありますね。大いなる厄災、それが何を意味するのかはどの国もまだ掴んでいないようですし…まあ、それは私たちも同じですけれど」
「…この前の氷神がそれって事はないよね〜? それだったら少しは落ち着きそうなものだけど」
「…ないでしょうね。まあ、そうである可能性もまだ否定はできませんが…違うと思いますよ」
「この前は倒しきれなかったからね、次はきちんと倒したいところだけど」
それぞれが食事を口に運びながら会話を続ける。
「倒せるの?」
末っ子の魔人は気になって聞いてみた。確かにこの勇者ならもしかしたら、とも思ってしまう。
「まだ、なんとも言えないかな。ただ、足止めはできそうだから、なんとか良い方法を考えてみるよ」
「でも、貴方のあの火魔法、ほぼ同格に思えるのよね。まあ、どちらも私の力を大きく超えてるから、詳細な比較なんてそもそもできないんだけど。それでも…どちらかが大きく劣っているとも思えないし」
次女はお気に入りのトマトジュースを一気飲みする。
「あの凍気を消し去るような焔は、少なくともそうは無いでしょうね。あるとしたら、それこそ氷神と同格と思われる火の神でもないと」
「勇者は火の神の使いなの?」
魔人の末っ子は問う。確かにそれなら強さも納得できた、しかし、そうなると氷の力の強さがわからないことにもなる。火と氷の神の使いなのだろうか…
「いや、違うと思うよ。もともと自分はこの世界の人間じゃないし。自分の中にいると思われる存在も、ここの世界の存在とは異なっていると思う」
「…別世界の神、か。 …まあ、言ってみれば私たちだって別世界の魔人なんだけどな。それにしても、神ってなると、どこの世界でもぶっ飛んでるのな」
「…神を理解しようなどとは思わない事ですよ。その根本からして私たちとは異なるのですからね」
「そうなの? 見た目は似たような女性だったけどね」
「見た目だけは、ですね。あれは単に人間たちの信仰に沿っただけのこと。その身姿など、いくらでも形を変えられるでしょう。私たちだって、今はこの形に安定しましたが、それだって変容するものなのですからね」
「魔人って変身できたりするの?」
「それこそ魔人によるでしょうね。私たち魔人三姉妹はその名の表すように、人間に近い性質を持っていますので、基本的には人間と変わらないと思ってもらっても良いですよ。あらゆる物事に対して、人間のできる事は可能だと思って頂いても構いません、日常的な生活とか」
「?」
「…まあ、今は良いです」
ーコンコンー
昼食も終わり、それぞれが好き好きに休憩をしていると、
ドアをノックする音が聞こえた。
長女は訪問者を見て固まっている。
「な、なぜ…貴方が…」
「ご機嫌麗しく、ここがあの方のホームで間違い無いでしょうか?」
「あの方、とは?」
「あなたたちが勇者と呼んでいた、ええ、勇者さまのホームなのですよね? それで、勇者さまはどちらに?」
「…その前に確認ですが、貴方はもしかして」
「はい。貴方たちは確か、氷神と…言っていましたか? そう思って頂いて構いません」
「ここに一体何をしに来たんですか。私たちにとどめを刺しに来たんですか?」
「とんでもありません。私、貴方たちと、勇者さまと戦う気は毛頭ありません」
「それならなぜ…」
「先ほども言いました通り。勇者さまにお会いできれば、と。そう考えた次第です。 …私に、私の体に熱い炎を灯してくださった方…ぜひまたお会いしたいのでございます」
恍惚とした表情をして言う。
「…戦う気がないのであれば…あなたの言う勇者は中にいますので、どうぞ」
「まあ、嬉しい」
氷神はさらに破顔していた。
…こんなに表情豊かでしたか?
「上姉さま、珍しいね、誰? …えっ?! えっ?!」
末っ子の魔人はその姿を見て固まっていた。
「ここにお客さんか〜、珍しいこともあるな、一体誰…えぇ…嘘だろ…」
次女もまた固まった。
「他にも誰か知り合いがいたの?」
勇者が奥から出てくる。
「まあ、嬉しい。お会いしとうございました」
氷神はすぐさま勇者の元へと近付く為に足早になる。
「? あれ? 君はもしかして…」
「ええ、ええ。そうです。お察しの通りに。私です。貴方たちが、氷神と呼んでいたモノです」
「…どうしてここに?」
勇者は少し戸惑っている。
「ああ、ごめんなさい。私ったらはしたない。んっ。まずは、そうですね、私のことは、親しみを込めて…氷姫とお呼びください。勇者さま」
「…氷姫?」
「ええ、はい。そうです。ふふふ。嬉しい。勇者さまにその名前を呼んで頂けると、私の胸の中の灯も暖かさをますようです…ふふふ」
「…そんな初々しい存在じゃないだろ絶対…」
次女はその様子を見て呟いた。
「…何か?」
氷姫は次女に向けて微笑みをたたえながら言った。
「…いや、なんでもないぞ」
…絶対今凍らせようとしてたな…怖っ。
「それで一体…どうしてこんなことに?」
「ふふ。戸惑うのも無理はありません。ええ。私としても、初めてのことなのですから。 …勇者さまから受けたあの熱い火の魔力…私の胸にしっかりと届きました。 …ああ、あんなに熱い魔力を、神として、蔑ろにはできません。できるわけがありません。はじめて、この身を焦がすかのような…ですので、私はこうして勇者さまの元へと参ったのです」
「…言ってる意味がわかんないよね」
末っ子はつぶやいた。
「…神だからな。神の考えることなんてわかるわけないんだ…」
次女もそう相槌をうつ。
…魔人たちは神を理解できなかった。
「…ああ、お会いできて本当に嬉しいです。それで、どうでしょうか? 私のこの姿は。より、人間にそってみたのですけど…」
「綺麗だと思うよ。うん、すごく、ね」
「ふふ、ふふふ。嬉しい。また、胸に灯りました。ふふふふふ…」
氷姫は勇者のすぐ側に寄り添った。
「これから、末長くよろしくお願いいたしますね? 勇者さま」
「…うん」
勇者は曖昧な相槌をうった。
「あ、そうです。大事なことがもう一つありました」
「何かな?」
「勇者さまの中に、私に近い存在を感じますね、あの時の火の魔力とは別で、氷、でしょうか。どうやら勇者さまはすでに氷の加護を抱かれているご様子。ですので、私も、その中に入れていただけたらと考えております」
「それはどういう?」
「私の加護を、勇者さまに。私のこともその身に抱いていただけたらと…いつでもその身に。 …私とともに。うふふふ。なんて素敵な…ええ。ですので、私も勇者さまの中へと参りますね?」
「そんなことできるの?」
「ふふふ、他の存在がいるのですから、すでに何回もご経験して…ああ、もしかして忘れているのでしょうか? …でしたら、改めて、私が勇者さまのはじめて、ということにもなりますね。 …嬉しい。ああ、嬉しい…改めまして、これからも、末長く、末永くよろしくお願いいたしますね…勇者さま」
そう言うと氷姫は光となって勇者の胸へと入っていった。
「…うわ、本当に入っていったね」
「神の考えることはわかりません、考えるだけ無駄でしょう。ただ、己のあるがままに行動しているだけなのですし」
「…それってただのわがままなんじゃ…」
「…」
勇者もまた、神の考えを理解できてはいなかった。
胸元をさすりながらそう思った。
勇者は氷神の加護を得た。
氷魔法の力が更に成長した。




