悪魔の呪い(いのり)
夢魔は勇者の意識の中へ入っていった。
「ん〜、複雑ですね〜。何が何やら…迷子になりそうです〜」
その絡み合った構造は、勇者が一般の人間とは異なっていることを感じさせた。
何と言うか、単純に行ける場所が多いのだった。
いける夢、意識、記憶、そういったものが普通よりもものすごく多いのだった。
「…ええッとぉ。今見ている夢? でいいんですよねぇ、勇者様の…ん? あれ?」
何やら魔力の痕跡、気配がある。
それは自分たち魔族にとても近いものだった。
惹かれるようにその場所へ向かう。
「…ん〜、何でしょう、これ? 封印…呪い? みたいなもの?」
勇者の内部、それも結構深いところにある、
かなり昔からあるものだった。
強力すぎると言うほどのものではない、しかし、
長い年月をかけて、強固に、そしてより複雑になっていた。
それは勇者の記憶のその全体にまで広く小さくのびていた。
「ん〜、こうなると、迂闊なことはできませんよねぇ。ひとまずは、勇者様の夢を見ることを優先させましょうかぁ」
勇者の見ている夢へと、夢魔は向かった。
「…あ、あれですねぇ…へぇ…小ちゃい勇者様の姿ですぅ。なんて可愛いらしい…たまらないですぅ」
夢魔は勇者の夢を見る。
その場所は、一つの小さな孤児院。
まだ幼い勇者と、そばには少女の姿があった。
「ほら〜、二人とも、そろそろご飯ですよ。手伝って下さいね」
「行こう?」
勇者は少女の手を取った。
「うん」
少女と中へ入っていく。
「あなたたちも大きくなりましたね。無事、育ってくれて嬉しいです」
「先生たちのおかげだよ。ね?」
「うん、だって、先生が私たちを拾ってくれたんでしょ?」
「先生も最初は驚きましたよ、可愛らしい赤ちゃんがドアの外にいて」
しかも、まさか一日にふたりも、ね。
「でも私たち、姉弟じゃないんだよね? だって私、こんなツノ生えてるもん」
「ずっと一緒だし、兄妹と何も変わらないよ。ツノだって、かっこいいし」
「そうですねぇ、あなたは魔族なんでしょうね。魔族と人間の赤ん坊でしたからね。でも何にしても、どちらも大切な私の子供には変わらないですよ?」
先生が二人を抱きしめる。
「でも魔法使えて良いよね! 僕も早く強くなって先生たちの力になりたいな! 強くなってみんなを守るんだ!」
「ちょっと、私がお姉ちゃんなんだよ? 私が守ってあげるから」
「え? そんなのわからないよ、僕がお兄ちゃんかもしれないし」
「ふふ、どちらも良い子ですね。ええ、きっとすぐ、強くなりますよ。ほらほら、たくさん食べて」
「「いただきま〜す」」
ふぅん、魔族と人間が仲違いしてないんですね〜。私たちのところと同じですぅ。
「ねぇねぇ、私、また新しい魔法使えるようになったんだよ! 見て見て!」
「良いなぁ、見せて見せて」
少女が魔法をかける。
あたりは霧に…幻惑に包まれる。
「あれ? どこ行ったの?」
「ほらほら、こちらですよ」
「え? 先生、いつの間に…」
「さっきからずっと遊んでいたでしょう?」
「あれ、そうだったかな…うん、そうだったかも…」
…幼き勇者は幻惑にかかっていた。
「…疲れちゃった」
「あ、な〜んだ、先生じゃなかったんだ」
「あはは、私でした〜」
「すごいね! いいな〜、僕魔法使えないもん」
「他にも使えるようになったんだ〜、あとで見せてあげるね」
「どんどん強くなっていくね、僕も負けていられない」
「剣の練習いっぱいしてるでしょ?」
「うん」
「きっと強くなるよ! 先生も言ってたし、私だって、そう思うもん!」
「うん、ありがと」
「私、わかっちゃうんだ。私が魔族だからかな? すごく強くなるって…きっと勇者にだってなれるって、そう思うんだ。不思議だね」
少女は嘘をついた。
「ほんと? うん、僕、頑張るよ!」
気づかない勇者はますます稽古に励んでいた。
「純粋、ですねぇ。ほんと…まあ今もそう変わってませんけどぉ」
その日、早朝から先生は真剣な顔をしていた。
「二人とも、今日は一日、この家の中にいること。いいですね? それから、いざとなったら逃げられる準備も…何か、物騒な噂が広がっていて…それが本当のことだとしたら…」
魔術師が王を騙して人間の男の子供を狙っている…
ちょうど、今の勇者と同じぐらいの…
魔術師の予言では勇者が誕生する、そしてそれは王に変わって世界を支配するだろう。
今の安寧は壊される。それを阻止せねばならない、と。
そうそそのかされた王は、各地の村、町へ兵を派遣し、その年頃の男の子供を狙った。
王はすでに、その魔術師の傀儡となっていた。
兵たちの足音がする。
「…」
この場所も、すぐ見つかってしまう。
「二人は隠れていて、私が追い返します」
「ここに、男の子供がいるな?」
「…いません」
「嘘をつくな、町の住民にも確認をとっている…嘘をつくと、為にならんぞ?」
「…あなたたちの行動の方が、よっぽどでしょう?」
「生意気な、やれ、お前たち」
兵もまた、その心を操られていたのだった。
孤児院に火を放つ。
「ああ、なんということを!!」
「動くな、おい、逃げ出す人間がいないかみはっていろ!!」
孤児院の中。
「先生は無事かな…僕たちもここから出ないと…」
「ダメ、あなたが出たら、きっと…殺されちゃう」
「でも、ここにいたらふたりとも…僕が行けばすむんだから。そうしたら先生も君も」
「絶対にダメ! 勇者になるんでしょ!!」
「だけどこのままじゃ!」
「…ごめんね」
「え?」
少女は魔法を使う。幻惑の魔法を。
「これってあの時の…どうして今この魔法を」
「大丈夫、あとは私に任せて、あなたのお姉ちゃんに、ね?」
少女はもう一つ、新たな魔法を使う。
「どう…して…」
勇者は眠りについていった。
幻惑の霧があたりを包み込む。
それは兵たちを包んでいった。
「…僕はここに」
「ああ、なんてこと…ダメです、逃げて!」
「ええい!! 邪魔をするな!!」
「先生!! なんてことを!!!」
「お前たち!!!」
「はっ」
兵たちは帰っていく。
焼け残された孤児院と、先生と幼き勇者の亡骸を残したまま。
霧が晴れていく。
目が覚めた勇者はそれを見る。
「…あ」
大きな影を見つける。慣れ親しんだ姿は…もう…
「…先生…僕…僕のせいで…」
その傍らには少女の姿があった。
「…僕の変わりに…なったんだ…」
勇者は少女に近づく。
冷たくなった、少女の亡骸を抱きかかえる。
「どうして…どうして…」
…どうして…
「…ごめん」
守れなかった。守れなかったんだ。どちらも…どちらも!!
何で!! どうして!!! 嫌だ!!! なんで!!! 許せない!!! 許さない!!!!!
「…ーーーーー!!」
勇者の声にならない声が響いた。
少女は光となって勇者の内へと入っていく。
最後の、願いを託す為に。
「ダメだよ、そんな風に思ったら。そんな風に…思ったら…」
「だって、あなたは勇者になるんだから。強い強い、とっても強い勇者になるんだから」
「だから私が…全部…変わりにもらっていくから…」
全部、ぜんぶ…お姉ちゃんが…
「……だから…すごく…強い、立派な勇者に…なれます…ように…」
これからも…お姉ちゃんが…食べて…あげる…ね…
悪魔の少女は勇者に最後の呪いをかけた。
幼き勇者は眠りについた。
そして、
予言に導かれて訪れた時の魔導師によって拾われることになる…
「…これが、あの複雑な呪いの正体ですか…勇者様が飲み込まれないように、あの子の最後のお呪い…それほど強い呪いではなかったのに…それが、こんなにも長く…」
解くべきだろうか?
…今ならおそらく…これだけ勇者の心に近いのであれば…できるかも、しれない。 …そして、勇者を魔王へ変えるつもりであるなら、その方がより効果的に思えた。
でも…
「私には、私のやり方がありますので…」
夢魔はそっと離れていった。
呪いは静かにそのまま、ひっそりと、佇んでいた。
「ん、ん〜」
「お目覚めですか〜?」
「あ、うん。どうだった? 何か見れたかな?」
「ん〜、そうですねぇ。小さい頃の勇者様が見れましたねぇ」
「そう、でも、やっぱり思い出せないんだよね」
「無理に思い出すことはないですよぉ。確かに過去も大切ですけどぉ、 …大切なのは、これから、なんですからぁ」
「…確かに、そうだね。過去に囚われて、今を見失ったら元も子もないよね」
「そうですそうですぅ」
添い寝したまま夢魔は囁いた。
「でもありがとう、なんだか少し、すっきりしたよ。ぐっすり眠れたからかな…」
「いつでもぉ、いつでもお呼びくださいね〜? 勇者様の夢魔は、あなたの夢魔として、いつでも馳せ参じますからぁ」
「…ありがとう」
勇者は立ち上がって礼を言うと、宿へと帰っていった。
夢魔もまた、魔王城へと帰っていく。
(なんだか密会していたみたいで興奮しますぅ〜)
そんなことを、思いながら。




