時をこえる想い
西の森 魔女の家
「ふぅ」
エルフの魔女は軽く息を吐き、窓から外をみる。
気がつくと、外はもう、すっかり暗くなっていた。
「ん〜、集中しすぎたかな」
手にした本を閉じながら呟く。いつものことだった。
さて、この本も読み終わったことだし、片付けて、新しい本をとってこようかな。
エルフは魔法で作り出した鍵を使い、地下室へと続く扉を開ける。
その階段を降りると、
そこにはおよそ地下とは思えないほどの広い空間が広がっていた。
そして数多くの本棚の中には無数の本が並んでいる。
魔道書からお伽話のようなものまで、多種多様の、エルフ自身が依頼して各地から蒐集させたものだった。
そしてそれは今もまだ続いている。
「…今日はもう一冊読もうかな」
手にするのはお伽話、昔話の本。
それはよくある冒険譚であった。
エルフはそういった話もよく好み、よく読んでいた。
エルフ自身が冒険に出ることはまず、無い。
で、あるからなのか、まるで自身が冒険に出るかわり、とでも言うかのように。
おとぎ話や冒険譚を好んでよく読んでいた。
明くる日、
…外から人の気配がする。
「誰か、来たようだね」
エルフは今日もまた、異なる本を手に、訪問者に声をかける。
「どうぞ、鍵はかかっていないから、遠慮なく入ってもいいよ」
そう気兼ねなく言ったのは、この気配からして、見知った人物だとわかったからだった。
「こんにちは」
訪問者は勇者だった。
「おや、ひとりで来たのかい?」
「うん、今日は一人できたんだ」
だいたい誰かしらの連れがいたものだ、勇者一人で訪れる、というのは珍しい、というか、なかったかも知れない。
「珍しいね、だいたい誰かと一緒なのにね」
「まあ、今日は少し、頼みたいことがあってね」
「へぇ、何だい?」
勇者が自分に頼み事? まあ今は珍しいことでも無いか。でも、自分を頼ってくれるのはちょっと、嬉しいかな。結構なんでも一人でやろうとしてしまうし、今までも実際にそうしてきたのだろうから。
「うん、魔法についてなんだ。魔法と言ったらエルフ、というか、詳しそうだったから。一度、この世界での魔法の基本、まあ、基礎を知りたくなってね」
「ふぅん、まあ、私は自分でいうのもなんだけど、確かに詳しいほうだよ。それはもちろん、エルフたちの中でもね」
「そうだと思ったんだ。頼めるかな?」
「構わないよ。でも、本格的に学びたいというのなら…エルフの国に行くことをすすめるけれどね?」
「エルフの国、か。まあ今の所はそこまで…でも、どこにあるのかな?」
「ここから東に行って、それから南、だね。結構遠いかなぁ」
歩きでなければそうでも無いけど。
「そこが君の故郷だったりするのかな?」
「うん、そうだよ。お姉ちゃん、ん、私の姉が今はその国を治めているしね…まあ私はここで森の守り人のようなことをしているわけだけどね、それが私の仕事でもあるんだよね」
「そうだったんだね、でもそうか、お姉さんがいたんだ。しかも国を治めているとなると、女王様ということになるのかな?」
「うん、エルフの国の女王だね」
「そうなると君はエルフの国の姫でもあったんだね」
「まあね。でも気楽なものだよ。この地の守り人は自分から志願したものだし、その務めの謝礼というわけではないんだけど、国から様々な本が送られてくるし。何も困ることはないからね」
「たくさんの本があるのはそういう訳だったんだね」
「うん、もともと本を読むことが好きなんだ。知識欲っていうのかな? それが強いんだよ、こう見えて、昔はエルフの才女、なんて言われたこともあるんだよ?」
「知的なのは今も変わらないと思うよ」
「ふふ、ありがとう。それで、魔法の話だったね。今からでもいい?」
「もちろん、時間はたっぷりあるからね」
「それならついてきて、場所を移そう」
エルフは自身の地下室へと、勇者を案内する。
「…これは、すごい量の本だね…これ全部、読んだの?」
「まだ読んでいない本も多いけど、大半は読んだよ」
「…へぇ、それはすごいな…」
「まあ、それこそ時間はたっぷりあったからね。ここからどこに行くわけでもなく、守り人、とはいうものの、特に何か仕事があるわけじゃないからね。今は平和だし、ね」
「そういうものなんだね。じゃあ、冒険に出かけることもできるの?」
「う〜ん、それはどうだろうね。ただ、私が見守るべきもの、ああ、創世樹のことだけどね? 自分でも出かけ回るようになったからねぇ…昔とは事情が異なりそうなんだよね」
「ああ、確かにそうだよね」
「そう考えると、ここにいる意味はあまりないのかもしれない…あの竜だっているしね」
「そうか、あの竜も創世樹を守っていたんだ」
「まあ、いざと言う時になったら、というか、そんな時はきてもらいたくはないんだけど、ようは備え、だね」
「確かに、そんな時が来ないことを願うよ」
「…さて、じゃあまずはこの本、魔法の基礎、からいってみようか」
「うん、お願いします、先生」
「なんだか、こそばゆいね。まあいい、ええっと、まず、魔法というものは…世界にある魔動力からなるもの、それを己の意思によって浮動させることから始まる…」
「…」
「それを活性化させることで火を…またその力を反対にすると氷を…」
「…」
「ただしそれらはイメージによるものでもあり、子々孫々伝わる魔術の場合は、それらの魔力を創造し、精霊を生み出すことによって…効果を上げることもあり…また方法は…舞など様々な方法で表現することも可能で…」
「…」
「…種類を大別するとそれらの属性は火、風、水、氷、草、土、物質などとなり、また根本的な素として闇、光などがある…って、大丈夫かい?」
「…ごめん、眠くなってきてた」
「まあ急いで学ぶ必要もないよ。少し休憩しようか。待っていてね」
「…ふぅ、慣れない頭を使うと結構疲れるね」
エルフは飲み物を手に戻ってくる。
「はいどうぞ。しかしまたなぜ魔法の基礎を? 君にとっては今更のことなんじゃないかな? 実際何不自由なく使えているようだけど?」
「そうでもないんだよね。改めて、考えてみたくなった、というか。まあ、知りたくなった、というか。自分の場合、内にある魔力を高めていくイメージだったりするから、どこか少し違うんだろうなぁ、と思ったんだ。でもだからと言ってここの魔力に馴染みがないかというとそうでもなくて、この前黄姫や竜から力を借りた時なんかも、どこか懐かしい感じさえしたものだったから」
「へぇ、それは確かに興味深いね」
「ちなみに、君は何の魔法が使えるの? さっき言った属性で言うと」
勇者は前から思っていた疑問を投げかけた。
「ふふ、私はほぼ全て使えるよ。ただ、そうだね、得意というか、一番強い威力となると、その中では風、になるかな」
「全部って、それはまたすごいね。火と氷と雷ぐらいしか使えないから」
「君の場合、それでも十分だと思うけどね、まして、雷は特殊だよ? 光に属していると思うけど、まず使える人は少ない、というか、この世界だって魔王ぐらいじゃないかな? まあ、あっちは闇だけども」
それからしばらくエルフの講義は続いた。
「さて、どうだった?」
「うん、あらためて勉強になったよ」
「これ以上知りたいとなったらエルフの国に行くことをすすめるよ。どうだい、行ってみたくなったかな?」
「エルフの国か、そうだね。一度は行ってみたいな」
「…」
エルフはその言葉を聞いて、少し考えた。
「どうかした?」
「ううん、と。うん、そうだね。もしよければ、だけど。行ってみるかい? その、エルフの国に」
エルフは思い切ってそう尋ねてみた。
「そうだね…でも、遠いんだよねぇ」
「まあ、ここの見守りはその間、竜に頼むとして、私と一緒に…その、ふたりで、冒険をしてみる気はないかな?」
本で読んだ冒険の数々を思い出しながら、エルフはそう言った。
自分でも少しおしが強い、と思う。これも昨日遅くまで冒険譚を読んでいたからだろう、そう思うことにした。
「うん、確かにそれは…楽しそうだね。行ってみようか、エルフの国へ…一緒に」
「それなら、善は急げだね、待ってて、準備してくる、もちろん途中に竜にも伝えに寄らないと」
そう言ってエルフは馴染みの帽子と杖を手に、扉を開ける。
今日は遅くなるって伝えないと…勇者はそう思いながら後を追う。
そして二人は、旅立った。
もしかしたら、あったかもしれない冒険に。
「そういえば、もし自分が一人だったら、君とこうして旅をすることになっていたのかな?」
隣を歩くエルフにそう語りかける。
「…ああ、ここに初めて来たときのこと? …うん、そうかもしれないね。ただ、どうだろうねぇ、あの時、仮に君が一人だったとしても、私はついていったかなぁ…まあ、森の外、いや、町くらいまではついていったかもしれないけどね」
「そうか、創世樹を見守らないといけないから」
「そう、今は勝手気ままに出歩いているあの創世樹をね」
二人で笑う。
森を抜け、更に南へと向かう。
道中、現れる魔物になんら苦戦することもなく、順調に歩を進める。
「…君が強すぎるから、魔物もあまり出てこないね」
エルフは少し意地悪そうに言った。
「それはお互いさまだよね?」
勇者もまた同じように応えた。
旅は順調、まるで止まることもなく、順風満帆に進んでいく。
まるで旅慣れているかのように、
慣れ親しんだ仲であるかの様に…
まあ実際、勇者の方は旅慣れていたのだけれども。
「この先の洞窟を抜けると、もうすぐ見えてくるよ」
「へぇ、長いようで、短かったなぁ」
「ふふ、まあ、私たちにとっては、苦戦する理由が何も無いからね」
「それにしても、随分と古そうな洞窟だね」
「いにしえの洞窟、なんて呼ばれているね。私が物心着いた頃からあったし、おそらく、私が生まれる前からあったんだろうねぇ…」
「へぇ、そんなに昔から」
「…今、少し失礼なことを言った自覚はあるかな?」
「…ん? あ、ああ、ごめん」
…年のことだね。
「冗談だよ。今更、年齢で怒るようなモノじゃないからね」
頭を下げる勇者、それを見て軽く笑うエルフ。
「あれ、なんだろう、魔力を感じる…前にきた時、こんな気配、あったかな…」
それもだいぶ前の話だけれど…
「何かありそう?」
「いや、大した反応じゃないけどね。小さい魔力が…ええっと、この先…」
「行き止まりだね」
「きっと積み重なって壁になったんだと思う…大した厚さじゃ無いし、魔法で簡単に壊せるけど…行ってみる?」
「行ってみよう、秘密の部屋があるかもしれないし、思わぬ宝物が見つかるかもしれないよ?」
勇者は心なしか少し嬉しそうだった。そういう冒険を繰り返して来たのかもしれない。
「…それは、いかにも冒険者らしくて、ちょっとわくわくしてくるね、わかった、行ってみよう。私が魔法を使うね」
小さな魔法を慎重に放ち、壁を壊す。
その中は、小さな空洞、小さな空間があった。
暗い中に、一つだけ、小さな灯りが見える。
「思っていたよりも小さい部屋だったね、これだと…宝物はないかなぁ…うん? あの光…あれは…花…かな?」
勇者は目を細めて言う。
「…花、だね。それも見たことない。私の知識にも無い、まるで見たことのない…花…でも…あれ? あれは…」
エルフはその花に近づく。
橙色に淡く光る花があった。
「それにしても、こんな真っ暗な場所でも花が咲くんだね、君でも知らないくらいだし、とても珍しい花なんじゃないかな?」
勇者はエルフに向かって聞く。
「…そうかも、ね、でも、この魔力、これは魔力が形作っているものだよ。この花は…小さいけれど、魔力の…」
エルフが花に触れようとした、その時。
花は俄かに輝きを帯びる。
それは小さく弱い光だったけれど、エルフの体を優しく包み込んでいった。
エルフはおもわず目を閉じる。
勇者の声が遠くから聞こえていた。
目を閉じた、その闇の中から淡い光景が浮かび上がってくる…
それは今とは違う、かつての勇者、かつてのエルフ。
その旅の…長くて短い旅の…記憶の、記録…
想いの、記録。
勇者は空から落ちていた。
勇者は様々な世界を渡り歩いてきた。
渡り歩くたびに、様々なところへ現れもした、
ただ、空はじめてだった。
そして、勇者は思案する。
このまま落ちて、それで死んだらどうなるんだろう、と。
ただ、下に広がる海を見て、安堵した。
「これだったら」
勇者は魔法を放ち、事なきを得る。
泳ぎながら、陸地へと向かう。
砂浜に上がると、一人のエルフがいた。
「すごい爆発があったから見にきたら…君、ただの人間じゃ無いね? 悪者には見えない、けれど、その魔力、何者かな?」
「ふぅ、助かった。あ、うん。悪者じゃ無いよ。ええっと、何て言えば良いかな…勇者なんだ」
「勇者? 君が? …ふぅん…まあ、嘘を言っているような感じじゃないけど…」
「いやまさか出現場所が空だとは思わなかった…それでも、下が海で良かったよ」
「…で、その勇者がこんなところに一体何のようなのかな? 勇者と名乗るからには、魔王討伐にでも来たの?」
「それはまあ、おいおい…目的はいろいろな場合もあって、でもこの世界、魔王がいるの? それならその魔王を討伐することが目標、になるかな…とりあえずは」
「とりあえずで魔王討伐って、君ねぇ…」
自分で勇者を名乗るだけあって、図太いのかなんなのか…
「それで、君は? エルフだよね?」
「…まあ、確かに私はエルフだけど」
「見た所魔法使いだよね?」
「…まあ、そうだけど」
「もしよかったらいろいろ教えてくれないかな? お礼は…あ、ごめん。そうか、今は何も持っていない…そうだった。うん。お礼はまあ後で、ということにならないかな? 必ず何かするから」
「変わってるね、君。勇者っていうのも怪しいけど、でも不思議と嘘をついている様には見えないし、説得力もあるんだよねぇ…」
「いや、それは本当だからね。嘘じゃないから。 …一応」
「一応、ね。まあいいよ、一応、信頼してあげる。私の家まで来るといいよ。服も乾かしたいだろうし、正直、君の話も聞いてみたいからね」
「助かるよ、ありがとう」
勇者はエルフの家を訪れる。
「へぇ、世界を、幾つもねぇ…それは随分と…大変だったろうね」
本当だったら、それはとんでもないことだろう。
「うん、大変だった時の方が多かった、かな。考えてみたら、楽な世界は一つもなかったなぁ…」
「一体どれくらいの世界を渡り歩いて来たのかな?」
「…どれくらいだろう…最初は数えていた気もしたんだけど…二桁こえてから、もう随分と数えてないな…三桁、はいっていない、気もするけど…それもどうだろう…」
「それは…でも、いくつかは覚えてるのかな?」
「朧げになら、ね。かすみがかっている、というか。思い出そうとしても、うまくいかないんだよね。毎回」
「ふぅん、そういうものなのかな、世界を渡るって…仲間とかはいたの?」
「…いた、と思う。一人の時もあったけどね」
「ふぅん、それも忘れてしまうものなんだね」
「…でも、嫌な別れじゃなかった、はず…みんな、それぞれ、自分の道を選んで生きているのだと思う、まあ、今は確かめられないけどね。でも、それでいいんだとも思うよ」
どこかその笑顔は寂しそうだった。
「…そう」
それからも会話は続いた。
「そうだね、私は魔法使いだけど、それだけでもないかな。特に攻撃属性の魔法だったら、あらゆる魔法が使えるよ。補助呪文も結構ね」
「へぇ、それだと、やっぱり、一緒にきてくれると助かるなぁ。自分は限られた魔法しか使えないから」
「う〜ん、そうだね、いいよ。しばらくは一緒について行っても」
「本当?」
「君との話は楽しいし。私もね、ただ、ずっと、ってわけにはいかないかもしれないけどね」
「充分だよ、助かる。まずは近くの町を目指そうかな、この辺りに、村か町はある?」
「それだと、ここから東に行ったところに、小さな村があるから、まずはそこから行くのがいいと思う」
「じゃあ、早速、行こうか」
勇者とエルフ。ふたりの冒険が始まる。
ふたりは初めから実力者だった。
勇者は当然ながら、エルフも相当の実力者だった。
旅は順調だった。
苦戦らしい苦戦をすることもなく、勝利を重ねて行く。
戦力は、ふたりだけでも充分に事足りていた。
「私も今なら、君が勇者だって、信じられるよ」
「急にどうしたの?」
「君、私が思っていた以上に強いから、強かったからね。私も、結構自信あったんだけど、ね」
「君だって十分強いと思うけど」
「それは、私だって、数多くいる冒険者たち、たとえそれがエルフの中であっても強者には選ばれるだろうけど。そんな私でも、君には敵わないから」
「魔法、たくさん使える君だって十分に強いけどなぁ、応用力が桁違いだし」
「それはまあ、魔法に関しては、私にだってそれなりの自負があるけど、ね。それでも…君一人でも問題ないんじゃないかなって思うときは多いよ」
それぐらい、勇者は強かった。
「う〜ん、でもね。ただ間違いなく、君に来てもらって助かってはいるよ。旅立った時からずっと、今まで、そして、きっとそれはこれからも変わらない」
「…そう。君にそう言ってもらえるのは、私も嬉しいね」
時には難敵もいることはあった。
それでも、ふたりには敵わない。
「ふぅ、勝利。やったね」
「結構強かったね、援護魔法、ありがとう。やっぱり強化がかかるとだいぶ助かるなぁ、動きやすい」
「ううん、それが私の仕事だから。でも、これだとあれだね、魔王も、二人で倒せちゃうかもしれないね」
「はは、確かにね。君の援護と強化魔法があれば、もうそれだけで十分な気もするよ」
ふたりは仲良く笑いあった。
数多くの勝利を重ね、今のふたりには、自信と、確信、その両方があった。
しかしその頃、二人の目的であるその魔王よりも恐ろしい存在が生まれようとしていた。
その存在に気づくすべはないまま…さらに時は流れていった。
ふたりは国境を越え、魔族たちのいる領域までかなり近づいていた。
魔獣たち、魔物たちはより強力に、凶悪になっていく。
それでもふたりは、負けることはなく、歩を進めていく。
慎重に、少しずつ、それでも、確実に。
「ここまで来て…それでも、ふたりだけでも、なんとかなるものだね」
大きな魔物を討伐した帰り、エルフはそう言った。
「ふたりだったのが、逆によかったのかもね。動きやすいし、息もぴったりだし」
勇者は小さく笑う。
「…そうかもね」
エルフも小さく笑った。
このままいけば魔王だって…
そしてそれは、現実味を帯びてきていた。
もう魔王の、魔族たちの領域に入っている。
人間たちの最後の砦である、その小さな村を越えれば、あとはもう、魔族たちを討伐する、そして、魔王を討伐するのみだった。
話に聞く限りでは、魔王はふたりにとってそこまで脅威ではないかの様にも思えていた。
魔王配下の四天王や、何人かの名のある魔族たちから判断しても、それは変わらなかった。
小さな村で宿をとる。
隣のベットで寝息を立てる勇者とは異なり、エルフは眠れないでいた。
「…」
魔王を倒したら、勇者は消えるのかな?
また、別の世界へ行くのだろうか…私は…きっと、一緒には、行けないんだろうね…
きっと、今までそうであったように、
勇者が、今までそうやって、世界を旅してきたように。
…でも、それでも、魔王を倒せば、この世界には、安寧が訪れることになるのだろう。
それはきっと、良い事だ。
それが私にとって、望まない結果をうむことになるのだとしても、
みんなにとっては、きっと、数多くの人たちにとっては、きっと…
「…」
勇者の寝顔を遠くから見る。
ぐっすりと寝ている。
なんて無防備なんだろう。
今、この場にいるのが、自分だけだからなのかもしれない。
油断しすぎている、と、心配にもなるが、その油断が、少しだけ嬉しくもあった。
そして、少し、また、悲しくもなった。
いずれはきっと訪れる、その別れを考えると。
これまでふたりで一緒に旅をしてきて、いつか、
…別れなくてはならないのなら、きっと、この自分の想いは、秘めたままにしていたほうが、良いのだろう。
きっと…そうなのだろう。
もしかしたら、勇者のいままでの仲間達の中にも、そういった人がいたのかもしれない。
いや、きっと何人もいたのだろう…自分も一緒に勇者と旅をして、そう思う。
中にはちゃんと、その想いを口に出した仲間もいたのかもしれない…それなら、自分は…でも…
きっとこの願いを聞いたら、優しい勇者は、ただただ困るだろうから。
困り顔も見てみたいけど、これだけは、ね。
「…おやすみ、勇者」
エルフは目を閉じた。
「…魔王が、倒された?」
勇者はそれを聞いて驚いていた。無理もない、私もそれをはじめに聞いた時はもっと驚いていたから。
「うん、知らせが来たよ。もうだいぶ近いから、確かめに行ってみる?」
「…そうだね、一応ということもある。それに、本当に魔王が倒されたのなら、自分がここにいるのも少し変だし…ね」
勇者のその言葉に、チクリと、少しだけ胸が痛む。やっぱり、その時は、別れないといけないんだろう、ね。
「そうだね、行ってみよう。話が本当なら、魔族たちもいなくなっているはずだし」
魔王城には誰もいなかった。
まだ数多くいたはずの名のある魔族たちも、誰一人、いなくなっていた。
…ただ、争ったであろう跡だけは生々しく残っていた。
しかし、姿がまるで見えない。
倒されたと言うが、その死体もまるまる何も、どこにもない。
中には消えるものもいるだろうが、全てが全て、と言うのも、妙な感じがする。
それにしても、一体誰が魔王を?
少なくとも、私たちが知る限りでは、最前線にいたのは私たちだったはず…
誰かが追いついて来た様子はなかったし、そうであれば気づいたはず…私でなくても、勇者だって気づいたはず…
「…この様相だと確かに魔王は倒されたみたいだね」
勇者は辺りを見回してからそう言った。
「うん、それは良いことだし、でも、そうなると…君の…勇者の目的はどうなるのかな?」
エルフはそう疑問を投げかける。
「…わからない。確かに、今までも。魔王だけじゃなくて、ある時は竜の王だったり、不死の魔術師だった時もあるにはあったけどね。 …それとも、隠れているだけで、どこかに、いるんだろうか?」
「…そう言った存在を、私は今まで一度も聞いたことはないよ、あ、でも」
「?」
「少し前から、ギルドから妙な討伐依頼は来ていたね」
私は思い出していた。
「ああ、なんでも…度々繰り返し現れる謎の存在の話? 何かわからなかったけど、魔王を倒せばそれもなくなると思っていたから魔王を優先させていたけれど…魔王たちとは別件だったのかな」
「調べてみたら、今日も来ているね。その依頼。魔王が倒された後だし、魔王たちは関係なかったかもしれないね」
ギルドに直接確認してみたから間違いはない。
「…場所は? 近い?」
勇者の顔は真剣そのものだった。
「急げば行けないこともないと思う、多分戦ってる最中になると思うけど…行ってみる?」
「そうだね、一度、見てみよう」
それが、二人にとっては初めての、虚無との戦いだった。
「こいつ…魔法を、吸収している?」
エルフの魔法は度々吸収されていた。
「…強いな、でも! 際限が無いわけでもなさそうだ…このまま押し切ろう!!」
それは勇者の攻撃であっても変わらない。ただ、全く効果がない、というわけではない様だった。
「…援護にまわるね」
他の冒険者たちとも協力をしながら、苦労の末に討伐には成功した。
だが、手応えがない。
「…こんなのが繰り返し現れる? 魔王がいなくなっても? …今の強さで…今回だけでも、これだけ犠牲があったんだ…私の聞いた限りでは、魔王よりも強いかの様に感じたけど…」
「話に聞くと大分強くなっていたらしい、それも、前の時よりも大幅に、何度も挑んでいる冒険者から聞いたから、間違いはないと思う」
勇者はひどく神妙な顔をしている。
「…嫌な予感がするね…」
エルフは静かに呟いた。
虚無は全てを飲み込んでいた。
人も、魔物も、魔力も、あらゆるモノを際限なく。
それが死んでいようが、生きていようが関係なく。
ただ、ただただ、あるがままを飲み込んでいく。
「…やっぱり、吸収、しているのか…そして自らの力へ変えている…そしてそれは前の時よりも大きい、確実に…」
「まずいね…早く、できるだけ早く倒さないと、このままではいずれ…私たちの力でも…」
もう二人だけ、と言うわけにもいかない。
各地で仲間を募り、
協力しては虚無に挑む。あるいは応援要請に加わり、ともに戦う。
倒しては現れ、その繰り返しの中で仲間達は増えていき、そして、次第に減っていった。
そして、その時は訪れる。
それは倒した、と思った先のことだった。
不自然に現れる虚無とその攻撃、直撃は避けたものの、致命傷は免れない。
「…ごめん、油断した、ね…倒したと、思ったんだけど…私たち、ふたりなら、それでも、倒せるって…」
思っていたんだけど…な…
「大丈夫、あれだったら、まだ、一人でも、倒せる。だから、すぐ」
「…ごめん、ね。ごめん、私…足手まといには、ならないように…してたんだけど、なぁ…」
必死になって、ついて行って、ついて、いけていると、思って、いたんだけど、なぁ…
だから、最後の一人になっても…それでも…私だけは君に…ついていけるって…
「足手まといなんてなるわけないよ。そんなことは絶対にない、いままでだって、これからだって! …すぐに終わらせるから、ここで休んでいて。絶対に、無理はしないで。ここで待っていて!」
勇者は珍しく焦っていた。その表情からは余裕が全く見えないほどに。
「…うん。待ってる…ね…」
「大丈夫」
勇者はそう言うと再び虚無に挑んで行く。
「…」
その背を見る。力強い背だった。いままでも見ていた。数多くの戦いの中で、その背を。
頼り甲斐のある、力強くて…そしていつしかその姿が…私にとっても…本当に…大事な…大切な…
「…ごめんね…」
あぁ…謝ることしか、今は思い浮かばない。
私は…
倒したはずだった、でも、それが…騙されちゃったなぁ…
ずる賢い、まるで魔族…
ああ、そうか、やっぱり、魔王たちも…
「…っ!」
あの勇者ですら、苦戦している。
一人だから、ではない。
今の虚無の力は、それほどまでに、強大になっていたのだった。
ああ、せめて、せめて私に…
今の私にでも、できることは…
ああ、そうだ。
この、風の…力。
ううん、違う。
残された魔力…私の…私の全てを…
全部、全部…勇者に…託して…そうすれば…
きっと…きっと…
エルフは光る。
自らの全てを魔力へと…
勇者を強化するための魔力へと、変えていく…
ああ、でも…この想いだけは…
託せない、かな…無くしたく…ない、な…
…うん、だって、これは…私の…
…大事な…大切な…想い…だから…
エルフは光となって消えた。
「!!!」
勇者は自身の周りに集まる光を感じる。魔力を感じる。
「…これ、は…この、力、魔力…は…」
光が、集まる。
そして勇者は悟った。
これが、エルフの力だということを。
それが…今まで託されてきた力と同じ、最後の力だということを。
「!!!!」
勇者は、自身の内部に生まれた新たな力によって虚無を倒した。
…手応えを、感じないまま。
勇者はエルフの元へ急いだ。
「…っ」
そこに、エルフの姿はなかった。
あったのは、小さな花、橙色に光る、小さな魔力の花だけだった。
…そしてその後、幾度かの戦闘を経て、勇者は虚無と相打ちとなる。
世界は一度崩壊し、形を変えて、再び創造されていく…
かつてとは異なる形で…
「ああ、そうだったんだ…そう、だったんだ…」
橙色の花に触れたエルフは。
かつてのエルフの世界を見た。
かつてのエルフの、秘めた想いを見た。
叶わぬ想いと、叶わぬ願い。
エルフは気づけば、涙を流していた。
「…涙なんて、とっくに枯れていると思っていたけど…それでもまだ、流れるもの、なんだね…」
エルフの涙は橙色の花に落ちていく。
それは淡い光を通り抜け、下の地面を小さく濡らす。
「…大丈夫?」
その様子を見た勇者は、心配そうに尋ねた。
「…ん」
エルフは何も言わず、勇者に抱きついていた。顔を胸にうめる。
「…」
勇者は、静かにそっと、エルフの背を優しく撫でた。
それは、かつてあった、一人のエルフの話で。
そのエルフが持っていた、強くも儚い、小さな想い。
幾千年の時をこえて…今に届いた。