魔王と神の死
「こんち〜。来たよ〜」
扉が勢いよく開き、場違いなほどに元気な声が響く。
「…ああ、うん。いらっしゃい」
「ちょっと〜、何か元気足りなくない〜? 私がせっかく遊びに来たのに〜」
「厨房でバーガー食べてる姿、割とよく見かけるんだけど。それなりに来てるよね」
「あはは〜、バレたかぁ。そういやグリっちのナビがいないね、出かけてる?」
「ナビならベアバーガー食べに厨房に行ったよ」
「お、それなら私も後で行こ〜っと」
「君もバーガー食べに来ただけ?」
「いやいや、今日は違うんだなこれが。ささ、どうぞどうぞ〜」
「…どんなところかと思ってきてみたけど。 …ふぅん。悪くないじゃない。兵たちも、練度、質が高いわね。一クリエイターとしても興味深いわ」
静かに奥ゆかしく入ってきたのは薄手の黒い衣装をその身に纏う女性。
その格式高い衣装から身分の高さが窺える。 …かなり透けて…薄手だったが。
「あなたが魔王グリ。 …良い匂いね。 …それも私に近い。 …悪魔の匂いもするのね。 …興味深いわ」
ゆっくりと歩を進め、すぐ目の前になるまでに距離を縮める。
その顔、鼻が首元まで迫り、掠めた。
「…ふふ。 ほんと…悪くない。 …とても好ましい匂い」
「ちょいちょいリリス様〜」
「…」
この女性がリリス? …確か色界の魔王。そしてリリンの生みの親。
「この距離まで近づいても、何もしないのね? 身構えないのね?」
リリスはそっと耳元で囁く。
「リリンに会いに?」
「…ふぅん」
いたって冷静に、普通に返答を返してくる。
狼狽える素振りは微塵もなく、微動だにしない。
「……随分と、慣れてるのね。見かけによらず、遊び慣れているのかしら」
リリスはそれが少しばかり気に入らなかったようだ。
自身が得意とする嵐の力、ではなく、もう一つの得意とする力。
魅了。
目の前の朴念仁に試してやろうと、その力を使う。
しかし、
「?」
「…嘘でしょ」
全く効果があるようには見えない。
リリスは意地になってさらに全身を使って魅了を放つ、
しかし、
「? 何の踊り?」
全く効果は無い。
どんなに激しく、扇状的に舞おうと、効果は微塵も感じない。
勇者の方はというと、格式高い挨拶の礼儀か何かなのだろうと、静かに見守っていた。
次第に疲労の色を見せはじめたリリスを見兼ねたナビは気遣い、
「リリス様リリス様〜、今日はリリン様の様子を見に来たんじゃ?」
「くっ、そ、そうね。んん、魔王グリ」
いずれは私の虜になるに、決まっている。
…私に魅了されなかった男なんていないんだから。
「…今日のところは、私の負けを認めてあげる」
「?」
よくわからない勝利を得た勇者は少し戸惑いながらも、
「リリンなら自分の部屋にいるよ。多分寝ていると思うけど」
「…あの子、相変わらずそんななの。 …全く、せっかく才も力もあるというのに。その意志が微塵も無いのね。 …無理強いしなかった私が悪いのかしら」
「当の本人は今幸せみたいだし、リリス様のせいじゃ無いっしょ」
ぎゃるナビがリリスを慰めている時、扉が再び開く。
「ふぅお腹いっぱいです。辛味のあるソースも合いますねぇ。今度は、って、ぎゃるナビ! いつの間に、…って、リリス様もいるじゃないですか!」
「ちょいちょい、そこソースついてるし」
「ああ、ありがとうございます、じゃなくて。 …一体何の要件なんですか? それに連絡なしですよね? まあそれはいつものことですが…でも魔王連れてくるのに、連絡無しはちょっと信じられないんですけど」
「まあまあ、今日は許してあげて。ただ娘の様子を見にきただけなの。 …と言ってもあの子、相変わらず部屋で寝てるだけなのね」
「あ〜、まあ、この時間は大体そうですね。 …というより、起きている時間の方が少ないですし。稀です。部屋まで案内します」
「そうね、お願いするわ」
「それなら私はバーガー食べてこよ〜っと」
「…相変わらず自由ですねあなた」
「え〜、それはあなたも同じだし。魔王放って食べに行ってたし」
「…城内ですから良いんですよ。お互いに位置は把握できていますから」
「コーラも楽しみだし〜。今日は特大にしよ〜っと」
ぎゃるナビはすでに扉の外へ。楽しそうな声だけが響いていた。
「…。案内します。こちらです」
ナビはリリスを連れてリリンの部屋へと向かう。
急に静かになった室内に、土兵たちの定期教育を終えた氷姫が戻ってきた。
「…知らない女性の匂いがいたしますね」
室内の温度が急激に下がる。
「さっき魔王リリスが来たよ。ナビと一緒に」
「魔王リリス、ですか。確かリリンの生みの親、でしたね」
「そのリリンの様子を見にね。魔王と言っても、自分の子供は気になるみたいだ」
「…本当にそれだけなのでしょうか? この部屋、少し…いえ、かなり残り香が…これは換気しないといけませんね。少しだけ失礼いたします」
極寒の風が室内を包み、空気が清浄化されていく。
「はい、これで綺麗さっぱり、消えました」
「…」
…空気、凍ってない?
「あ〜疲れたぜ、って、寒っ! おい何だここ。いくら何でも寒すぎだろ」
火神は大きな袋を携えている。
自身から炎を生み、部屋の温度を高め…ようやく快適な室温に戻った。
「火神様〜、待ってください〜、そろそろお返事を〜」
その後ろから見慣れないナビが入ってきた。
「うっせ〜な。もうとっくに断っただろ?」
「そうは言いましても…それならせめて代理を…」
「アタシは嫌だね。めんどくっせぇ。まあそういう訳だ、後は頼んだぜ?」
火神は勇者に向けて親指を立てる。
「? 何を?」
「アタシはこいつを厨房に持ってかねぇといけねぇからな。どんな料理になるか、今から味が楽しみだぜ」
大きな袋を持って出て行ってしまった。
「…はぁ、困りましたねぇ」
取り残された見慣れないナビがため息をついている。
「君はどこの、誰のナビ? 会ったこと無いよね?」
「あ、はい。あなたは魔王グリ様、ですよね。申し遅れました、私は先ほどまで肉界を治めていたポギー様に使えていたナビです」
「先ほどまで、と言いました? それでは今は誰に仕えているのですか?」
「今は…その、誰でも無いんです。と言うのもポギー様はつい先ほど火神様によって倒されてしまったので」
「…あの暴れ神、魔王を倒しに行っていたんですか。通りで最近姿が見えないと思いました」
「それじゃあさっきの大きな袋は」
「かつてポギー様だった肉塊が入っていますね」
「何とまあ、相変わらず無慈悲で慈愛の欠片も無い神ですね。蛮神です」
「火神様がおっしゃるには、豚どもを支配している豚の王ならきっととんでもなく上手い豚肉に違いねぇ、と」
「野蛮の極みですね。どれだけ蛮族なんですかあの悪神は…」
「…実際美味しいのかな?」
「そんなに変わらないと思いますよ。体が大きいだけで特には。 …それでですね。現在肉界の魔王が不在になっているんです。本来なら倒した者が後を継げばそれで良いんですけど、どうしても嫌がってですね。全く聞く耳持たずに帰られてしまって…」
「聞くわけねぇだろ。何でオマエの言うこと聞かなきゃなんねぇんだよ。神だぞアタシは」
細く尖った小枝で歯の隙間を綺麗にしつつ、どこか物足りない表情を浮かべている。
「イマイチだったな。ポークステーキは。魔王だから味に期待してたが、特に他と変わんねぇ。食い出があるだけか。後は熟成に期待、だな」
「…あなたも、魔王さまに迷惑がかかるような真似はしないでください。それも勝手に。いずれは全てを治めるとは言え、順序というものがあるでしょう?」
「…」
いや、そんな気は無い。
「はっ、別に良いだろ。言われた通りゴブリンたちには手を出してねぇし。弱ぇ奴らは放っておいてるぜ? あの豚野郎はそれなりに強かったからな。まあまあ楽しめたぜ。 …さぁて、そんじゃ腹も膨れたし、ちょっと寝てくるわ」
火神は膨らんだお腹をさすりながら部屋を出ていった。
「配下の責任はその上の者にもある、と言うことで。魔王グリ様、肉界も治めてはいただけないでしょうか?」
「…まあ、確かにその責任は少しあるのかもしれないけど。でも、何をすればいい?」
「誰か、誰でも良いので、肉界の城に配備していただけると。もちろん城は建て直して頂いても、それは自由ですが。それでも誰かしらは肉界に居て頂かないと…ある程度の力を持った者をお願いします」
「…そうなると、私たち三柱の誰かが適任になるのでしょうね。かといって、あの戦闘狂は無理でしょうし。 …土神も、土兵たちの整備を考えるとこの城を離れるのは望ましくありませんし…となると…」
…私しかいないですね。
でも、そうなると離れ離れに…
そうです、ならリリンにでも…って、力不足で無理でしょうか?
とは言え怠界を一応は治めていたようですし…でもどう考えても力不足ですよね…
「…ぐ…ぐぬ…ぬ」
氷姫の思考は鬩ぎ合っていた。
自分のためならば間違いなくここに残りたい。離れたくないから。
そこに迷いはない。
ぐ…あの無鉄砲神…何で私が頭を悩ませないといけないんですか。
誰のために、何のために。
いやそもそも、言う事を聞く必要など無いのでは?
このナビの言う事を間に受けてそのまま聞く必要など無いのでは?
何か言うようならいっそ氷漬けにしてしまって、
「それなら自分がそこに行こうか? ここは今までのように三人に任せられるし」
「それでも構いません。その時あなたに使えるナビは私に交代してもしなくても、どちらでも構いませんから」
「!」
それではどの道離れ離れになってしまう。
せっかくあなたのために作ったこの城が…それでは無駄になってしまう…
…まあ実際に作ったのは土神だったが。
「…いえ、それならば私がそちらに参りましょう。 …それで、構いませんね?」
「ええ、もちろん歓迎ですよ。あなたのような神ならば、力不足と言うことは決してありませんから」
「いいの?」
「…正直なところを申しますとあまり良くはありません。とても心苦しい選択でした…ですが、現状丸く治めるにはこれが良いかと」
「そんなに急ぐことでもないんじゃない」
「不在期間は少ない方が、ひいては星の安定にも繋がりますので…できる限りは…お願いしたいです。あ、でも後から交代することは可能です。それはいつでも可能ですので。 …今は一時的な魔王代理、と言うことにでも」
結局そういったナビの願いもあって、氷姫が一時的に魔王を名乗ることに決まった。
「一時的な事とは言え、神が魔王を名乗るようになるなんて。何か不思議な気分です」
「では、これからは魔王エウロ、として肉界をお治めください。私も精一杯支援いたしますので」
「ナビ、離れる前に少しよろしい? …怠界とは永世的な友好条約を結びます。それはもちろん魔王グリ様とも。永世的な、友好を、親交を。深い深い契りを、約束いたします」
氷姫は手を差し出す。
勇者もその手を取る。
「こちらも誓うよ」
互いの指輪がキラリと輝いた。
氷姫はそれだけでもう充分に満たされた。
「お互いの、この指輪をその証として。 …是非とも、より親密で、深い関係を…これからも築いていきましょうね」
誓いを固く結んでから、ナビを連れて城を後に…
氷姫のいなくなった部屋は、少し肌寒く思えた。
肉界の城。
「はぁ。…まずは消毒、ですね。 …少し力強く、いきましょうか」
瞬く間に、白く透明な輝きを放つ氷の城が出来上がった。
「…この城に招く、と言うのも…それはそれで良いですね」
氷の玉座に座り、思いを馳せていた。
「ナビ、交代は可能と言いましたよね?」
「はい、可能です」
「それなら交代制にしてしまいましょう。私と、土神と、あの蛮神も。ローテーション魔王ということで、それでも構わないのでしょう?」
「魔王様の思いのままに」
ナビはいたって従順だ。
「…」
あの蛮神は断りそうだけども…そうなったら、力尽くにでもやらせてやることにいたしましょう。
それから間も無く、土神はそれを了承し、火神も渋々ながら了承した(させた)。
「…ふぅ」
ようやく人心地ついて、凍てついた誰もいない城内を見渡す。
ナビはすぐ側にいる。
でも肝心の人物は側にいない。物足りない。
ものすごく物足りない。
ぽっかりと空いた心の隙間が埋まることはない。
「…はぁ」
…氷に包まれた城は。 …どこか懐かしい。
他に何もなく、ただ一人。
それさえ懐かしい。
…でも今は、ひどく物足りなく……人恋しい。
…早く交代の時間にならないでしょうか。
時間は静かにゆっくりと流れている。
時の流れを意識するなど、本来は無い。
限られた時と言うものが無いから。
厳密に言えば、それはあるのかもしれない。
永劫とも思える時にも、きっと終わりはある。
人の命のように、生き物たちの生命のように、星の輝きでさえ、いつか終わりは訪れる。
「…」
左手の指輪を見つめると、心が少し晴れる。
限られた時を生きる存在と共に在ることで、時間に対する意識は変化していた。
…いっそ人として、生きてみるのも良いのかも…
神でも魔王でもなく、本当に、同じ時を一緒に生きてみるのも…
「…良いかもしれませんね」
蒼炎が、氷の城を覆った。
瞬く間に氷の城は溶けていく。
城内から空が見えた。
「…このまま燃やし尽くしてあげる」
魔王レヴィの姿が見える。
以前よりも遥かに色濃く力強い蒼炎を纏っていた。
「あなたもアポ無し訪問ですか? ここの魔王たちは礼儀というものを知らないようですね」
凍てついた氷の柱が城から伸びる。
蒼炎と氷柱がぶつかり、水蒸気の爆発による振動が城を、大地を揺らす。
度重なる衝突によって大地は割れ、空からは雲が消し飛んだ。
「やるじゃない、本当に、ねぇ!」
力はほぼ互角。
それでもレヴィは余裕の笑みを浮かべている。
城内から鋭い無数の氷柱を放ち、それと同時に上空へ。
頭上から巨大な氷塊を落とす。
「はっ! たいしたもんねぇ! でもそんな簡単に」
小さな爆発を無数に起こしその軌道を逸らす。
「当たらねぇのよ!!」
「知ってますよ」
強力なブリザード。
「チッ、この」
暴風と飛礫がレヴィを包む。
「また凍ってくださいね」
「さすがは氷の神だね」
「っ!!」
ブリザードが一点に収束。
すぐに衝撃が襲い、氷姫を地面に向かって弾き飛ばす。
「強力な力だ。その身に受けた気分はどうかな」
「…くっ」
かろうじて地面に魔法を放ち、叩きつけられるのを防ぐ。
「…へぇ、やるねぇ。でも無傷、ではないね、当然」
「…あなたは、確か」
「…遅いのよ」
「ようやく好機が訪れた、これを逃したくは無いね」
「…ま。 …私としては、消せるんなら何でもいいけど」
「…」
魔王サティと魔王レヴィ。相手は二人。
先ほど受けた衝撃がまだ残っている。
「…」
何か、鉄槌で殴られたかのような衝撃だった。
その割に、何も武器は手にしていない。
…何らかの魔法、だろうか?
左腕、左半身はまだ、しばらくはまともに動きそうにない。
「私の一撃を受けても、そうやって平気そうに立っているのは大したものだよ? 君と私、それにレヴィの力もあったんだ。その三つの力を上乗せして、殴ったんだからね。大分こたえただろう?」
「…大したことはないですね」
辛うじて指先は動いた。でもそれだけ。半身は未だ痺れている。
「…もう少し弱らせないとダメかな」
「止めは私にさせてよ」
「トドメを刺されちゃ困るんだよね。アビスに送れなくなる」
侮っている。
舐めている。
間違いなく、この二人は、私を。
「…神を、舐めてもらっては困りますね」
大地は凍り、
空気も凍った。
そして大気も、氷姫を中心に荒れ狂う氷結の風となって広がる。
研ぎ澄まされた無数の氷柱が無造作に、まるで生き物のように、軌道を変え、伸びる。
世界は氷で満たされた。
空間を全て氷が埋め尽くしていく。
「…やるじゃないの」
蒼炎を纏い、全ての力を集中させることで辛うじて氷の世界に飲み込まれるの防いだ。
容赦無くとめどなく溢れる氷結の奔流に目を見張った。
「…大きな力だね、本当に。見事としか言いようがない。 …私がこれまで見た中でも、かなり上位の力と言っていい、でも、」
氷の奔流がサティの身に届くことは無い。
その身に届く前に飲み込まれていった。
氷と、そして生み出された氷の世界が、吸い込まれ飲み込まれていく。
そしてそれはまるで地繋がりのように、繋がっている氷姫の魔力をも飲み込んでいった。
「単一の属性は、相手にはしやすい」
「!!」
氷姫は振り下ろす様を見た。
まるでその手には槌が、巨大な鉄槌が握られているかのようで…
「今度はさっきよりもこたえるよ」
大地を破壊する、比べ物にならないその衝撃を受けた氷姫の意識は、そこで途絶えた。




