東山に棲まう仙人
迷い猫、行方不明の道士、悪い妖術師たちの件が解決したこともあり、
勇者は新たな仕事を探しに斡旋所を訪れたが、空振りに終わった。
「良い仕事が見つからなかったようだな。 …それなら少しばかり買い物を頼まれてはくれないか」
「もちろん良いですよ」
「助かる。必要なもののメモはしてある」
そう言って手渡された紙には何種類もの商品のリスト。日用品から雑貨まで。
おそらくは法術に使うのであろう品々なんかも。
「普段ならシャオたちに頼むところだが…二人は今西地区の仕事の方が優先だからな」
「そう言えば二人とも朝早くに出ましたね」
「早起きするのは歓迎だ、ただ任せられた担当が西地区、と言うのが少し気には掛かるが。 …特にシャオは遊び呆けてなければ良いんだが…まあ、ヘイにはよく言ってあるから信じるしかないな」
商品リストに目を通す。墨壺の糸や蛇の胆、なんかもある。
いくつかはどこに行けば売っているのか探すのに少し迷いそうだった。
「ふぅん、これからお買い物? 色々あるのね。それなら私も着いて行くわ〜。久しぶりにこの町を色々見てまわりたかったところだったし」
勇者の後ろ背から覗き込みながらマオは言う。
「確かにその方が迷わずにすむだろう、では、二人とも頼んだぞ。少し多めに渡しておく」
「…こんなにですか?」
「ちょっと多すぎない? 全部買っても大分余ると思うわよ」
「二人とも妖術師の件での報酬を辞退しただろう? それもふまえてつけておいた。気にすることはない、途中で何か食べてもいいし好きなものがあれば買ってもいい、その使い道は二人に任せる。まあどうしてもいらないと言うのならそのまま釣りとして返してくれていい」
「わかりました」
「それじゃあお買い物デートに向かいましょう〜」
マオは勇者の手を引きながら嬉しそうに市場へと向かう。
リストを眺めながら順調に買い進めていく。
どこの店に何があるのかをまだ把握しきれていなかった勇者にとって、マオが一緒なのは心強かった。
実際にはマオもこの町を訪れたのは久しぶりだったので、現在の町の詳細をそこまで良くは知ってはいなかったものの、構えている店のなりかたちでおおよその検討はつくようだった。
そしてそれより何より勇者と一緒に買い物ができ、その為になっていることに喜びを感じていた。
「お、マオ道士に白黒勇者さん。仲良く二人で買い物かい? いいね。うちにも寄りな、出来立てで美味いよ」
香ばしく焼けた煎餅の、甘じょっぱい香りが漂っている。
甘いタレと赤い粉をかけた二種類を頼み、休憩に食べることにした。
「結構ピリ辛だ」
赤い粉の刺激が舌の上ではじける。
痛いと言うほどでもなく、丁度良い刺激。
「私の方は少し甘め、こっちも半分どう? あ、とりかえっこしませんか〜?」
「いいですね」
勇者の煎餅を受け取り、じっと見つめてなかなか食べないマオ。
「辛いもの苦手だったんですか? それなら無理には」
「いえいえ、全然大丈夫ですよ〜。いただきますね〜」
目を閉じて、じっくりと味わうように噛み締めていた。
勇者もまた同じく受け取った煎餅を口にする。
ほのかに甘く、そしてしょっぱい。
辛さに刺激された舌が再び蘇っていく。
「交互に食べるとずっと食べられそうです」
「ふふ、そうですね〜。それならまたとりかえっこします?」
半分の半分になった煎餅を交換する。
それは実に側から見たら仲の良い男女の仲睦まじい仕草のようでもあり、
マオは十二分に満足していた。
…ああ、来てよかった。
帰り道、通りに子供達の騒ぐ声が聞こえてくる。
「元気ですね〜」
「そうですね。 …こんな声が響いてくる町なら安心できます」
元気に遊んでいる子供達の声が響き渡る。
年は近いのかそれとも離れているのか、身長から判断できないものの、みんなで仲良く遊んでいる。
みんな背丈は勇者の半分ぐらい、そしてさらにそれよりも小さい子供たちもいる。
「ふふ、確かにそうですね」
子供たちを見るマオの表情は優しいものだった。
「好きなんですか?」
優しく見守るマオの表情につられるように、自然と勇者の表情も笑顔になる。
「え?!」
そんな勇者の顔を見るとマオの鼓動は跳ねた。
「そ、その。 …あなたは」
「好きですよ」
「?!?!」
マオは唐突なあまり頭が熱で爆発しかけたが、
「子供たちの笑顔が絶えることのない世の中であってほしいですよね」
「ん?! あ! そ、そうですよね。はい。 …私もそう思います」
冷静さを取り戻した。 …危ないところだった。
「子供と老人が共に元気に暮らしている、それはきっと平和な世界なんでしょうから」
「ふふ、それだと私たちのようなその中間の大人はどうなるんです?」
「それはまあ、働いたり何なりやることは多いでしょうね、でもその為になるのなら。それはきっと良い理由です」
「ですね」
二人は少し立ち止まって、そのまま遊ぶ子供たちを眺めていた。
少し離れたところから、子供たちの遊ぶさまを同じように眺めている存在がいた。
勇者はその視線に気づき、目を向ける。
猫。
「…あの時の猫」
「? あ、確かに猫…随分と綺麗な猫ですね〜…ん〜?」
何かを思い出そうとしているかのように、首を傾ける。
「前にも見たことあります?」
「でも、どうかしら…う〜ん、小さい頃に、私がまだこの町にいた時にも…同じように綺麗な猫を…見たことがあったような……でももうだいぶ前になるので、同じ猫かどうかまでは…ちょっと自信ないですね〜」
猫はただじっと子供たちを見ている。それはまるで見守っているかのようにも思えた。
「…少し、荷物をお願いしても良いですか」
「良いですよ。何か?」
「あの猫が少し、いや、かなり気になります。 …前に一度、後を追ったことがあるんですけど、その時は見失いました。おそらくは町の外に出たと思うんですけどね」
「え? …だとすると、この町の外壁を越えたんでしょうか? ただの猫に飛び越えられる高さとは思えませんけど」
「そう思います、 …だからただの猫では無いようですね」
勇者の意識は猫に向かう。
視線が合う。
わずかに首を傾げる仕草を見せる。
勇者を見て、首をまた反対に傾ける。
まるで何かを思い出そうとしているかのように、今度は勇者のことを静かに見ている。
「何かどこか、すごく余裕を感じさせる猫ですね〜」
「…ちょっと近づいてみます」
勇者は向き直って猫の元へ向かおうとするも、猫はそれを見て踵を返した。
「あ、逃げちゃいましたね」
「また少し後を追ってみます。荷物は」
「任せてください〜。このくらい私だけでも全然問題ないですから〜」
「ありがとうございます」
猫の背を追い、勇者は駆け出した。
「…行っちゃいましたね」
まあ、二人きりのデートを楽しめたので良しとしましょうか〜…ちょっと早かったですけど…。
少し寂し気なその背に気づいた幼子の一人がマオの元へと近づいてくる。
「ひとりなの? わたしたちといっしょにあそぶ?」
「あら、優しい子ね〜、いいの?」
「ねえ、いいよね〜?」
その問いの先には少しませた男の子。
「お、いいぜ。俺たちに年は関係ねぇんだ、だからおばさんも」
「お ね え ち ゃ ん」
マオは静かにしゃがみ込み、男の子の頭を優しく撫で、目線を合わせながら優しい笑顔で言った。
「ね〜?」
さらに念を押すかのように、優しい笑顔で言った。
男の子はその笑顔の圧に気圧され、そして動悸が激しく鼓動した。
「ッ。お、おねぇちゃん、も…よ、よかったら俺たちと一緒に遊ばねぇか?」
男の子にとってそれは初めての経験だった。その激しい鼓動はまだ治らない。
「ふふふ〜、そうねぇ、でもお姉ちゃんはまだおつかいの途中なの。だからこの荷物を届けに戻らないとだから…また今度、誘ってね〜」
「わ、わかったぜ」
熱をおびる頬と激しく脈打つ胸。
男の子は自分の体の異変に戸惑うも、
「ねぇねぇ、どうしたの〜?」
「い、いや。笑顔って…時に笑顔じゃないよな。でも…」
…それが少し心地よかった。
「ん〜?」
「な、なんでもねぇぜ。よし、じゃあ続きだ!」
男の子は少しだけ大人になった。
猫の背を追う。
…やはり速い。
あっという間に町の端、もうすぐ外壁。
一定以上離されないよう注意しながら後を追ってきたが、
きっと行き止まりは意味をなさないだろう。
猫は高く飛び上がる、高い壁よりも更に高く。
そして難なく外壁の天井に飛び乗ると、その外へ、
「…」
…やっぱり町の外。
勇者も高く飛び上がり、壁の上へ。
走り去る猫の姿を確認した。
そのまま、その先の山へと向かっていくように見える。
その方向にある一際高い山。
確か東山、と言っていた。
そして遥か昔からの仙人が棲まうとされている山。
…このまま追ってみよう。
猫は後を追う勇者に気づくと振り返って一瞥し…立ち止まる、どころか更に走る速さを増した。
その速さは最早ただの猫では到底説明できるものでは無い…
まるで一陣の疾風、いや…それどころか自らが生み出すその風を置き去りにするほどに疾い。
勇者もまた雷を纏うことで見失わないようその背につく。
猫は再び振り返って確認する。
まだ先を行くその尻尾が揺らいだ。
その表情が笑ったようにも見えた。
尻尾を揺らしながら更に更に速度を増していく。
超高速の、一匹と一人の鬼ごっこが始まった。
猫は実に無邪気な獣のように、方向を右に左に自在に変化させ後ろの勇者を翻弄。
直線的な速さではあるがその動きを小刻みにすることで猫の自在な動きに喰らいついて離されない。
猫の尻尾の揺れは激しさを増していく。
振り返る数も増えてきた。
…もしかしたら、この追いかけっこを…楽しんでいる?
…それとも、ただ遊んでいるだけなのか…
…もしかすると、試している? ついて来れるかどうかを…。
勇者は離されないよう慎重に、はぐれないよう後につく、
あっという間に東山の山裾。
猫は山に入り駆け上がる。
急斜面だろうが何だろうがお構いなしに速さは全く衰えない。
木々の間を縦横無尽に駆け上がる。
向こうは地の利がありそうだ。
でも、こっちも荒れた山道はそれなりに慣れてる。 …離されないよ。
付かず離れず、一定の距離を保って猫の背についていく。
その尻尾が嬉しそうにクルクル回っている。
その耳は楽しそうにぴこぴこ揺れている。
山を登るにつれ白い霧が濃く深くなっていく。
少し前でもその姿が見えなくなりそうだった。
…見失ったら、この霧の深さではもう見つけられないだろう。
それどころか、自分の所在さえ見失いそうなほどに霧が濃くなってきた。
…山のどのあたりか、自分が今どこにいるのかさえ最早危うい。
目の前を走っていたはずの猫は一際深い白い霧の中に…
そしてその姿を眩ませた。
「?」
見失った?
…この距離で?
勇者は目を凝らして辺りを確認する。
…古い木の門がある。
所々傷んではいるが、立派な作りの門。
…門の近くに、何かいる。
さっきの猫? …いや…違う。人。
「…何用じゃ? こんな所まで」
長く白い髭をたたえた細身の老人が立っていた。
その体の細さに不釣り合いと思えるほど、大きな木の玉を一繋ぎにしたものを首から下げている。
「この辺りに猫が来ませんでしたか?」
「…ほほう、猫。ふむ。それを追って、ここまできたのか?」
「ええ。ここで見失ったみたいです」
「…ふむ、ふむ。 …で、あるなら、不法者と言うわけでもなさそうじゃなぁ」
長い白髭を上から下へさすりながら。
「不法者ですか?」
「ああいや、こちらの話よ。で、その猫に何か用事でもあるのかの? まさか捕まえて何かしようとでも考えておったり?」
老人の視線は俄かに厳しくなる。
「ああ、いえ。ただ、少し気になったもので。ただの猫にしては、脚が速すぎますし、跳ぶ力も、それで興味があって」
「つまりは好奇心、か。まあそりゃあそうじゃろな。しかしよう追いついてきおったもんじゃ。お主もなかなか脚が速いのじゃな。 …ふむ、で、今でもその猫に会いたいのかのう?」
「会えるんですか? あの猫はここで飼われているんでしょうか」
「わっはっは。飼っている、か。まさかそんな、あまりにも畏れ多い。ふぁっはっはっ。そんなこと、口にするのも憚られるわい。何と言うか、ちょっと見ものじゃがのう。しかし、くっくっく、飼う、か」
老人は一度は堪えながらもまた豪快に笑った。
「この門の先は何があるのでしょうか?」
「寺じゃ。古くからある由緒ある古寺じゃよ。そしてわしはそこの和尚じゃ。まあ、だるま法師とも呼ばれとる」
「だるま法師さん、和尚さんだったんですね」
「どちらでも構わんよ、和尚と呼ぶだけでも良いぞ」
「さっきの口ぶりからすると、和尚さんの飼っている猫というわけでもないんですね」
「ああそうじゃな。そもそもその飼うという表現は正しくないのう。それにどちらかと言ったらわしの方が飼われとるわ。ずっと昔から仕えとるわけだしの」
「猫にですか?」
「まあそう思うじゃろな。姿を変えて出歩くのは程々にしてもらいたいところでもあるのじゃがのう。ま、それは今更じゃな」
「この山にいると聞いた天仙娘娘、という仙人、仙女はもしかするとあの猫、ですか?」
「お、なんじゃ知っとるのか」
「話で聞いただけですけどね」
「ふむ、しかしそれじゃと少し事情が変わるのう。つまりは迷い込んだわけではなく、天仙様に会いにきたというのならば、また話は変わるぞ? そこのところはどうなんじゃ?」
「会えるのなら」
確かすごい力を持った仙女、という話だ。
「もしかして願い事でもあるのか?」
「それに近い事はありますね」
「ふむ…そうじゃなぁ。 …まずここまで来た人間というのがそもそもだいぶ久方ぶりでの。というより、このあたりには魔除け厄除け獣除けに違わず、人除けの結界に近いものも施されておってな。 …まず普通であれば近づくことすら叶わんのだ、来ようとしても迷ってしまうのがオチじゃな。しかしお主は、ある意味では招かれたわけじゃ。猫の姿をした天仙様にな。これも珍しい、非常に珍しいことなんじゃよ。通り過ぎた天仙様が上機嫌だったのは、もしや…いや、それよりまず聞くが、お主本当に人間かの?」
「自分ではそのつもりですけど」
「わっはっは。面白い返答じゃな。わしは好きじゃぞ。 …でもどうかのう、獣に化けて人里に降りるくらいには人間好き、特に子供好きではあるんじゃがな。 …わしが言って聞くような方ではないしのう。会えたからと言って、お主の願い事を聞き入れてくれるかどうかは全く別じゃぞ? それどころか、何があるかわしにもわからん。 …それでも良いのかの?」
「お願いします」
「よし、じゃあわしが寺まで案内してやろう、ついてくるといい」
門をくぐり、老人の後につづく。
緩やかではあるが長い階段を上り続けた先には、木造の古い寺…それもだいぶ、かなり年季の入った建物だった。
「天仙様、客人ですぞ。まあご存知なのでしょうがの」
和尚は恭しく頭を下げる。
勇者もそれに続いて頭を下げた。
「…あの町にいた人間。ここまで来たのですね。 …私の後を追ってよく来れたものです」
猫の姿ではなかった。
ひらひらと風に靡く白い羽衣をその身に纏った女性が、敷かれた厚い布の上に優雅に座っていた。
静かに立ち上がり、勇者の元へ。
「…そんなに、私に会いたかったのですか?」
風もないのに羽衣はゆらゆらと靡いている。
それはまるで歩く動きに合わせて衣自体が意思をもっているかのようだった。
「…それとも、そんなに大切な願い事が、おありでしょうか?」
羽衣は掴めそうなくらいすぐ目の前で靡いている。
正直鼻先にかかって少しくすぐったい。
勇者は目の前の鼻を掠める衣のその端を、何とはなしに掴んだ。
「?!」
和尚は焦り、
「…触れてしまいましたね。 …この私に」
仙女は小さく控えめに笑う。
「すみません。鼻がくすぐったかったので」
そんな二人を見て弁明するも、
…時はすでに遅かった。
「いやはや、天仙様に触れてしまうとはのう。 …これは…」
「?」
「もう夫婦になる他無いのう」
和尚は言った。
「え?」
「夫婦になる他無いのう」
和尚は言った。
「…」
勇者は和尚を見る。
和尚は畏ってひどく真面目な表情をしている。
…どうやら冗談ではないようだ。
勇者は仙女を見た。
「…っぽ」
赤らめた頬に手を当てながら、羽衣とともにゆらゆらと揺らいでいる。
ー ギィ〜…バタンッ ー
遠くで門が閉まる音が聞こえた。




