雷霆(ケラウノス)
クロノは自ら時間停止を解除した。
「…お前、何をした?」
「?」
勇者はクロノの言っている意味を理解できない。
勇者の時は実際に止まっていたのだから。
本当に何も知らないかのようなその様子にクロノは疑念を抱く。
…わざとか? それとも…作戦か?
チッ、めんどくせぇ。
どっちにしろ…すぐに終わりにしてやるよ。
「!!」
目の前のクロノが消えた。
「時間停止だけだと思うなよ?」
勇者がその声に振り向いたと同時、
脇腹の重い衝撃と共に大きく吹き飛ばされる。視界は揺れ鈍い痛みが遅れて襲う。
弾き飛ばされた勇者は回転して地面に手をつき、受け身をとってすぐにクロノに向き直るも、
「時間停止だけじゃねぇんだよ」
すぐにまた後方から背中に鈍い衝撃。防ぐ間も無く地面に叩きつけられる。
「っ!」
…全く防御が間に合わない。
それなら、
咄嗟に自身を中心に全方向へ雷の魔法を放つ。今回は自分の意思で。
「…その魔法。ただの雷じゃねぇよな。他の勇者たちが使うものとは全くの別物。威力も、質も全く違う。 …お前、本当に勇者なのか?」
「…自分では、そのつもりだけどね。まあ最初は自称勇者で、それがずっと、続いているだけなのかもしれないけど…聖剣に認められたわけでもないし、勇者としてつくられたわけでもないからね」
背中と脇腹に回復魔法を施す。
「はっ、そりゃずいぶんと変わってんな」
…俺の拳をまともに受けて、なんでこんなにすぐに立てる? …普通なら、並の回復魔法程度じゃ追いつかねぇんだけどな…
「勇者としてつくられたわけじゃねぇのに、頑丈なんだな。俺の一撃を受けても、そうすぐに立つんだからよ」
クロノの拳は光を纏っている。あれもクロノ自身の、勇者としての力だろうか。
「確かに、骨まで響く良い一撃だね。その拳、武器つけてるわけでも無いのにね」
「ああ、俺はこれ一本だぜ? 聖剣つっても、色々あんだろ? 俺の場合はそれが聖拳だったってことだな」
「なるほど、そういうものもあるんだね。まあ、僕も体の頑丈さには自信があるんだよね」
「…チッ、つくづく訳のわからねぇ奴だな」
加速させた俺の拳を二度もまともに受けてんだ。 …無事なわけはねぇ。
その胆力は認めてやるか。ま、自称だろうがなんだろうが、ここに立つ以上は勇者なんだからな。
「…今度はこっちから行くよ」
パリッと乾いた音がした。
「…ほぅ」
すぐ横に勇者の剣が迫る。
「速ぇな、けど」
時間は超えられねぇ。
減速した勇者の腹部に加速した拳がめり込む。
「ぐ」
小さな呻き声と共に勇者は舞台の隅まで吹き飛ぶ。
今度こそまともに入っただろ。
「っつぅ…」
…それでも普通に立つか。
「ほんと頑丈だな。ほんと面白ぇよ、お前」
「…それはどうも。君も本当に速い。明らかに僕よりも速い。こういうのは…あんまりないね」
勇者はそう言いながら少し笑う。
「それで何で笑う? どう見てもお前の不利だぜ?」
「少し楽しくなってきたから、かな」
「…」
余裕があるのか、それともただのバカなのか…いや、どっちもか?
…ただ、これだけ頑丈だと、時間がかかりそうだ。
「お前、楽には死ねないタイプだな」
「死ぬ気はないけどね」
「別に俺も殺すまではしねぇよ。ただ、相応の苦しみは負うと思うけどな!」
クロノが消える。
勇者の視界でとらえる間も無く四方から攻撃が来る。
速い。それに一撃一撃が重い。
「倒れるまで殴るしかねぇよなぁ!」
クロノの容赦ない拳の連打が勇者を襲う。
「連打、クロノ選手の連打連打〜! 休む間もない連打の応酬だ〜!!」
ようやく仕事を再開した審判が叫ぶ。
未だかつてないほど興奮した観衆たちの歓声が割れんばかりに響いた。
「っ!!」
勇者は切り替えて防御を固めるもクロノの攻撃には間に合わない。
次第に防御は崩れ、まともに受ける回数も増えていく。
確実に勇者の体力は削られていった。
「ぐっ」
鉄の味が口内に充満する。
意識と視界がブレる。
口の端からは血が滲んでいた。
勇者は確実に敗北へと近づいていた。
ー …好ましくないわね。 …今回は特別に私が、少しだけ見本を見せてあげる ー
勇者の胸から白い手が伸びる。
その手は具現化した雷霆を握っていた。
「っ!?」
クロノはその手と握る雷霆を見て背筋が凍りついた。
咄嗟に攻撃をやめ勇者から離れ距離をとるも、
雷霆をその手が握り潰した瞬間、
歪な稲妻が勇者を中心に広がり会場の歓声を全てかき消すほどの轟音と振動が響いた。
「?! ぐ、はッ」
距離はとった。
向かってくる光も見えていた。それでも間に合わなかった。
体の細胞ひとつひとつがまるで崩壊するかのような激痛、
「…ぐっ、くぅ。 …クソがっ」
かすっただけだ。
そのはずだ。
…それなのにこのダメージか?!
「…ゴホッ。 …っ」
クロノは胸に溜まった血の塊を吐き出す。
ここに来てから初めて受けた傷…そしてそれは決して浅くない。
…どんな威力してやがんだ。
勇者の頭の中に透き通った声が響く。
ー 魔力の融合、ではなく、分裂をイメージなさい。私の雷の本質は破壊なのだから。 ー
「………」
ー この私の雷を使っているのだから。敗北は許可しない。今回の相手なら尚のこと。せいぜいうまく扱って見せなさい ー
声が消え、白い艶やかな腕は再び勇者の中へと戻っていった。
「…分裂…」
確かに、極彩色の魔力は融合だった。
それに対して、雷の魔力は分裂…
互いに重ね合わせ、ぶつけ合い、その素を…破壊…分裂させていく…
周囲の空気が乾燥していく、上空に乾いた音が鳴り始める。
雷魔法 極大(重)
地上に落ちる前、
極大の稲妻が互いに折り重なる。
稲妻同士は絡み合いより細かな歪な線へ…
その歪な線の一つ一つが分裂し、さらなる輝きをもって回避不能の雷へと変わっていく…
「…っ」
その想定を超えるあまりのエネルギーに勇者は制御を失いかけ…
雷魔法 雷霆
歪な直線からなる雷が放射状に爆散した。
制御を失ったその一部が会場の上空に張られていた強力な結界を破壊した。
一筋の歪な稲妻は結界を貫いて闘技場の外壁を破壊しそれでも尚、
止まることなく更に火花と雷光を纏いながらどこまでも伸びていく…
「…な、なんと〜。白黒勇者選手の放った雷の魔法が結界もろとも外壁を破壊〜…いや、これ大丈夫なんですかね? ここの結界壊しても…危険じゃ無いですか? あ、はい、復旧を急ぐ? ああ、はい。続行ですね。 …わかりました」
観客たちも上空にできた穴を見てざわざわと騒ぎ始める。
「嘘だろ…結界破ったのか? 大賢者様の?」
「ありえなくない? あ、でも今は若い大賢者様になったんだっけ?」
「そうそう、やっぱり弱くなったんじゃない?」
「それでもありえんって。若いとは言っても、大賢者様だぞ?」
「…」
勇者から放たれた魔法を見ていたクロノはそれを間近で目の当たりにしていた。
…あれを受けていたら、俺自身は…どうなっていた?
まともに受けていたら…俺は負けていた。いや、それだけじゃすまねぇ。
クロノは死を直感していた。
だからこそ、次の勇者の言葉はクロノを驚かせる。
「…降参します」
「は? おい、お前…何言ってんだ?」
「自分に制御できない力を使って、観客や審判の人たちまで危険に晒してしまったから。審判、僕の負けです」
勇者は自分の負けを宣言した。
「え? あ、はい。えっと、白黒勇者選手の敗北宣言によって、勝者、」
「待ちやがれ」
「クロ、え?」
クロノに遮られて審判の宣言が止まる。
「納得いかねぇに決まってんだろが。バカ言ってんじゃねぇよ」
クロノは勇者の元へ行って胸ぐらをつかむ。
「コントロールできる出来ねぇとか、危険だとかそんなもん関係ねぇんだよ。この闘技場じゃあな。そんな安っぽいところじゃねぇんだ」
「…」
「勇者舐めてんじゃねぇぞ。誰だって死ぬ覚悟ぐらいあるに決まってんだろうが。何回も死んできてんだろうが!」
「殺し合いをする気はないよ」
「ああ、そりゃもちろんそうだがな。だからって勝手に負けを宣言してんじゃねぇよバカが」
「…そもそも今回は最初から負けていたよ。 …中の神さまに助けられていたんだから」
「お前の中にいるならお前の力で良いだろうが! 俺たち勇者ってのは何も一人で戦わなきゃいけねぇわけじゃねぇだろ。今までだってそうだった。お前の中に何がいるとか知ったことじゃねぇんだよ。だからお前の敗北宣言は余計に納得いかねぇ」
「…」
「審判、それなら俺も負けだ。だから今回は引き分けってことにしろ。それなら文句ねぇだろ?」
「…君はそれでいいの? 全勝記録の更新が途絶えることになるけど」
「ああ? そんなもんあたりめぇだろが。気持ちわりぃ勝ちより余程すっきりするぜ」
「…そう」
「ほらさっさと宣言してくれよ審判」
「あ、わかりました。 え〜、それでは、両者敗北を認めましたので、この試合、引き分け、引き分けとなりました〜。 それでは、健闘した両選手に拍手を〜」
戸惑いと歓声が会場に響き渡っていた。
舞台を降り、帰る途中に、勇者はクロノに呼び止められていた。
「…ああ、それと覚えとけよ? 俺はまたそのうちお前に再戦挑んでやるからな? まぁ、お前の方からまた挑戦してきても構わねぇけど。白黒勇者、それまで覚えといてやる。っつーか何だよ白黒勇者って。俺みてぇに名前つけて名乗れよ」
「考えておく。再戦は…それまでには僕ももっと、精進するよ。もっとね」
「はっ、あの雷の力をうまく制御できるようになれよな。 …ま、それでも勝つのは俺だ」
「はは。 …ありがとう、クロノ」
「礼なんていらねぇよ気持ち悪りぃな。それじゃあな白黒」
「うん。また」
クロノは振り返ることなく、雑に手を振りながら去っていった。
勇者も自室へと戻ることにした。
引き分け、ということで賞金は折半になったのだが、
それでも莫大な額だった。 …さすがはクロノ人気、と言ったところだろう。
この試合後には勇者もまたいくつかのスポンサーと契約が結ばれることにもなった。
もちろんファンもかなり増えた。
勇者のファンである受付嬢はこの試合を録画して何度も見返しているそうだ。
ー …再戦、ね。 …勝利以外は許可しないわ。 ー
部屋に戻る途中に頭の中に響いた美しく透き通った声。
勇者はその声の主に対し、これから精進します、と、それと謝罪も付け加えておいた。
しかし、雷のあの力…制御が難しすぎる…
分裂し始めた途端にその溢れる力のコントロールが急に複雑になる。
…もっと精細な魔力の制御を学ばないといけないかもしれない。
勇者は試合の反省点を考えながら、部屋の扉を開ける。
モニターには鳴り止まぬほどの応援メッセージとファンからの期待のメッセージ、
クロノファンからだろうか、ちょっと過激なメッセージも送られてきていた。
「人気者は辛いですわね。まあ、これからますます大変になりそうですけれども」
「いやぁ、惜しかったね。雷ぶち当ててたら多分勝ってたのになぁ」
「そういえば上空の結界壊してましたけど、後で請求がきたりするんですの?」
「え? こないとは思うけど…一応、確認してみようか」
どうやら請求はこないらしい。
なんでもこの闘技場に張られているものは有名な大賢者の結界らしく、とびきり頑丈な代物とのことだった。
最近代替わりして後任に変わったようだったが、まあその後任がすぐに張り直したみたいで、もう何も心配はいらないらしい。
ただ、永い歴史のある結界の信用にはちょっと傷がついた、とのこと。
その後任の若い大賢者が随分と嘆いているみたいだったが…
「それで次は誰と戦うんだ〜?」
「今のところ特に予定は無いよ。まあ今までも予定なんてなかったといえばそうだけど」
「それならしばらくはゆっくりできますわね」
「別にいつも何もしてないだろ。今回も、って、そういえば白姫のキャンセルであの時を止めるのキャンセルできたんじゃないか?」
「どうでしょうね? 私の魔法をあなたの中から使ったとして、ちゃんとその効果が出るのかどうか…かといって私が外に出たらそれはそれで止められてしまいますしね」
「ああ、そうか。それだとわかんないな。ボクも応援に出たらその場で止まっちゃうだろうし」
「時間停止されたら何をされるかわかったものではありませんわ。特にわたくしのような麗人は」
「ただぶん殴られるだけだろ」
「え?! このわたくしを?!」
「…別に驚くことでも無いだろ。戦いなんだから」
「はぁ、信じられませんわ。わたくしを殴るなど。あまりにも野蛮かと。常軌を逸しているとしか思えません」
「ボクにはその考えの方が間違っていると思うけどね。ここ闘技場だぞ」
わいわいと騒がしい二人を横に、勇者は送られてくるメッセージに目を通しながら、今後のことを考える。
少し疲れたのか、流れる文字を見ていたら眠くもなってきた。
「…ふぁ…」
…ああ、そういえばオキタ選手はどうしているのだろう。
もう体調は良くなったのだろうか?
…一度、会って話をするのもいいかもしれない。
心地よい疲労感と眠気に誘われて、微睡を味わいながら午後の時は静かに流れていった。