第三話 母なる眼②
「あ、ぐっ……!」
目を覆う。そうしたところでこの痛みは消えはしない。痛みはどんどん強まり、それは腕を切り落とされたときよりよほど強かった。
このまま目をくり抜いてしまったほうが楽だ。しかしそれで痛みが治るかどうかすら分からない。
『お……ひ……て……か』
落とした携帯から声が聞こえてくるが、返事をする余裕すら私にはなかった。
無数の目玉が私を見る。ただただ見る。それだけで私は動くことができない。
意識が飛びそうになった。が、なんとか口の裏側を噛んで意識が飛ぶのを抑える。とにかく痛みを分散しないと話にならない。この頭痛に意識を全て持っていかれてしまい、行動ができない。
……よし、そうしよう。
私は心の中で決め、鎌を腕の上に置く。どちらの腕かと言われれば利き腕ではない左腕だ。左腕を切り落とし、痛みという意識を分散させる。そうすれば今よりはマシに動けるかもしれない。
あくまでも可能性。そうはならないかもしれないし、なるかもしれないという話。腕を切った結果、なんの意味もなくて腕を失うことになるかもしれない。だが、今はそれが最善手。ならばそうするのが一番良い。
刀を振り上げる。その光景を見ることはできない。頭痛は更にひどくなり、私の目からは血が流れ出す。腕の位置なんて目を瞑っていても分かるから問題はない。
そうして、私は自身の左腕めがけて鎌を振り下ろした。
はず、だった。
「気がはえーな、柊ちゃんよ。もったいねーことすんなって」
「間に合ったなら問題ないでしょ」
聞き覚えのある声だ。私はこの声の人をよく知っている。そして、この状況においてはこれ以上ない人選だ。
頭痛が少しだけ和らいだ。恐らく目玉が視線を私から部屋に入った新たな異物に移したのだろう。
ぐちゃり、という音が響く。それは立て続けに聞こえ、その度に頭痛は和らいでいく。
私はようやく目を開いた。目元を手で拭うと、指にはべったりと血液がついている。予想以上に出血をしていたらしい。
そんな目に映った光景は、無数の目玉が次々に潰されるところだった。何かが動き、目玉が潰れる。目玉は必死にその何かの動きを追うが、捉えられない。
神城結衣。私と同じ機関に属する同業者。さっきの電話から最適な人物を選んだというところかな。
彼女は遺物と人間のハーフ。機構による実験で生み出された産物だ。私がオールラウンダーな戦闘タイプだとすれば、神城のタイプは速度に特化している。彼女が本気を出せば人間の目で捉えることは困難を極めるのだ。
「テメェが最後か」
巨大な目玉の背後に立って神城は言う。目玉の本体、母なる眼は神城の動きを捉えようと動き出す。
それと殆ど同じだった。神城の姿は消え、巨大な槌は目玉の頭上から振り下ろされた。
ぶちゅり、という音が響く。頭の痛みは最早すっかり消え去っていた。
「分け前はアタシ一人でもらうからな」
「別にいいよ。助けてもらったしね」
神城はタバコを吸いながら私に言う。
「助けたんじゃねー。アタシがテメェを殺すためにはテメェに死んでもらっちゃ困るんだよ」
「別に死ぬ予定はなかったんだけど。最悪あのまま待ってればそのうちどうにかなったし」
「クソ減らず口野郎が」
神城は言いながら私にタバコを一本差し出す。口は悪いが悪い人ではない。私のイメージはそんなところ。
それと、私に殺すということを目標としているらしい。今のところ、彼女に負けたことは一度もないけれど。
私はタバコを受け取り、神城が持っているライターで火をつける。
一応ここは校舎内で禁煙のはずだけど、最早それも意味をなさないことだ。これだけ死人が出たのだ、事後処理はかなり大変なことになるだろうし、この学校もしばらくは使えないだろう。
私はそんなことを思い、煙を体内に入れる。喉を通る異物感、体に悪いはずの空気はどこか新鮮に感じ、淀んだ思考をスッキリとさせていく。
「500円な」
「え、お金取るの?」
「ったりめぇだろ。タバコはたけーんだよ」
「とんだ商売だね」
「遺物をぶっ殺すよりよっぽどいいかもな」
目玉の残骸の中、血まみれの中、私と神城はそんな話をして笑い合う。
「遺物の消滅は確認した。ご苦労だったな、二人とも」
「構わねーさ。金さえしっかりもらえりゃーな」
「こんな急に出るなんて随分珍しい遺物だね」
私が言うと、男は黙る。少しだけ考えているような素振りを見せ、口を開いた。
「確かに母なる眼は唐突に現れるという性質がある。だが、それでも本来は予測可能なんだ」
「……それが予測できなかった?」
「ああ」
「あ?なんだよ。遺物ってそーいうもんだろ?」
「違うよ、神城。機構は遺物の存在を察知できる」
「その通り。空気の微弱な振動や時空間波の周期、それらがデータと合致したときに遺物が現れる」
「よく分かんねー話だな」
それは、その通り。私も詳しくは知らないし、説明されても分かるものではない。分かることは機構がそれをできるということだ。
「今回の出現が極めて異常という話だ。我々も詳しく調べてはいるが、なんの予兆もなく出現した例は初めてのことでな」
いつにも増して深刻そうに男は話している。機構にとっても今回のことはそれだけ異常ということだろう。
「電話の件もある。柊は特に気をつけてくれ」
「電話?」
「私のところに知らない男から電話が来たんだよ。私が遺物だということを知っていた」
腕を組み、首を傾げる神城に言う。すると神城は口元を歪ませ、笑い出した。
「ハハハッ!そりゃ熱心なファンってわけか?おいおい、良かったなぁ柊!」
「うるさいな」
私が睨みつけるも、神城の笑いが止まることはない。こいつは私のことなど一切気にかけていないし、気にしていない。私のことはいつか殺す対象とだけ考え、それ以外はどうでもいい。体の半分が遺物なだけあり、それが神城にとっての目的というものなのだろう。
遺物には目的がある。人を殺す遺物ならば殺して、人と会話をする遺物ならば会話をして、人を見る遺物なら人を見て、人を産む遺物ならば人を見る。
だが、最近疑問に思うのだ。
私という遺物。
人を産む遺物から生まれた遺物。
私が目的としていることは、一体なんなのだろうと。
「人生の目的?」
「まぁ、そんなところ」
数日後。私はたまに足を運ぶバーに来ていた。そこでは三十代半ばの女性が経営しており、こうして時折来ては話をしている。幸いなことにほとんどは今のように客は私一人だけだから、気楽に相談ができるのだ。
今日の相談内容は「人生の目的とは」という壮大なもの。突拍子もないそんな話でも、麗奈さんは真面目に聞いてくれる。
「それは自分が何を目的にするかじゃない?将来の夢を目的にするもよし。一旦すぐできそうなことを目的にするもよし」
「ん、将来の夢と人生の目的って違うの?」
「そりゃ違うよ。夢ってのは人生の終着点、それを遂げれば死んでも良いって思えるくらいにどでかいものだから」
「死んでも良いって思える夢ね。想像つかないな」
果たしてその夢には意味があるのだろうか。死んでしまえば全てが終わりで、意味なんてない。何も残らず、何もできず、何も成し遂げられていないのと同義だ。記憶は残るなんて綺麗事はあるけれど、それもやがて消え去っていくものなのだから。
「簡単に想像できたらつまらないでしょ?なんとなく生きてればそのうちきっと見つかるよ」
「じゃあ、麗奈さんの夢とか目的は?」
「夢は内緒。目的は……一番近い目的ならあるかな」
「どんなもの?」
「お店に来たお客様に注文してもらうこと」
言いながら麗奈さんは私の目の前に置いてある水を指差す。そういえば今日はまだ何も注文していなかった。これじゃあ水を飲みに来て勝手に相談を始めている迷惑な客だ。
「悪かったよ。じゃあ、ギムレットで」
「好きだねぇ、面倒見る私のことも考えて欲しいんだけど」
「面倒って……大袈裟」
私の言葉に麗奈は困ったように笑っていた。そうしながらも早速ジンとライムジュースを手早く用意し、バーには小気味の良い音が鳴り響く。
少しの間それを眺めていた。この時間はなんだか落ち着いていられることができ、日々の疲れを癒してくれる。
「はい、お待ち」
「ラーメン屋みたいな出し方」
私は言いながらギムレットを口に運ぶ。辛口で、引き締まった味わい。男性で好む人が多いと麗奈は前に言っていたが、私としてはとても好みの味わいだ。
「眠くなったらいつものソファー使って良いからね」
「眠くなるって何が」
「いっつもすぐに酔っ払うって話」
「はぁ?私がこんな酒で酔うって?バカ言わないでよ。生まれてこの方、私は酒で酔っ払ったことなんてないんだから!」
そうだ!私は酒にとても強い!とても、とーっても強い!いつも最後に残っているのは私で、他の人と飲んでも他の人は先に帰ってしまうんだから!
「もう始まったの?」
「とっくに私の物語は始まってるんだよ、麗奈。この柊が世界を救ってあげちゃうんだからね。麗奈もきっとすぐに「はは〜!柊様ぁ!」とか言っちゃうんだからね」
「……それで酒を飲もうって思うのが本当に不思議だよ。で、今日はどんな怪物との戦いを聞かせてくれるの?」
「ふふ、ふふふっ、そうだなぁ。今日は目玉の話をしよう!これは鮮度が良い話だよ、麗奈」
「はいはい、どんな話?」
遺物名:母なる眼
危険度:B+
巨大な目玉の遺物。
閉鎖された空間に突如として出現する性質があり、条件を満たせば空間の大きさは問わず出現する。
空中に浮いた目玉には無数の触手のような腕がついており、その一本一本は白い毛で覆われている。
物理的な攻撃手段は確認されておらず、母なる眼は対象を視ることによって天井に磔にし、血液を全て抜き取る。
またその抜け殻に卵を産み付け、子を産むことでも知られている。
排除するには見られずに排除するか見られても問題がない状況を作り出すことが必要不可欠。対象の視界を遮る、遮蔽を使い視認されないなど。
この遺物は度々出現し、老若男女問わず孤独死や不審死の原因のほとんどは母なる眼によるものとされている。
令和■年■月■■日 ■および■■により排除完了。