第一話 唐傘お化け
「これを」
いつも通りの陰鬱な部屋、暗い気温、淀んだ匂い、息が詰まるような空気。スーツを身に纏い、椅子に腰掛ける男は私に一枚の紙を渡す。
排除対象:唐傘お化け
「これが遺物?」
「ああ、そうだ。雨が降る日に目撃されており、死者は二名。男女が襲われ、殺害された」
「被害が出てるから早めにってことね。期限は?」
「今日」
「……やけに急なんだね」
男は淡々と告げる。
「危険性が高いと判明したのが今日のこと。引き受けなければ別の者に回すだけだが、どうする?」
「いや、いいよ。今日片付ければ良いんでしょ」
遺物。それは古くから日本に残された怪物たち。伝承から来るものやそうでないもの、都市伝説やらオカルト。それらから生まれる遺してはいけない物を総じて遺物と呼んでいる。
私の仕事はそれらの遺物を始末すること。家族を遺物に殺されてしまったただの復讐。悲しくもなければ虚しくもないただの復讐。
「頼んだぞ」
「唐傘お化けね」
それから街に繰り出した私は近くにあったカフェで情報の整理を行なっていた。現在被害に遭ったのは二名のみ。遺物による被害は表沙汰にはならないから、世間では行方不明という扱いになっているのだろう。
被害者は二人とも高校生。当日、二人は一つの傘を使って歩いているのを目撃されている。しかしそのまま家には帰らず、消息を絶った。そこまでが表の情報だ。
それまでに唐傘お化けの目撃情報というのはあって、しかしそれは被害が出るほどのものではなかったらしい。ただ声をかけられ、傘を差し出され、ある程度歩いたら忽然と姿が消えていたというものがその目撃情報だ。地元で最近話題の怪談話といったところか。
被害を受けなかったもの、被害を受けたもの。違いがあるとすれば。
「一人だったか、そうでなかったか」
注文したカフェオレを口に運ぶ。世間では今は梅雨。ジメジメとした空気を感じさせないスッキリとした味わいが口の中に広がっていく。
うん、ここのカフェオレは美味しい。覚えておいて、今度また来よう。
そろそろ雨も降り出す頃だろうか。夕闇に染まる空はどこかどんよりとした雲が広がっていて、今にも雨が降ってもおかしくはない。
席を立ち、カフェの外に出る。雨が降る前の匂いがして、私はもう一度空を見上げた。雲は分厚く空に広がっている。陽の光など一切届かせないという意気込みすら感じられるほどに。
「あ、傘忘れちゃった!」
「なら私のに入る?」
「……」
そんなやり取りをする声が聞こえた。私が横を見ると学生服を着た二人の女の子が空を見上げながら話していた。他愛のない会話、友人同士の会話。当たり障りのないそれは昨日も今日も明日も続いていく。
丁度雨は降り始める。ポツリポツリと音を立て、数秒もしない内に雨足はどんどん強まっていく。
「これ使う?」
「……え?そんな」
私は手に持っていたビニール傘を女子高生へと差し出した。二人は驚いた様子で、更に困惑している様子だった。見知らぬ人からいきなり声をかけられれば当然の反応だろう。
「お姉さんが困っちゃうので、大丈夫ですよ」
「良いから。家近いし」
問答無用と言わんばかりに傘を更に突き出した。半ば無理矢理二人に傘を押し付け、私は雨が降っている中を歩き出す。
「あの、ありがとうございますっ!」
チラリと視線を送ると、二人は深く頭を下げていた。たかがビニール傘一本でそこまで感謝されるのなら、最近の高校生は意外とできているのかもしれない。それとも育っている環境がいいのか、周りに恵まれているのか。
何よりこれは私のためでもある。遺物と出会うかは運次第。あの二人が殺されたという話を耳にするのは少し後味が悪いのだ。せっかく飲んだカフェオレの味が消えてしまうくらいには後味が悪い。
そんなことを思うのは私だけだろうか。いいや、きっとほとんどの人はそう思うだろう。誰だって前途有望な高校生がぐちゃぐちゃに潰された姿なんて見たくはないだろうし。
唐傘お化けの被害者は二人とも圧死。元の体の姿が分からないほどに潰されて死んでいたのだ。
しばらくの間雨の街を歩く。人通りの少ない道を選んで歩いて行き、時折すれ違う人は全員がしっかりと傘を差し、ずぶ濡れで歩く私を心配そうに見る人や怪訝な眼差しを向ける人がいた。
帰ったらとりあえずシャワーを浴びよう。あまりこのまま体を冷やすと、風邪をひいてしまいそうだ。
「良かったらどうぞ」
そんなセリフが突如耳の横で聞こえた。つい数十分前、私が高校生に傘を差し出したときと似たようなセリフだった。
声の方向に視線を向けると、着物を着た女性が立っていた。目鼻立ちが整っており、一目で美人と分かるほどの女性だ。
そんな女性は私のようなビニール傘ではなく、立派な番傘を広げて私の横に立っている。優しそうに微笑み、私の返事を待っているようだった。
「傘、忘れちゃったんだ」
「そうですか、それなら丁度良かった。私も恐らく同じ方向なので、途中まで一緒に歩きましょう」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
微笑み、会釈する。女性はそれを受けて軽く頭を下げ、私たちはどちらからというわけでもなく歩き出した。
そんなとき、柔らかい良い香りが鼻腔に広がる。この匂いは、確か。
「ジャスミンかな」
「お花ですか?」
女性は私の言葉にそう聞き返し、匂いを嗅ぐように鼻をすんと動かす。
「あ、確かに。でもこれは……くちなしですね。ジャスミンとよく似た香りがするんですが、もう少し甘そうな匂いがするので」
「詳しいんだね」
「はい。花言葉は……喜びを運ぶ、だったかな」
思い出すように女性は言う。人間とそう変わらない。人間のように。人間と同じく。
「なら、あんたには似合いそうな花言葉だ」
「そうですか?私にとっては逆ですよ。こうして他愛のない話をできたので、あなたか……それかこの傘が喜びを運んでくれましたよ」
「私は不幸をばら撒くだけ。人間にとっても、遺物にとっても」
「……遺物?というのは?」
「遺してはいけない物。時に物だったり、時に化け物だったり、時に人の姿をしていたり。分かりやすく言うと妖怪みたいな」
「妖怪、ですか」
「そういえば、最近噂があるみたい。この辺りで唐傘お化けが出るって。丁度今日みたいな雨の日に、丁度今日のように傘を差さないで歩いていたり、丁度今みたいに傘を差し出してくるって」
「なるほど、それは私のことのようですね」
困ったように女性は笑う。否定もせずに認めた。そんなやり取りですぐに分かった、これは大丈夫な方だと。
「だから、私は不幸をばら撒くんです。あなたにとってもそうでしょう?」
「……不幸ではないよ。さっきも言ったように、他愛のない話はできたし。こう見えて話すのはそんなに嫌いじゃない」
無愛想だとよく言われる。壁を感じるとも、よく言われる。気にしたことはなかったが、世間から見た私の評価はそんなところだ。
「どうして二人殺したのか、聞いても良い?」
「それを私に聞きますか?私はただ、一人に傘を渡して話すだけ。それが二人なら一人にしないといけない。でも、その人は私の体を傘で刺したんです」
「だから殺してしまった、ね。一つお願いがあるんだけど、いいかな?」
「なんでしょう?」
「仕事だからさ、大人しく殺されてくれると助かるんだ。大人しく殺されるのと無理矢理殺されるのだったら前者の方が楽でしょ?」
言いながら私は口の中から鎌を取り出す。遺物にはさまざまな物がある。時に化け物だったり、時に人の姿をしていたり、時に物だったり。これもまた遺物だ。
死神といえば鎌。その鎌で刈り取られれば魂が切り裂かれ、死に至る。
そんな当たり前の話が元の遺物。
「分かりました。たくさん話せて満足しましたし、良いですよ。でも、私は良くても傘は」
「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、ア」
番傘が動く。いつの間にか口が傘に生え、持ち手は巨大な腕となる。なるほど、唐傘お化けは一つの遺物ではなく二つの遺物ということか。
「ごめんなさい」
女が頭を下げる。その姿は一瞬しか私の視界に映らない。次の瞬間には女は唐傘お化けの腕によって、ぐちゅりという音とともに押し潰された。黒いガラスのような破片が飛び散る。遺物が形を保てなくなったとき、この世から消え去るときに見えるそれは遺物の死。
「だからさ、そういうのって後味が悪くなるって言ってるじゃん。もうすっかり忘れちゃったよ、カフェオレの味」
「ア、アア、アアアッアッ」
巨大な口は私の体をまるごと飲み込めるほどに大きく、腕はバンバンと地面を叩き、言葉なんて通じそうにない。
まるで地そのものが揺れているかのような振動で、もしもあの腕に押し潰されれば体の原型なんて当然残らないだろう。
「傘の仕事は終わりだよ。じゃあね」
鎌を構え、振る。唐傘お化けはそれを上に飛ぶことで回避した。
が、次の瞬間には私の目の前に腕が落ちる。血を流し、苦しそうに地面の上で腕はもがいている。まるで死にかけの魚のようだ。
ああ、最悪。しばらくの間魚を食べるのは避けておこう。
「ごめんね」
鎌をもう一度振るう。唐傘お化けの体は縦真っ二つに裂け、それぞれ私の前にぼとりぼとりと落ちてきた。それから数秒、黒いガラスのようになって雨の中に消えて行く。
跡形もなく、残らない。そこにはもう雨に降られる私しかいなかった。雨は降る。唐傘お化けがいようともいまいとも、降り続ける。くちなしの香りはすっかりとどこかへ行ってしまったようだ。
「ふう」
都会の雑多なビルのうちの一つ。そこが私の暮らす家だ。
家に帰った私はシャワーを浴び、髪を乾かし、下着を履き、シャツを着る。
次にするのは冷蔵庫に入っていた飲み物の選別。ビール、チューハイ、缶コーヒー、牛乳、炭酸水、オレンジジュース、水。
アルコールという気分でもないし、コーヒーという気分でもない。ここは水にしておこう。
ペットボトルに入った水を一本取り、ソファーに腰掛ける。カーテンすら取り付けられてない部屋の窓からはコンクリートの建物が多く見えた。決して良い景色なんて言葉は出てこないだろう。
水を一口含む。冷たい水はすぐに飲み込んだらお腹を壊してしまいそうで、私は冷たさが口内で奪われるのを感じてから飲み込んだ。
「ん」
電話が鳴る。初めは機関の人間からだと思った。先ほど唐傘お化けを始末したばかりで、その依頼の件についての電話だろうと。だが、表示されたのは知らない番号だった。
私は少し考え、電話を取る。
『柊さん』
「誰?」
『……ふふっ』
若い男の声。その声の主は薄気味悪く笑い、私は眉を顰める。
『銀色の髪。ぱっちりとした目。ふっくらとした唇。スタイルもよく、声にも透明感があって実に素晴らしい女性だ』
「……気持ち悪いな。ストーカーか何か?」
私は言いながら窓の外を見る。当然そこには誰もいない。だが、その窓の前に置いてあるソファーから離れた。
『いいえ、ただ感想を述べただけですよ。少なくとも異性から見れば、あなたはとてもとても魅力的な女性ですよ……という感想です』
「で、用件はそれだけ?なら間に合ってるから」
ストーカーという存在は聞いたことがある。実際に被害に遭ったのはこれが初めてだけど、こんなに回りくどいことをしてくるものなのか。私の外見や電話番号を調べる暇があったら、その努力をもっとアピールする方向へ向ければ良いのに。人生の無駄遣いだ。
『まぁまぁ、そう焦らずに。私が言っているのは、それが本当に女性ならという話』
「……何が言いたいわけ?」
『ああ、言い方を間違えましたね。これではまるであなたが本当は女性ではないみたいな、そんな言い方ですよね』
「……おい」
私が語気を強めて言う。そうすると、電話口の男はまたしても薄気味悪く笑い、言った。
『訂正します。あなたが本当の人間なら、が正解ですね。あなたが遺物ではなく、人間なら』
「お前、誰だ?」
『すぐに会えますよ。そんな焦らずとも』
電話が切れる。私はその携帯をソファーに放り投げ、思案した。
どうしてそのことを知っているのか。
私が人間ではなく、遺物だということを。
偽物の、まるで人間のような遺物だということを。
人間のふりをしているだけの、物。
それが私だ。
遺物名:唐傘お化け
危険度:B
日本に昔から伝わる「唐傘お化け」が遺物となった姿。
容姿端麗な女性の遺物と傘の遺物。
雨天時に現れ、通行人に傘を差し出す。
対象が一人であった場合は世間話をし、雨に降られない場所まで送り届けてくれる。
しかし対象が二人以上であった場合、傘に入れるため一人以外は傘が攻撃をする。
過去には江戸時代末期に江戸の町に現れ、数百人が死亡した。
女性の遺物は非攻撃的ではあるものの、傘の遺物は攻撃性と致死性が非常に高い。
令和■年■月■■日 ■により排除完了