原作がある作品の映像化における脚本家と原作者について
知っている人も多いと思いますが、2024年1月29日に『セクシー田中さん』の原作者である芦原妃名子(ペンネーム)さんがお亡くなりになりました。
現場の状況や遺書らしきものが残されていたことから、死因は自殺とみられています。
発端となったのは、ドラマの脚本を担当した脚本家がインスタグラムに投稿した内容です。
要約すると最終話まで書かせてもらえなかったことの不満と、こんなことは今後あってはいけないという、間接的に原作者サイドに対する嫌味……ってところですかね。
ちょっと穿った捉え方かもしれませんが、本心を抑えて書いたような文章なので捉え方は読み手に委ねられていると思います。
既に問題のインスタ投稿は非公開となっていますが、ネットを探せばいくらでも見つかりますので、気になる方は自分の目で見て判断してみてください。
この件を発端に、現在SNSを中心としたネット媒介で漫画家や小説家などの原作者サイドと、脚本家やその関係者がそれぞれ意見や過去の経験などの声を上げ、実質的な対立に近い状況となっています。
こういった問題はずっと昔からありましたが、ネットの発達した今だからこそ個人が多くの人に自分の気持ちを伝えられるようになったことが大きいと言えるでしょう。
そして、それは良くも悪くも大事になりやすくなったということでもあります。
今回の事件はそれが悪い方に傾いた一例ですね……
本当に、お悔やみ申し上げます。
前書きが長くなりましたが、今回のエッセイでは脚本家の仕事についての簡単な説明と、原作者の立場について、見えている情報をベースに触れていきたいと思います。
発端となった今回の事件についても触れはしますが、今回の主旨とは異なりますので予めご承知おきください。
私の見解としては、この問題は原作者と脚本家の対立がどうのという話ではなく、問題のインスタ投稿をした脚本家の人間性にあると思います。
事情や背景はあるのでしょうが、そもそもあの投稿がなければ今回のような悲劇は起こらなかったハズですから。
不満や愚痴を漏らしたかった心情は察せられますが、私には書く必要のないことまで書かれていると思いました。
だから何はともあれ、まずはそのことについてしっかりと謝罪すべきと思います。
謝罪することが第一とまでは言いませんが、全てを非公開にして逃げるのはどうなのでしょうか?
自己防衛のために逃げるのは仕方ないのかもしれませんが、その前に最低限すべきことはあると思います。
そうしていれば、もう少し世間の反応も変わったでしょうに……
本題に入りますが、皆様は脚本家がどのような仕事をしているかご存知でしょうか?
恐らく詳しく知っている人は少数と思いますので、簡単に説明したいと思います。
まず脚本家とは、その名の通り脚本を主な仕事にしている人のことです。
脚本自体がどういうものなのかというと、簡単に言ってしまうとメディア化する際の設計図のようなものですね。
ストーリーを作るという点で小説家や漫画家と似てはいますが、脚本の読み手は制作に携わる人間となりますので、厳密には書き方やルールなど色々な部分が異なります。
さらに言えば、脚本家の仕事はテレビドラマや映画だけでなく、舞台演劇、漫画、アニメ、ゲーム、CMなどと内容がかなり幅広く、脚本家の中でもそれぞれの専門家が存在するので、一口に脚本家と言っても必ず同じ仕事をしているとは限りません。
私の本職はSEなのですが、ここは少し似ているなと感じます。
これはあくまでも想像ですが、色んなことをやらされて大変な人もいそう……と少し感じました。
まあそんなワケで、今回は原作のあるドラマ、映画、アニメなどを中心に仕事をする脚本家に絞って見ていきたいと思います。
ある程度自分の裁量でボリュームの調整が可能な原作者とは異なり、脚本家はそれを決められた時間内に収めるように調整しなければなりません。
そのために原作の中の一部分にクローズアップする、または全体の流れを要約するといった作業が必須となるため、ある程度の原作改変は必ず必要となります。
また、原作の尺が足りない場合はオリジナルのストーリーを追加したりといった、ボリュームを増やす調整も考えなくてはなりません。
ただ、ここにも一応暗黙のルールというか、ほとんど常識的な考え方はある(あった)ようです。
それは「ストーリーやキャラクターの設定は原作に基づき忠実に守らなくてはならない」というもので、まあ当然と言えば当然の内容となります。
普通に考えれば、ここを変えてしまえばそれはもう別物であり、アンソロジーや二次創作のようになってしまいますからね。
もし改変するのであれば、原作者の許可は必ず必要になると思います。
というか、原作者の意に反する改変を許可なく行えば著作者人格権の侵害となるため、場合によっては差止・賠償請求案件となります。
もちろん時代背景やモラル、時勢などもあるので、メディアミックスの際にそれらを考慮した改変が必要になることもあるでしょう。
その辺りは原作者も柔軟な考え方をする必要があると思いますし、結果的に良い方向になるかもしれません。
特にドラマや実写映画などであれば、原作をそのまま使うことは不可能ということだってありますし、実写化を許可した時点である程度の改変については配慮が必要です。
つまり、原作者としてはある程度の改変は受け入れるしかなく、それができないのであれば映像化は断るか、原作とは別物になると考えるしかありません。
これについては原作者の性格やスタンスなどが影響してくることですが、ついこの前日本漫画家協会の理事長が「私はドラマやアニメなどの二次創作は、原作とはまた別の世界だと思っています」とバッサリ明言していました。
このように切り替えられる人であれば今回のような悲劇は起きなかったかもしれませんが、性格や環境などで誰しもが同じように考えられるワケではありませんからね……
こればかりは、芦原先生が純粋で繊細だったことが、悪い方向に傾いてしまったのでしょう。
ただ、実際は常識的な考えを持っている脚本家の方も多く存在し、成功しているケースも散見します。
アニメでもドラマでも、この脚本家は原作をリスペクトしてるんだなと感じる作品は非常に好感が持てますし、出来も良く感じますからね。
まあこれは原作を知っている前提で、私の主観も入りまくっていますが、似たような感想の人も多いのではないかと思います。
もちろん、改変の結果原作よりも面白くなることはあるかもしれません。
しかし、それが原作のキャラクターやストーリーの方向性を変える内容であれば、原作者だけでなくそのファンすらも貶める行為となるのは言うまでもないでしょう。
では何故こんな普通に考えればわかることができない、守られないのか。
理由は色々と考えられますが、当事者や関係者にしかわからないことも多いので、私を含む一般層には想像することしかできません。
ただ、見えていることはありますのでいくつか触れていきたいと思います。
まずは原作者や脚本家ではなく、その所属元でもある出版社やテレビ局の問題です。
何人かの漫画家や小説家がインタビューなどで回答していますが、メディア化における収益は基本的に最初に支払われる契約金だけであり、その後映画やアニメが大ヒットしようとも直接的な収益にはならないそうです。
もちろん、その影響で原作が売れたり他のメディアミックスによる収入は増えることになるのですが、それ以上に利益が得られるのが出版社やテレビ局ということになります。
つまり、会社側としては何とかヒットして欲しいという思惑があることは想像に難くありません。
想像ではありますが、会社という存在は本来そういうものなので、売れる戦略を考えるのは当然のことでもあります。
それを踏まえると今回起きた事件では、もしかしたら作者の意向がどこかでストップしており伝わっていなかったのでは? という可能性もでてきます。
過去、テレビ局や出版社と原作者のあいだでは何度も問題が発生しています。
有名なところでは『海猿』や『金色のガッシュベル』での騒動があり、今回の件でもそれが思い出され、実際に作者であるお二方も問題点について触れていました。
また、今回の件でX(旧Twitter)でも多くの漫画家や小説家の方が反応しておられます。
その中には美談のようなケースもいくつかありました。
たとえば『はじめの一歩』の作者である森川ジョージ先生のポストでは、良い部分にも悪い部分もにも触れられており、大変わかりやすく参考になる内容でした。
詳しくは是非該当のポストを見ていただきたいですが、森川ジョージ先生ですら自ら動かなければ大変なことになっていたことがわかると思います。
そしてこれもつい最近掘り起こされた内容ですが、あの『ろくでなしブルース』や『ROOKIES』の作者である森田まさのり先生に対しても失礼極まりないオファーがあったのだとか。
その内容は、「メインキャラの名前をジャイアンツ(巨人)の選手に変えてくれないか」というものだったそうです。
これは『漫道コバヤシ』という、ケンドーコバヤシ氏が大好きな漫画家にインタビューする番組で触れられた話題になります。
森田まさのり先生が阪神ファンというのは『ROOKIES』のキャラ名を見れば誰もが想像つくと思うのですが、その先生に対してこんなオファーを出すというのは非常識極まりないですよね……
そういった過去の事例や今回の対応を見ると、テレビ局や出版社に疑いの目が向けられるのも仕方ないと言えるのではないでしょうか。
ただ、真実は関係者にしかわかりませんし、森川ジョージ先生や他の先生も言っているように、どちらの目線でも映像化が成功したと言えるケースは多数あります。
会社そのものを悪とするような意見はまた違うと思うので、冷静に今後の対応を見極めたいところですね。
以上のように、必ずしも脚本家が悪いというワケではなく、会社の思惑や方針に翻弄されてしまうという可能性も十分にあり得ます。
正直意味がわかりませんでしたし、嘘か本当かもわかりませんが、「脚本家も作家であり個性の塊なので、同じく個性の塊である原作者と対話させるべきでないから会社を通すカタチにしている」なんて話も目にしました。
……仕事ですよね?
今回の『セクシー田中さん』のドラマ化について、芦原先生はかなり厳しい条件を出したと自身のXやブログで語っていました。
その内容は「必ず漫画に忠実に」、漫画に忠実でない場合は「漫画に忠実でない場合はしっかりと加筆修正をさせていただく」、ドラマ終盤の展開については未完の漫画に影響を及ぼさないよう「原作者があらすじからセリフまで」用意する、というものです。
脚本の素人目線で見ても、中々に難易度が高い注文に見えますね。
ただ芦原先生は、「これらの条件は脚本家さんや監督さんなどドラマの制作スタッフの皆様に対して大変失礼な条件だということは理解していました」と書いており、「この条件で本当に良いか」とテレビ局に出版社を通して何度も確認を取ったそうです。
つまり、ドラマ化が実現したということは、テレビ局側がこの条件に合意したということになります。
にもかかわらず、実際にはその条件は守られませんでした。
何故そんなことになったのかは前述している通り想像しかできませんが、会社が伝えていなかった可能性もありますし、プロデューサーが悪いという可能性もあります。
ただ、脚本家が全く知らなかったということも考え難いのではないでしょうか。
恐らく連絡手段はあったでしょうし、最終的に脚本が変わったことからもそういった状況については伝わっていたのではないかと思います。
いずれにしても本人が黙っている限り真実はわかりませんが、黙っていれば黙っているほど色々な事例が掘り起こされ、脚本家全体に影響が広まっています。
発端となった脚本家については、以前から「原作クラッシャー」と呼ばれるくらい一部では非難されていました。
この件で「あ、あのドラマもこの人だったのか」と、当時の嫌な記憶を思い出した人もいるようですね。
とある元業界人の方もXで、かなり評判の悪い脚本家として有名だとポストしております。
そもそもこんな脚本家を採用したテレビ局が悪いとも言っていますが、ここはテレビ局「も」悪いだと思いますね。
他にも、とあるラノベ原作アニメの脚本家の問題発言が発掘されました。
あまりにも酷い内容なので一部紹介しますが、「アニメ制作に於いて何一つ、石ころより役に立たないのが原作者」「良い原作者の先生もいますよ、世の中には。一切口を出さないとか、もう死んでるとかね」なんてことを書いてましたね……
ちなみにこの方は今放送中の超人気漫画原作アニメの作画監督にも参加されているとのことで、既に一部で燃え上がっています。
少なくとも今放映しているアニメでは何話かの作画監督なので脚本とは関係ない話ではありますが、印象は大分悪くなってしまいました。
そしてこれまた別の脚本家の発言ですが、「私は原作者の方には会いたくない派なんですよ。私が大切なのは原作であって、原作者の方はあまり関係ないかなって」だそうです。
……え? って思わず目が点になりました。
この発言は芦原先生の訃報があった当日に「日本シナリオ作家協会」により撮影されたライブ配信で語られたものですが、他にも「原作はそのままじゃなくて改変してなんぼ」「原作通りなんて無理」など無神経は発言が多数あったのだとか。
当然これはSNSで炎上し、動画は既に削除されています。
この原作者を軽視した発言により、「結局は原作を踏み台にしたいだけ」だとか、「意見は聞きたくないから作品だけ貸せってことだろ」、「自分がもっと面白くしてやるとか思っているに違いない」などと散々叩かれていました。
しかしまあ、原作者に対するリスペクトを全く感じない発言なので、こればかりは自業自得と言えるでしょう。
もちろんですが、脚本家全てがこんな人達だけじゃなないことはわかっています。
それは、歴史上数々生まれてきた素晴らしい映像化作品が証明してくれていますからね。
ただ、こういった原作を軽視している脚本家が確実に存在しているということが、今回の件で世の中に広く知れ渡りました。
今後も過去の事例が発掘され、現在進行形で起こっている問題も浮き彫りになることでしょう。
それは脚本家だけでなく、原作者についても同様です。
脚本家の中には、過去に原作者の介入により現場をメチャクチャにされ印象が悪くなったという人もいますからね。
現実には本当に原作者側に問題があるケースもありますので、そこはしっかりと見極める必要があります。
昨今はテレビ業界の闇についても暴かれ始めていますし、歴史の転換期に来ているのではないかと思います。
恐らく今後は、著作者人格権についても注目されることとなると思いますし、今回のような悲劇が起こる前に法により裁かれることも増えることでしょう。
願わくば、脚本家と原作者双方にとって良い業界になって欲しいものですね……