舞踏会ーーマティスの野暮用
「ロン、セスラン、ヴィクトリア嬢、アナをお願い」
「え、マティス?」
何故一人でどこかに行こうとするのだろう?
「大丈夫。ちょっと用事ができただけだから。アナは皆と待っていて」
「でも、」
「大丈夫だよ」
「マティス、危なそうなら逃げろよ」
兄が心配そうに言うが止めるわけではない。
「わかっているよ」
「お兄様?」
「アナ、お前は私たちといるんだ。マティスについていくんじゃないぞ」
「でもお兄様、マティス一人で大丈夫かしら?」
「危なくなったら逃げるだろう。アナが一人でいるよりは安全だ」
アナスタシアが一人でふらふらしているのは確かに危ないだろう。
だけどそれはマティスも同じだ。
「でもマティス一人だと危ないわ」
昔からマティスはそれなりに危ない目に遭いかけている。
大事にならなかったのは本当に運が良かったのだ。
それなのに一人で行動するなんて。
それなのにマティスは平然として言う。
「いざとなったら色気を増大させて逃げるよ。まさか色気をどうにかしようとした努力がこんなところで役に立つとは思わなかったな」
「縋りつかれるかもしれないから、それだけは気をつけろよ」
ロンバルトが真剣な顔で助言している。
誰もマティスを止めない。
「アナ、大丈夫よ」
「だってヴィー、夜会は危険がいっぱいだって。マティスにとっては私たちと同じくらい危ない場所なのよ?」
マティスとアナスタシアたち令嬢は同じ立場にあるとアナスタシアは考えている。
「マティス様は鍛えているでしょう? どうにかできるわ」
「でも、不意を突かれるかもしれないわ」
いくら鍛えていたとしても安心できない。
一人にするなんて心配で堪らない。
それなのに誰もマティスを止めない。
「人目のないところには行かないから大丈夫だよ」
「本当?」
「本当だよ。アナはセスランたちと一緒にいて。いいね?」
「わかったわ」
「じゃあちょっと行ってくるよ」
「本当に気をつけてね」
「うん。あ、ウード伯爵令息にダンスに誘われても応じないでね。僕を安心させるためにもここにいて。いいね?」
「え?」
何故ここでウード伯爵令息の名前が出てくるのだろう?
「その辺は俺たちに任せておけ」
ロンバルトが力強く請け負う。
「さすがにマティスのいない状況で目の届かないところには行かせないから安心しろ」
兄まで言う。
「アナ、マティス様を安心させるためにも、マティス様が戻ってくるまでは他の方の誘いに乗らないほうがいいわ」
ヴィクトリアにまでそう言われればアナスタシアもそのほうがいい気がしてくる。
ウード伯爵令息にもし会ってダンスに誘われても事情を話して謝れば許してくれるだろう。
「わかったわ。ここで皆と一緒にいるわね」
「うん。なるべく早く戻るよ」
「ええ。気をつけてね」
「うん。行ってくる」
「行ってらっしゃい」
軽く手を振って、マティスは離れていく。
アナスタシアは無意識に手をぎゅっと握っていた。
アナスタシアはマティスの背から視線が離せない。
じっと見ているとマティスに一人の男性が話しかけた。
マティスが男性に言葉を返している。
一歩前に出ようとするのをロンバルトが視界を塞ぐ位置に移動してきて阻まれた。
「アナ、大人しくしていろ」
「マティスの用事ってあの人?」
「たぶんな」
マティスと話しているのはどこからどう見ても軽薄そうな男だ。
ああいうタイプは危ない。
それはロンバルトもわかっているはずなのに。
「見えるところで話しているから大丈夫だろう」
「そう?」
「大丈夫だ。いざとなったら俺が助けに行くからアナは大人しくしていろ」
「何で? マティスが危なくなったら私も行くわ」
「駄目だ。相手は有名な遊び人だ。アナなんてあっという間に手のひらの上で転がされる」
むぅと口をつぐむ。
アナスタシアだってマティスを助けたい。
だけどロンバルトの言うことももっともだと思う。
経験値が違う。
アナスタシアが行っても足手まといになるだけなのもわかっている。
悔しい。
無意識にぎゅっと拳を握る。
「わかったな?」
無言で頷いた。
悔しくて悔しくて仕方ないが、足を引っ張る存在にだけはなりたくなかった。
読んでいただき、ありがとうございました。




