自己紹介がてらの小話 6.エスメラルダ
「あっ」
「あ?」
少し離れたところにいる人物を見て声を上げたアナスタシアにマティスは不思議そうに聞き返す。
なんというか、マティスはその特殊体質のせいか全般的に人に対する興味が薄い。
マティスが興味を向けるのは彼が心を開いた相手にだけ。
両親とバレリ家の使用人とクーパー家の者たち、それとロンバルト。ヴィクトリアも辛うじて入っているか。
エスメラルダ王女が降嫁されるのなら、彼女にも関心を向けなければならないはずなのだが。
黒髪を優雅に結い上げた背の高い女性。
ぴんと伸びた背筋。
凛とした佇まい。
遠目でもわかる存在感。
あれは間違いなくエスメラルダ王女だ。
マティスも気づいているはずだ。
「エスメラルダ様ね」
一応マティスに言ってみる。
声をかけて親交を深めたほうがいいのではないのだろうか。
「そうだね」
マティスの反応は素っ気ない。
それでいいのだろうか?
「……行かないの?」
そう訊くとマティスはきょとんとする。
「何で? 僕には特に用事がないよ?」
「え、でも……」
マティスは婚約者候補でしょう?
とは何故か言葉にできなかった。
それともマティス自身は知らないのだろうか?
そんなことってある?
アナスタシアですらその噂を知っているのに?
ぐるぐると思考が空回りして何も言えなくなったアナスタシアにマティスが何でもないことのように言う。
「僕が行くと騒ぎになるし、エスメラルダ様が倒れられでもしたら大変だ」
確かにマティスの言う通りだ。
エスメラルダ王女は気さくで親しみやすく、人に囲まれていることが多い。
今もまた、エスメラルダ王女の周りには何人かの人がいた。
「それは、そうね」
「それともアナは話したい?」
逆に訊かれてアナスタシアは困る。
アナスタシアは実はエスメラルダ王女と話したことはない。
その機会がなかったということもあるが、あったとしても緊張してしまって何か粗相をしてしまいそうで怖い。
それに、何を話していいかわからないし。
アナスタシアはゆっくりと首を横に振った。
それから不敬にならないように言葉を選びながら言う。
「ううん、私ではきちんとお相手できないから」
「アナなら大丈夫だよ」
「自信ないわ」
「まあ、無理はしなくていいと思うよ」
「うん」
マティスの相手になるのなら、余計にアナスタシアは近寄らないほうがいい気がする。
幼馴染みとはいえ、異性と仲のいいところを見せられるのは気分のいいことではないだろう。
それとも、幼馴染みとしてきちんと挨拶しておいたほうがいいのだろうか。
ぐるぐると思考が回る。
そんなアナスタシアを見てマティスは微苦笑する。
「ま、今日のところはいいんじゃない? これから先、お話することはあると思うし」
「そうね」
「行こうか」
「ええ」
エスメラルダ王女に背を向けようとしたその時、不意にエスメラルダ王女がこちらに視線を向けた。
その翠色の瞳が向けられたのはアナスタシアかマティスか。
いや、マティスに決まっている。
アナスタシアには何の接点もないし、マティスは婚約者候補だ。
だが何故かアナスタシアは目が合ったような気がした。
とりあえず頭を下げておく。
顔を上げるとエスメラルダ王女がふらりとよろめいたのが見えた。
この距離でもマティスの色気に当てられたらしい。
周りが慌てている。
マティスは何故か微笑ましげにアナスタシアを見ている。
アナスタシアは首を傾げた。
「どうしたの?」
「アナはやっぱり大丈夫かなって」
「何が?」
それには答えずにマティスが言う。
「さあ行こうか」
アナスタシアはじっとマティスを見る。
だがその微笑みを浮かべた顔はアナスタシアに答えをくれそうもなかった。
アナスタシアは諦めて頷いた。
「ええ」
今度こそアナスタシアとマティスはエスメラルダ王女に背を向け、その場を立ち去った。
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