自己紹介がてらの小話 2.ヴィクトリア
アナスタシアはカフェのテラス席に座り、少し先の騒ぎを眺めていた。
マティスも大変ね。
視線の先ではマティスが多数の男女に捕まり、囲まれていた。
あの状態も数分もすれば解除されるだろうが、マティスにとっては不愉快な状況だろう。
マティスはそのような状況でも助けに来なくていいからと言っている。アナスタシアが危ないから、と。
もちろん、マティスが本当に危なければアナスタシアは助けに向かうつもりだ。
実際小さい頃から何度か危ない時があり、もう一人の友人と協力して追い払うこともあったのだ。
「アナの婚約者は今日もモテモテね」
からかい混じりに言ってくる親友のヴィクトリア・モワ伯爵令嬢に、溜め息をつきながら何度口にしたかわからない言葉を今日も言う。
「マティスはただの幼馴染みよ。それに、エスメラルダ王女殿下の降嫁先の有力候補よ。滅多なことは言わないで」
「誰がアナの耳にそんな噂を入れたのかしら?」
呟かれた言葉は小さくてアナスタシアには届かなかった。
「でも、仲良いわよね? マティス様から話しかけるの、アナとロンバルト様くらいしか見ないんだけど」
「幼馴染みだもの。マティスの色気に惑わされない貴重な、ね」
そう、彼の色気に惑わされない貴重な幼馴染みなだけなのだ。あれでいて女性関係が派手でない、というより真面目で周りに群がる女性に手を出したりはしない。
そういうこともあって王女の降嫁先として有力候補なのだ。
伯爵家なので、王女が降嫁するには家格が低いが、一応伯爵位までは王族と縁を結ぶのは可能なのだ。
あくまでも噂だが、それが本当ならアナスタシアは近づかないほうがいいのもわかってはいる。
わかってはいるが、距離を置くことはできない。したくない。
マティスは大切な友達だ。
距離を置いたら悲しむだろう。
彼には心許せる友達が極端に少ない。その体質のせいで。
友達が少ないのはアナスタシアにも当てはまるのだが。
名前の挙がったロンバルト・ダラス侯爵令息もアナスタシアと同類だ。マティスのだだ漏れの色気を一切感じることはないらしい。
たからこそ、マティスの親友になれたのだが。
アナスタシアも彼の友人だ。マティスを通して知り合った幼馴染みである。
「それだけ?」
「それだけよ」
そう、それだけだ。
ヴィクトリアから視線をそらすように再びマティスのほうに視線を向ける。
向けた先でマティスを囲んでいた人たちが割れた。
マティスの色気に当てられて倒れたり、ふらふらとよろけていたり。
何故そうなることがわかっていてマティスを囲むのかわからない。
マティスは誰にも関心を払わずにその輪の中から抜け出してくる。
それは昔からの処世術だ。
手を差しのべるのは危ない。
だから基本放置だ。
そのままにしておくと危ない時だけ人を呼ぶが、それでもマティスが直接助けることはない。
それが許されていた。
何気なく眺めているとマティスと目が合った。
マティスがアナスタシアを見つけてふわりと微笑う。
マティスの周りでまたぱたぱたと人が倒れた。
アナスタシアの正面からもくぐもった呻き声が聞こえた。
ヴィクトリアもあの位置にいるマティスの色気に当てられたらしい。
慌ててヴィクトリアを見る。
「ヴィー、大丈夫?」
ヴィクトリアは椅子の背に身体を預けてぐったりしている。
「大丈夫よ」
アナスタシアはもう帰ったほうがいいだろう。
アナスタシアがここにいるとマティスが来てしまう。
「私、行くね」
「ええ、また明日」
「うん、また明日」
そのままカフェを出る。
料金はあとで家に回されるシステムになっている。
アナスタシアはマティスに歩み寄った。
「やあ、アナ、帰るのかい?」
「ええ、マティスは?」
「帰るよ。今日の授業は終わったし」
マティスは基本、授業が終わればすぐさま家に帰る。彼にとって外は危険なのだ。
「そう。じゃあ馬車留めまでは一緒ね」
二人で並んで歩き出す。
マティスを囲んでいた人たちから視線を向けられるも流した。
いつものことだ。
それに地面に倒れている人がいても、その人たちから向けられる様々な視線も、流せないようならマティスの傍にはいられない。
「そうだね。何なら遊びに来てもいいよ?」
「ロンは?」
「何か今日は用事があるって言っていたよ」
「そう」
それならもう少し一緒にいたほうがいいかもしれない。
人の多いところはマティスにとっては精神的な負担が大きいのだ。
「美味しいお菓子もあるけど、どうかな?」
「別にお菓子にはつられないわよ」
しゅんと垂れた耳を見た気がする。
「じゃあ、来ない?」
アナスタシアは笑ってしまう。
「行くわ。だから、美味しいお菓子もよろしくね?」
マティスも笑う。
「もちろん」
読んでいただき、ありがとうございました。