29 愛情の末に。
「イリーシャとの婚約は正式に破棄する。それが彼女の為だ」
「……イリーシャは大丈夫、でしょうか」
「いつかわかってもらえれば良い。わからずとも、それはそれで仕方がない事だ」
三度目のヴァルとナターシャの会話の場面に戻る。
なるほど、リセットの力ではどうあってもここから始めるしかないわけね。つまりは悲劇の始まりである姉妹の生き別れは改変不可の確定されてしまった過去。
これ以上の悲劇を止める為に、ここから私ができる事をするわ。
私はすぐにその場から離れ、遠目で物陰の隙間から二人の様子を窺っているイリーシャのもとへと近づいた。
「ヴァル様……まさか、本当に私以外の女と……ッ」
イリーシャは涙を浮かべながら、悔しそうな表情で彼らの様子を凝視している。
仲睦まじそうに会話をするだけでなく、口付けをも交わしていた二人を見ればイリーシャがこうなるのも頷ける。
でも、悲しい連鎖は私がここで断ち切らせてもらうわ。
「イリーシャ、聞こえるわね」
「ッえ!?」
突然の私の声に涙を流して憤怒の表情をしていたイリーシャが、驚き、周囲を見渡す。
「落ち着いて、静かに聞きなさい。私はあなたの味方よ」
「え……? え……!? なに? なんなの!?」
「声を静かに。ヴァレンシュタインとナターシャに聞こえてしまうわ」
「……ッ!」
イリーシャはハっとして、口をつぐむ。
「静かによく聞いてイリーシャ」
「あ、あなたは神様ですか……?」
唐突に届く声にイリーシャは不安そうな顔で虚空を見つめながら問いかける。私の姿が見えないのだからそれも当然か。
神様、か。それも妙案ね。
「ええ、そうよ。私はあなたを見守ってきた神。あなたを救う為にこうしてあなたに囁きかけているの」
「か、神様!? ほ、本当に……?」
「私の事はいいわ。それよりもあなたにはどうしても伝えなくてはならない事があります。いいですか、よく聞きなさい」
私は少し神様っぽく威厳を醸し出すように言葉尻を変えてみる。
「は、はい……」
「ヴァレンシュタインを、そしてナターシャの事を恨んではいけません。彼らのあの行動はその全てがあなたの為に行なわれているのですから」
「なっ……私の為? 私の為に浮気をしているというのですか!? そんな、そんなの意味がわからないわッ!」
唐突にこんな事を告げられれば当然の反応か。
しかし彼女に全てを言葉だけで説明したところで信じてくれるのかどうか……。
そう思い悩んでいると。
『アメリア。彼女の額にキミの額を当ててみろ。精神体である今のキミなら、そのキミが体験し見てきた記憶を彼女に伝えられるはずだ』
リセットの声が頭に響く。
そんな簡単な事でいいのね。
『伝えたいシーンだけを思い描き、彼女の頭へその映像が伝わるようにしろ。余計な事まで想像すると、大変な事になりかねん』
わかったわ。
私はリセットに言われた通り、自身のおでこをイリーシャのおでこへと重ねた。
「こっ、これ……は……ッ」
イリーシャが瞳を見開き、私の見てきたこれまでを、ヴァルとナターシャの想いを受け取っていく。まるで走馬灯のように彼女とその映像を共有する。
うん、イリーシャ、今ならわかってあげられるよ。
何も知らずに愛を裏切られ、理由もわからず、ただ捨てられた悲恋の少女。
あなたも辛かったよね。
悲しかったよね。
苦しかったよね。
助けて欲しかったんだよね。
だから最後にあなたは、私にも助けを求めたものね。
安心して、イリーシャ。
私はあなたを救ってみせる。
例え私の今が無くなってしまったとしても。本当に好きだったクロノス様と結ばれたあの世界が壊れてしまったとしても。
それでも私はあなたを救うわ。
だって、今ならわかるから。
額を通じて私にも伝わってくる彼女の悲しみが、辛さが、悔しさが。
その全てが私にも感じられるから。
だから、私がなんとかするから。
「あ……あ……」
イリーシャは止まらない涙を溢し続けていく。
「……ヴァレンシュタインとナターシャはあなたの事を想い、あなたに長く生きてほしくてこのような憎まれ役を引き受けざるを得なかったのです。もちろんナターシャにもヴァレンシュタインへの恋心がなかったわけではないけれど、それでもヴァレンシュタインはあなたを選んでいた。あなたを選んでいたからこそ、あなたに生きてほしいと願ったのです」
「そんな……そんな……あの女が私のお姉様で、ヴァル様は私の事を……」
「イリーシャ、どうかあの二人の想いを理解してあげてください。そして彼らが賭した命を無駄にしないで、幸せで真っ当な人生を歩みなさい」
「そんなの……そんなのってないわッ!」
「え? イリーシャ!?」
突然、イリーシャはその場から立ち上がり走り出してしまった。
まずい、伝え方が悪かったのだろうか。これでは失敗だ、と私が落胆していると。
「ヴァル様ッ!!」
気づけばイリーシャは息を切らしながらヴァルとナターシャの前へと立ち、必死な形相で声をあげていた。
どうしよう、ここでもしイリーシャが逆上してしまったらもっと最悪な未来に……。
私はそう危惧しながら彼女たちのもとへと近づく。
「「イリーシャ!?」」
ヴァルとナターシャが声を揃える。
「ヴァル様! ふざけないで!」
イリーシャはそう叫ぶと突如勢いよくパンッ! と彼の頬に平手打ちをくれていた。
「す、すまないイリーシャ……。こんな形で見られてしまったのなら、言い訳は無駄だな。私はこちらの彼女に真実の愛を見出してしまったんだ。だからキミとはもう終わりだ」
イリーシャはボロボロと涙を溢したまま、体を震わせている。
「ごめんなさいねイリーシャさん。私たち、すでに相思相愛だから、あなたは身を引いてね」
ナターシャは名を名乗らずに、まるでイリーシャを嘲るようにそんな言葉を放つ。
そんなナターシャに対してイリーシャはキッと鋭い視線で睨む。
イリーシャは彼女にも平手を繰り出そうとした、と私含めその場にいる全員がそう思った瞬間。
「え……?」
ナターシャが目を丸くした。
イリーシャはナターシャへと抱きついていた。
「ばかばかばか! ナターシャお姉様の馬鹿ッ!!」
「イ、イリーシャ、あなた何を……」
「ナターシャお姉様の馬鹿! 私の為に先に死のうなんて絶対に許さない! 私にはもう血の繋がりがあるお方は、ナターシャお姉様しかいないんですのよ!? それなのにそれを黙ったままでいなくなるなんて、許しませんわッ!」
イリーシャは喜びと悲しみの入り混じったような複雑な表情で、ひと目を憚らずにその場で泣き喚いた。
「ど、どうしてそれを……それになんであなたがそんな事まで……」
「私も……私もずっと忘れておりました。私には血の繋がったお姉様がいる事を。それをついさっき、思い出させてもらったのです。神様が……女神様が私に全てを教えてくれて、全てを思い出させてもらったのです」
「そんな奇跡みたいな……」
ナターシャは困惑しているが、それは私も同じだった。
まさかイリーシャがそんな事まで思い出すなんて。
「ヴァル様」
涙が枯れ切らないままイリーシャは、ヴァルの方を睨む。
「私が何故、先程手をあげたかおわかりになられましたか?」
「わ、私の浮気に憤怒した、のではないのか……?」
「違います。あなたが私の事をちっとも理解してくださっておられなかったからです」
「いや……私はキミの事をよく理解している。だからこそ……」
「だからこそ、私には長く生きてほしいから代わりにお姉様に死んでもらう、と?」
「……」
ヴァルはなんとも言えない表情で黙り込む。
「お姉様が死んでしまう事も嫌ですけれど、それ以上にヴァル様、あなたが私と共に死ぬという選択をしてくださらなかった事が、心から悔しくて悔しくて、そして悲しいのですッ!」
「イ、イリーシャ……」
「私の事を想うのならどうして私と一緒に死ぬという選択をしてくださらないのですか! 私はあなたとなら今すぐにでもここで死を選ぶ事すら欠片も厭わないッ! 私の全てはとっくの昔にヴァル様へ捧げているのです! 長く生きろ? そんなお願いなんて、聞きたくありませんッ!」
イリーシャ、あなたはちゃんと理解してくれていたのね。
そっか、その上であなたは怒っていたんだ。
「ナターシャお姉様、ごめんなさい。私、ナターシャお姉様がヴァル様の事を愛している事もわかっております。それでも私もヴァル様を愛しております。この気持ちだけは変わりません……」
「イリーシャ……。ううん、いいの。もう全部知っちゃってるんじゃこんな猿芝居、なんの意味もないものね。安心してイリーシャ、こうなってしまったのなら、私はあなたからヴァル様を奪うつもりなんてこれっぽっちもないわ」
ナターシャは優しく微笑み、そしてイリーシャの頭を撫でた。
「本当にごめんなさいナターシャお姉様……」
「私こそ、ごめ……ごめん、なさい……ッ! あの日、あなたを……守れなくて……大好きなイリーシャ……ッ」
ナターシャも涙を流して、イリーシャに何度も何度も謝罪の言葉を繰り返した。
「……イリーシャ、そうか。すまない。浅はかだったのは私の方なのだな。本当にすまない」
ヴァルも頭を下げて彼女へと謝罪する。
「ヴァル様……私はもう全てを知りました。そんな私との婚約、本当に破棄なさいますか?」
「……婚約破棄の予定は、破棄、だ。キミの覚悟、よくわかった。私はキミと共に生きて、そして死のう。我が最愛の婚約者、イリーシャ」
「でしたら、私も同じ条件にさせてもらいますわ」
イリーシャはそう言って、今度はヴァルの方へと飛びつき、彼の唇を強引に奪った。
「……後戻りはできない。この病の感染力は並ではない。おそらく今の口付けでイリーシャ、キミも感染しているだろう」
「それでいいのです。お姉様と同じタイミングで感染するのなら、きっと死ぬ時もお姉様と一緒ですもの」
「イリーシャ……すまなかった。愛している」
「私も愛しております。ヴァル様」
二人はそう言って抱き合った。
その様子をナターシャも涙を溢したまま、優しく見つめていたのだった。
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