26 最後の巻き戻し
――イリーシャの映像が私のものではない事から始まり、イリーシャの正体に至るまで。その全てを白日のもとに晒しだした事で、殿下とイリーシャへの断罪は免れないものとなった。
途中、幾度となくエルヴィン殿下は見苦しい言い訳を並べてみせたが、私とクロノス様とビアンカ、そして陛下やカイロス様たちですらもはや呆れた顔で、彼の話を鵜呑みにする者など誰もいなくなっていた。
対してイリーシャは何も語ろうとせず、口を閉じたまま私たちの断罪の証拠を黙々と聞いてうなだれているだけであった。
私たちが全ての言い分を述べた後、陛下は殿下に対して、「エルヴィン。お前には心底愛想が尽きた」と投げ捨てるように言い放った。
そして後の事は全てカイロス様に任せると言い残し、陛下は憤怒の表情でエルヴィン殿下を一瞥し、背を向けた。
「違うのです父上! 聞いてください父上! 私はこのイリーシャとかいう女に……いや、リセット家という極悪な下流貴族にたぶらかされていたのですッ! そうだ、私はずっと騙されていた! ただの被害者なのですよ!?」
最後の最後までそんな言葉を叫び続けていたエルヴィン殿下だったが、国王陛下は振り返りもせず会場を後にした。
クロノス様のお話しでは、どうやら国王陛下は随分前からエルヴィン殿下の素行の悪さに呆れていたそうなのだが、立太子してからというもの更にそれが悪化していたのだとか。
「魔法など、その存在自体が問題なのかもしれぬな」
のちに陛下が吐き捨てるように呟いた言葉だ。
エルヴィン殿下も魔法を習得するまでは真摯で心優しい、皆から好かれるお方だったけれど、記憶具現化魔法などというものを覚えてしまってからというもの、彼はどんどんと傲慢になり、性格も人が変わってしまったかのように歪んでしまったのだとか。
それでも大きなトラブルを起こさなかったし、跡継ぎがエルヴィン殿下しかいなかった為、陛下は殿下を信じて立太子させたが、結果このような不祥事を起こしてしまった、という結末に心底落胆しているそうだ。
「何か言い残したい事はある? イリーシャ」
全ての断罪を終え、手錠を掛けられ騎士様たちに連行されるイリーシャの背中に私は問いかけた。
「……別に何も」
彼女は背を向けたまま、淡白に返した。
「イリーシャ、最後に教えて欲しいの。ヴァル、というのは誰なの?」
「……誰であろうと、お姉様にとっては関係ありませんわ」
「あるわ。元はと言えばヴァルという男があなたとの婚約を破棄した事が全ての原因なのでしょう? 教えてイリーシャ。あなたをそこまで変えてしまったその男の事を」
「……そもそもお姉様は何故、そんなにも私の事を知っているのですか? 私は誰にもそんな事まで話した覚えはないのですけれど」
イリーシャは私に背を向けたまま語る。
「お姉様は……何か、おかしいですわ」
前回の世界でもイリーシャに言われた言葉だ。
「私がおかしい?」
「お姉様はおかしいです。以前までは……殿下から婚約破棄を言い渡されるまでは臆病でなんの取り柄もなかった癖に」
彼女は膨大な魔力を持つウォン家の一族。私の類い稀なる不可思議な魔法……この巻き戻しボタンについて何か勘付いているのかもしれない。
「私はあなたほどではないけれど……人生をやり直しているのよ」
私の言葉を聞いて、ようやくイリーシャがハッとした表情で私の方へと向き直した。
「え……?」
「やっとこっちを向いたわねイリーシャ」
「お、お姉さ……あなたは、ま、まさか……!?」
「言葉の通りよ。私はこの結末に至るまで繰り返させてもらったの。何度も時を巻き戻して、最善の結末を求めてね。完全に決着が着いた今だからこそ、あなたにも種明かしするわ」
「まきもど……ま、まさか、まさか、まさか……」
イリーシャがその表情を更に強張らせて、目を見開く。
「まさかアメリアお姉様がヴァル様の……ッ!」
そう叫びながらイリーシャは涙を浮かべた。
ヴァル様の……?
いったい彼女は何を言おうとしているのだろうか。
「そんな、そんなそんな……それじゃあ本当に……それならどうして……ねえ、お姉様!? どうして私をこんな目に合わせるの!?」
「こ、こら貴様! 暴れるなッ!」
「ねぇアメリアお姉様ぁ! 答えてよぉ! 助けてよぉ! 苦しいのよぉ! ねえ、どうして……どぉしてどぉしてどぉして! 私を……私だけをこんなに苦しめるのよぉ!? お姉様が私を救ってくれるんじゃないの!?」
イリーシャはこれまで見た事もないぐらい、半狂乱気味に泣き叫び、地団駄を踏んだ。
「誰か教えてよぉ! ヴァル様……ねえ! ヴァレンシュタイン様ぁぁぁああッ!」
イリーシャがその名を叫んだ時。
「えっ!?」
私の目の前に、いつもの赤いボタンが突然現れた。
まさか私に死の危険が迫っていると言うの!?
思わず私は周囲を見渡す。
だがしかし、私を脅かそうという何かは見当たらない。
『アメリア・フィル・リセット。真実を追い求めるのなら、そのボタンもそれが最後の一回になるだろう』
ズキンッ、と頭に一瞬痛みが走ると共に、初めて巻き戻しのボタンが現れたあの日の声が私にだけ響いた。
そして遅れて気づく。
周囲の時間が……全て止まっている。
イリーシャも騎士様たちもクロノス様やビアンカも、会場にいた多くの人々も。揺れる蝋燭の炎も、どこかのテーブルでグラスからこぼれ掛けているワインのその雫も。
その誰もが、その何もかもがピタリ、とまるで石のように固まってしまっているのである。
「な、何これ……!? あなたは誰なの!?」
『アメリア。ここまでよく私が生み出した魔法を使いこなしてきてくれた。だが、キミに残された魔力ではおそらくこれが最後の一回だ。そしてそれは実に大きな一回だ。真実を知りたいのならそのボタンを押せ。今、それを押さぬなら別のお前の望むタイミングであと一度きりなら使えるだろう』
頭の中の声は私の質問には答えず流暢にそう告げた。
理解が追いつかない。いったい彼は何を伝えようとしてくれているのだろう。
「ねえ教えて! あなたは誰なの? 何故今そのボタンを出現させたの!?」
『理に反する事はできない。私には何も答えられない。押すも押さぬもお前次第だ。押さぬともお前の人生はすでに幸福が確定された未来が見えている。確定された未来を生きる中で更により良い未来を確実に掴み取りたいのなら、そのボタンを押さずに魔法を自分の為だけに使うが良い』
私の幸福が確定された未来……。それを更により良くする為には、この巻き戻しのボタンはとても魅力的。
『ボタンを押した場合、何がどうなるかはわからない。下手をすれば押した事によってお前の幸福が、確定されたその未来が、まるでバタフライエフェクトのように大変化を起こし、崩れ去る可能性すら十分にある。加えてその対価として得れるものはただの真実だ。ちっぽけな真実を得る為に全てを棒に振る覚悟があるなら押すが良い』
この声が言っている内容が真実ならば、ボタンを押さなければ私は幸福を享受し、更に幸せになれる可能性が膨らむ。しかし押してしまえば真実と引き換えにどんな災いがもたらされるかはわからないという事だ。
私は直感的に理解した。
このボタンを押せば私はまたきっと過去は飛ぶ。
しかもこの声の伝えようによっては、これまでのような短い巻き戻しではなさそうだ。
「……これだけは教えて欲しいな」
『なんだ?』
「そのボタンを押したら、その子を救えるの?」
私は目の前で硬直している私の妹だった存在、イリーシャという女性を指差して尋ねる。
『救いたいのか?』
「できるなら」
『何故だ?』
「だって、彼女と私はまるで鏡。私だって彼女と同じように世界を、全てを恨んで生きたかもしれないもの」
『だから救うのか?』
「できるなら、ね」
『できるかどうかは全てお前次第だ。だが、しかし……』
「ありがとう、優しいのねあなた」
私は笑顔で頷いた。
うん、わかってる。このボタンを押して、イリーシャに手を差し伸べる事が何を意味するのか。
それこそ、この声の教えてくれたバタフライエフェクトによる影響で、私の幸福な未来どころか現在をも改変してしまうのだろう、と。
どのくらい過去に戻されるのか、何がどうなるのか全くわからない。未知数過ぎるリスキーなボタン。下手をすれば私の存在すらなかった事になるのかもしれない。
私がこんなリスクを犯す必要はあるのだろうか。
……なんて、今更ね。
「でも私は行くわ」
『いいのか? ありふれた幸せ望むなら押すべきではないぞ』
「あなたは……うん。あなたはずっと私を見守ってくれていたのね。そして幸せを望んでくれている。ありがとう、本当に。でも、もう決めたわ。私は真実を知る為に、そして可能ならこの哀れな妹を……イリーシャを救いに行きたい」
イリーシャ。
連れ子だったとしても、当初はあなたを本当の妹のように思ってきていた。それに――。
「こんなに悲しそうに心から泣き叫ぶ女の子に、手を差し伸べないなんて、私にはできないッ!」
『……わかった。好きにするが良い』
「ええ」
私は止められた時間の中で、周囲を見渡す。
そして。
「クロノス様、こんな私を愛してくれてありがとう。私、ちょっと行ってきます」
この世界だからこそ互いに気持ちを確かめ合う事が叶ったクロノス様に深くお辞儀をして、
「イリーシャ。また会いましょう」
私はイリーシャを見つめながら、最後の巻き戻しのボタンを押した。
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