14 【sideイリーシャ】 〜歪んだ魔女〜
「エルヴィン殿下……」
「イリーシャ……」
エルヴィン殿下がアメリアお姉様との婚約破棄が成立した翌日。
私ことイリーシャ・ウォン・リセットはエルヴィン殿下の住む王宮の私室にて、彼と二人きりの空間を満喫していた。
リセット家になんとか入り込み、マルクスやナタリーの信頼を順調に得て行ったにも拘らず、アメリアお姉様がまさかエルヴィン殿下に見初められるなんて出来事が起きてしまったのは想定外にもほどがあった。
他の男ならいざ知らず、まさかリスター王家に見初められるなんて、私からすれば決して許されるものではなかった。
それを機にマルクスもナタリーも私を見なくなった。
長い時間と熟成させた私の魔力を使って、ようやくここまで来たというのに、ひと目惚れ、なんてつまらない理由でまた私だけ除け者にされるのはまっぴらごめんだった。
「イリーシャ、キミはなんて美しいんだ。それにその落ち着き払った大人の雰囲気。とてもまだ15になったばかりだとは思えないよ」
「うふふ、ありがとうございますわ、殿下」
たまに鋭い事を言う殿下に、私は一瞬だけ肝を冷やすがそんな素振りは微塵も見せずに私は余裕を見せる。
「それにしてもアメリアがあんな女だとは思わなかった。自分の不貞行為を棚に上げて、イリーシャに詰め寄るとは……」
「そう、ですわね……」
それも想定外だった。
あの浮気現場の映像を殿下の記憶具現化魔法で再生させたように見せれば、本人にそんな覚えが無くとも、あの気の弱いアメリアお姉様なら反論もできずに泣き崩れるとばかり思っていたのに。
それなのにあの時のお姉様の強気な態度。
(まるでかつての……)
嫌な記憶を思い返す。
「だが結局アメリアは自分の非を認めたようなものだ。本当に違うのならもっと必死にそんな覚えはない、と泣き叫ぶはずだからな。あのふてぶてしい態度こそ浮気をしていた何よりの証拠だ」
そうだ。
アメリアお姉様は殿下にはこう思われているし、良しとしよう。
どちらにせよ、もう彼女には何もできはしない。
……今はそんな事よりも。
「ねえ殿下。私、お願いがありますの」
「なんだい? ようやくキミと結ばれたんだ。なんでも言う事を聞いてあげるよ」
「簡単なお願いですわ。この誓約書にサインが欲しいんですの」
「これは……?」
「ただの愛を誓う為の証明みたいなものですわ。私以外の女には二度と愛を注がない、という」
「はは、そんな事あるわけがない」
「でもアメリアお姉様にはひと目惚れしたのでしょう?」
「そ、それは……魔が刺しただけで、私は別にアメリアの事など、そんなに気にしていなかったというか……」
「……冗談ですわ。でも、殿下が過ちを犯さないという保証はありませんもの」
「イリーシャは嫉妬深いなあ。私がそんな事するわけないだろう?」
「念には念、ですのよ。それとも、そこにサインする事ができない、と?」
「い、いやだなあ。しないとは言ってないじゃないか。……わ、わかった。ここにサインすればいいんだね?」
そう言って彼にようやく誓約書にサインを書かせた。
これで何があっても大丈夫、と私はほくそ笑む。
「ふふ、殿下。これで何があっても浮気などしてはいけませんわよ?」
「馬鹿な事を……私の真実の愛はイリーシャ、キミ相手にしかありえないよ」
「それならいいんですの」
私はニコっと笑って彼にキスをした。
これで私は将来王妃が確定的。
長い長い苦渋の日々に終わりを告げる事ができますわ。
それにしてもアメリアお姉様、今頃どこかでのたれ死んでいるのでしょうか。
婚約破棄されたショックで自殺、という自然な流れを演じさせてあげようとわざわざ毒入り茶葉を用意したけれど、マルクスに勘当されるのならそんな事をする必要はありませんでしたわね。
でもそんな末路がお似合いですわよね。
私の長年の苦労を殿下のひと目惚れなどというくだらない幸運で台無しにしかけたのですから。
それにあの女にそっくりなアメリアお姉様には、散々な目に合うのがお似合いですもの。
(うふふ、あの世から見てくれているかしら、ヴァル……。あなたのせいでアメリアお姉様は不幸になるのよ)
私は因縁の相手を思い描き、今後のリセット家の破滅を願うのであった。
●○●○●
私ことイリーシャ・ウォン・リセットが偉大なる魔力を受け継ぎし一族の末裔である事を知っている者は、もうこの世にはおそらくいない。
魔法という不可思議で便利な力が今みたいに多くのニンゲンたちへと普及してしまう遥か昔。
まだ一部の『魔女』と呼ばれる淑女のみが扱う事を許された奇跡の技、それが魔法。
魔女の力は血縁関係者にしか遺伝しない。なので魔女の一族は閉鎖された大森林の奥深くの里で慎ましく暮らしていた。
魔法は里の血縁者であれば男でも扱う事はできたが、女の方が圧倒的に高い魔力を持ちやすく、里を守る結界は女が全体的に行なっていたので、いつしかここを『魔女の里』と呼んだ。
しかし当然、子孫繁栄にはクローズドサークルでは成立しない。ゆえに外部からニンゲンを招き入れる事もしばしばあった。
本来、里に入れるそのニンゲンには制約と誓約を強制する魔導具の力によって、里から出られない呪いを掛ける。こうやって魔女の里は外部に知られる事なく秘密を保ってきた。
しかし一人の魔女がついに禁忌を犯した。
制約と誓約の魔導具無しのまま外部の男を里へ招き入れたのだ。
何故、男を制約と誓約に掛けなかったかというと、その男はいつの日か仕官し大成したのち、諸外国へ渡りたいという大きな夢を抱えていたからだ。
その魔女は心底その男に惚れ込んでおり、彼の願いを叶えてあげたいのと同時に、自分の膨れ上がる恋心も止める事ができなかった。
そしてある日、とうとう魔女は周囲の反対を押し切って強引に男と駆け落ちしてしまった。
それから魔法という力が世界中に広まってしまうまで、さほど長い時間は掛からなかった。
魔法の力に目を付けた諸国の王は、様々な問題を経てついに魔女狩りを敢行。欲張りだった一人の魔女のせいで魔女の里は滅び、魔女の血を引き継ぐ者は世界中で広く散り散りとなった。
その身勝手な魔女を止められなかった理由が、彼女の大いなる力にあった。
その魔女は魔法の中でも特に稀有な『時間を操る』魔法が扱えた。彼女の『時を操る』魔法の前ではどんな魔女たちも決して敵わず、結果、その魔女を里から逃してしまう。
里が滅びた後も魔女の子孫の一部では、彼女の事を『時操りの大悪魔』と言い、魔女の一族最大の大罪人として語り継がれた。
ニンゲンたちの王が魔女狩りを敢行する少し前。里を危機に追いやったその大罪人を処刑するべしと使命を与えられた強力な魔力を持つ一族の名が、ウォン家と呼ばれる、私の先祖であった。
魔法というものは元来、一人につき一種類を扱うのが限界と言われており、それは魔女の里があった頃から魔法が拡散してしまった現在においても変わらず常識であった。
稀に魔法を二種類以上習得する者は秀才などと呼ばれ平民の出だったとしても突然王家から叙爵されたりもした。
ところがウォン家はその常識を覆すほどの多種多様な魔法をいくつも扱えた。なんでも基本の魔力量の器が桁違いに大きいらしい。
そしてそれは今現在においても同様であり、ウォン家の血を引く私も当然多くの魔法が扱えた。加えて私はウォン家の中でも飛び抜けて優秀であった。
魔女の里が滅びたのはもう何百年以上も昔の事。当然私も『時操りの大悪魔』の子孫を探そうなどという大きな志を受け継いでいるわけではない。
私には当時、とある目的があったのだ。
魔法が広まった現代において、魔力は自身の地位と名誉に起因する。私ほどの魔力があればすぐにでも上流貴族から王族までがこぞって自分を欲しがるのは目に見えていた。
しかし当時、私の望みは地位や名誉ではなく愛だった。
私がまだ若い頃、一人の男に恋をした。
恋した相手の男は平民出の男だったがその素性は実に複雑な状態であった。だが恋に家柄など関係はない。私はその男を心の底から愛して死ぬまで彼と共に生きると決め、またその相手の男も私を愛し、二人は婚約関係になった。
しかし男は突然他に女を作り、私との婚約を唐突に破棄した。
理由すらも全く教えてもらえなかった私はショックのあまり、三日三晩泣き腫らした。その後、男を付け回すストーカーまがいの行為を続け、何度も騎士たちに捕まり牢へと入れられたりした。やがて男への愛は歪んだ憎悪へと変わって行った。
私は男を殺して自分も死のうと決める。
だがそれも未遂に終わる。
私の歪んだ愛は危険すぎると判断したのだろう。国の司法により、私はついに国外追放の刑に処された。
私は世の中の全てを呪った。
そして何十年も隣国で孤独に寂しく過ごした末、老婆となった時、ようやくこの国の王に恩赦を掛けてもらい、この国への入国禁止を解かれた頃、それとほぼ同時期に完成させたとある魔法を自分に施す。
それが若返りの法であった。
魔法の強さは生まれ持った魔力だけでなく想いの強さにも起因する。
私はかつて愛した男への歪んだ何十年分ものの愛情を膨大な魔力に変え続け、ついには自身を若返らせる魔法を編み出し、自分へと施したのである。
その魔法の効果は絶大で、老婆となった私の肉体をたったの一瞬で5歳児にまで若返らせたのである。
私は人生をやり直したかった。
そしてそれが叶うならば、もう一度他人から愛されたかった。それと同時に何かに復讐もしたかった。
それを一心に願い続け、ついに私は叶えたのである。
しかし代わりにかつての絶大な魔力の、そのほとんどを失わせた。
残った僅かな魔力で適当なニンゲンの女を捕まえ、その女に魅了の魔法を掛け、自分を養わせた。
その女もまた悲恋を抱えていた。
すでに妻のいる伯爵に恋していたのだ。
しかしその伯爵はその女と一緒になる気は毛頭ないらしく、女も今の関係が辛くなり、外国へと逃げる事を選ぶ。
私の事も一緒に連れていこうとしたが、私は女を弄ぶこの伯爵を許せなかったので、仮の母とは別れ、その伯爵との子供が私だという事にして、その家へと入り込もうと考えた。
それがリセット家である。
私は当初、私の仮の母である女をたぶらかしたマルクス・フィル・リセット卿をどんな不幸な目に合わせてやろうかと日々考えた。女の敵だと思ったからだ。
その家にはすでに一人娘がいた。
名をアメリアと言ったが、魔力も大した事がなく魔法もロクに扱えない、いわゆる不出来な娘だった。
マルクスたちは貴族の家庭だ。娘が優秀な魔法を扱えないのは恥であると考えていたようで、アメリアへの当たりがきつい事に私は目を付けた。
私の魔力も歳を重ねて多少は蓄えられてきた。様々な魔法もまた使えるようになった。
それをリセット家のマルクスとナタリーがベタ褒めしてくれるので、私は気分が良くなっていった。
その時初めて、私は親からの愛にも飢えていたのだと気づいた。
不遇な思いで辛そうに過ごすアメリアを見て、私はこう思った。
(なんて気持ちがいいのかしら)
私は自分が素晴らしい生き物だとは思っていない事を俯瞰し、理解している。
100年近く生きてきたのだ。性格も歪むのは当然か、などと自分に言い訳をしてみるが、私が歪んでいたのは昔からだった、と自分で自分を嘲笑った。
とにかくアメリアが不幸になる事がとても、とても心地よくて、本当に気分が良かった。彼女が泣いたり落ち込んだり傷ついたりするのを見る事が私の生き甲斐となっていったのだ。それはおそらく私が大嫌いなあの女に似ているからなのだろうな、と出会った当初からそう思っている。
しかし数年後。
突如現れたエルヴィン殿下のせいで私の幸せな時間は終わりを告げようとしていた。
別にマルクスやナタリーからの寵愛が無くなるのはどうでも良かった。
ただアメリアお姉様が幸せそうな顔をする事が無性に許せなかったのだ。
彼女にはひたすら苦しんで、泣き叫んで、何もかもを失った末に絶望に伏したまま死んでほしいのだから。
だから、私は決意した。
絶対に私と同じ目に合わせてやろう、と――。
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