第3話 花を数える <完>
エリーネは言った。
「仮面を外して、あなたはどうするの……」
「さらして困るような顔でもないさ。舞踏会からは追い出されるだろうけど、もう十分楽しんだから思い残すこともない」
「……」
初めは遠慮がちに、次第に大胆になってエリーネはフレデリクの素顔を見つめた。『僕よりいい男はいない』と言っていたのも、嘘ではないと思った。
「ありがとう……」
エリーネはフレデリクの手から仮面を受け取った。
「この次あなたに会ったら、必ずこのお礼をするわね」
「それは難しそうだな」
「どうして?」
「顔も名前も知らないのに、どうやって僕たちだって分かる?」
「それもそうね。言われるまで気が付かなかったわ」
軽口をたたきながら、エリーネは仮面で顔を隠す。
もう一度彼を見つめる。フレデリクは目を閉じたままでいる。
エリーネは突如、彼の顔に、髪に、触れたい気持ちになる。思わず彼の素顔に手を伸ばす。
すると、フレデリクが言った。
「もういい? もう、目を開けても?」
その言葉にはっとなって、エリーネは伸ばしかけた手を引っ込める。
「もうちょっとだけ待って……あ、そうだ」
エリーネが何かを思いついた。
「あなたは恋多き男なんでしょう? 好きだった人の名前を十人言って。そうしたら目を開けていいわ」
「えっ」
「さあ、どうぞ」
「……」
フレデリクの困惑した様子が伝わって来る。
エリーネは微笑み、仮面で隠した自分の両頬を押さえる。背を向けて走り去る。
――さよなら。
エリーネが去った後も、しばらくの間、フレデリクは考え込んでいた。
今までに恋をした相手。十人は軽く超えているはず。でも名前が全く出て来ない。あるいはエリーネの前でそれを言いたくないだけかもしれない。
「……だめだ、降参。目を開けても?」
返事はない。フレデリクはそっと目を開ける。
そこにさっきまでの彼女の姿はなく、夜風が彼の髪を揺らす。彼はふう、と息をつく。
――他の女の名前を言わせようなんて、ひどいな。一番最初に呼びたかったのは、君の名前なのに……。
******
仮面舞踏会の翌日。
エリーネは窓越しに外を見ていた。
彼女の婚約者がやって来る。彼は両手に大きな花束をかかえている。
花の色は赤く、その花の数は数えきれないくらい多い。昨夜出会った彼と約束した数ではなかった。
――あなたでは、なかった。
エリーネの気持ちは沈んだ。彼女は自分が手に持った白い花を見つめる。髪に差した花を確認するように触れる。
そうしてずっと外を見つめていた。
******
同じころ、フレデリクは彼の婚約者を訪れた。フレデリクは両手に大きな赤い花束を抱えていた。
室内に入った時、彼の婚約者は後ろを向いて窓の外を見ていた。彼はその姿に緊張して声をかけた。
「お嬢様、僕はフレデリクです。あなたの婚約者です」
婚約者は振り向いた。フレデリクは見た。
彼女は白い花を一本、手に持っている。昨夜の彼女と約束した数ではなかった。
――君では、なかった。
フレデリクは思わず目を閉じた。胸がしめつけられる。でもそれも一瞬のこと。
すぐに微笑を浮かべ、彼は婚約者の前に出て膝を付く。そして、持ってきた大きな花束から、二本だけを引き抜くと彼女の前に差し出した。
前夜に約束した、二本の赤い花。
「お嬢様、ご挨拶申し上げます。まずはこの花を受け取っていただけますか……?」
「ええ……では、私からもあなたに花を」
彼の婚約者は髪に飾っていた花を引き抜いた。白い花だった。持っていた花と合わせて、両手で握りしめる。
約束した、二本の白い花。
フレデリクは驚きを持って彼女と花とを見つめる。
偶然そうなったのではなかった。二人とも、はっきりとした意図があって、それぞれの花を持ったのだった。
エリーネは笑顔で言う。
「昨日会ったエリーネよ。私、すぐにあなたの顔が分かった……だって、あなたが先に仮面を外してくれてたから」
お互いに花は放り出し、相手に向かって腕をのばす。
フレデリクはエリーネをしっかりと抱きしめた。
「うれしい。エリーネ、それが君の名前なんだ」
「そうよ、フレデリク」
「ずっと君の名前を呼びたかった。愛してる、エリーネ」
「私も。……本当に、昨日のうちから、あなたのことが……」
フレデリクの手がエリーネの顔に触れる。彼はエリーネの頬を軽く上向かせる。
ゆっくりと顔を近づける。エリーネは目を閉じる。フレデリクも目を閉じる。二人の唇が触れてそしてしっかりと合わさった。
<完>




