7 頼ってほしい
亜久里さんは僕を見て何を思っているのだろう。
助けてくれてありがとうなのか。
それともこんな惨めな姿を見られてしまったことに嘆いているのか。
その真意は彼女にしかわからない。
亜久里さんは酷く疲れ切った顔で、動揺する僕のとことを見つめていた。
はだけた制服からは胸が溢れ乱雑に扱われた様子が見て分かる。
いつもの僕なら真っ赤に顔を染め上げ視線すらも合わせられない性的光景。
当たり前のように下半身がテントを張る。
しかし、心の中はそれ以上に激しい怒りが渦巻いていた。
「…‥大丈夫?」
呼びかけても亜久里さんから反応は返ってこない。
ただひたすら僕の顔を見つめ微動だにしなかった。
そして次の瞬間、大粒の涙がこぼれて僕の胸に抱きついた。
「怖かった……!」
亜久里さんが顔をくしゃくしゃにしながら泣いている。
僕の制服を掴む手は力強く、小さく震えていた。
その様子はとてもじゃないが耐えられなかった。
いつもの笑顔が眩しくて茶目っ気で、誰にも優しい亜久里さんの恐怖から解放された後の慟哭なんて、とても。
僕には彼女に触れる勇気なんて全くないけれどこれを見て何も思わないほど薄情なやつではなかった。
「亜久里さん……」
しばらくして落ち着いた亜久里さんは、そっと僕の胸から離れ溢れる涙を拭う。
崩れた化粧からはその恐怖の激しさを物語っていた。
「……なんでここにいるの?もうてっきり家に帰ったんだと思ってた」
崩れた制服を正しながら、少し上擦った声で亜久里さんは尋ねる。
「いや……家に帰ったのは事実なんだけど、数学の課題を忘れちゃってさ。それで僕は……」
「そうだったんだ。ありがとうね、助けてくれて。あのまま高橋くんが来てくれなかったら私、酷いことされてた」
ありがとう……か。
その言葉に僕は見合う人間ではない。
僕がもっと自分に自信があったら、勇気を持てたのなら、あの葛藤の時間は必要なかった。
迷わず亜久里さんを助け出してこんな風に泣き叫ぶ姿を見ることはなかっただろう。
だから僕にありがとうなんて言わないでほしい。まだ僕はそんなに良い男じゃない。
どうしようもなくヘタレで女の子と喋ることすらままならないダメなやつなんだ。
胸の内が、とても苦しかった。
「……でも僕は」
本当の事実を言うことは当然躊躇した。
あのまま見過ごして逃げようとしたことも、今の亜久里さんに言ってしまえば嫌われてしまうような気がして、でも言ってしまいたかった。
楽になりたかった。
好きな女の子には隠し事なんてしたくなかった。
「僕は……一度逃げようとしたんだ」
「え……?」
「本当は亜久里さんがあの男に襲われる前からずっと聞き耳を立てていたんだ。何を喋っていたのか気になったから」
僕は合わせる顔もなく俯いて続ける。
「頼りになりたいと思える男って言葉がずっと突き刺さってて、でも僕はいざああいう状況に直面すると、自分のことしか考えられなかった」
僕の後悔を亜久里さんは静かに聞く。
「怖くて足がすくんで、このまま見なかったことにして逃げようと思った。亜久里さんが乱暴されている姿を見てもなお、僕は……僕の方が大事だったんだ」
助けに行って殴られるのが怖かった。
あの男の鋭い視線が苦手だった。
亜久里さんのことよりも、僕は僕の方がかわいかったのだ。
「だから……本当にごめんなさい。もっとはやくに助けてあげられたかもしれないのに……」
最低だと罵ってくれていい。
軽蔑してくれても構わない。
これが僕の本性であり、醜悪な部分なのだから。
僕はただ、謝ることしかできなかった。
「……ふーん」
「亜久里……さん?」
僕の言葉を聞いていた亜久里さんは少し笑ったように見えた。
「やっぱり高橋くんって優しいね」
彼女は優しく微笑みながら言った。
それは嘘偽りのない純粋な笑顔だった。
「高橋くんが謝る必要なんてないよ。だって、私嬉しかったから。高橋くんが助けに来てくれて、本当に心の底から嬉しかった。それまでの過程なんて、全く気にしない!」
差し込む夕日が亜久里さんをスポットライトのように照らし輝く笑顔を際立たせる。
それを見て、僕は心の内が晴れていくような気がした。
「で、でも……全然かっこよくなかったでしょ?助け方も漫画の主人公みたいにできなかったし……」
「ううん、かっこよかったよ」
真っ直ぐな瞳でこちらを見る亜久里さん。
僕は恥ずかしくなり顔を背けてしまった。
「……そ、それにしてもこれからどうするの?あの男の人……まだ諦めてなさそうだったけど」
最後にあの男が言っていた言葉を覚えている。『俺から逃げられると思うなよ』
きっと彼はまた亜久里さんに会おうとしてくるだろうし、都合が悪くなれば今回みたいに乱暴なことをする可能性は十分にある。
亜久里さんは誰とでもエッチする女の人かもしれないけど、同意もない。何より亜久里さん自身を傷つけてしまう行為には目を瞑ってられるはずもなく。
亜久里さんは沈んだ顔で口を開いた。
「本当は今日、はっきりと言うつもりだったんだ。もう連絡してこないでって。だから最後に話をしようって思ったんだけど」
「……まともに取り合ってくれる様子はなかったね」
「ほんと最悪。なんであんな人のこと好きになったんだろ」
亜久里さんは悔しそうに歯噛みしていた。
もう亜久里さんにはあの男に気持ちなんてない。あるのははっきりとした拒絶だ。
あの話よう、荒らげた口調を見るからに相当うんざりしているのだろう。
だったら僕は何か彼女にしてあげることはできないだろうか。
そう思い、僕は一つの提案を出した。
「それなら……これから一緒に帰らない?」
「え?」
「いや、ほら、その……あの男の人がこれから何してくるからわからないし、僕でよかったら力になりたいなって……感じです」
「えっと……それって」
「め、迷惑ならいいんです!僕はナヨナヨしていていてガリガリで弱いし、クラスのみんなからは気持ち悪がられてるし……。でも、こんな僕でも亜久里さんのために何かしてあげたいなって……」
「高橋くん……」
「まだ、僕は頼りになれない男ですかね……?」
僕は緊張と恥ずかしさを誤魔化すようにに気持ち悪く笑いながら言った。
こんな僕ができることと言ったらこれくらいしかない。
僕がもっと強かったのならば、こんな風に亜久里さんを困らせることもなかったのに。
僕は自分が情けないと思った。
「ふっ……あはははは!!」
突然亜久里さんは吹き出し、お腹を抱えて笑い出した。
「あ、亜久里さん!?」
「ごめんごめん。気にしてたんだね、私が前に言ったこと」
「そりゃ……好きな人にあんな風に思われていたら嫌でも意識しますよ……」
亜久里さんはしばらく笑い続けていたが、僕の手を取って今度は優しく微笑みかけるように口を開けた。
「高橋くんは、頼りになるよ。すごく」
手を絡めながら、可愛らしい顔を僕に近づけて。
「だから、頼ってもいいかな」
夕日のせいなのか、彼女の頬が赤く染まっているように見えた。
「うん……任せて」
僕は小さく返事をした。
*
武はどこか収まらない感情を発散したくてたまらなかった。
家につき、佐々木家の門を潜るとリビングには見た目小学生の姉貴がくつろいでいた。
「なんだ武、帰ったのならただいまくらい言わんか」
「……なあ姉貴。ちょっと相談したいことがあるんだけどよ」
「なんだ?改まって」
「一度別れた女と復縁するにはどうしたらいいかと思ってな」
「一度別れた女?お前付き合っていた女がいたのか!?」
「姉貴には言ってなかったからな」
「そういう大事なことはさっさと言わんか。女というものはズバリ、押しに弱い!押して押して押して、引くなんて考えは捨てるのだ!」
「だよな、そうだよな」
「……弟よ、なんだか顔が酷く怖いぞ」
「俺は何も間違ってない。何も間違ってないんだ……。あいつは、絶対俺のものにしてやる」
「武……?」
武はそれだけ確かめると、自室へと戻って行った。




