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第二章ノ一

 カーシウェルは別名水の都とも呼ばれる。美しい碧水を称えたイシューラ湖の湖畔に栄えており、都をぐるりと取り囲むようにのどかな水田が広がっていた。城壁の色は温んだような紅で、見上げるほど高い。東西と北に三つある門は夜を過ぎても閉じることはなく、閉門するときは疫病や戦乱の時だけだという。白黒の格子模様の石畳で舗装された道や、きちんと整備された水路の様子からもこのカーシウェルの都が豊かな証拠が窺えた。石壁の建物はどれも階が高く、凝った造りのレリーフが施されている物も目に付く。

 カーシウェルの中心部は大きな広場になっており、たくさんの市場が開かれ賑わいをみせている。旅の道中いくつかの村や町を通り過ぎたが、都へ入るのは始めてだった。そこには今までルーシュが目にしたことのないほどの人間がひしめき合っていた。鮮やかな衣服に身を包んだ女達が笑いながら駆け抜け、がらがらと馬が引く荷車が何台も通り過ぎる。門から広場へと通じる大通りには道なりにびっしりと露店や商店が並んでいた。客引きのかけ声の陽気さは、宿場で聞くのとは大違いだ。田舎では見かけることのない垢抜けた男女が、ひらひらと服の裾を泳がせて通り過ぎてゆくのをぽかんと眺めた。そのあまりの間の抜けた様子に、ユファがくすくすと笑う。

「都へ来るのは初めてですか?」

「わたしは、そもそもめったに山を下りたことがないのだ」

 少々人の多さに気圧されて、ユファの裾を掴み袖に頬を寄せて呟けば、また笑い声が落ちてきた。

「巫女とは、俗世とは隔離された存在ですからね」

「こんなに人がいるのを初めて見た」

「怖いですか?」

「怖い、というか。……うるさい」

 荷馬車の車輪が石畳を擦る音、旅芸人が掻き鳴らす楽器の音、客寄せの大声、笑い声怒鳴り声子どもの泣き声、あまりに人々がてんで勝手に騒いでいるので、一つ一つの音の意味を把握するのが難しい。隣を歩いているユファの声でさえ聞き取りにくいほどだった。

「もしかして祭でもしているのか?」

「いいえ。都とは始終こんなものです」

「……ユファは大きな都の出身なのだろうな。生まれはユグドラシルか?」

「どうしてそう思うのでか?」

「手慣れた様子だから」

 ルーシュの言葉に、彼は小さな微苦笑を浮かべた。先ほどから彼はルーシュの手を引き人々の間を縫うようにして歩いている。そうしなければ、小柄な少女はあっという間に人波に揉まれてしまうのだ。いまでも、とうに長い髪の毛も乱れ衣服もしわくちゃになってしまっていた。人混みの歩き方に馴れていない証拠だ。

「カーシウェルは西域でもっとも大きな都です。そのせいで、商業・交易の中心地としても大きく栄えているので、こんなに賑やかなのですよ」

「ふうん」

 ルーシュは曖昧に頷き、立ち並ぶ店を眺める。色とりどりの布地が並べられた屋台、花売り娘が抱える籠の中の豪奢な花束、瑞々しい異国の果物、美しい歌声を響かせる小鳥売り、そのどれもミズルの山にはないものだった。あの山にあるのは、とてもささやかで慎ましく、可憐なものばかり。草の下葉にひっそりと隠れているような、そうゆう静けさを伴ったものばかりだ。

 無性に、山が恋しく思えた。山奥の花畑、人なつこい獣達、草の汁で染め上げた衣、沢の水の冷たさ、山鳥の鳴き声、岩穴の隠れ家、綺麗な色の小石。そのどれもがルーシュにとって秘密の宝物だった。しかし、それらをこの都の中へ持ってきたら、とたん色褪せたがらくたに成り果ててしまうだろう。きっと誰も見むきもしない。つまらないちっぽけな存在になってしまうに違いない。花売り娘が売る花のなんて華やかなことだろう、鮮やかな色で染め抜かれた布の色の美しさ、調教された小鳥の歌声の可憐さ、男や女達の美しい笑い声。それらを眺めながら、しかし、ルーシュは山へ帰りたいと思った。ここで見る物聞く物全てが珍しく自分の興味を引くが、それでもルーシュはあのミズルの山を何よりも愛おしく思った。

 貧乏で侘しくてあばら家で困り果てたあの社が、結局自分の家なのだ。

「まずどこかに宿をとりましょう」

「わかった」

「ご希望の宿はありますか?」

「いや。ユファに任せる。あ、その……あまり気を遣わなくても良いぞ。わたしは雑居房でも平気だから」

 上目使いに彼を見上げて、ぽそりと囁く。あんまり自分に金を掛けるなと暗に伝える少女に、彼は瞳を細めた。

 しばらく歩いて気付いた。石畳の道は、存外歩きにくい。石と石の継ぎ目の部分に爪先が引っかかって転びそうになるのだ。そのたびにユファが腕を伸ばして支えてくれる。ただでさえ人混みに小柄なルーシュは視界を遮られてしまうのだ。

(気分が悪い……)

 人いきれに喉を塞がれる。転ばぬように目を凝らしていれば、視界の隅をちらつく色布に気を取られてしまう。肩や背に誰かがぶつかってくる。目まぐるしい。うるさい。

 ついに、ルーシュは我慢しきれず立ち止まってしまった。頭の奥がぐるぐると回っている。それと同時に、自分の足元も回転しているような気がした。普通にたたずむことさえおぼつかず、ユファの腕に縋り付かなければ座り込んでしまいそうだった。

「大丈夫ですか?」

「ん……。すまぬ」

 青い顔をして俯く少女に、ユファは心配そうにその顔を覗き込んだ。青灰色の瞳が、優しい色に染まっているのを見て、ルーシュは少しだけホッとする。大きな手が、冷や汗の滲んだ額に張り付いた髪の毛を払いのけてくれる。そっと手を引かれ、数歩歩かされた。見ると、大通りを横にずれたどこかの店の軒下へと入っていた。

「少しここで休んでいてください。なにか冷たい飲み物を買ってきます。馴れない人混みに、きっと酔ったのでしょうね」

「すまない。少し休めば大丈夫だから」

 膝を折り自分を見上げてくる青年に、ルーシュは申し訳ない気分で言った。彼は安心させるよう首を振り、微笑んだ。

「どうかよそへとお動きになりませんよう」

 そう言い残して、さっと人混みの中へと歩き出す。砂色の外套が人混みに紛れて見えなくなったのを、ひどく心細い気持ちでルーシュは見送った。彼の手前、無理して歩き続けていたが、足は今にもその場にくずおれそうだった。石壁に背を預けて、吐息を落とす。と、懐の中から華々の声がした。

「大丈夫ですか?」

 彼の姿は悪目立ちすぎるので、声は囁くほど小さかった。心配そうに、尖った頭の先を出す。それを目線だけを下ろして見やり、頷く。

「なんとかな」

「姫さま」

「不安そうな声を出すな」

「でも……」

「やはり、慣れぬ場所では戸惑うことばかりだな。ユファがいてくれて助かった」

「姫さまはそれを運命だと仰るのでしょう?」

「ああ。それ以外にあり得ない」

 こんな出会い方運命以外ありえない。

 ルーシュは確信を込めて頷いた。彼はしばし何かを考え込むように押し黙ってしまう。それから、頭を巡らせ通りを見やった。

「すごい人数ひとかずですね」

「そうだな」

「……みつかるでしょうか?」

 何がとは言わない。

「見付け出すんだ、なんとしても。そのためにわたし達は山を下りたのだろう?」

「そうですね」

「……華やかな都だな」

「僕は山の方が好きです」

 頑なさを窺える言い方に、小さくルーシュは笑う。

「わたしもそうだ」





 どれぐらいそうしていただろう。城門を潜った時は天中近くあった太陽は、しだいに赤味を帯びて西へと傾き始めている。赤黒い影が、石畳の上へ落ちていた。道を行く人の中に、仕事帰りの男達の姿がちらほらと混じり始める。夕餉特有の暖かな匂いが、鼻先を通り抜けてお腹を刺激する。

 ――――いつまで待っても、ユファは戻ってこなかった。

「……遅いですね」

 ぽつりと華々が呟いた。ルーシュは無言で道行く人波を眺めている。その中に砂色の外套がないか目を凝らして捜しているのだ。吐き気はとうに治まっていた。むしろ、待ちくたびれて足が痛み出した。仕方ないので軒下の隅に座り込む。ときおり心配そうに声を掛けてくれる人がいた。巡礼者の恰好をしているせいか、親切にしてくれる人は多い。社まで案内しようと言ってくれても、彼女はすべて断った。

 ユファを待つのだ。

「姫さま……」

 華々は不安そうな掠れ声を出した。

「もしかして騙されたんじゃ……」

「いったいなにを騙すんだ?」

 ルーシュは落ち着いた声でに問い掛けた。

「それは……」

「宿代も食事代もユファが払ってくれた。こんな小娘の巫女を騙してどんな得がある? むしろ、何を騙すと言うんだ?」

「でも、戻って来ないじゃないですか?」

「なにか理由があるのだよ、きっと」

「……でも、ただの親切心だけでそこまで行きずりの相手によくしてくれるというのもおかしな話しじゃないですか? もし姫さまの仰る通りなら、ただの小娘の巫女にどうしてそこまでしてくれるんですか? お金だって馬鹿にならないのに。そうまでする目的が、あるのかもしれないじゃないですか」

 それは、彼と旅を始めてからずっと華々が疑問に思っていたことだった。しかし、ユファに心を移す主にはどうしても言い出し憎いことでもあった。

「……目的なら、あるだろうな」

 ぽつりとルーシュは呟いた。

「姫さま?」

「目的ならあるのだろうさ、ユファにもな。その目的とわたしも目的がたまたま一致したというのも、あるのかもしれない」

 暗に、ユファが親切心だけでルーシュに優しくしているのではないと匂わせる言葉に、驚く。そしてそのことをとっくに主が承知していることも、承知していて一緒にいることにも。

 華々は首を捻り主を顔を見た。彼女は、通り過ぎてゆく人の横顔を眺めているようだった。その表情から、華々が何かを伺い知ることはできない。彼女は目を伏せると、

「わたしは、ユファを信じている」

 強い声に、白蛇は緑色の瞳を大きくした。縦長に尖った瞳孔が、ゆらゆらと揺れながらルーシュを見つめた。ルーシュはあえてその視線を見つめ返そうとはしなかった。硬く唇を引き結ぶ。

 決めたのは彼女だ。その決定権を、覆すことは何人もできない。彼女が、ユファを選んだ。

 ルーシュは幼い少女である。華奢な体に稚い顔立ちをしている。まだ十四にようやっと届いた歳に過ぎない。それでも、ときどきこの幼い主がルーナの聖女であるという事実を、華々は改めて強く自覚し直すのだった。

 聖女は、神職者の中でも最高位の巫女にのみ与えられる称号だ。神々の信仰厚いルーインの国では、聖女と呼ばれる女は王にも等しい敬いと尊びを得る。聖女は厳しい戒律と修行の果てに、誰でもがなれるわけではなかった。もっともよく神々の声を聴くことの出来る、資質ある物でなければ聖女は務まらない。神々に祝福され愛された女にだけ、聖女という称号が与えられるのだ。人が聖女の選ぶのではない。神が人の子の中から自らの言葉を伝えるべき伝達者を選ぶ。それが聖女だ。

 ――――だが、ルーナの聖女はそれだけではない。

 聖女以上に尊く重い意味を、ルーナ女神の名が含んでいる。そして、それを唯一この世界でただ一人、ルーシュが背負っているのだ。

 が、唐突にそのきつい横顔が砕けた。幼さそのままの驚きが顔に浮かび上がり、すくりと立ち上がった。突然すぎたので、危うく華々は懐から転がり落ちそうになった。尻尾の先を引っかけて、かろうじて上半身が飛び出すだけにとどめた。

「姫さま?」

「華々、あれ!」

 と、言い出した主はすでに駆け足の様子で道へと飛び出していた。三回、人にぶつかって謝り、一度石畳に躓いて転び掛け、なんとか通りを渡りきると、先ほどまで自分達がいた店とは向かいの店の軒下へと来ていた。

「見てみろ!」

 大きな声で名前を呼ばれ、華々は目を大きくした。彼女は、店の硝子越しに飾られた商品を見ているのだ。綺麗に磨かれた硝子は曇り一つなく、店主のこだわりを感じる。の向こう側に並べられた棚がよく見えた。朱い布の上に装身具が並んでいた。緻密な細工の美しい腕輪や指輪に、赤や青の宝石が埋め込まれている。

「姫さま?」

「見ろ、あの角っこの指輪の先に着いている宝石。白い石のやつだ」

 こんこんとルーシュが硝子を指先で叩くようにして指した。華々が首を伸ばして指し示された物を見れば、確かに金色の指輪の先に白い石が付いている。朝露のように小さな石は、寒い日に見上げる月のような真っ白い色をしていた。

「きっとあれが真珠だ」

 ルーシュの言葉に、華々はさらに身を乗り出してその石を見た。仕舞いにはごつんと頭の先が硝子にぶつかってしまい、ルーシュが笑い声を上げた。

「初めて見る。美しい石だな」

 「知っているか?」と、ルーシュが囁いた。

「海の中にある貝という生き物の腹の中でのみ出来る石なのだそうだ。貝は、腹の中に入った異物から身を守るために白い分泌物を出す。それが長い時間幾重にも重なって固まることによってああゆう石が出来るのだそうだ。それは、想像を絶する痛みを伴う物らしいが、苦痛の中で生まれたものだからこそ、こんなにも美しいのかもしれんな」

 華奢な輪の先に着いている真珠は、光の加減で濡れそぼっているように見えた。しかし、ルーシュの言葉を聞いた後では、あれは貝が零した涙で濡れているのかもしれないと華々には思えた。かわいそうだと、美しさよりも痛ましさを覚えた。

 硝子窓に額を押しつけて覗き込んでいた自分の頭を、するりと柔らかな指先が撫でた。

「確かにおババが言うとおり、おまえの体は真珠に似ているな。だが、華々の方がよっぽど美しい」

 華々はその言葉に驚いて主を振り仰いだ。主は笑っていた。華々は再びを覗き込んだ。白く艶やかな丸い石は、その形が女神の零した涙のようにも見える。華々は首をふらふらと振った。嬉しい気持ちになって、またルーシュを見上げた。

 華々はルーシュの神使だ。彼女のためだけに自分はこの世界に存在している。生きることも死ぬことも、すべて主のためだけにある。華々にとって、ルーシュは自分のすべてに等しかった。

 ルーシュがユファを好きになったことが、華々にはとても淋しく感じられた。まるで大事な人を取られた気がした。彼は美しい青灰色の瞳をしていた。主よりも背が高く、強く大きな掌をしていた。その手で主の体を支えるのだ。しかし、華々は蛇の体しか持たない。これでは、主の手を引いて人混みの中を歩いてやることはできない。自分の身を不自由だと感じたことはない。しかし、ユファを見ていると人間の体が羨ましいと思った。

 そんな自分勝手な嫉妬心も、ルーシュの一言で胸の中で泡のように弾けて消えてしまった。

「姫さまには、あそこにある朱い石の首飾りが似合うでしょうね」

 華々は弾む声で、こつんこつんと頭の先で硝子を叩き、棚に並んでいるいくつかの装飾品の中から一番美しい色の石を付けた首飾りを指した。

「なんという石でしょうか?」

「さあ? なんだろう。血のように赤いが、嫌な感じはしない色だな」

「綺麗ですね」

「あれは紅玉と言うんだ」

 横合いから声を掛けられて、華々もルーシュも飛び上がるほどびっくりした。黒い口ひげを生やした男が、いつのまにか真横に立っている。男は太い指先で、棚を指差した。

「特に血のように朱い紅玉を、鳩の血と呼ぶ。身に付けていれば不幸や病気から身を守る力があるという話しだ」

 男はそう説明すると、ルーシュを見た。

「かわいいお嬢ちゃんには、ぴったりの石だ。しかし、ちとあの指輪は若い子には地味すぎるが、買うかい?」

 どうやら店の主人らしい。ルーシュは慌てて首を振った。つられた華々まで首を振ってしまう。

「いや、眺めていただけだ」

 あんな美しい石を買えるほどの金など持ち合わせているわけがない。

「その……綺麗な石を見るのは初めてなんだ」

 おずおずとルーシュは言った。

「もう少しここで眺めていても店の邪魔にはならないだろうか?」

 男は肩を竦める。

「眺めるだけはタダだからな。お嬢ちゃんみたいな別嬪な娘さんが立っていてくれると、良い客引きになる」

 ルーシュはホッとして笑った。

「ありがとう」

「お嬢ちゃんは巡礼者なのかい?」

「そうだ」

 男の視線がルーシュの肩から下げている襷の色を見やり、軽く驚きに見開かれる。そして、ふとルーシュの懐から顔を出している華々を見た。「ほう」と吐息を、髭の奥から零した。華々は男にまじまじと見つめられ、身を竦ませた。慌ててルーシュの懐の中へ身を隠す。

「珍しい、愛玩動物ペットを持っているんだな」

 ペットと言われて華々はルーシュの懐の内側でムッとした。外見は蛇でも華々は神の眷族であり、普通の人間にたやすく軽んじられて良い存在ではない。

 が、男は気付かない。

 神使は、主の迷惑にならぬようにと地上に降りれば獣の姿を象ることが多い。華々も姿は白蛇だが、本性は別だ。もっとも、普通は神使と獣とを見分けられる人間は少ない。

 ルーシュの方もすぐに訂正を入れようと口を開くが、

「いや、これは―――――」

「白蛇とは珍しい」

 男はこちらの言葉など聞いていないように身を乗り出して華々を見た。

「美しい鱗だ。こうゆうのは好事家に高値で売れるんだ。死んでも、体は剥製にして鑑賞できるしな」

 独り言のように男は呟くと、おもむろにルーシュの方に顔を向ける。揉み手をして幼い少女に詰め寄る。

「どうだいお嬢ちゃん、その蛇を俺に売っちゃあくれないかい? 言い値で買い取るからさ」

「言い値?」

 ぴくんと主が反応したのが、華々に伝わった。さああっと血の気が下がる。主が金に困っているのは知っていたが、まさか自分を売り飛ばしたりはしないだろうなと思いながらも、不安を覚えて、そろそろと懐から顔を出せば、幼い少女は顔を伏せて顎を指で挟みながら考え込んでいる。その傍らで男が、次々に値段を良いながら、値をつり上げていた。このままでは、本気で売られるかもしれないと華々は思った。この幼い主は、ときどきそうゆう突飛なことをしてくることがあるのだ。

 神使は主の側にあってこそ意味のある存在であるというのに、それをルーシュから引き離されてはたまったものではない。

 というか先ほどの感動がまだ消えてもいないのに!

 華々は男へ向かって紅い舌を出して、威嚇した。

 神の眷族を売買しようなど、罰当たりにもほどがある。

 その気配に気付いたのか、ルーシュが苦笑する。ぽんと華々の頭を掌で包み込んだ。

「悪いが、こいつは売り物ではないんだ」

「おいおい、それはないだろう? 高値で売れるんだがね。あんたがさっき見ていた紅玉の指輪も付けるぞ」

 男の声が大きくなった。

 (高値!)と華々は心の中で叫ぶ。神の眷族に値段を付けるなど、無礼にも過ぎる。しかし、反面主の反応が怖い。高値と言われて、もしかして――――――。

「どんなに金を積まれても、こいつを売るわけにはゆかない。代えの利かぬものだし、これは天から賜った大切なものなのだ」

 大切という言葉に、華々の胸がじんと痺れた。そんな言葉を主の口から聞けるとはおもっていなかった。顔を見たくなって頭を動かせば、ルーシュの両手で頭を塞がれているせいで何も見えない。指の隙間から白い光が零れているぐらいだ。

 その後、なおも言い募ってくる男をルーシュは頑と拒否し続け、ようやっと男は渋々と諦めてくれた。ぶつぶつと名残惜しげにルーシュを見つめながら、店の中へと戻っていく。その視線に苦笑しながら、ようやっと彼女は華々の顔を覆っていた掌をどけてやる。突然大きな光量に襲われて、華々は緑色の瞳を瞬かせた。一番最初に見えたのは、主の顔の輪郭を縁取る夕日の影だった。

 主は赤い影を纏い付かせたまま俯き、華々を見て笑った。

「危機一髪だったな」

「まったくですよぅ! 姫さま、一瞬ぐらりと誘惑されかかってたでしょう!」

 今度は己のから恨めしげな視線で見上げられ、彼女の苦笑が深くなる。右頬に「図星」の二文字が浮かんでいるのが華々には見えた気がした。ルーシュは「さてなんのことやら」と呟き明後日の方向に視線を揺らせながら、再びユファとの待ち合わせ場所の店へと戻ろうと足を踏み出した。


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