表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/24

プロローグ

 ルーインの国の西方、ミズル山は神山・霊峰として国が管理する地籍に記載され、その地に所属する、ないしは町村が管理しているはずの、神職者以外の立ち入りを硬く不許可する聖地であったが、それを知る人間はたぶんほとんどいないだろう。

 一見すればこんもりとした山菜取りに適したような低山で、霊峰と言うほどの厳かさも険しさもない。樹木の緑は人なつこく、さえずる小鳥や獣達の声も親しげだ。実際村人がよく木の実や薬草を摘みに分け入ってくる。もっとも村人にも分別はあるので、山の奥地にまでは踏み込まない。

 ミズル山が何を由来に祀っているのかは、実のところ不明であった。神名帳には、ちょう祭神の名の部分だけぽっかりと破り切れてしまっている。古い紙であったので故意であったのかどうかを判断することはできなくなってしまっていた。ただ、確かに山の奥には古く寂れた社があり神が祀られているのである。特筆すべき特徴もない山を、国が目を掛けるはずもなくミズル山は地元の村人だけの細々とした信仰だけを頼りに長い年月続いてきた。



 闇深い深夜の出来事だった。折り重なる枝葉の向こう側に、のんびりと空に漂う月が見える。白い月光に照らされた黒ずくめのいかにも怪しげな衣服を身に纏った男が四人、下葉を掻き分けるようにして山の奥へ奥へと突き進んでゆく。歩くときに金属が擦れ合う密やかな音がするのは、彼らが武器を携帯しているからだ。ときおりその音に怯えたように小さな獣達が繁みから木繁みへと駆け抜けていった。

 男達が目指すは山頂の社だ。

 それは、小さな湧き泉の傍らにひっそりとたたずんでいた。古い時代の物らしく風雨に黒ずんで傷んだ木造の楼門と、その奥にある拝殿が見える。扉はぴっちりと閉ざされ、参拝者が途絶えて久しいことを物語っていた。どうみてもボロ社であるが、男達の首領であるイーシャンはこの社に長い間探し求めていた神宝があるという情報を掴んでやってきたのだった。それは確かな筋の情報であり、信憑性があった。その為に腕の立つ仲間を三人伴ってやってきたのだが、山の中は拍子抜けするほど穏やかで、聖地と呼ぶにはあまりに相応しくない。


 結界の気配も、神前守護の霊獣の姿も見あたらない。


 イーシャンは顔を覆っていた布を首に下ろして、改めて拝殿を見た。

「確かにここにあるはずなんだ」

 そう聞き及んでいる。

 この世に至宝、神宝は星の数ほどある。ルーインの国は巨大な宗教国でもあるのだ。奇跡の種は掃いて捨てるほど存在した。むしろ神々に所以のない地などない。国民の三割が神職者である。が、果たしてそれらすべてに奇跡の力があるのかというと、一概には肯定できず、むしろ大半が過去の神話を元にした後生の作り話であることの方が多い。

 しかし、このミズルの山にある神宝は、神の与えたもうた真実の奇跡のはずなのだ。

 男達は辺りを見回した。拝殿から少し離れた脇に小さな建物があるがある。社務所というよりは掘っ建て小屋のようだ。

 ――――人が暮らしているのだろうか。

 イーシャンは瞳を細め、闇の中に浮かぶ小屋を眺める。社殿には普通神職者が詰めている。通常であれば巫女が。もしくは神官がいるはずなのだ。が、この様子ではとうてい人の暮らせるような場所には見えないし、部下が麓の村で集めた情報によると山を下りてくる者がいたためしはないという。

 捨てられた神の庭ということだろう。

 それでも、神域を犯す罪悪感にか、足音と息を押し殺しイーシャンは部下を伴って拝殿を回り込み、その奥にある神殿へと向かった。神殿は拝殿よりも一回りは小さく胸丈の瑞垣に囲まれている。この奥に神宝が祀られているはずなのだ。

 塗装の剥げた赤い扉を押し上げると、中は明るかった。月の光が格子窓から射し込んでくるせいだろう。思いのほか埃や傷みの少ない板敷きの間に、きちんと整えられた調度品の影が見える。部屋の奥は御簾が落とされていた。神宝は、きっとその奥に安置されているのだ。そう思うと、社のおんぼろさもそれらしい雰囲気に見えてくる。百年、存在を消し続けてきた奇跡に、むしろ似つかわしい場所のような気がしてくる。

 イーシャンの喉が、ごくりと鳴った。

 長いこと探し求めていた、神の奇跡をこの手にする瞬間。

 イーシャンは仲間を入り口の辺りで待つよう指示を出し、自分だけが神殿の奥へと踏み込んだ。ぎしりぎしりと床がうるさく軋んだ。御簾は近くで見ればあちこち破れ目が目立つ。その奥は黒い影が広がり、確かに存在しているはずの神宝の気配は感じなかった。

「確かにここにあるはずなんだ」

 それが、いったいどんな形をしているのかを、実は彼も知らなかった。なぜなら、それは時代時代ですべて違う形を持ち、持ち主の間を点々としてきた物だからだ。ある時は大刀だったというし、ある時は槍であり、またある時は弓であったともいうが、そのどれもに一騎当千の力を持ち、持ち主を確実に覇者へと導いた。故に名を『破軍はぐん』と言う。神が打ちおろした万別の姿を持ち魔力を秘めた武器は、つねに歴史の表舞台にあるわけではなかった。今から百年ほど前を境にぴたりと行方の途絶えた破軍を求めて、イーシャンがようやっと行き着いたのがこのミズル山なのである。

 イーシャンは御簾に手を伸ばした。


「やめろ」


 その声は、御簾の内側から響いた。ひくりと、驚きにイーシャンの喉が鳴る。後方で仲間達が武器を構える気配が伝わった。

「いますぐ社を出て山を下りるというのなら、おまえらの無礼も目を瞑って寛容な心で許してやろう、下郎どもめ。されど、これ以上の非礼は許さぬ。神の罰が下ると思え」

 居丈だかな物言いは、女の声だった。いや、女と言うには甲高すぎる。艶もない。むしろずっと幼い少女のものだ。イーシャンは、この声は神の声だろうかと考えた。破軍に宿る精の声ではなかろうか。指は御簾に触れる寸前で押し止まる。

「見ての通りのあばら屋だ。ここにおまえらを満たす益などあろうはずがない」

 なおも声が言う。イーシャンは背を振り返り仲間を見た。彼らも、どこか戸惑ったような怯えたような目をしていた。声の主の正体を掴み兼ねているのだ。

 イーシャンは考えた。この声は、人間の娘の声に聞こえる。果たして、自分が考えているとおり破軍の精であるのか。あの神宝は持ち主をみずから選ぶという。神の武器なら意志を持ち声を紡いだとしてもおかしくはないだろう。だが、それにしては人間味のある言葉だとも思う。

「俺達は下郎などではない」

 イーシャンは試しに言葉を投げかけてみた。

「ではなぜこのような刻限に神の部屋へと土足で踏み込んでくるか? 参詣のつもりであるなら礼儀を弁えよ」

 しゃらりと音がした。イーシャンは瞳を細める。それは、確かに衣擦れの音だった。

 この向こう側に人がいるのだ。

 意を決して御簾を大きく捲り上げた。「あっ!」という甲高い声。

 御簾の向こう側は、小さな寝台が置かれておりそこに寝そべるようにして半身を起こした少女がイーシャンを見上げている。年の頃は十四ほどだろうか。純白の長衣を身に纏い、長い黒髪を背中に落とし毛先が布の上を滑っているた。薄桃色の柔らかそうな小さな頬に、暖かそうな肌。それは、生きた人間の娘の物だった。

 やはりこの娘は破軍の精ではい。

 真っ白な長衣は腰に房の大きく長い濃紫の帯が結ばれ、帯の縁には金糸で竜の刺繍が施されている。長衣の襟や裾から覗くのも紫の下衣だった。扇のように広い袖口は、縁の部分に細い紫の組み紐が飾られている。それは巫女の装束だった。この娘はこの社に仕えている巫女なのだ。

「無礼者!」

 闇夜でもわかるほど、少女は顔を赤く染めて胸元を掻きあわせている。先ほどまで眠っていたのだろう、乱れた黒髪が頬に掛かっていた。美しいと言うよりは愛らしい顔立ちをした少女だった。特に生意気そうで我が儘な子猫を思わせる瞳は、先ほどまで自分達へ向けられた居丈だかな物言いをそのまま物語っている。

 イーシャンは、内心で失望半分安堵半分の溜息を落とした。

「なんだ、まだガキじゃないか」

 ずかずかと御簾を跳ね上げ少女に近づけば、彼女は睨み付けてきた。

「私はガキではない! この社の巫女だ! 無礼者!」

「巫女ねぇ」

 イーシャンは顎を撫でる。巫女と名乗った少女はさらに言葉を続けた。

「ほ、ほんらいたとえ相手が巫女だろうがなかろうが真夜中に乙女の寝所に押し入ってくるなど、下郎の無礼者以外に誰がいる。早く出ていけ」

「別にてめぇに手を出そうとは思ってねぇよ。そもそも俺たちはガキは相手にしない主義だ」

 少女が何か勘違いしているようで、釘を刺す。彼女は真っ赤に染まった顔で、きょろきょろと辺りを見回し、イーシャンの背後にいた仲間に目を止めた。

「まさか生娘一人に複数で相手をさせようというのではないだろうな?」

 低い声で呟く。イーシャンはあきれて眉を潜めた。この小娘はいったいなんの心配をしているのだろうか、と。が、しかし、突然寝込みを複数の男に狙われたなら、その思考も普通かもしれない。イーシャンは改めて少女を眺めた。

 黒髪は滑るように肩を流れ落ち、床に広がっている。細い月明かりながら艶はあるようだ。肌も健康そうな桃色をしている。瞳は釣り目気味の漆黒。小さな鼻に小さな唇。確かに愛らしい。しかし、そこまでだ。男が寝所に潜り込みたくなるような色気も凹凸もない身体は、まずイーシャンの好みではなかった。

「ここが神殿だとわかっているのか?」

 少女が押し殺した声で言った。声はかすかの震えも怯えもなく、はっきりと強い。

 神殿は、神の借宿だ。天へおわす神々は、地上へお下りになるときに鎮まります場所だ。本来、神職者の中でも高位の者以外は、おいそれと神殿へ踏み込むことは許されていない。

 もちろんイーシャンは禁忌を犯す覚悟を最初からしていた。いまさらこんな小娘に言われたぐらいで怖じ気づいたりはしない。むしろ、この娘が神の鎮まります場所で眠っている方が気になる。

「不遜ってんならこんなところで眠ってる方が無礼じゃねぇのかい? 大方夜露を凌ぐにはここしかなかったというところか?」

 拝殿や社務所はどう見ても朽ちかけていて人が生活出来る場所ではなかった。悔しげに少女が唇を噛み締めた。イーシャンはははっと笑う。

「図星か」

「違う!」

「言い訳はいい。俺じゃなく神に言え。それより小娘、俺はてめぇみたいなガキに用はねぇんだよ、むしろこの社に祀ってある神宝の方に用がある」

 少女の背中越しに覗き込めばそこには確かに祭壇があった。しかし、捧げるべき供物も神具も見あたらず、空の祭壇に赤い布だけが敷かれてあった。神宝である破軍は、そこに祀られているはずなのだ。

 少女は訝しげにイーシャンを見上げた。イーシャンは腰の剣に手を掛け、少女の眼前突き付ける。

「ここにルーナの神宝、破軍があるのは知ってるんだ。どこに安置してある?」

 少女が小さく息を吸い込む。忌々しげにイーシャンを睨め上げた。

「下郎ではないと言うくせに、やろうとしていることは下郎以下だな、この夜盗が」

「この打ち捨てられた掘っ建て小屋のような社の、詣でる者もいない場所を神域と呼ぶ方がおこがましいだろう?」

「奢るなよ、人間。神は人のためにあるのではないぞ」

 彼女は鋭く切り返した。その言葉は、確かに神に仕える巫女の威厳に満ちていた。イーシャンは軽く目を瞠って娘を見返した。あばら屋の社に仕える巫女と侮るものではないのかもしれない。どんなに幼く見えようと、神に仕え神意の託宣を受け、神をその身に下ろすのが巫女なのだ。

 が、所詮大人の男と剣の前では無力な娘であることには変わりはなかった。イーシャンは剣の切っ先を少女の喉元に突き付けた。

「巫女とて命は惜しいだろう? 死んじまえば神に仕えることもできねぇよな? それとも天にある神の社に仕える天女になるかい?」

 唇をくつろげて、笑う。

「破軍はどこだ?」

 銀色の光が、格子窓の隙間から差し込んで魚の鱗のようにぬらりと刃先を瞬かせる。少女の細い喉は、イーシャンが気合いと共に腕を振れば、あっという間に断ち切れてしまうだろう。覗き込んだ少女の瞳の奥に、夜盗に屈服しなければならない屈辱感が滲んでいた。ここで怯えて泣き喚かないだけ、この娘は強かった。それもまた、神に仕えるものの矜持なのかもしれない。しかし神を捨てて久しいイーシャンにはわからない。

 このまま強情を張れば、力に物を言わせることはいくらでもできた。しかし、イーシャンは女を傷付けたくはないとも思っていた。ましてや幼い巫女ならなおのこと。出来るだけ言葉や剣の脅して言うことを聞いて欲しい。夜盗なんて因果家業をしていても、人としての分別ぐらいは持ち合わせていたいと思う。神を捨てれば畜生界に墜ちると言うが、イーシャンは人間だ。女や子どもを無意味に殺すような非道な真似は可能な限りしたくはなかった。

 しばらくして、少女は小さく頭を振ると、立ち上がって寝台を降りた。

 長い裾から覗く細い足が地面を踏みしめる。瞳を細めて見つめていると少女が気付いて嫌そうに足を引っ込めた。小娘めといえど仮にも女なのだろう、足をまじまじと眺められて良い気はしないのかもしれない。並んで立って始めて思い知らされたが、少女の背はイーシャンの胸にようやっと届くほどの華奢さなのだ。彼女はひたとイーシャンを見上げた。

 それは、世界のすべてを飲み込んでしまいそうに暗く深い瞳だった。

 神の瞳かとイーシャンは心の中で呟く。神を身に下ろすという巫女は、半分は神の側の領域にあるという。

「おまえは、あの剣がどうゆう謂われがあるものなのか知っているのか?」

「それなりにはな。じゃなきゃ、こんな辺鄙な無名の山奥までやってきたりはしねぇよ」

「そうか。では、このことも覚えておくがいい。欲を出しすぎて不相応な物に手を出せば、報いは必ず己の身に降りかかるだろう」

「へぇ。それは神託か?」

「いいや。おまえの浅はかな未来のことだ」

 彼女はくるりと背を向けた。

「こちらだ。着いてくるがいい」

 イーシャンはついに奇跡を手中に収める時が来たのだと知った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ