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目の前には、純白の衣服に身を包み、背中から伸びる大きな白翼を広げた女性が立っている。
「人の子よ、そなたに神の加護を授けよう」
透き通るような美しい声音で、彼女は語りかけてきた。
マリンブルーの大きな瞳は、僕を真っ直ぐ捉えている。
僕は声を出すことができず、ただ地に膝をつき、首を垂れる。
瞬間、眩い光が視界を白く染め上げ、思わず目を瞑った。
次に目を開けると、見慣れた自室の天井が映し出され、背中には、柔らかなベッドの感触があった。
「綺麗な人だったな……」呟きながら、夢の内容を思い出す。
いや、そんなことを言っている場合ではない。
これは女神様からの天啓だ。
弾かれるようにベッドから飛び起き、どたどたと慌ただしく階段を駆け下りる。
「姉さん!」
「おはようノア、朝から慌ててどうしたの?」
テーブルに二人分の朝食を並べていた姉は、訝しがるような表情を向けてきた。
「夢を見たんだ」
「夢?」
「女神様から加護を授かる夢を見た」
「え、本当に?」
「本当に」
「本当の本当……?」
「本当の本当だよ」
何度も真偽を確認する姉は、固まったように動かなくなり、声をかけようと近づいたところで、僕の体は姉の元へぐっと引き寄せられる。
姉は喜びを爆発させ、僕の体を思いきり抱き寄せたのだ。
「良かったじゃない!」
「く、苦しいよ」
神の加護。それは人間の能力を、飛躍的に向上させる力を持つ。
加護を授かる機会は人間に平等に与えられ、八歳から十歳の間に天啓を受ける。
しかし、夢に出てきた女神様は怠けていたのか、僕は十二歳になってようやく天啓を受けることができた。
正直、僕は神に見放されたのかと思っていた。きっと姉も不安だったに違いない。
文句の一つも言ってやりたかったが、夢の中では声が出せず、僕の意思に関係なく首を垂れていた。
「それで、朝食を食べたら教会に連れていって欲しいんだ」
教会には、どのような加護を与えられたか確認するための魔道具が設置されている。
その魔道具を使用したい。
「もちろんいいよ、すぐ支度するね」
朝食を食べ終えた後、身支度をし、姉と二人で教会へと向かう。
今日は休日だからか、外は多くの人で賑わっていた。
人混みに飲まれないよう、姉は僕の手を強く握り、先頭を歩いてくれている。
教会は王都の中心地に近い場所にあり、近づくにつれて、行き交う人々も増えていく。
「ノアは、どんな加護だったら嬉しい?」姉が、何気なしに話題を振ってきた。
「うーん、武術系の加護だと嬉しいな。僕は生まれつき魔力が少ないし、魔術なんてうまく扱えた試しがない。魔術系の加護を授かっていたとしても、宝の持ち腐れだよ」
武術も得意な方ではないが、魔術よりはまだ扱える。
「そっか。まあ、魔術系の加護だったとしても、私がちゃんと魔術を叩き込んであげるから、ノアは心配しなくていいよ」
「う、うん」
姉は一等級魔術師であり、若くして魔術師たちの頂点に登り詰めるほどの腕前を持っている。
その腕前は王族にも認められ、今は王族専属の魔術講師として、王都で働いている。
どうして姉と弟でこうも差が出てしまったのか。僕の魔術センスは生まれる前に、全て姉に吸収されてしまったのかと疑いたくなる。
しばらく歩いていると、目の前に白を基調とした建物が見えてきた。
建物の天辺には、十字架が立っている。
「着いたね」
大きな扉を開き、姉に手を引かれたまま、教会の中へ足を踏み入れる。
「本日はどのようなご用件でしょうか」中に入ると、法衣を着た男性が話しかけてきた。
「私の弟が今日天啓を受けたの。それで、ここの魔道具を使わせて欲しいんだけど」
「それはそれは、おめでとうございます。では、魔道具の場所までご案内します」
僕と姉は、男性の後ろをついていく。
連れて行かれた先は、礼拝堂だった。広々とした空間に、長椅子がいくつも設置されている。一番奥には祭壇があり、祭壇の前に、二、三組の人の列ができていた。
男性は、列の一番後ろに僕たちを誘導する。
「では順番がくるまで、しばらくお待ちください」男性は小声で話し終えると、軽く会釈し、その場から離れていった。
礼拝している人達の邪魔にならないよう、自分の番が来るのを静かに待つ。
そこで、前に並ぶ三人組の話し声が聞こえてきた。小声ではあるが、すぐ後ろの僕には聞こえるほどの声量だ。
僕より少し背の低い男の子と、両隣には三十代ぐらいの男女が並んで立っている。きっと親子なのだろう。
どんな加護か楽しみねと、女性は子供に語りかけ、俺の息子だぞ、きっとすごい加護に違いないと、男性は笑いながら言葉を返す。
何気ない親子の会話に、僕の心の底に仕舞い込んだ感情が、無理やり引っ張り出されそうになる。
僕の両親が生きていたら、きっと同じような会話をしてくれたのだろうかと、叶いもしない空想をしてしまう。
親子の姿を視界から遠ざけるように、下を向き、つま先をぼんやりと眺める。
「帰ったらお祝いだね」姉が隣で囁いた。
突然の言葉に顔を上げ、姉を見る。微笑む姉と、目が合った。
姉は僕の心を見透かしているのかと、苦笑してしまう。
「……うん、楽しみにしてる」
姉の言葉は、乾いた心に水を与えるようにすっと染み込んでいく。
優しい姉がいる。それだけで、家族の幸せは十分に感じられる。
僕は再び前を向き、ほどなくして、順番が回ってきた。
祭壇には、紫色の水晶の形をした魔道具が置かれており、僕はそれに近づく。
「水晶に手を置いて、魔力を流し込むの」姉は静かな口調で、使い方を教えてくれた。
言われた通り、水晶に手を置く。
僕は魔力が少ないため、魔力欠乏で倒れないよう注意しながら、ゆっくりと魔力を流し込んでいく。
礼拝堂の中は涼しかったが、額に汗がにじむ。
少しして、水晶が淡い光を持ち始めた。僕の魔力に反応している証拠だ。
さらに、魔力を流し続ける。
「強化の加護……?」頭の中に突然、そんな言葉が浮かんだ。
「もう、手を放して大丈夫」
僕は魔力の供給を断ち切り、水晶から手を放す。
「強化系の魔術に作用する加護ね」
「魔術系の加護ってことか……」
「邪魔になるといけないし、ひとまずここを出ようか」姉に言われ、元来た道を戻っていく。
加護を手に入れ安心した半面、魔術系の加護であることが分かり、複雑な気分になった。
姉に手を引かれるがまま歩き続け、気づけば家路についていた。
「大丈夫?」姉は心配そうに、僕の顔を覗き込む。
「うん。ただ、うまく強化の加護を扱える自信がない」
学校では攻撃力強化と防御力強化の魔術しか教わっていないし、あまり強い魔術でもないため、今まで練習もしてこなかった。
「大丈夫、ノアならできるよ。それに、私もついてるし」姉は胸を張り、はにかんで見せた。
「ありがとう」僕を元気付けようとしてくれる姉に、素直に感謝の言葉を口にする。
「それに、ノアは強化魔法と相性が悪いわけではないと思う」
「どういうこと?」
「ノアは生まれつき魔力が少ないけれど、数ある魔術の中で、強化系の魔術は使用する魔力量が極端に少ないの。さらに強化の加護があれば、消費魔力をほぼゼロに抑えられるだろうし、効果も飛躍的に向上すると思う」
「なるほど……」
加護を授けてくれた女神様は、僕のことをそこまで考えてくれていたのかもしれない。天啓を受ける機会が遅かったのも、考えに考え抜いた結果かも。
考えすぎかもしれないが、もしそうだとすると怠け者扱いしてしまったことは少し反省しなければならない。
「では、可愛い弟の記念すべき日を祝して、昼食は少し豪華にしようかな。何がリクエストはある?」
「姉さんの作るオムライスかな」僕は即答する。
姉の作るオムライスは、卵がトロトロでふわふわなのだ。想像しただけでよだれが出てしまうくらいに美味しい。
「全然豪華じゃないけど……本当にオムライスでいいの?」
「オムライスがいい」
「そっか。それならすぐ作れるから、待ってて」
姉がオムライスを作ってくれている間に、僕は家の裏庭へ移動する。
強化魔術がどのくらい向上したのか、確かめるためだ。