第3話 F県S市①
土曜日は見事な晴れだった。
「いい?天羽さんのご家族に会ったら、母がくれぐれもよろしく言っていたって伝えて頂戴ね」
「分かったよ」
「あんた、欲に目がくらんで天羽さんとか葛西さんに馬鹿な事すんじゃないよ」
「しっ、しねーし!!」
そんな事する度胸があったら、年齢=彼女いない歴になってないよ!
俺は家族の過剰なまでの好奇の眼差しを振り払い、朝早く家を出た。
友達(?)とどこかに泊まりに行くなんて初めての事で、ドキドキを通り越して緊張の冷や汗を流しながら駅に着くと、花さんと天羽さんはもう着いていて、花さんが改札口の横で俺を見つけて手を振ってきた。
「お、おはようございます…」
女子二人が相手だと、挨拶するだけでも緊張してしまう。
「おはようございます」
「おはよう寛君!」
花さんは薄黄色の上着に水色の短パン?ハーフパンツ?を穿いていて、裾から伸びる素足が眩しい。頭には麦わら帽子みたいなつばの広い薄茶色の帽子を被っていて、素朴な雰囲気ととても良くマッチしていた。
背景に向日葵とか描いたらめっちゃ似合いそうだよなぁ…。
「リョータは……」
「今グループメールで連絡したところですの。もう少しで着くそうですわ」
「あ……」
スマホの画面を見ると、この日の為に交換しておいたSNSのアドレスに天羽さんとリョータからの通知がきていた。
しばらくしてリョータがやってきた。待ち合わせ時刻の5分遅れ。
「おーっす!間に合った?」
「5分遅刻ですわよ」
「5分なら間に合った方に入る!セーフ!」
アウトだよ。
「ふふ、こんな事もあろうかと早めに設定しておきましたの。さ、行きましょう」
流石、抜け目がない。
天羽さんが手配してくれた新幹線の席は「Gクラス」という特別な席で、専属の添乗員さんが付き、食事は和食と洋食から選べ、ドリンクは飲み放題、全席足元まで持ち上がる白銀色の電動リクライニングシートに個別のライトが付き、トイレの壁は光る蝶が浮かび上がる和柄!という何だかもう豪華すぎてなんだかクラクラするようなものだった。
「俺新幹線に住みて~~!」
スカーフを首に巻いた添乗員さんが一人一人に挨拶をして見送ってくれる新幹線を降りながら、リョータが言った。
新幹線から降りたF県は想像していたより暑くて、
「F県とかI県は夏はフェーン現象で暑くなる」
教師が授業中にそんな事を言っていたのを思い出した。
「新幹線俺んちより断然豪華」
「俺もあんな車両初めて乗った……」
ボストンバッグを担ぎながら駅の構内を歩いていると、リョータがツンツンと肘で突いてきた。
「天羽の私服姿マジヤベーよな。500メートル先からでも美人だって分かるぜ」
お前は鷹か?
いや、そもそも500メートルも離れてない。キャリーケースを引いた花さんと天羽さんが歩いているのは俺たちの3メートルくらい前で、天羽さんの穿いている白のロングスカートが歩みに合わせて揺れているのが視力0.3の俺でもはっきり見える距離だ。
俺が曖昧に笑って誤魔化していると、リョータがズイッと俺の顔を覗き込んできた。
「お前まさかとは思うけどよ……」
「……?」
「天羽を好きじゃねぇ、とか……言わねーよな?」
「っ!」
核心を突かれてギクリとする。
「そ、そんな、こと、は……」
「だよなっ!!なんか反応ワリーからまさかと思ったけどよ!あのパーフェクト美人を好きじゃねとか、頭おかしーもんな!」
グサッ
「それにオメー美術部だもんな!綺麗なもん好きじゃなかったら綺麗な絵とか描けねーもんな!」
グサグサッ
言葉のナイフがコンボを繋いで胸に突き刺される。
「お、俺、は……」
花さんの方が可愛いと思う。
たった一言なのに、その言葉を言うのが怖い。
茶化されそうだし、馬鹿にされそうだし否定されそうだ。
「天羽によぉ、絵のモデルとか頼めばいーんじゃね?」
「え……?」
「天羽描いたら大会とかシードで優勝だろ!」
「……」
シードで優勝とか美術の世界にはないのだけれど、俺はリョータの言葉が頭に引っかかった。
「美術部ってヌードデッサンとかやるってマジ?」
「い、いや、そーゆーのは、高校ではあんまりやらないかな……」
リョータの言葉に相槌を打ちながら、俺は楽しそうに花さんと喋りながら前を歩く天羽さんを見た。
すれ違う人々が天羽さんを見て何かを囁いたり、興奮したような眼差しで見ている。
「……」
もし、自分が天羽さんを綺麗だと思わなくても、彼女の「綺麗」なところが描けたなら。
例えば目と鼻の位置だとか、肌と髪色の彩度のバランスだとか!「こういうのが綺麗」という具体的な何かが分かれば!一般的に綺麗だと言われるものに共感は出来なくても、描く事は出来るようになるのではないだろうか!
その知識を使って花さんを描けば、パーフェクトに可愛い花さんが描けるのでは…!!!!
何か急に光が見えた気がした。
天羽さんは怖いけれど……。
折角3日間も一緒にいるんだ。この間、天羽さんのどこが綺麗なのか、観察してみることにしよう。
「F県は、南は山地が多く、県全体の林野面積の7割が南部に集中しています。北部は丘陵地と平野部が多く、南は林業、北は農業が盛んです。主な農産物は1位が米で、次いでサツマイモ、西瓜――……」
一面の緑が広がる西瓜畑の中で、斎賀さんが手配してくれた男性のガイドさんが話す内容を私はメモ帳に記録しました。
「S市の主な野菜は西瓜で、この畑はあのビニールハウスの手前まで全て西瓜です」
「ええ~!」
花ちゃんが驚いたように歓声を上げました。
「どれくらい取れるんですか?」
その質問に髪の短い精悍な顔つきの中年の男性はニコリと笑うと答えました。
「この畑で1000個~1200個ほどですね」
「うおっマジかよ!」
「今はまだ実が小さいですが、来月になれば収穫が始まりますよ」
「西瓜が1000個かぁ~!想像するだけですごいねぇ真優ちゃん」
「収穫する時期に来れなかったのが残念ですわね」
「西瓜は無理ですが、今ならミニトマトが収穫できますよ。やってみますか?」
「わぁ!やりたいです!」
「楽しそうですわね」
「ミニトマトはヘタが取れては商品価値が下がるんですよ」
「それ意外とムズクね?」
「わ~!黄色!紫っぽいのもある~!」
「まあ!虎柄みたいのもありますのね」
「それはブラッディタイガーという品種ですよ」
「色んな色があって可愛いねぇ」
移動したビニールハウスの中で頬を赤くして笑う花ちゃんを見て、
ト マ ト よ り 花 ち ゃ ん の ほ う が 1 0 0 万 倍 可 愛 い で す わ
と思いながら、籠にミニトマトをぷつぷちともいで入れていた時ですの。
「……?」
ふと、強い視線を感じました。
「?」
視線の先を追ってみると、私をじいっと見ている寛君と目が合いました。
「っ!!」
私と目が合うと、寛君は慌てたように目を逸らしました。
あらあら……これはもしかして……
もう、「クリア済み」にチェックを入れて良いやつなんですの?
アプローチらしいアプローチはまだ何もしていないのですけれど呆気なさ過ぎて、逆に驚いてしまいますわ。
「寛君、あなた……」
「な、なにかな!?天羽さん」
確認の為、少し様子を見ようと話しかけた時ですの。
「キャーーーー!!」
奥の方から花ちゃんの叫び声が聞こえました。
「っ!?」
50メートル走6.9秒の超本気ダッシュで駆けつけますと、花ちゃんが青い顔でハウスのビニールに貼りついていました。
「どうしましたの!?」
その顔は青ざめていて、明らかに何かに脅えています。
「へび!へび~!」
蛇!?
花ちゃんが指差す方向を見れば、トマトの茎に紛れて見分けがつきにくいのですが、葉と葉の間に黒と鼠色の中間のような色をした蛇が、にゅっと頭を擡げています。
「っ!!」
それを見て私は背筋がぞくりとしました。
私も蛇は大の苦手ですの!!!!
あのぬるつくような動きと、濡れてもいないのに濡れてるようにテラテラと光に反射する体のおぞましさと言ったら!!
蛇は威嚇するように、花ちゃんに向かって舌をピロピロと動かしています。気持ち悪い!!!一刻も早くここから逃げ出したいですわ!でも、でも…!
私はごくりと唾を飲み込んでから、足元に置いてあったトマトの支柱と思われる緑色の棒を掴みましたわ。
「蛇さん!こっちですわよ!」
「あ、危ないから!近寄ってはだめですよ!」
「来るならこっちにいらっしゃい!!」
ガイドさんの声を無視し、緑の棒を両手で握って蛇に向かって突き出した時ですの。
ヒョイ
と1本の腕が、花ちゃんに向かっていた蛇の頭を後ろからむんずと捕らえました。
「!?」
「きっ!君!放しなさい!!」
「うわっ!想像してたよりぬるぬるしてねぇ!ザラザラしてる!きめえ!」
リョータ君はそう言いながら、蛇をそのままぷらんと持ち上げました。
「リョータ君!!今すぐ、お、お放しなさい!」
緑の棒を持った手が震えます。
信じられませんわ!!蛇を素手で掴むなんて!!!!!!噛まれたらどうするんですの!!???
リョータ君はそのままプラプラと蛇を持って行くと、ハウスの外の草むらにぽん、と放り投げました。
「は!花ちゃん!大丈夫でした!?」
「真優ちゃん~~~~!こわかった~~~~!」
花ちゃんが力が抜けたように私にしがみつきます。
「怪我はありませんこと!?」
「う、うん」
「き、君っ!!」
ガイドさんがリョータ君に駆け寄りました。
「ど、毒蛇じゃ無かったから良かったものの…!あれがマムシとかヤマカガシだったら、噛まれたら死んでしまう事もあるんだよ!?次からは絶対に素手で掴んだりしてはダメだからね!」
「へーきだったんだしいーじゃねーかよ」
リョータ君がガイドさんに向かって不機嫌さを隠さずに言いました。
「ど、どうして棒とかを使わなかったんですの?」
私は持っていた棒をリョータ君に見せました。
掴み方を知っていたとしても狂気の沙汰ですわ。
「棒とかで突くと下手すっと殺しちまうだろ。気持ちワリーからって、わりーことしてねーのに殺すのは、あんまな」
あっけらかんとそう言うと、リョータ君は何事もなかったように向こうへ行ってしまいました。
「……」
野蛮だ野蛮だと思っておりましたし、今さらに野蛮さの上塗りをなさいましたけれど。
「優しいところもあるんですのね」
私がそう言うと、花ちゃんが頷きました。
「だね……」
少し見直しましたわ。
そんな風に思って、摘み取ったミニトマトを入れた籠を持って皆でハウスを出たのですけれど。
「見ろ!でけぇ~!」
そう言って落ちていたズッキーニを拾って自らの股間に押し当てたのを瞬間、私の彼への尊敬は風に散って消えたのですわ。