5話 猫は馬鹿だが役に立つ
魔性の森から脱出し、後ろを確認。
どうやら追っては来ていないようだと、俺は深く息を吐き出して座り込んだ。
正直危なかった。
刺し穿つツタの攻撃は、この俺をもってして避けるのに精一杯。
反撃の糸口などまったく掴めそうになかったのだ。
ヴェルティの俊敏性を得たからこそ逃げ切れたが、もしそうでなければ今頃はあの花弁に捕らわれてエライことになっていただろう。
そりゃあもうエライことに……。
それはそれでと思わせるところに、恐怖を覚える。
モン娘とは見た目に反して、やはり危険な魔物のようだ。
幾分呼吸も落ち着き、立ち上がって辺りを見渡す。
今は魔性の森の入り口付近。日は傾き、間もなく闇が辺りを包むことだろう。
実家に帰るとなるとまた徒歩で何日もかかる。
猫の力があるので三日程度で辿り着ける気はするが、出戻りというのは俺のプライドを痛く傷つけるので却下。
近場の町を探すとなれば、確か西にいったところに大きな町があった筈だと思い出す。
だがこちらも徒歩で三日程度はかかるだろう。
往復するとなれば六日。その時間は惜しい。
なぜなら俺はあのアルラウネ、ラキュアを従えることを諦めてはいないのだ。
あまり時間を空けすぎて、奴がどこかへ行ってしまうのは避けたい。
水ならすぐそこに小川があるし、食料は……。
チラッと、我がパーティーの癒し系兼命綱兼非常食を見る。
「ぴぎぃ……」
止めといてやろう。
というか食べても水分補給にしかならなそうだ。
いずれ砂漠などで遭難したらその時こそ活躍してもらうことにして、今は他の方法を考える。
幸いなことに、ここらには野生の動物も多い。
狩りでもすれば食料には困らなそうだが、そこで体力を使ってしまうのも本末転倒。
――あ、名案を閃いた。
狩りなら狩りの得意な奴に任せればいいじゃないか。
そう思い立ち、さっそくペンダントをかざして奴を呼び出す。
「出でよヴェルティ! そして願いを叶えるがいい!」
ゴゴゴゴと雷雲が集まり、分厚い雲を切り裂いて――というわけでもなく、ぽんっとヴェルティがペンダントから飛び出した。
演出が味気なさ過ぎると、俺は不満をこぼす。
このアイテムを作った者は、ロマンティックが足りないようである。
「呼んだかニャ?」
ぴょこんと猫耳を立て、ヴェルティが体をくねらせた。
右手をグーにしておいでおいでのポーズは、まさに招き猫。
傷もすっかり塞がり、元気一杯の様子である。
「無事に回復出来たようだな」
「おかげ様で完全復活ニャ! お礼に一つくらい言う事を聞いてあげるニャ」
……?
おや? コイツは自分の立場を分かっていないのか?
「ヴェルティよ」
「なんニャ?」
「俺はお前のなんだ?」
「通りすがりの恩人さんニャ」
やはりか。
不思議空間は、傷は治すが立場の説明はしてくれないらしい。
最初の従者だ。
ここはビシッと言っておくか。
「ヴェルティよ」
「なんニャ?」
「お前はもう俺のものだ」
「ニャニャニャッ!?」
ガバッと、胸と下半身を腕で覆い隠すヴェルティ。
見た目は少女だがそういう知識はあるのか。
だが残念ながらそういう意味ではないと訂正する。
いや、いずれはそういう意味も含めるけどな。
「お前は俺の従者となったのだ。もう俺に逆らうことも逃げることも出来んのだよ」
何を馬鹿なとヴェルティが呆れ顔を見せた。
「意味が分からないニャ。お礼くらいはするつもりニャったけど、そういうのはお断りニャ」
そう言って獣のような四足歩行に切り替えると、グッと体を沈みこませ、反動でヒュンっと駆け出した。
明らかに俺より早いが、脚力は俺のほうが上回っている筈である。
ならばあれは、力の使い方を熟知しているからということだろう。
なかなか勉強になるな。
あっという間に地平の彼方へ消えていくヴェルティに、俺は命令を下す。
「ヴェルティ。ハウス」
途端に急旋回し、こちらへむかってくるヴェルティ。
だが顔は困惑で引き攣りまくっていた。
「なんでニャ!? 体が勝手に!?」
走り去った時よりもさらに速度をあげて一直線にこちらへ駆けて来る。
彼女の意思は不本意を表していても、その強制力は凄まじいものらしい。
ガガガガっと地面を削りながら急ブレーキをかけて、ヴェルティは俺の目の前で待機姿勢をとった。
「なにしやがったニャ!!」
猫なのに蹲踞の姿勢でお座りのポーズをとらされ、ヴェルティの顔には怒りがありありと覗える。
俺の目には、布面積の少ないヴェルティの下半身がありありと覗えているが。
「言っただろ。お前はもう俺のものだと」
「ふざけるニャ!!」
地を蹴り、獰猛な肉食獣が獲物に飛び掛るように、ヴェルティが俺に飛び掛ってきた。
眼前に居たということもあり、その速度に俺は反応出来ない。
――ビリビリッ!!
だが直後。
彼女は雷に撃たれたように体を痺れさせ、大地に転がりのた打ち回っていた。
「ニャーーッ!!!」
俺が何かしたわけではない。
これもペンダントの力だ。
このペンダントは、従者から主への攻撃を許しはしないのだ。
だが猫は懲りない。
一度距離をとって、四足歩行でゆっくりと俺の周りを旋回し始める。
今のが俺の反撃だと思ったのだろう。
こうして隙を窺い、今度こそ仕留めようという意志が瞳に込められている。
だから、俺はあえて目を瞑り、無防備に肩を下ろした。
「観念したかニャ。でも許さニャい!」
左後方から、大地を蹴る音が聞こえた。
そして、それは直後にヴェルティの絶叫へと変わる。
「ニャーーッ!!!」
そんなことを幾度繰り返しただろうか。
ペンダントに入る前よりも傷だらけになった頃、ようやくヴェルティは状況を理解して、しゅんとうな垂れていた。
「ずるいニャ。卑怯ニャ。人でなしニャ」
少ない語彙で精一杯にこちらを罵ってくる。
悪いがそんなものは痛くも痒くもないな。
前世の俺がどれだけ酷い罵詈雑言の嵐を受けたと思っているんだ。
まぁ、片っ端から消し炭にしてやったけど。
「理解出来たようでなによりだ」
「ど、どうしたら解放してくれるニャ?」
薄っすらと目尻に涙をためて、うるうると懇願するようにこちらを見つめるヴェルティ。
そういう謙虚な姿勢は良いぞ。
少しは手心を加えてやりたくなる。
「そうだな。まずは食料の確保。お前は猫なんだから狩りは得意だろ?」
自分の得意分野を下知されて、ヴェルティはピンと尻尾を立てて顔を上げた。
「やるニャ! どれだけ狩ってくれば解放してくれるニャ?」
「いや、それは基本奉仕の一つだ。解放には結びつかんぞ」
即座に尻尾が萎れた。
実に分かりやすい反応で助かる。分かりやすいということは、操りやすいということでもあるのだ。
俺は顎に手をあて「ふむ」と、見た目に似つかわしくない態度で考える素振りをする。
別に考えているわけではない。
はなからコイツを解放する気などさらさらないのだから。
そうとは知らず、解放の条件を思案しているのだとヴェルティは勝手に思い込み、勝手に期待している。
右へ左へと尻尾を揺らし、聞き逃すまいと耳をピクピクさせているのがその証左だ。
「こういうのはどうだ? 俺は仲間を必要としているが、誰でもいいわけじゃない。より強い仲間を多く集められれば――」
「アタシの役目は終わりってことニャ!!」
俺はにっこりと笑ってやる。
それを同意だと受け取ったのだろう。目をらんらんと輝かせて、ヴェルティにやる気が漲ったのが見て取れる。
なんてちょろい奴なのだろう。
そんなことでは、この先利用されまくる猫生を過ごすことになるぞ。
喜び勇むヴェルティに水を差すのも可哀相なので、そのことは黙っておく。
もう一度傷の回復のためにペンダントへ収納し、俺も眠りにつくことにした。
明日こそ、あの生意気な二胸を手に入れてやるぞ。