20 太陽
リバルとロゼの共闘はいたって単純な物だった。ロゼが剣で攻撃を受けて、リバルが殴って気絶を狙う。現状功を奏しているとは言えないが他に手段が無かった。
ロゼの魔法はあるが、詠唱の間人狼族が止まってくれる訳もない。自分の方が実力がある時か、一対一で無ければそんな隙はそうそう生まれない。
リバルがいると言っても今まで一緒に戦ってきたわけでも無いので、戦闘方法がわからない以上は下手な魔法の乱発は避けるべきだった。
「ねえねえ。そのままじゃ死んじゃうんじゃない?」
狐の呑気な声が響いて血が上りそうになるのをぐっと堪える。今必要なのはただ冷静さだけで、感情を表に出して戦っては救う事は出来ない。
傷つける事も出来ればしたくないが、それは自分の実力では出来ないだろう。ただでさえ彼らが本気で戦っていたのなら、ロゼに勝機は何もない。
「おいおい!僕に偉そうな口を聞いておいて無視かい!?それはいけないなぁ!」
狐は急に激高し、ワイバーンに指示を出す。ワイバーンの口内から炎が漏れ出し、地上にいる人狼族ごとロゼ達に炎を浴びせるつもりだろう。
ロゼとリバルはその場から離れて攻撃を躱そうとするが、他の人狼族はそうはいかない。いや恐らく狐の命令が下ったのだろう。その場からびたりとも動かず、ただ来る炎を呆然と受け入れようとしている。
「くっ・・・!集え雷!妾の敵を穿つ為、全てを貫く槍と為せ!」
「そう来るよね!?君ならそうすると思っていたよ!」
ロゼが人狼族を守るために雷の槍をワイバーンに向けて放とうとすると、狐はそれを見越していたかの様にワイバーンの口径をロゼに向けて炎の塊を発射させる。
雷の槍と炎の塊は中空で打ち合うも、ロゼが押し負ける。威力は多少下がったとはいえ、炎の温度が下がることは無く、ロゼの身は軽く焦がされ痛みに顔を顰める。
それでも敵は待ってくれない。人狼族に命令は下され痛みで動きの鈍くなったロゼに執拗に襲い掛かる。リバルもロゼを守るよう戦おうとするが、こちらは二人しかおらず、敵の数は数十ほど。更に殺さない様手加減していてはまともに突破することは叶わなかった。
「あははははっ!無様な姿だね人族!ワイバーンの攻撃を君程度の人間がどうにか出来ると思ったのかい!?」
狐は楽しそうにロゼを嘲笑する。それでも尚ロゼの眼からは諦めの色は浮き上がらない。
初めから勝てるとは思っていない。攻撃を相殺できるなど考えてはいない。ただ勝手に体が動いただけ。その結果が今の状況ならそれは受け入れるべきものだと悟っているだけだ。
力不足を嘆くものか。自らの不運を呪うものか。そんな事を言う資格はロゼにはない。力が足りずに泣いて良いのは、不運を呪って良いのは理不尽に巻き込まれた者だけだ。
自ら首を突っ込んだロゼはそれを言いはしない。代わりに何があろうと諦める事は無い。途中で投げ出すくらいなら、ロゼは自らの憧れから背を向ける事になる。
「それだけは、出来ぬだろうか・・・!」
喉元から声を絞り出してロゼはより決意を固くする。それは狐にとって痛く気に入らない目で、嘲笑を止めて視線の温度を下げる。
「下らないね。守るために死ぬのかい?そいつに背中を刺されるんだよ?」
「・・・背中の傷は恥らしいが、」
狐の冷めた声にロゼは応える。ロゼも幼いころから剣術を習っていた。背中に傷が出来る事は逃げる時に出来る傷で、不名誉極まりない恥なのだと。
だが、とロゼは思う。背中に傷が出来るのは何も逃げる時だけではない。それ自体も恥と思う者もいるかも知れないが、ロゼはそれを誇りに思うだろう。
「妾はそうは思わぬ。妾の背の傷は人を信じた証だ。妾が妾らしく生きた証だ。それを不名誉に思う事など生涯来る事は無い。」
例え裏切られようとも、例え守りたいと願ったものに背中を刺されようとも。ロゼはそれを恥に思わない。人を信じて何が悪いと傲岸不遜に言い切るだろう。
「一度守ると決めたのだ。ならばそれを覆す方が恥だ。どれだけ傷が増えようとも、妾の意志を揺るがす事など出来ぬと知れ!」
ロゼは剣を空に向けて威風堂々胸を張る。狐の言葉で揺らぐような信念はロゼは持ち合わせてはいない。
痛む体を押さえつけて剣を振るう。右に左に上に下に。まるで痛みを感じさせないように自由に戦場を駆け回り、少しづつ人狼族の体から体力を奪っていく。
受け流して防いで、それが敵わぬと見れば退いて。少しづつ重くなる体を誤魔化して戦い続ける。醜く美しく、痛々しく軽やかに動くその様にロゼを苦しめている筈の人狼族達は苦虫を噛み潰した様な顔をする。
「何をやってるんだ?手負いの女一人くらい早く倒せ!」
狐の言葉が響き渡ると、人狼族が今までにない苦痛の声を上げる。狐の魔力に反応して行動を決めさせられるが、それでもそれに抗おうともがいているのだろう。
「俺の仲間に何をしやがる!」
「全員僕の奴隷さ!いずれ君達も同じになる!」
リバルの怒声も狐は両手を広げて受け入れ不気味に笑う。狐は自分の思惑通りにならない者を嫌う。どれほど窮地に立たされても折れる事の無いロゼはまさに狐の嫌いな性格だった。
それも綺麗ごとを並べるだけでは無く、それを本気で実行に移すような眩い存在。そんな存在を狐は認めない。だからこそ奴隷にしてその心が折れていく様はさぞ愉悦に浸れることだろう。
「死ななきゃ構わないか!君達さえ生きていれば奴隷もすぐに補充できる!」
そして再びワイバーンの口が赤く光りだす。同じ技だがロゼにもリバルにも対処方法は無い。精々が雷の槍で威力を減衰させる事だけだ。
それでもそれをしなければもう自分達に勝ち目は無いだろう。ロゼは詠唱を唱えてリバルはロゼの後ろに下がる。狙いを最初から一つに絞らせれればロゼも狙いがつけやすい。
「わかってないな!さっきのが本気と思っているのかい!?」
狐の嘲笑と共に繰り出された炎の塊は先ほどより大きく速い。一瞬遅れながらもロゼは雷の槍を投擲してぶつけ合う。
だが今度は核を壊しきるに至らなかったのか、炎が周りに吹き散ることなく一直線にロゼに向かう。ロゼは楯にもならないことを承知で剣を前に出して衝撃に備えて目を閉じる。
耳を劈く轟音と体を包む灼熱に一瞬意識が遠のていく。意地の力だけで持ちこたえて自分の体が少し動くと自分が生きている事を悟る。
恐る恐る目を開けると視界には青い体毛が焼けて黒くなり、体のあちこちから黒煙を吹き出すリバルがいた。リバルは両腕で炎の塊を受け止めたが、その腕からは血がだらだら流れてリバルの体と足元を赤く染め上げていく。
「・・・リバル!」
「・・・っ!」
喉元から唸り声を上げて、立っているのもやっとだろうにリバルは狐を睨みつける。
「ははっ!流石人狼族!丈夫だね!ますます欲しくなったよ!」
どこまでも外道を突き進む狐にロゼは奥歯を噛み締める。あいつは他の人を人を思っていない。ただの道具かそうでなければ殺すべきとでも考えているのだろうか。
「お兄ちゃん!」
そして今までずっと足で纏いになる事を避けて近づかなかったミーネが耐えきれずにリバルに近づく。膝から崩れ落ちて浅い呼吸をしているリバルにミーネは必死に声を掛ける。
「お兄ちゃん!嫌だよ!死なないで!」
「・・・ミーネ・・・。」
「嫌だ嫌だ!会えたんだよ!?まだお話ししたいんだよ!?」
ミーネはリバルに抱き着いて泣き叫ぶ。それに返事をするのももう辛いのだろう。リバルは自らが作り出した血の海に体を沈める。
「お兄ちゃん!?」
「リバル!?」
倒れたリバルを見ると、浅い呼吸をしていてまだ生きていることがわかる。だが長くは持たないかもしれないし、仮に生きていてもこのままでは死んだ方がましと思えるような人生が待っているだけだ。
「・・・ミーネ。リバルを抱えて逃げろ。」
「ロゼ姉!?」
「それしかない!妾はお主に、」
「嫌だ!ロゼ姉の嘘つき!」
真っ赤に腫らした目でミーネはロゼを見上げる。
「僕に笑顔を届けるって言ったじゃないか!ロゼ姉が死んじゃったら僕は笑えないよ!」
「・・・!」
頭を振りながら訴えるミーネの言葉はロゼに深く突き刺さる。そして自分の浅はかさを思い知る。
何が決めたことを守り通すだ。ミーネに言った事を嘘にするのは許される事なのか。自分が窮地に立たされようと構わないと思っていたのに、自分以外の誰かが危なくなるとすぐに逃げる事を考える。
そんなんじゃないだろう。ロゼが憧れた人間はこんな時こそ笑う様な男だ。どんな状況だろうと不敵に笑って困難なんて初めから無かったかのように振舞うではないか。
見えた背中を見失わない為に努力したのに、ここでまた見失うのか。
「・・・それだけは絶対に駄目だな。」
自嘲的な笑みを浮かべてロゼはミーネに振り向く。もしかしたら失望させてしまったかもしれない。呆れてしまったかもしれない。
それでもロゼは言葉を紡ぎだす。望むものは最上の結果。それを掴み取るためにロゼはミーネに屈託のない笑みを浮かべる。
「心配するなミーネ。妾は必ず生きる。その時にお前が生きていなければ妾が泣いてしまうだろう?」
「・・・ロゼ姉・・・!」
「信じて待っていてくれ。」
「お涙頂戴はその辺にしようか?」
耳元から聞こえる狐の声にロゼは振り向く。油断したと思ってももう遅い。狐の吐き出した煙がロゼの体を包んでロゼから自由を奪う。
「おやおや。多少は動かせるのか。やはり君は凄いね?」
心にもない事をロゼに言うと、狐は懐から首輪を取り出す。抗おうと体を動かす事を試みても言う事を聞いてはくれない。
ロゼの首に輪が掛けられ、狐はミーネを蹴り飛ばしてリバルにも首輪を掛ける。そして狐は勝ち誇って高笑いを上げる。
「はは。はははははは!ついにやったぞ!人狼族の族長と人間の戦士の奴隷だ!」
狐の声が木霊して、ロゼと人狼族は沈痛な表情を浮かべて、ミーネは絶望に涙する。顔をくしゃくしゃに歪めて滲んだ世界に移るのは、最低な狐と慣れ親しんだ人達の苦し気な表情。
「あっ・・・!嫌だ・・・!そんな、誰かっ!・・・!」
そこまでミーネが苦しみから逃れるために声を出していると、ふとミーネの鼻が上下する。狐はそれに気づいていない。もしかしたらこれが最後の機会かも知れないと、ミーネは青く染まった空に遠吠えを木霊させる。
下手くそなのはわかっている。リバルや狼に近い人狼族に比べて下手くそで耳障りな声かも知れない。それでも希望を持ってしまったのだ。ならば何もやらない選択肢はミーネに無かった。
「なになに?耳障りな遠吠えだね?いや、負け犬の遠吠えかな?」
狐は上機嫌にミーネを見て嫌味を言うが、ミーネはそれに取り合わずただ声を空に木霊させる。狐はその音に苛立ちを覚えたのか地上に降り立ったワイバーンに指示を出す。
「うるさい小娘。君はいらないよ。燃えてしまえ。」
ワイバーンはその言葉に従い炎の塊を吐き出そうとする。遠吠えを続け無防備な姿を晒すミーネに口は向けられ灼熱が顔を覗かせる。
そしてワイバーンが炎を吐き出した瞬間、口の付近で爆発が起こる。痛さからかワイバーンは苦悶の声を上げて正体不明の痛みから逃げるように空へ飛び立つ。
そこでやっとミーネは遠吠えを止め、荒々しい息のまま後ろを振り返る。
そこにはミーネが思い描いた人物が立っていた。人の姿をしているのに人の匂いがしない人。人狼族である自分に優しくしてくれて、一緒にご飯を食べてくれた人。ちょっとしたことも褒めてくれて、一緒にふざけて一緒にロゼ姉に怒られてしまう人。
煙草の匂いよりも、ずっとずっと良い匂いがする人。日当たりの良い草原の匂いだと思っていた。でも今はっきりとわかった。この人は―――。
「・・・ギフト兄!」
―――太陽と同じ匂いがするんだ。
そして太陽は大胆不敵にニヤリと笑う。見ればわかる窮地にも関わらず、それは楽しそうに、厭らしさの欠片も見せずに。