10 二人の妹
「待て待て待て。食事を進めるな。」
あまりの発言に停止していたロゼがギフトを止めるがその言葉はギフトには届かなかった。食事を中断することもなく目だけ動かして話だけ聞く態勢を取る。
「そもそも妾はワイバーンをよく知らぬが、簡単な相手ではあるまい。龍種の恐怖は誰もが知っている。」
頑丈な皮膚は矢を弾き刃を通さない。人の手の届かぬ天空から岩をも壊す攻撃をほぼ無制限に吐き出してくる存在。
純粋な龍種に比べれば知性も力も及ばないが、それでも下手に手を出して良い存在ではない。出会えば逃げる事を進められるような魔物に自ら近づきたいとは誰も思わないだろう。
「ミーネはどう思う?」
ロゼはそのままミーネに視線を向けると首を高速で横に振って否定の意思を示す。戦闘が得意なわけでもないミーネからすればそんな存在には生涯出会いたくはない。
それにまだギフトの強さも今ひとつ理解していない。基本ロゼしか戦っていないのだからロゼより強いとは思うが、ワイバーン相手に気楽に挑めるとは到底思っていない。
「ミーネもこう言っておる。考え直さぬか?」
だがギフトは頬張ったまま首を横に振るだけで譲らない。確かにワイバーンの鱗や革を用いた服を作れば人の目を引くだろう。そんな素材を手に入れたのなら自分の為に使うのが普通で、服に流用しようなど考えはしないのだから。
「どこにいるかもわからないであろう?」
「居場所はわかるよ。今も居るかは知らないけどね。」
口の中の物を飲み込んでギフトは二人の顔を険しくさせる。予感はしていたがやはりある程度確信があっての言葉だったのだろう。もうギフトの中では決まっていることかもしれない。
「そう遠くない場所に住処があるはずだよ。」
「何でそんな場所にワイバーンがいるのだ?被害は出なかったのか?」
「魔物って基本的に縄張りが決まってるからね。態々人を喰うくらいならその辺の動物食ってる方が食いでがあるでしょ。」
その言葉にロゼはなるほどと相槌を打つ。
魔物に限らずだが、生物は自分の居心地のいい場所を探し求める。そしてその居場所を見つけたのならそこから滅多な事では動かない。
危険があってもそれを越える何かがあるならそこを居場所とする。狩場であったり居住区であったり仲間であったり。そういったものを見捨てて動くものは多くない。
「今まで危険がないからちょっかいは出さなかったんだけど、最近この周りも安全とは言いづらくなったらしいしね。」
「何かあったのか?」
「獣人の話。聞いただろ?」
ギフトの発言にミーネの耳がピクリと動く。最近町の周辺には人狼族が住み着いている。集団か個人かは判明していないが、食わねば生きてはいけないだろう。
町の外へ狩りに出かけるにしても人狼族がいるのならあまり外に出たくはない。外から送られる食料だって襲われてはまともな状態で届かず、やがて食料は底をつく。
備蓄が減れば大勢で狩りに出かけて危険を減らそうとする。そして魔物や動物がだんだん周りから減れば移動範囲を広げるしかないが、そうしていくといずれワイバーンの巣の周辺まで行かねばならなくなる。
そうでなくともワイバーンの周辺から獲物が居なくなれば活動範囲を広げるだろう。食料を無駄にすることで起こる生態系の変化は目に見える形で人々を追い込んでいく。
「悪いのはその人狼族では無いのか?お前がワイバーンを狩る理由にはならん気がするが。」
「それがそうとも言えないかもね。確証は何もないけど。」
こればかりは勘でしかないが、ギフトは人狼族を悪とは思っていない。仲間意識が高く、自分達の狩猟生活に誇りを持っているような人達だ。
人から盗む事を善としない性格だと聞いている。勿論聞いただけの話だから齟齬はあるのだろうが、ミーネと言う存在を見ていると人狼族が悪いとは言いたくはなかった。
「事情がありゃどこまでも行くのが人さ。それに・・・。」
「それに?」
「人狼族は食えないけど、ワイバーンは食えるだろ?食ってみたいじゃないか。」
「お前らしいが命を賭ける理由ではないな。」
ギフトからすれば町の事情も人狼族の事情も関係は無い。大事なのは如何に自分が楽しいかだけだ。ミーネだって別に特別な事情がある訳ではなく、始めて話す人狼族だから話してみたいと思っただけだ。
当然今は可愛く思えているが、最初の動機ほど曖昧な物は無い。ちょっとの好奇心さえあればギフトは動くし、その後動いた理由など忘れていても問題は無かった。
だからロゼは疑問を抱く。それは確信に近いものだったが、どうしてもギフトの口から聞きたかった。そうでなければ流石にワイバーン退治に乗り気にはなれない。
「それは誰の為だ?」
「お前の想像通りだと思うけど聞く?」
やはりかと思いながらもロゼは黙って頷く。ミーネはそのやり取りを不思議そうに眺めているとギフトは煙草に火を点けて空を見上げる。
「この状況は嫌いだよねって話しさ。」
ギフトは独り言の様に呟く。町にいる間に話は聞いたが、あの町は人狼族が人を襲う前から獣人族に偏見の目を持っていた。
当然といえば当然の事ではあった。人より膂力も感覚も優れていて、その上人と同程度の知性を持った存在は恐怖しても仕方ないだろう。
ロゼの国でもそうだったが、基本的に獣人の立場は低い。世界全体を見ればわからないが、それでもギフトの見てきた中では獣人族を受け入れてくれている場所は稀だった。
「獣人と人の違いはなんだろうね?顔?知性?能力?それとも根本的に違うのかな?」
ギフトの言葉をミーネは食い入るように聞いている。もしかすれば自分が抱いていた疑問にギフトが答えを出してくれるのかもしれない。何故自分を助けたのか、何故自分と対等に接してくれているのかの疑問に。
「でも人同士でも違いはあるよね?だったら何が険悪にさせているんだろうね?その答えは俺にはわかんないけど。」
同じ人同士でも肌の色、髪や瞳の色、背の高さ。様々な違いがあるはずだ。それは獣人族の人狼族でも同じ事が言える。
例えばギフト達が最初に出会った人狼族はほとんど狼の姿をしていた。人の骨格はしていても顔は狼で全身を覆う体毛は獣と言えるだろう。
だがミーネは同じ人狼族でも耳と尻尾が生えているだけで、それさえ無くしてしまえば獣人だとはわからないだろう。それでもミーネは昔獣に近い者と家族だった。
「違うのは当たり前なんだよ。なのにいがみ合ってるのを見るのは腹が立つ。お前らは何言ってるんだ?ってな。」
性格を嫌うのは良い。見た目を嫌うのも百歩譲って構わない。ただその存在を種族ごと否定している輩はどう足掻いても好きにはなれなかった。
「だからお互いに知る機会が必要だろ?その為にミーネに頑張ってもらおうと思ってな。」
「へっ?な、何?」
突然矛先を向けられたミーネは戸惑う。自分が何かの役に立つとは思っていないが、ギフトは悪い顔をしてミーネを見る。
ギフトがミーネがこれから先を生きるための地盤を欲している。ずっと一緒にいられるなら良いが、そういうわけにもいかないだろう。危険な事が幾らでも起こる旅にミーネを連れて行くつもりは無い。ならばミーネを一人にさせるわけにはいかない。
「ミーネがワイバーンの素材を売り込むだろ?町の人はミーネを認めるだろ?そうなりゃミーネが生きやすくなるだろ?それで届けの依頼は完了さ。」
「そんなに上手くいくか?」
「無理なら別の手を考えるさ。人生何が起こるかわかんないんだから。」
机上の空論で何一つ根拠は無いのだが。ギフトはミーネを認めさせるには実績を持たせるのが一番手っ取り早いと思っている。
ロゼもその意見には反対しなかった。危険は多い。それでもギフトがミーネの為にと動くのにそれを邪魔するつもりは一切ない。
だが当人のミーネは顔を俯かせて返事がない。何か悩んでいるのかと思い、声を掛けようとするがその前にミーネは声を出す。
「二人はさ、それで良いの?」
「ん?」
「もしだよ。もしワイバーンを倒せたら沢山の人に褒められるし、その素材を売ればお金も一杯だよ?なのに僕の為に使うのは嫌じゃないの?」
「そんなしょうもない物どうでも良くない?」
何でも無い事の様にギフトは言い切り、その言葉にロゼは笑顔を浮かべ、ミーネは口を開いたまま動けずにいる。
「他人の賞賛よりかはミーネが笑ったほうが百倍良いだろ?誰にでも優しい人間じゃ無いよ。」
「説得力が無いな。お前は基本優しいからな。」
「そう?」
「そういうところが優しいんだがな。」
ロゼの言葉に首を傾げるギフトだが、そういうことを平然とやりきるから慕う人が多いのだろう。非常な面もあるし、適当な部分も多いけど、それでもロゼは人の為に動くことを特別に思わないギフトが優しい人間と信じている。
ミーネもここに来てロゼが何故ギフトと一緒にいるかを少しわかった気がする。飾らない優しさを持っているから、普通の人が躊躇う場面も平気で超えていく。その性格は危なっかしくて暖かくて、だからロゼはギフトについていっているのだろう。
「ギフトさんもロゼさんも優しいんだね。」
「んー?まあそうなのかもね。」
「妾は甘いだけかもしれぬがな。」
「優しいよ。だって僕こんなに嬉しいもん。」
ミーネは目に涙を溜めながらも笑顔で二人に感謝を告げる。その言葉にギフトはニヤリと笑ってロゼは微笑んでそれを受け止めてくれた。
そしてミーネは覚悟を決める。大勢の人に自分の姿を晒すのは怖いけど、二人の気持ちを無駄にすることだけはしてはならないと強く感じて。
「僕も頑張るよ。二人の気持ち、無駄にしないから。」
「心配してないさ。ミーネは俺が認めた奴なんだから。」
「妾もだ。お主なら出来る。胸を張るがいい。」
二人もそんなミーネの背中を押してくれる。それが素直に嬉しくて胸の中心がムズムズしてくる。感謝の念は渦巻いて言葉を紡ごうとしても、この感情を言葉にできない。
どうしようもないむず痒い気持ちを抱えてミーネは空を見上げる。青く晴れ渡った空はミーネの心を映し出してるようで余計に晴れやかな気持ちになり、ギフトに飛びつく。
「ねえねえ!二人の事別の呼び方しても良い?」
「おう?構わないぞ。」
「じゃあギフト兄!ロゼ姉!」
ギフトはそれを軽く受け止めるも、ロゼは脳天を駆け抜け衝撃を与えたのかのように動きを止める。ギフトがミーネの頭を撫でているとふらりと近づき、声を絞り出す。
「ミーネ。もう一度言ってくれぬか・・・?」
「え?ダメだった・・・?」
「違う。もう一度言ってくれ。」
耳を萎れさせて悲しげな表情を作るミーネにロゼはきっぱりと否定する。そしてミーネはロゼの聞きたい部分だけを抜粋して声を出す。
「ロゼ姉?」
「・・・!!」
すると一瞬でロゼはミーネをギフトから奪い取りその両腕で抱きしめる。その行動に呆然としたギフトは文句の声を上げようとロゼの顔を見るが口を開けたまま停止する。
「うむ!ミーネは妾の妹だ!ああ!可愛いなミーネは!!」
いつもの凛々しい顔は何処へやら、今まで見たことも無いくらいに顔を緩ませていて流石にギフトも言葉が詰まってしまった。
ギフトがミーネの頭を撫でようと手を近づけるとそれをさせないかのごとくミーネを抱えたまま背を向ける。
「ミーネは妾の妹だ。お前にはやらぬ。」
「えー。家族みたいなものでしょ?俺もお兄ちゃんだもん。」
「駄目だ。妾の妹だ。」
「何時になく強情だ!」
そして二人はミーネを無視して不毛な争いを始める。ロゼの腕に抱かれたままのミーネはその喧嘩を聞きながらも止めることはせず、ただ自分を家族と言ってくれた二人に嬉しさしか湧いてこなかった。