3 人狼族
馬車は二人を乗せて森に近い平原をガタゴト揺れる。道も碌に舗装されていないから揺れるのは仕方の無い事だが、長時間これに乗り続けると思えば耐えられないだろうとギフトは思う。
「そんなに悪い物でもなかろう?」
「馬の管理とか考えると面倒だよ。」
ロゼは馬車での移動をそこまで苦にしていない様子だ。馬に乗る機会は昔からあった。当然馬車に乗ることも少なく無く、歩き続けるよりかは楽だと考えているのだろう。
対してギフトは好きな時に好きな場所へ向かう性分からか、自分の足で歩くことを好む。それにどうせどこかで馬が通れない場所があれば置き去りにする。だったら最初からいない方が良いと考えている。
「長閑で良いではないか。」
「二人だとロゼが手綱握ってる間俺はする事無いもん。」
「お前が御者になれば良いのではないか?」
「馬車で通れる道なんてつまらないでしょ?」
馬車の上で寝そべって、何の苦労も無い筈なのにギフトから誉め言葉は出てこない。目的地にまで向かうだけなら良いものだと思うが、普通の旅で使う事はしないだろうなと思案に耽る。
すると下にいた男に声を掛けられる。
「乗せて貰っておいて文句ばかりだな兄ちゃん。」
「文句は無いさ。長時間はきついなって話だよ。」
掛けられた声にひらひら手を振って否定の意志を伝える。このキャラバンのリーダーの男は服装も小綺麗に整っており、とても旅の最中だとは思えない姿をしている。
男は三十を少し過ぎた位の歳だろうか。働き盛りではあるが、商人として大成するには少しばかり若い気もする。見た目からも人の良さが滲み出ており、細い目で目つきが少し悪そうだが、人当たりの良い言動が警戒心を無くすのに一役買っているのだろう。
男は馬車の上に上りギフトの横に座ると、足を外に突き出し体を弛緩させ、ギフトの話しかける。
「俺達も長時間は厳しいさ。人数も多いからな。だからこそ選ぶ道は慎重に決めているのさ。」
「うへー。俺には考えられないね。」
「まぁ商人と旅人とじゃ考え方も違うだろうからな。こっちからすれば二人旅なんて考えられないしな。」
ロゼとギフトの二人を見て最初は警戒心を抱いた。冒険者でも無いのにこんな何もない場所を歩いている人間などそうそうお目にかかる者ではない。いるとすれば国を追われた者か逃げ出した者、後は山賊の類の何かだろう。
その割にはあまりにも堂々としていたことと、普通に買い物をしようとした事で少しだけ警戒は解けた。金を払うのならそれは誰であっても客であることに違いない。奪うつもりなら容赦しないが客にはある程度は寛容にならなければ商売は出来ない。
「にしてもなんでこんな場所に二人で?」
「適当に旅してるんだよ。色々見て回るつもり。」
「・・・目的は無しか?」
「一応あるけど別に大した物じゃないよ。」
男はギフトに積極的に声を掛けるが、その一方でギフトは不機嫌なのか返答は味気ない。
何か悪いことをしたのかと男がロゼの方を見ると、ロゼは溜息を吐いてギフトの額を軽く叩く。
「ギフト。せっかく乗せて貰っておるのだ。不快な思いをさせるな。」
「え?そんなつもり無いよ?」
「そう見えるのだ。その態度は駄目だ。」
ロゼの意見にそういうものかと相槌を打つが、興味が無い者に時間をかけるつもりは無い。生憎だが男はギフトの琴線に引っかかるものを何も持っていなかった。その為思ったことをそのまま口にする。
「武器商人でしょ?俺興味ないもの。」
「そういう問題では無い。感謝して相応の態度を示せと言っているのだ。」
「いやいや、別に護衛もしてくれるなら乗せるくらい構わないさ。」
ロゼとギフトの言い合いを男が止める。男からしても二人で旅が出来るほどの人材がタダで利用できるなら有り難い。その人格まではわからないだろうが。ギフトはともかくロゼの方は誠実そうだと判断している。
最近はこの辺りもきな臭い。男はそろそろ商売の場所を変えようかと考えているが、噂の段階で動くのは早計だと思っている。軌道に乗った場所を捨てて別の土地に移るのは勇気のいる事だった。
「護衛くらいなら構わぬ。それよりこの辺りに護衛が必要な魔物がいるのか?」
「どこも危険はあるけどな。この辺りだとウォールスラッグかな?」
「なんだそれは?」
「巨大なナメクジさ。一体だと人くらいの大きさだが、集まり固まって巨大なナメクジになる奴さ。まぁあいつらは巣穴に近づかなければそこまで害は無いから問題ないさ。」
話しの途中でロゼはギフトに冷たい視線を浴びせる。ギフトはそれを視認した上で下手くそな口笛を吹いて惚けている。それに気づかず男は話を続ける。
「一番問題なのは最近獣人が出るらしいのさ。」
「・・・獣人?」
ギフトが上半身を持ち上げて気になった言葉を繰り返す。ギフトは今までの人生で獣人を見たことはあるが、それでもそこまで何人も見たわけでは無い。気になる存在の一つではある。
ロゼは獣人を見たことが無い。男の言葉に興味を映し、続く言葉を聞こうとする。
「獣人がいること自体が珍しいのに、その上その獣人が人狼族で人を襲ってるらしいんだよ。」
「へー。人狼族は見たこと無いな。」
「妾は獣人を見たこと無いからな。一度見てみたいな。」
「冗談じゃねぇよ!合わない方が良いに決まってるさ。」
二人の能天気な言葉に男が慌てて口を挟む。真偽は確かではないが、そんな噂が立っている場所だ。商人の面々も自然と体が強張るし、安くない金銭で護衛も雇っている。
だが男の言葉をギフトは既に聞いていない。周囲に視線を巡らせ口角を上げる。その様子を見ていたロゼは腰の剣に手を置いて集中力を高める。ギフトがこんな風に笑う時は、決して万人が楽しいと思う事態が起こらない時だからだ。
「悪いけど見かけたらあんたらを見捨てることもありうるからな。それは覚悟しといてくれ。」
「良いよ。というかそれなら見捨てた方が良いかもね。」
男がギフトの呟きの様な言葉に返事をしようとするが、その時にはもうギフトは馬車を降りて一直線に走り抜けていた。
そしてそれに呼応するかの様に一つの影が飛び出してくる。ギフトはその姿を確認して笑みを一層深くする。それは今まで見た事の無い姿をしていた。
小手調べとばかりに左腕を振りぬくが、予期していたかの様に拳の下を潜り抜けてギフトを素通りしようとする。だがギフトもそれを予想していたのか右腕を後ろに伸ばして相手の腕を掴んで体を回して投げ飛ばす。
敵はその勢いに逆らわずに投げ飛ばされ、距離が離れた地面に華麗に着地する。重さを感じさせないような動きはまるで獣と同じだった。
ロゼと男はその時初めてその姿をしっかりと把握する。全身を青と白の体毛で包まれ、鋭い爪と鋭い牙を携えた顔が人のそれでは無い存在。この世界に存在する人と呼ばれる種族の一つ。人間に似ていて似て非なる者。
「お前が人狼族だな?」
ギフトはその存在を確認して笑顔を浮かべる。そして人狼族はギフトを敵と認めたのか、遠吠えを虚空に向かって響かせる。戦闘前に相手の士気を折るための行為だがそれはギフトには通用しなかった。
「おお!遠吠えだ!!」
むしろその行動を喜々として見ており、その姿に敵も味方も呆気に取られる。
唯一ロゼだけが馬車を降りてギフトに近づき、ギフトの背中を軽く叩いた。この場面で喜んでいると単純に変な目で見られる。それだけなら良いが、ギフトと同行している自分も同じ目で見られるのはあまり喜べない事だ。
「言ってる場合か馬鹿者。」
「でも見てみろって!爪も牙も鋭いよ!」
「・・・狼だから当然なのではないか?」
「違うって!獣人って言っても色々あってさ・・・!」
ロゼが常識の範疇で疑問を持ち、ギフトの説明に熱が入る。明らかに敵を目の前にしての行動ではないが、人狼族はその一挙手一投足を見逃さないと視線を外さない。
だがそこに矢が飛来する。キャラバンはこういった事態に備えて武器は常備してあるし、武器商人なのだから備えはあって当然だ。そこらの無頼漢に盗まれない為に相応の護衛もいる。
人狼族はそれを余裕をもって回避し、ギフトをじっと見つめ鼻先を揺らす。ギフトはそれに首を傾げて近づこうとするが、それより先に人狼族は森に逃げ込み姿を消してしまった。
「どうしようかな?」
ギフトは顎に手を置いて考え込む。本音を言うなら人狼族を追いかけたいが、先程ロゼに怒られたばかりだ。このまま追いかける事は流石に気が引けているのだろう。
そしてちらっと横目でロゼを見ると視線がぶつかり首を横に振られる。そして溜息を吐いて肩を落とす。
「すまぬが今回は諦めてくれ。」
「理由は?」
「キャラバンを放置できない。相手が一人とは限らない。何より妾はまだ疲れている。」
指折り数えてロゼはギフトが行ってはいけない理由を教えてくる。ギフト一人なら問題は無いだろうが、ロゼが一緒に居ることを考えると、単独行動は避けるべきだった。
「足手まといで申し訳ないがな。」
「・・・いーさ別に。人狼族はあいつだけじゃない。今回は縁が無かったのさ。」
ギフトは両腕を頭の後ろで組んでもう忘れたのか鼻歌を歌い始める。ギフトの行動に一々制限を掛けているようでロゼにも申し訳なさがあるのだろうか、少し俯いてギフトの後ろを付いて来る。
「そんな顔すんな。本当に嫌ならもっと早く見捨ててるから。」
そしてロゼのその様子を見てギフトが気楽に慰める。ロゼはその言葉に大きく息を吐いて気持ちを切り替える。本人が良いと言っているのに引きずっていてはいけない。それはギフトに気を遣わせる事になるのだから。
「切り替えた。すまぬな。」
「上出来上出来。俺は考えないんだからお前が考えてくれなきゃ。」
「おい兄さん方!無事か!?」
会話をしていると男が安否の確認をしてくる。それに手を振って返事をして馬車に戻る。
二人を待っていたのは労いの言葉と称賛の言葉で、二人は歓迎されて馬車の上に陣取る。そして緊張感はどこへやら、二人は下らない会話を続けてキャラバンの人達と町を目指す。
続きは明日10時。