56 夜明けの訪れ。
ロゼとギフトは相対する。最後の敵はとてつもなく大きい。二人で戦うからといって勝てるかはわからない。
いや、それ以上に自分達攻撃が通用するのかロゼは不安になる。自分の最大火力は『疾風迅雷』。あれは雷の槍の応用だ。
剣に雷を纏わせて突っ込んでいるだけで、ロゼの意思で途中で曲がったり止まったりは出来ない。
人相手なら最速の突技だが、魔物、それもあの巨体が相手では通用しないだろう。
「ロゼ。お前は英雄になりたいか?」
悩んでいるとギフトが声をかける。ギフトは出来れば阿呆のデブ、サイフォンを殴りたい。だが、自分が戦ったいる間にロゼが一人で戦うのは厳しいことはわかっている。
「それともこの国を守りたいか?」
だからこそギフトは問いかける。ロゼの真意を試しているのだ。ギフトは英雄になるつもりは無いが、ロゼは英雄に憧れている。
ロゼが英雄になりたいのなら、岩人形と戦うべきだ。成果がわかりやすく目に見える。サイフォンを倒したとしても、誰もがオマケとしか見ないだろう。
無謀な英雄になるか、それとも自分の守りたいものを守る人になるか。わかっているとは言えギフトはロゼに判断を任せる。
「意地悪な奴だな。今更試すような事を言うな。」
ロゼは返答に迷わない。答えは既に決まっている。どちらかをとれと言われればロゼは守ることを選ぶ。そうでなくては英雄ではない。誰に褒められなくとも、自分が胸を張れないなら意味がない。
「妾では勝てないだろうな。」
「今はまだ無理だろうね。もう少し時間があれば違ったかもだけど。」
ロゼは驚く程の勢いで成長している。今までの鬱屈とした心の鎖が無くなり理想を求めるようになって、誰もが変わったと思えるほど強くなった。
その成長が止まることが無ければあの岩人形にも引けを取らない力が身に付いただろう。だがそれは今ではない。今のロゼには対抗する手段がない。
「今勝てないならば仕方あるまい。妾はサイフォンを倒す。」
ロゼは後ろめたさを感じることなく言い切った。国の窮地をギフトに任せることに躊躇いはない。ロゼはギフトを信用している。決めたことを曲げるような男ではない。
「依頼は覚えてるな?」
「・・・平和な国にお前を届けることだろ?」
「頼むぞ。」
「任せなさい。魔物ごときにお前の邪魔はさせないよ。」
胸をドンと叩いて誇らしげに語り、ギフトは岩人形に炎の槍を投げつけ対峙する。舌なめずりして利くかどうかもわからない挑発を一つ。
「さあ来い木偶の坊!俺が相手してやるぞ!」
その言葉に反応したのか、それとも自らの纏った岩を壊されるのを嫌がったのか、狙いをギフトに絞ったようだ。ギフトに向けて足を踏み出すが、鈍重な動きはギフトに当たることなく避けられる。
ロゼはギフトが戦いに出たのを見て深呼吸をする。ギフトならば問題ない。仮に危なくなっても笑って危機を逃れるだろう。
剣を抜き放ち、三度目の相対を果たす。これが最後と気合を入れて、ロゼはサイフォンに近づいていく。
「ローズ・・・!」
サイフォンの顔は怒りに歪み、憎々し気にロゼの名を呼ぶ。その名で呼ぶなと言ったはずだがどうやらそれも覚えられないらしい。
ロゼは最早サイフォンには興味がない。実の兄だとか、王家の人間だとか、もうどうでもいい。ロゼはサイフォンをただの犯罪者として断罪せねばならない。
サイフォンの言葉に返答することなく、ロゼは剣を構えて気合を込める。サイフォンの周りにはまだ取り巻きがいる。ガルドーが言っていた途中で撤退した傭兵とサイフォンに従う騎士。数十名程の数だが、ロゼは油断しない。
戦いで油断すれば自分は勝てない。自分のことを弱いと思っているからこそ、ロゼは例え勝ちが見えても気を緩めることはない。
「ローズ!もう終わりだ!いい加減に諦めろ!!」
サイフォンは怒気をそのままに泡を飛ばす。奥の手だった。自分が治める土地を自ら破壊することは、いくらサイフォンといえどやりたくはなかった。
邪魔なものはカイゼルとロゼ。その二人さえ始末できたならそれで良かったのだが、それが上手くいかなかった時の為に保険をかけていた。
いざとなれば街ごと二人を亡き者にする。別に自分さえいれば国など立直せると思っているサイフォンだからこその荒業だ。
対してロゼは何も言わない。サイフォンに何を言おうと無駄なことはもう理解している。無駄なだけで徒労を重ねるだけの行為など、ロゼはもううんざりだ。
「荒ぶる雷よ。集い集い妾敵を薙ぎ払え。雷帝の鉄槌。」
ロゼは剣を振るい、努めて冷静に戦線の火蓋を切る。その攻撃はサイフォンを驚かしただけで敵には当たらなかったが、ロゼは向ってくる敵の剣を受け流して敵の肌を切る。
殺す気はない。それでも守る者が無くなれば、ロゼも自由に動ける。退いては攻めて、攻めては退いてを繰り返して、少しずつ敵の勢力を削っていく。
「な、何をしている!?相手は一人だ!早く始末しろ!!」
何もわからないサイフォンが怒り狂うが、ロゼはそう簡単に捉えられない。距離を取れば魔法を飛ばし、詰めても剣を流され傷が増える。
迂闊に近づくことも離れることも出来ず、攻めあぐねるしかない状況で始末しろと言われてもどうしようもない。これでロゼが油断してくれるなら勝機もあろうが、その様子は一切見られない。
「クソッ・・・!おい岩人形!こいつを踏みつぶせ!!」
サイフォンが命令を下すと、それまで戦っていたギフトを無視してロゼに近づく。だがロゼは近づいてくる岩人形を見向きもせず、ただ目の前の敵に剣を向ける。
サイフォンの顔が気色に歪む。やっと諦めたのだと拳を握るが、ロゼはこれっぽっちもそんな気はない。
ただ信じているだけ。ロゼが気にする必要が無いだけだ。
「お前の相手は俺だろうがこのデカ物が!!」
ギフトが岩人形の肩に猿の様に登り、肩に立って巨大な顔面を殴りつける。岩人形がこちらを無視したのを良い事に、魔力を十全に纏わしたその拳は岩人形の体を揺らしてたたらを踏ませる。
体制を崩しかけた岩人形にギフトは更なる追い打ちを掛けて、休息する暇を与えない。もう一度殴れば更に後ろに下がり、どんどんロゼから離れていく。
サイフォンはここに来て初めて恐怖を覚える。そんな人間見たことがない。あの大きさの魔物を素手で殴りつけ、あまつさえその体制を崩せる人間など聞いたこともない。
呆気に取られて言葉を失う。そう。誰もがその一瞬にギフトに目が向いてしまう。自分の想像を超えた出来事を目の前にして、思考を手放さずにいられる人間はそうそういない。
その中で何一つ止まることなく動けるのはよほど対応力の高い者か、
「紫電よ。収束し敵を穿て。雷の弾丸。」
それを予期していた者だけだ。
ロゼの詠唱に我に帰ってロゼを見るももう遅い。雷は敵を撃ち、直撃した者を地面に倒れ伏させる。その間にもロゼは敵に近づいて剣を振り、太腿を切りつけ動けなくする。
決して深い傷ではない。だが、敵の中に一つの懸念を抱いた者達がいる。それは、
―――この女に勝てても、次の相手は?―――
だった。
仮にロゼに勝てたとしよう。だが、そうなればあの魔物を殴りつけて笑っている化物と戦う事になる。そうなった時に勝てるかと聞かれて、勝てると答えられる者は一人もいなかった。
戦意を失いかけても戦いは続いている。動きが鈍くなればロゼにとって絶好のカモでしかない。時間が進むたびに人が倒れ、そして―――。
「ふむ。妾の力も存外捨てたものではないな。」
―――立っているものはサイフォン一人となった。
「う、嘘だ・・・!嘘だ!!」
「残念だが、これは現実だ。」
ロゼはサイフォンに一歩近づき、対照的にサイフォンは後退る。サイフォンを守る盾は存在しない。逃げた所でロゼより足も早くない。
不意打ちでなければ勝てないから、策を講じた。なのにその策も想定外の人間の介入で破綻した。サイフォンはここで現実を悟り、尻餅をついて涙を零す。
「・・・ひっ!お、おいローズ・・・。俺を殺すつもりか・・・?お、俺はこの国の・・・。」
「犯罪者であろう?それに殺すつもりはない。」
ロゼは淡々と言葉を紡ぐ。サイフォンが一縷の希望を繋いだ瞬間だった。ロゼの甘さは知っている。泣き落とせばやり込めるかも知れない。
だがサイフォンが言葉を吐く前に、ロゼは自分の後ろにいる人間を見る。いつの間に来ていたのだろう。それは知らないが、ロゼは別に態々人を甚振る趣味はない。
かと言って恨みを買った責任はある。自業自得まで救ってやる義理はない。
「お前は暗い独房で一生を過ごす。だが、その前に一発殴られろ。」
それを了承と受け取った男はロゼを追い抜いてサイフォンに向けて走る。勢いをつけたまま座り込むサイフォンの顔に当たるよう下から拳を突き上げて、顔面に大きな拳をめり込ませた。
サイフォンの体が空中に浮いて、気を失って離れた場所へ落ちる。前歯が折れて鼻血を流し、泡を吹いた男に誰も同情せず、殴った男は爽快に笑う。
「ガッハッハッハ!気持ちが良いもんだ!」
ガルドーはとても嬉しそうに笑う。今まで見たことが無いくらいに快活な笑みを浮かべるガルドーにロゼは苦笑いを漏らす。
「あれは痛そうだな。お主を怒らせないようにしないとな。」
ロゼはそれだけ言ってギフトを見る。主を失ったからかギフトを完全に敵とみなしたのか、街へと向かうことなくギフトに向けて強大な拳を叩きつけて地面が揺れる。
その揺れに耐えるようその場で重心を落とし、揺れが収まるのをじっと待つ。するとグラッドが走ってきて、ロゼの無事を先ずは喜ぶ。
「姫様!無事でしたか!」
「遅かったではないか。」
「少し門で捕まりました。それよりも・・・。」
三人は揃ってギフトを見る。あの巨体を前に一歩も引くことなく戦ってはいるが、決定打は打てず、苦戦していることが見て取れる。
「姫様!加勢を!」
「行かなくて良い。心苦しいが、妾が行っても役に立たん。」
ロゼは剣を鞘に収めて腕を組む。グラッドはその様子に驚き慌ててギフトを見る。遠目でよく見えないが、その顔は笑っている。何一つ状況が悪いとは思ってない様子だった。
「い、良いのですか!?」
「確かにな。いくらあいつでもあれはキツイだろう。」
「構わんさ。知らぬのか?」
ロゼはそう言って自分を見つめる二人に笑いかける。ロゼは視線を明後日の方向に向けて確信する。長い長い夜明けは終わった。この戦いに終止符が打たれる時が来た。
二人はロゼの視線に釣られてある方角を見る。そこには空を明るく照らし、闇を払う偉大な存在が姿を見せようとしていた。
「英雄は夜明けに訪れるのだぞ?」
そしてロゼは笑い、夜明けが訪れる。ギフトの髪は真っ赤に燃え上がり、誰もがその姿に目を奪われる。
続きは明日10時。