48 殴って殴ってぶん殴る
城の中庭で鈍い音が響き渡る。これだけ騒いでいるのに城内の騎士が出てこないが、ギフトはその違和感を無視して戦い続ける。
決定打は未だに打てない。完全に向こうが警戒している以上、碌な隙も作らずに魔法を打とうが当たらないだろう。面倒な相手だとギフトは内心で毒づく。
牙の傭兵団でここまで強い者などいなかった。基本が弱い奴らを嬲るのが趣味な奴らだ。力を求める者は少数で、人を甚振る楽しさに魅入られた者が集まり傭兵団を作っただけの、とても傭兵とは思えない犯罪集団だ。
「おかしいね。牙にここまで強い奴なんていなかったけど?」
あくまで余裕を崩さず戦いの合間を縫って話しかける。突破口が見当たらないまま殴り合いをしても押し切れない。時間を稼いだところでギフトに仲間は来ないが、敵には仲間が来る可能性は大いにありうる。
本当なら会話等せずに戦いたいところだが、相手が防御に徹している上に、それほど実力に開きが無い。泥沼の殴り合いに発展させるのはまだ早い。いざとなれば仕方ないが、先を考えると出来るだけ体力を温存しておきたかった。
「お前にやられて三年は経つ。その間何もしないと思うか?」
「そりゃそうか。」
三年前だったかどうかは覚えていないが、それだけの時間があれば人は変わる。どうせ変わるなら敵対しない道を選んでくれれば良かったのにと思うが、これはギフトの詰めの甘さが招いた事態だ。
油断したつもりは無い。それでも逃げられたのなら当時の自分が弱かったのだろう。三年前の自分の不始末がここにきて目の前に現れるとは予想していなかった。
「それで?俺に復讐するために態々こんな事してんの?」
「いやお前が来たのは本当に偶然だ。お前さえいなければ良かったのだがな。」
それはこちらも同じだとギフトは眼で語る。そもそもこいつらがいなければギフトは今頃王都で楽しい食事三昧の日々を送っていただろう。ロゼに出会ったことを後悔はしていないが、その原因には恨み言の一つや二つは出てくるものだ。
「国に召し抱えられる傭兵になれた筈だがな。お前がいると困るんだ。」
「傭兵の癖に国に仕えたいの?騎士にでもなればいいのに。」
「騎士だと柵があるだろう?自由に人を甚振るには傭兵が一番だ。」
「・・・そんなもん、傭兵とは呼ばねーよ。」
相変わらず牙は狂ってる。冷静な口ぶりでいかれた言葉を話す男のせいでどれだけの人間が運命を呪ったか。
こんな奴と同じだと思われるのは我慢ならない。ギフトにとって傭兵は憧れで恩人だ。
「まぁ。自己中な性格は傭兵らしいとも言えるけどね。」
嫌悪感を示しつつもギフトは相手の言葉も全て否定しない。結局同じ穴の狢だ。自分とそれ以外にどれほどの違いがあるのかと問われればギフトは答えることは出来ない。
それでもギフトは我が道を進む。自分の道の行く先を邪魔するものは殴り飛ばす。ギフトも自分の事を良く言えない。ただ自分の為だけに戦い続ける。
一息吐くとギフトは地面を踏み込む。地面を蹴って距離を詰めるがそれも予想されているのかギフトの攻撃は悉く防がれる。
ギフトの拳から血が飛び散る。手甲が固すぎてダメージが通らない癖に、こちらは攻撃すればするほど痛みを負っていく。仮に杖を持っていても意味は無かっただろう。あの程度の杖ではこの防御を破ることは出来ないだろう。
「この手甲は抜けられないか。」
そして殴り合いの中で小さく呟かれた声はギフトの耳に届き、一瞬頭に血が上る。自分で弱いと言うのは良いが、他人に言われて黙っているような性格はしていない。互いに拳を突き出して中央で交わり音が鳴る。前蹴りを出して相手と距離を取ろうとするが、左腕で防がれて足を掴まれる。
だがギフトは手の甲から血が流れるのを構わずに、痛む手で男の頬を殴りつける。痛みから魔力が少し霧散しているが、少しよろめいた瞬間を見逃さず、追撃を仕掛けて相手が距離を離す。
少し息が荒くなる。一瞬でも油断すれば負けると思えるくらいには相手は強い。痛む手を握り締めてギフトは相手を睨み、頭に上った血を鎮める。
「鬱陶しい奴だな。そんなに俺が邪魔か?」
「ああ。邪魔だ。お前さえいなければと思ったことはこれで二度目だからな。」
ギフトの軽口に男も応える。構えは一切解かずに油断なき目でギフトを見ながら憎々しい過去を思い出す。
「やっとの思いで上り詰めればお前が現れる。今も昔もお前は俺の邪魔をする。ここで死んで欲しいと願うのは当然だ。」
過去に集めた部下は全てギフトに消された。問答無用で拠点で暴れまわって全てを燃やし尽くした。そして今も再び集めた部下はギフトの手によって何人か失っている。
疎ましく、そして羨ましい。自分にその力があれば何ができたかと夢想したことだってある。その力に今肉薄していると思えば自然口角が上がる。
「ムカつくね。」
その笑みを見てギフトはより一層顔を険しいものにする。過去に負けた者が再び挑むことは良い。だがその顔が気色に歪むのは違うだろう。
牙の様な理不尽が、この世に蔓延ることを良しとしない。理不尽に耐えて生きてきた男はそれがどれだけ辛い者かを知っている。
自分は救われたから生きている。もし救われていなければ自分は遥か昔に死んでいただろう。少なくともここにはいないし、こいつに怒りを覚えることも無かった。
自分と同じ人間など生みだしはしない。この世界が嫌いだったギフトはいつしかこの世界を好きになった。その時の高揚感を誰かに教えてやりたくて、自分が幸せだと胸を張って言わなきゃならない。
その為には目の前の理不尽を許しはしない。それは自分の為だけに。自分の心を満たすために。
この場にロゼがいれば違うと否定したかもしれないが、ギフトは自分を自己中だと知っているし、それでいいとも思っている。だからこそギフトは十全に力を振るえる。自分だけの戦いなら何も迷う必要は無いからだ。
「群れて粋がる小僧が調子に乗るなよ?俺を敵に回した事、地獄の淵で後悔しろ。」
ギフトは構えを解いて傲岸不遜に笑い出す。理不尽が笑うくらいなら、自分が彼らの敵となろう。絶対に奴らが笑えないようその恐怖を刻み込んでやろう。
「因果応報、自業自得。てめえの過去を呪って消えろ。」
最早言葉は必要ない。グダグダ考えるのはもう止めだ。ロゼの為と嘯いて戦うのはもうお終い。ここから先は自分の怒りを発散するだけの戦いと、ギフトは拳を握り魔力を高める。
「炎の槍!」
腕の先に槍を作りそれを掴んで敵に投げる。真っ直ぐにしか飛ばないその槍は相手に当たることは無いだろう。だが防ぐ事は出来はしないだろう。
案の定それは躱され、城壁に激突し粉塵を撒き散らす。一本槍を投げればそのまま相手に向かって走り出す。相手の攻撃など気にしない。攻めて攻めて攻めまくって相手に攻撃させる暇を与えない。
ギフトは敵に飛び掛かり、勢いのまま敵を目掛けてぶん殴る。当たるとは思えない大ぶりな挙動で、それでも躱すか防ぐかしなければ痛みを伴う攻撃を。
向こうからすれば絶好の的だろう。防ぐだけでギフトは傷ついてく。こっちは手を出す事は無い。待っていれば防いでるだけで自滅してくれる。そう頭でわかっていても本能が警鐘を鳴らした、まともに打ち合ってはいけないと。
ギフトの渾名は悪戯好きの炎。その渾名は見た目だけで名づけられたものではないと男は知っている。右に行ったと思えば左にいる。激高したと思えば冷静に勝機を伺う。敵を嘲笑い、戦場を自在に駆け回り高笑いを響かせた脅威の存在。
それが何も考えずに戦うとは思えない。勝利に近づいても気づけば喉元に刃を突き付けるような存在だ。最後まで油断する訳にはいかないと、男はギフトの攻撃を引き寄せることもせずに回避する。
ギフトの拳は地面に当たり、当たった部分を抉り取る。ギフトは別に何か策があったわけでは無い。本気で殴ってればいずれ当たる。当たる時まで全力で殴り続けようとしただけだが、男の深読みがギフトから距離を取る。
それでもギフトはそれを許さない。距離を取られるくらいなら自分から縮めてぶん殴る。ムカつく奴の面は殴らなければ気が済まない。その為だけにギフトは距離を取らせることを許さない。
男の目に初めて焦りの色が出る。そもそも男からすればギフトは来ないと思っていた。夜に襲撃を仕掛けてくることも想定はしていたが、ギフトまで来る事は予想外だった。想定外の事態が起こると自分はともかく、部下がすぐに動けない。
思考が頭を掠めた一瞬。ギフトが身を屈めて男の視界から外れる。それを目で追ってしまった。ギフトは体を回転させて拳の甲を男の顔面に向けて振り回す。
回避する余裕はない。両腕を上げて防ぐが、勢いを殺しきれず足が空に浮いて吹っ飛ばされる。空中で姿勢を制御して地面に着地するが、視界を確保するため両腕を少し開いた男の目に、握り拳が飛び込んで来る。
ガツンッ!と骨と骨がぶつかる音が鳴り、男は地面を転がっていく。幸か不幸か意識は飛んでいない。ギフトも裏拳の時に魔力が霧散した。それでもある一つの意思の元、体制を整える暇を与えず左腕を振りぬいた。
殴った感触を確かめるように左手を握っては開いて、舌なめずりをする。やっと気持ちの良い一発が入った。魔力を纏わせなくても顔面を何度も殴られれば耐えきれないだろう。
後は痛みを無視してこれを繰り返すだけ。多少辛いが攻めた方が良いと判断できるなら攻めるだけだ。
男は鼻から流れる血を拭い、ギフトを見る。男の想像通りギフトは強い。だが、あの時ほどの脅威を感じない。理由は知らないがまだあの時と同じ力を使わない。油断しているとは到底思えないが、付け入る隙があるのは確かだった。
二人は互いに睨み合いまた打ち合う。そしてギフトが男の体制を崩して男の顔面に拳を打ち込んだ瞬間、ギフトの目の前を鮮血が舞った。
続きは明日10時。