34 出立は悶々として
晴れ晴れしい爽やかな朝の空気が部屋に流れ込む。少しの眩しさが瞼を閉じたロゼに差込み、目を細く開けぼんやりとした世界が広がる。
上体だけを起こして大きく伸びをして欠伸を漏らす。目覚めたばかりの緩い思考が、ロゼを弛緩させていた。
「大きい欠伸だなー。もうちょい寝る?」
窓を開けた状態のまま笑いながら声を掛けられる。煙草に火を付けようとしたが、あまりにも気持ちよさそうに欠伸を漏らすのでそれをつい見てしまった。
当然ロゼは愉快ではない。女の子と見られたいと言うつもりも無いが、羞恥心を忘れた訳ではない。大きく口を開けている所など決して見られたい物ではない。
抗議の意味を込めて睨んだところでギフトに意味はない。朝から面白いものを見たと言わんばかりに上機嫌に鼻歌を歌うギフトを黙って見ているしかない。
今までなら。
「音痴。」
「端的に辛辣!」
流石に慣れたのかやられてばかりではない。それが意趣返しになるとは思えないが、見て欲しくない場面を見たのだ。多少の毒は飲み込んでもらおう。
身を起こし身だしなみを整えるために化粧台に向かう。先程まで眠っていた割には体はすっきりしている。今まで寝起きは気だるさがあったが、目標が見えたからか悩みが少なくなったからか、随分体が軽く感じる。
自分の単純さに思わず笑みがこぼれる。すると鏡の奥でギフトが顔をひょっこりと覗かせる。
「ロゼって顔整ってるよねー。王様って皆そうなの?」
「・・・どうだろうか?少なくとも妾は自分を綺麗と思ったことはないな。カイゼル兄様は格好いいがな。」
「カイゼルって今の王様だっけ?もう一人の方はカッコよくないの?」
「サイフォン兄様はその、あまり鍛錬をしない人でな。えっと・・・」
「デブ?」
「言葉を選んだ意味を汲んでくれ。」
率直な物言いにロゼは嘆息する。別に太っていることを悪く言うつもりはないが、そのまま言うのは気が引けていたのにギフトはその線を平気で超えてくる。
「別に良いじゃん。美味しいもの食べれてる証拠でしょ?」
「確かに旨いものは多いが、運動不足が祟っただけだ。褒められるものではないな。」
ロゼはサイフォンをそれほど好いていない。幼少期はそれなりに仲が良かったはずだが、どこかの時期から話さなくなり、久しぶりに話し始めたのは前王が崩御してからだ。
その目に不気味な光を携えて話しかけてくるサイフォンは気味が悪く、それでも強く当たることも出来なかった自分が今は恨めしい。
自分を卑下し、周りからの目が気になり萎縮していた。それがなければもっと早く気づけたかも知れない。今更言っても詮無きことだが、後悔はある。
だが、このまま終わるつもりはない。後悔はしているが、それで全てを受け入れられるわけではない。黙って死ぬつもりは無いし、国の法を無視して非人道的な行いをしたサイフォンを許すつもりはない。
ロゼが身支度しているとギフトは煙草を吸いながら外の景色を眺めている。気づいたら近くにいたり、少し目を話せば遠くなっていたりと、本当に自由に動き回っている。
ギフトは寝れないのを良い事に既に準備は終えて、ロゼを待つばかり。急かすつもりは無いのか何も言わないが、のんびりするつもりはロゼも無い。さっと髪を整えて立ち上がる。
「よし。着替えたら行くぞ。」
「ほいよ。」
リュックを担いで帽子を被り、杖を手にしてギフトは体を伸ばす。ずっと座っていると体は硬くなる。コリを解して首を鳴らす。
ロゼは服を着替えて腰に剣を吊るす。青いショートパンツに黒のブーツを履き、ベージュのタンクトップに黒いカーディガンを着ている。着慣れない服に少し体を動かしてみるが動きに支障はない。
「悪くないな。動きやすい。」
「俺と服を選ぶ基準が一緒だね。」
「・・・今度からファッションにも気を使うか。」
「どういう意味?」
ギフトが不満を漏らすが、それを無視する。ギフトと同じ感覚なのが嫌なわけではない。単純に服に無頓着なギフトと同じだと思われては女性として終わってしまう気がする。女性らしさを求めてるわけではないが、女性じゃないと言われたいわけではない。
「とにかく行くぞ。ガルドーも待たせているかもしれん。」
この話題はここまでと話を打ち切り、部屋を後にする。宿を出ると既に準備を終えていたガルドーが二人を出迎える。革の鎧を身につけて大きく無骨な剣を背中に装備し、まさに冒険者と言った風情を醸し出している。
「わー。似合うね。山賊みたい。」
「金をあまり使う気になれなかったからな。余った金は返しておこう。助かった。」
ギフトの言葉に不快感を示すことなくお金を返す。金貨一枚渡したが、随分と減っていた。食料の買い込みと自信の装備に使ってしまったのだろう。
ガルドーはお金を使っていいという言葉をきちんと受け取ったようだ。変に遠慮して装備も整えず付いて行くと言いだしたら邪魔にしかならない。その事を理解しているのだろう。
「金貨一枚渡すとは思わなかったが、お陰でまともな武器が手に入った。力にはそれなりに自信がある。こき使ってくれて構わない。」
「俺より強いならそれも考えるかな。」
「・・・それは、勘弁してくれ。」
「実際戦えばいい勝負になると思うんだけどねー。」
「負けると一切思わないところが違いだな。俺はお前と戦いたくはない。」
勝つか負けるか、ではなく戦いたくない。不気味な存在感を放つギフトに正面から戦いを挑むことは無謀と直感が告げた。冒険者として危ない橋を渡ったことは何度かあるが、まさか街中で危険を察知するとは思えなかった。
ギフトがどれだけ強いかなど分からないが、自分より強いことは理解できた。ならばそこで引くべきだ。主人のためにという気も無いのに自らを危険に晒せない。引いて良いところといけないところを見極めるのも冒険者の資質だ。
「食料は?」
「調味料を多く保存の利くものを少しな。野宿するならその度狩ればいい。」
「お、わかってるねー。」
「美味い飯は体と心を充実させるかなら。こだわって損はない。」
「話し込むのは良いが、歩きながらにせぬか?」
流石にダラダラ話しすぎだとロゼが注意する。ギフトが乗り気になったはずなのに気負っている様子は見られない。国相手に喧嘩を売ろうとしているのにその態度はどうなのかと思うが、ギフトが必要以上に気負っている所を想像しようとしてもそれは出来なかった。
街を歩く間も気の抜けた会話を続け、気を抜けばフラフラとどこかへ行くギフトを止めながら三人で賑わう街を抜け、門へと辿り着く。
するとそこには三人の女性が立っていた。ギフト達が来るのを待っていたのか、こちらを見つけるなり早足で近づいてくる。
「私たちも付いて行くから。」
「ん?良いの?」
「良くはない。でも私たちも考えることはある。」
「そうです。私達には私達の目標がありますから。」
そう言われるとギフトには断る理由は特にない。別にいてもいなくてもギフトからしてみればどっちでも良い事だ。戦力として数えるつもりも、荷物持ちに使うつもりもない。
ロゼに視線を向けると異論は無いのか黙って頷く。ロゼからしてみれば人数が増えて困ることと言えば食事だけだ。料理を楽しみ始めたは良いが、人が増えればその量の加減が難しい。毒されたのかロゼも食事の事を真っ先に考えるようになっていた。
「俺らは良いよ。でもあんたら冒険者でしょ?」
「上手くやる。バレたら冒険者をやめる。」
「覚悟は出来てるわよ。もともと冒険者に拘ってないし。」
三人からは悲壮感は無く、むしろ晴れ晴れとしている。冒険者に拘りが無いのに何故冒険者になったのか気にはなるが問いただす気はない。人には色々あるものだとギフトは適当に頷いている。
「待て。本当にそれで良いのか?妾達が悪かも知れんぞ。」
「その時は止めてみせます。それも冒険者の役割の一つですから。それに黙って見過ごすことはできません。」
「人を殺すことになっても?言っとくけど俺は容赦なくお前らも殺せるよ?」
飄々と確信を突く。ギフトからしてみれば許せないことを許すつもりはなく、邪魔をするなら誰とでも戦うつもりはある。
殴りやすい殴りにくいはあっても、気に入らないものを黙って受け止める程人間は出来ていない。もしリカ達が自分の邪魔をしてくるようなら、見捨てることも平然とする。
自分から首を突っ込んで危険な状態になったとしても、それを救うつもりは一切ないし、文句を言われることをしたとも思わない。自分の意志で進んだくせに文句を言うなと怒鳴り返すくらいは普通にする。興味を失えば最早何も言わず、意識の外に排除する。
冷淡な言葉にルイの顔が引き攣るが、ギフトの脳天に手刀が落とされる。剣呑とした空気を拭うかのようにギフトの頭から鈍い音が鳴り、頭を押さえる。
「脅すな馬鹿者。」
「確認してるだけだよ。」
「必要以上に厳しくする必要もなかろう。悪党を気取るな。」
呆れた声でギフトを諌めるロゼに、唇を突き出し睨みつけける。だがロゼはそれに目をくれることもなく、腕を組んでいる。
悪党を気取ったつもりはないが、大事なことだとは思っている。自分はこう言う奴だと最初に認識させておけば、この時点で離れることもできる。その方がお互いにとって特になるとギフトは判断している。
そもそも一人で旅をしている理由もストレスが溜まらないからだ。ロゼはともかくとして、既にガルドーもいる。その上で三人娘と旅をするなど考えてはいなかった。
「団体行動って苦手なんだよねー。」
「変われとは言わぬ。妾のためと思って少し我慢してくれ。」
ロゼは人が増えても食事ぐらいしか問題は浮かばない。三人が嘘を吐いているとは思っていないし、王都についてからもすぐ行動を起こすわけではない。戦力としても、情報を集めるにも人数は大事だ。冒険者なら冒険者なりの知識もあるだろう。
信用できる人間が居ることは心強い。その事はここ数日感で学んだ。まだ三人を信用しているとは言い難いが、王都に着くまでに判断を下せば良いだろうと考えている。何よりギフトには教えて貰いたい事が沢山ある。その間の見張りをガルドー一人に任せるのも忍びない。
「ここで言い合いして時間を使いたくはない。所詮五日ほどの道程であろう?それだけの間だ。」
「・・・。・・・・・・はーい。」
文句はありますと顔に書いてあるが、それらを飲み込み肯定してくれる。これでギフトは問題なし。いや問題はあるだろうが、一度自分で決めたことに後で駄々を捏ねることはしないだろう。良くも悪くもギフトはさっぱりしている。
「ならば行こう。お主たちも本当に良いのだな?」
「ん。大丈夫。」
三人を代表してミリアが返答する。そして少しの気まずさを残したまま、六人は王都に向けて歩き始める。