30 戦争を仕掛ける者は
狭い路地裏にノルディを担ぎ、壁に向かって投げ落とす。貴族に対してというよりも人間に対する扱いですらないその行為に、思わず見ていた人も憐憫の目をノルディに向ける。
「ちょっと酷いんじゃないかしら・・・?」
「大丈夫。人ってこれくらいじゃ死なないから。」
「違う。言いたいことはそうじゃない。」
「なら黙って離れりゃ良かったろ?なんで付いてきたの?」
「こ、この状況で黙って離れられませんよ!ど、どうするんですか!?」
「ちょっと聞きたいことがな。ただ・・・。」
ギフトの気がかりはローゼリアの甘さだ。ローゼリア次第ではこの場で情報を聞き出す事も、ローゼリアを見捨てて離れることも考える。ここにきて自分の予想外の言葉を言うとは思わないが、試せるときには試させてもらおう。
「どうする?姫ちゃん?」
「妾を試しているのか?答えは前にも言ったぞ。それは変わらん。」
それはつまり拷問で情報を聞き出す事はしないと言う事だ。甘すぎる言葉を自信満々に言い切り、ギフトから目を逸らさない。その甘さはいつか絶対命取りになる。そのことをギフトは知っている。だからこそ、ここで言わなければならない。
「姫ちゃん本当甘いなー。いつかしっぺ返し食らうよ?」
「構わん。その時には強くなるし、誰かに守ってもらおう。」
「・・・変わったねー。良いよ姫ちゃん。俺は好きだぜ。」
ギフトは甘さを否定しない。というより常に冷酷な人間など何一つ好きになりなどしない。甘さを抱えて苦しみもがいて、それでも変わらないなら、それはいつか甘さではなく信念になる。途中で折れない限りその甘さはローゼリアの美徳であり続ける。
人を殺すことは出来る。だが、人を痛めつけることは出来ない。どっちが酷いと言われれば答えは人によって変わるかもしれないが、少なくとも自分の中で線引きの出来ている甘さなら文句は無い。
だが、ならなぜギフトはノルディをここまで連れてきたのか。それはこの男の奴隷に話を聞くためだ。
「おっちゃん。この男の言っていることがわかる?」
「・・・。」
「喋れないのかな?それとも命令かな?」
問いかけても男言わず目を閉じて口を開かない。忠義があるとは思えないが、奴隷とはそういうものだ。
服従の魔法は無いが、魔法が発動すれば激痛を与えることは出来る。毒渦と似たやり口だ。逃げ場を求める心を縛り上げ、その隙間を付いて服従を強いる。だから奴隷は好きになれない。人の意思を奪う事は誰であろうと許されない。
そしてギフトは自分が許さないと思ったものに対してどこまでも冷酷で、どこまでも努力家だ。認めたくない者が目の前にあり続けることをよしとするような殊勝な性格はしていない。
男の首輪に手を当て目を閉じる。常識の埒外にいる存在に世界の常識は通用しない。
「何をしておるのだ?」
「奴隷の首輪ってのは内側に魔法陣が仕込まれてるんだ。その魔法陣が所有者の魔力に反応して魔法を発動させる。無理に外そうとしても外れないようにする魔法も常時発動してるしな。」
「そんなこと知ってるわよ。だから何をしてるのよ?」
「要はその魔法全部ぶっ壊せば首輪は意味を成さないんだよ。」
口の端を吊り上げて、ギフトは魔力を首輪に纏わせる。その魔力はギフトの意思に従い、首輪の魔法陣を燃やし尽くす。
「これを作った奴の技量にもよるけど、屑に負けるほど軟じゃないんだよね。ほれ。」
首輪をひらひらと動かし、全員に見せつける。ローゼリアはギフトの非常識な所を多く見てきたからか、その驚きも小さく、誰よりも早く立ち直る。
「ほう。これでは奴隷商も形無しだな。誰にでも出来るのか?」
「これ結構難しいよ。でも慣れれば誰にでも出来るんじゃない?」
「そんな訳ない。意味が分からない。魔法陣を壊す?魔法はそれほど簡単なものではない。精密な魔法を無理に壊そうとしても首輪は発動する。なぜ出来る?どうやったか教えて。クスリを燃やしたのと同じ方法?なんでそんな方法を試そうと思った?詠唱は?」
「すげえぐいぐい来るな。」
「そんなこといい。早く早く。」
次に復活して目を誰よりも輝かせギフトに迫るのはミリアだ。彼女は首輪を外した驚きより、ギフトの魔導士としての技量に興味が移り、もう他の事は眼に入らない。饒舌に犬ならば尻尾を千切れんばかりに振るっているだろう。
「んー。口で言うほど簡単ではないけど、慣れってのはあると思うよ。」
「それだけじゃない。絶対そんな筈ない。」
「そうだな。ぜひご教授願いたいものだ。」
「姫ちゃんまで?無理無理。人に教えるの苦手なんだって。」
「なら、もう一回やって。次はちゃんと見る。魔力の流れを多くして、より分かりやすく、」
「って、ちがーーーーーーう!!!あんた今自分が何したかわかってるの!!?」
ようやく復活したリカが大声で会話を遮る。その声の大きさにギフトは耳を塞ぎ、ローゼリアも顔を顰める。ミリアは慣れているのか表情を一切変えていないが、目の輝きだけが失われた。
「うるさいな。なんなんだよもう。」
「なんなんだよじゃないわよ!奴隷の首輪の解放なんて、それを至上命題にしてる人もいるくらいなのよ!?そんなあっさりと・・・!」
「知らねーよ。俺に文句言うなよ。」
「あんたに文句言わなきゃ誰に言うのよ!本当に首輪を外したの!?」
そう言われてもギフトには本当だとしか言えない。首輪をひらひらと振り投げて渡す。それを受け取りまじまじと見つめるが、どれをどうしたのかなどさっぱりわからない。
「すごい。魔法の使い方を熟知しなきゃ出来ない。誰に教えてもらった?」
「教えてもらってないよ。独学でいろいろ試したんだよ。」
「戦場で学んだことか?」
「どっちかっつーと日常生活で。魔法を日常の中で上手に使えないかとか考えると上達するんじゃない?」
「なるほど。今度から試してみる。」
リカの言葉にきちんと返答することなく、三人で会話し続ける。そして置いてけぼりにしてはいけない人物がいることをふと思い出し、そちらに声を掛ける。
「おっちゃんどう?これで喋れる?」
「・・・ああ。ああ!」
自身の首を触り、今まで不快思っていた物がそこに無いことを確かめる。そしてそれが無いことを目と指で確認すると、目に涙を浮かべ言葉にならない言葉を出す。
「どうしたのさおっちゃん?」
「奴隷を解放されて喜ばぬ者などいないだろう。それだけの事をしたのだぞ?」
「えー。本当に大したことじゃないよ?今度姫ちゃんにも教えようか?」
「む?教えてくれるのか?」
「いいよ。姫ちゃんになら構わないさ。」
「私は?私は?」
「ヤダ。」
一言で断り、ミリアに睨まれるもギフトもそこは譲らない。自分の正体を知って尚、離れぬ事を決めたローゼリアになら教えてもいい。自分の脅威になる可能性は低いからだ。
基本的に教えるのが面倒なのもあるが、それ以上に自分より強いものがいる事は自分の危険を高めることになる。人生で学んだ事は簡単に人を信じてはいけないと言う事だ。その点ローゼリアはまだ信用できるが、ミリア達の事は何一つ信用していない。
「泣いてないで色々教えてもらうよ?」
「・・・いや。悪いが俺は力になれない。」
「サイフォンってのはお前は知ってる?」
「俺は特に知らないさ。他国から連れてこられて奴隷にされた。」
「なーるほど。いや充分充分。それだけわかれば殴る理由が出来るよ。」
「おい!何を喋ってやが!」
そのノルディの言葉は最後まで紡がれる事は無かった。ギフトの振り上げた足がノルディの脳天に落とされたからだ。あまりの素早い出来事に誰も反応できず、床と顔がぶつかる音をただ聞くことしか出来なかった。
「えっ・・・?ちょっと・・・?」
「イライラするんだよね。イライラしてたんだよねずっと。」
犬歯をむき出しに笑い、やっと鬱憤が晴らせるとギフトは身震いする。この国に着いてから何一つ思い通りに事は運んでいない。基本はなるようになれとは思っているが、ここまで振り回されて気分は良い気分はしない。
目の前で自分に食事を渡そうとしてくれた人を射抜いた。裏切って人を殺そうとした。毒渦を、解散した牙の屑どもを集め戦争を起こそうとしている。さらには奴隷を強制的に使役する。
ローゼリアの為に行動したことも確かにある。だが、ほぼ全ては自分の為だ。腹が立ったことをそのままにしておきたくない。ギフトとして届け屋として、罪の無い人間が泣いてることを許しはしない。
「やっと糞どもの正体が見えたんだ。ぶっ潰してやりたいんだよ。どこまでが仕組みか知らねーけど、腹立たねーか?おまけに戦争だ?舐めるにも程があるだろ?」
相手の目的など見えはしない。だが誰かはわかった。それだけわかればギフトには充分だ。サイフォンという男がいて、そいつが元凶という事さえわかれば、それ以上は必要ない。
笑みを浮かべたままその場の全員に問いかける。それに応えるものは誰もいないが、ギフトはそれを気にせず喜色満面の笑みを深くする。
「届け屋として約束してやるぜ。糞どもに絶望を届けてやる。俺を敵に回したことを、偶然と運命を恨みやがれ。後悔の二文字を届けてやる。」
「・・・どちらが悪党かわからぬな。」
「ムカつく奴をぶん殴れるなら、善人でも悪人でも構わない。戦争を起こすつもりなら、その前に俺が戦争を吹っかけてやる。」
これまでにない爽やかな笑みを張り付けギフトは決意を口にする。その目には顔も知らぬ者どもが泣いて許しを請う姿が映し出されている。
誰もが少し複雑な気持ちを抱えたまま、ギフトは高らかに笑う。その様は誰がどう見ても善人には見えなかった。
ここまでを二部とします。
内容が予告なく変更する可能性があります。