29 予感
今ギフトは溜息をついている。あの後結局常駐の騎士に捕まり、詰め所で尋問が行われた。そのことは別に大した問題ではない。どんな怒気を帯びようと、そこらの騎士の恫喝に怯えるほど小さな胆力ではない。
ローゼリアは騒ぎを広めないために、三人娘の説得も兼ねて詰所にはいない。その事も二人で決めたことだ。それも別に溜息をつく原因ではない。
問題なのはその後。詰所から出てきたギフトを迎えた四人の女性。ローゼリアの説明で納得したのか、顔を見るなり謝罪してきたリカ。魔法を教えてもらおうとせがむミリア。その後ろでどうするべきかわからずあわあわしているルイ。
その三人を適当にいなして追い払おうとしたが、それがなぜこんな事になってしまったのか。ギフトにはさっぱりわからない。
「今度はあっちに行きましょう!かわいい服があるのよ!」
「私はこっちが良い。リカの趣味は露出が多い。」
「あはは。だったら両方行きましょうよ。」
住民も多少の被害は出たが、深夜であったこともあり、街の機能が失われるほどの被害は出なかった。手法として食事にクスリを仕込んだだけでは操ることはできず、直接クスリを注入するため、外にいなかった住民は被害にあわなかった。
酔っ払いや、冒険者、騎士が相手をしていた為、その事に酷く文句をつけるものはいなかった。冒険者や騎士は自分の身は自分で守る者で、それで騒ぎ立てれば自分の首を絞めることになる。
他の者も、放っておけば取り返しのつかない事態になっていた。それが防がれたのだから、痛みを訴える者はいても、それだけ棚に上げて責めるものはいなかった。
機能が失われることは無かった。だからギフトは何の気なしに言ってしまったのだ。ローゼリアの服を買いに行くと。
金を払うのがギフトの為、ローゼリアは断ろうとしたが、いつまでもギフトの服を借りてる訳にもいかない。後で必ず返すと一言残し、今は好意に甘えることにした。
それを聞いていた三人娘は、謝罪も含めて自分たちも付き合うと言い出した。すげなく断ろうとしたのだが、自分ではローゼリアに似合う服などわからないし、ローゼリア自身拘りが少ない。同じ女性が選ぶなら間違いはないだろうと深く考えず承諾してしまったのだ。
「女心が分からぬのが仇になったな。女性の買い物が長いのは世の常識だぞ?」
「・・・。」
「ほう。お前が言葉も出ぬほど疲労するとは。また付き合ってもらおうか?」
「やめてくれ・・・。」
別に体力的に疲労しているわけではない、単純に精神が疲れる。なぜ行ったり来たりするのだ。同じ店に二度入るんだ。服なんざ適当に選んで買えばそれでいいだろう。試着して買わないなら最初から着るな。
そう文句を言えば、ギフトが気圧される勢いで否定された。それから何も言わず黙って付き合っているのだが、いい加減長い。
「姫ちゃんも急ぎたいんじゃない?敵も少し見えてきたし。」
「正直焦る気持ちはある。だが、それ以上に余裕も持たねばならぬ。そう教えてくれたのはギフトだが?」
ギフトはこれといって焦ってはいない。敵が見えたなら相手の戦力を削るのに注力すれば良い。少なくとも敵が見えなかった時に比べれば楽にはなった。
相変わらず黒幕の正体は見えないが、それをどうにかするのは自分の仕事ではない。敵を叩き潰すのが自分の本領で、考えるのは別の誰かに任せればいい。
要はこの買い物を早く終わらせたいがためにローゼリアを焚きつけようとしたのだが、ローゼリアも堂に入っている。少しの揺さぶりで焦ることがなくなった。それ自体は良いことだ。良いことなのだが・・・。
「今は焦っても良いんじゃないでしょうか?」
「本音は?」
「買い物嫌い。同じもの見るの飽きた。」
何もこの場面で堂々としなくても良いのに。とギフトは思わずにいられない。薄く微笑みながらギフトを揶揄うようになったローゼリアは今までよりずっと雰囲気が柔らかくなり付き合いやすくはなった。
だがそれはそれこれはこれ。いくら良いことと言ってもギフトの忍耐は強くは無い。目の前で急速に成長するローゼリアを見るのは楽しいが、それと買い物に付き合えるかは別の話だ。
「最初からそう言え。迂遠な物言いは妾は好かぬ。」
「飯にしようよ。買い物終わらせましょうよ。宿でのんびりしましょうよ。お金だけ渡すから俺だけ飯食いに行っても良いですか?」
「それは駄目だ。食事は一緒に行くぞ。妾は毒があってもわからぬからな。」
唇を尖らして文句を垂れるギフト。ただそれでもそれを実行しないのはやはりどこか気を使っているのだろう。今この状況で別々に行動することの危険性をちゃんとわかっている。だからこそ文句は言っても行動に移さないのだろう。
「だがまあお前だけに気を使わせるのも申し訳が無いな。とりあえず食事に行くか。」
「さすが姫ちゃん話が分かる。」
三人娘を呼びつけて、文句を言われながらも食事に向かう。既に服は何着か買い込んでいる癖に何を言っているんだという気力も既にない。なんだかんだと食事を街に着いてから食っていないことでストレスも溜まっている。ここらでいい加減まともな食事にありつきたい。
ローゼリアの食事が駄目なわけではない。ただ碌な道具もない状態で作られる食事には少し飽きていた。調味料も同じものばかりで、工夫はしてくれてもどうしても単調さがある。
「姫ちゃんの飯も美味しいんだけどね。」
「そういってくれるのは嬉しいが、やはりプロには及ばないぞ。」
「いいじゃんいいじゃん。家庭の味家庭の味。」
それとも微妙に違う様な気もするが、褒められてはいるので悪い気はしない。少し口元を緩ませながら五人揃ってぞろぞろと歩く。
途中ギフトに羨望の眼差しが向けられ、ローゼリア以外の三人が少し気まずそうだが、ギフトとローゼリアは威風堂々と他愛も無い会話をしながら歩く。
「なんでこんなに注目されてるのに普通でいられるのよ・・・。」
「どうでもいいのかと。」
「もしくはお互いしか見えてないのかも知れませんよ。」
三人が勝手に邪推し騒ぐ。その声は二人にも聞こえているが、ギフトは当然の如く気にしていないし、ローゼリアも一番注目を浴びているギフトが何も気にしていないのなら自分が何かを言う事ではないと無視を決め込む。
ただ、その状況を羨ましく思うだけの者もいれば、それを許したくない者もいる。ギフトに向けて一人線の細い金髪を肩まで伸ばした白い服の男が近づいてくる。
「やあ。綺麗所を並べて優雅にお散歩かい?」
優雅な所作でギフトに小言を述べる男は白い歯を見せて笑いかける。多くの女性は面食らう場面かもしれないが、ローゼリアはこの手の人間は好きではないし、ギフトに至っては見知らぬ人間が話しかけてきてもそれに一々答えることはしない。
腰を少し曲げた状態の男の横を何も無かったかのように会話をしながら通り過ぎていく。一瞥をくれてやることもなく。
「待ちたまえ!僕が話しかけているだろう!?」
二人の背中に声を掛け止めようとする。ローゼリアは立ち止まり振り向くが、ギフトは我関せずを貫き振り向いたローゼリアの視線を追ってようやく男に目を止める。
「ん?姫ちゃんの知り合い?」
「いや?妾は知らぬぞ?だが声を掛けてきただろう?」
「そうなの?お兄さん誰?」
完全に眼中に無かった。その事をギフトの口ぶりから察したのだろう。肩をわなわなと震わせるも途端ふっと力を抜き、髪をかき上げ笑顔を張り付ける。
「相手の名を知りたいなら自分から名乗るのが礼儀だが・・・。まぁ今回は許そう。僕の名前はノルディ。ノルディ・フリーシアだ。この街を取り仕切る貴族の長男さ。」
挨拶を終え、ローゼリアの元までやってくるとノルディは片膝を付きローゼリアの手を取り、目をまっすぐに見つめる。どこか芝居がかった所作にギフトは気味の悪さを覚え顔を顰める。
「君の名前を教えてもらってもいいかな?」
「断る。触れるな。」
相手の手を振り払い穢れた物を触った後のようにギフトに手を擦り付け汚れを落とす仕草をする。
「うげっ!姫ちゃん!流石に俺も怒るよ!?」
「どうせこの服はお前の物だ。服で拭っても結果は変わらぬだろう。」
「気分悪いよ!もー!俺この服しか持ってないのに!!」
ギフトが顔を顰めたのと同様にローゼリアも決していい気分では無かったようだ。ギフトに擦り付けたのも、実際に汚れているかは関係なく、ただ気持ちの悪さを自分一人で抱えたくなかったからだ。
二人して気持ち悪いと言い合いギャーギャーと喧嘩する。後ろでその光景を見ていた三人の内二人は今にも吹き出しそうに腹をくの字に折り曲げている。ルイだけは少し引きつった笑みを浮かべて後退る。できれば自分にはしてほしくない動作だ。
あの手の事は例え好きな人でもやられたら恥ずかしい。それを初対面の人間が、衆目にさらされながらやられたらルイには耐えきれない。毅然と振り払ったローゼリアには称賛を送りたい。
ノルディは完全に決まったとでも思っていたのかそのポーズのまましばらく動けず、やっと自分が何をされたのか理解したのか、髪を逆立て怒気を顕わにする。
「・・・っ!僕を馬鹿にしたな!!僕の側仕えにしてやろうと思ったのに無碍にしたな!」
ノルディが声を荒げると、対照的な筋骨隆々な男が人込みからぬっと出てくる。身長はそれほど高くないが、盛り上がった筋肉が体を一回り大きく見せている。
「後でちゃんと洗ってよ!お気に入りなんだから!」
「買えばよかろう?お前に似合う服を見繕ってやるぞ?」
「お金出すの俺じゃん!それに俺はこの服が良いの!!」
「僕を無視するな!もういい!やってしまえ!!」
男は命令に従い、ギフトに向かって手を伸ばす。この手の事は男にとってよくあることだ。好事家な主の為に女を脅し、付き添う男がいれば力づくで屈服させる。辟易としたやりなれた動作。それでも自分は逆らえない。苛立ちを覚えてもそれを自分ではどうにもできない。
溜息をつきながら最早日常の一部となった動作を行おうとする。ただ一つ今回はその瞬間に移る前にギフトに話しかけられる。
「あん?おっちゃん俺とやりあうつもり?」
その言葉一つで男は全てを理解した。自分では絶対に敵わない、それだけ力に開きがあることを。殺気や気迫などではない、純粋な力の塊。それを言葉一つで無理やり理解させられた。冷汗は止まらず、突き出した手は行き場を失い空を彷徨う。
「?・・・っておいおい。マジか。」
「・・・どうしたギフト?」
「この国はそうとう腐ってるのかな?」
「む。何を言って・・・。」
そこまで言ってギフトの視線の先を追う。そしてそれを見つけた時ローゼリアは言葉を失う。それは王が変わったときに廃止された制度。自身の兄カイゼルがこの国から必死の思いで消し去った負の遺産。
「奴隷だと・・・!なんのつもりだ!!」
首輪を人に着けるのは禁止された行為だ。人権を奪い、人の一生を捻じ曲げる最低の所業。多くの反対を押し切って、民を一途に思ったカイゼルが変えた筈の所業が今目の前にいる。
ローゼリアの怒りからもそのことが国で禁止されているか、推奨されないことだと理解したギフトは男の横を過ぎ去り、ノルディに詰め寄る。
「禁止されてるんじゃないの?どう言う事?」
「な、なにをしてる!早くこの男をぐっ!?」
最後まで言い切る前にノルディの鼻を摘み、そのまま捻る。鈍い音と共にノルディは後ろに数歩下がり尻餅を付く。その視線に合わせるようにギフトも身を屈めもう一度ノルディに問いかける。
「答えろよ。俺の気は長くないぞ?」
「ぼ、僕にこんな真似して良いと思っているのか!?」
「三回目だ。次はどこを折られたい?」
「やめろギフト。恫喝するな。」
ローゼリアに止められ、ギフトは舌打ちをしながら立ち上がり煙草に火を点ける。引いてくれたことに感謝しながら、ローゼリアはノルディを見下ろし冷淡に言葉を紡ぐ。
「なぜこんな事をした。答えによってはこの場で切り捨てることもやむを得ないぞ?」
歯をがちがちと鳴らして後退る。よっぽどギフトが怖かったのか、それともローゼリアの冷たい目に怯えたのか、それはわからないがノルディは高圧的な態度を捨て去り目に涙を浮かべる。
「ど、奴隷は必要なものだ。それは、認められているだろ。」
「昔はな。今は違う。」
「何も違わないさ!ぼ、僕はサイフォン様に直々に令状が出たんだ!僕に仇なすならこの国が黙ってないぞ!!」
その言葉にローゼリアは眼を見開き、ギフトは煙草を吸いながら、棚からぼた餅の情報に思わず獰猛な笑みを浮かべる。
黙って待つのはここで終わる。その予感がギフトに笑みを作らせた。