2 ローゼリア・クラウン・アルフィスト
アルフィスト王国。緑豊かな自然が広がり、戦火から遠く離れたその国で、ある女性は煌びやかな部屋の一室の、大きなベッドで目を覚ます。流れるような銀髪を持ち、意志の強そうな目をした女性は夢を見ていた。
今まで幾度となく見た夢。それは夢ではなく現実に起きたことなのだが、その光景を忘れまいとしているのか、週に一度、或いは三日に一度くらいは夢に見る。
だが決して悪いものではない。自分を助けてくれたものの後ろ姿を忘れることなくまぶたに焼き付けることができるからだ。
今から8年前、まだ幼い頃に拐かされた記憶。それだけなら悪夢になるかもしれないが、そうはならない理由があった。
それは一人の少年。連れ去られる自分の前に立ちどれだけ傷つこうとも自分の目の前で炎を操り、守り続けた少年がいたからだ。
その少年は幼い少女だった自分とは何も関わりも無かっただろう。少なくともそれまでの自分にはあんな真っ赤な髪の少年は見たことがない。今でこそ同じような髪色の者は見かけるが、出会う人物は昔見た少年とは違う気がする。
自分より年が上だったのだろうかもわからない。顔も声もはっきり思い出すことは出来ないが、彼はどこかふてぶてしい顔をしていたと思う。
なのに自分を救ったのは私ですと言ってきた人物は皆同様に女ウケしそうな精悍な顔つきの者たちばかり。それに誰も彼も彼女の質問には答えられなかった。
―――あの時妾になんと声をかけたか覚えているか?―――
―――あなたをお救いするとお声掛けいたしました。―――
そんなことはあの少年は一言も言わなかった。似たような言葉は言っていたが、そんな忠誠心が大きそうな言葉を吐いては来なかった。
それよりも自分に対して多くのもの、家族であっても言わないであろう言葉を掛けてきた事を忘れはしない。それだけ自分の中で印象深かったのだ。
―――好きなだけ泣け。涙が止まる頃には、笑える場所に連れて行ってやる。約束だ。―――
泣きじゃくる少女に対し、乱暴で、それでいて安心を与える言葉を投げかけてきてくれた少年。
守ってやるとも、救ってやるとも言わなかった。ただ泣けば良いと。それさえしてれば笑わしてやると、そう言い放った少年は今でも彼女の中でこの世の誰よりも強く憧れる存在だ。
その少年はその言葉通りに守り抜き、自分を家族の元へ連れて帰った。そして笑顔を取り戻してくれた。
不安で堪らなかった気持ちを全て取り去り、弱い自分を守り続けたその後ろ姿に憧れ、無理を言ってあの日以降騎士団の稽古にも混ぜてもらっている。
お陰で強くなったとは思う。だがそれでもまだ届かない遥か高みに存在している。あの年であれだけの強さを持っていたのだ。今となってはどれほど強くなっているかはわからない。
いつかお礼を言いたい。あなたのお陰で自分は強くなれたと、笑われるかもしれないがそう言いたいのだ。願わくば手合わせもしたい。その強さを身を持って知りたい。呆れられるかもしれないが、何か目に見える形で自分を救ってくれた少年に感謝を届けたい。
ガラスから届く日差しを眩しそうに見つめながら、女性が物思いにふけっているとノックの音が部屋に響く。
「皇女様。お召し物をお持ちしました。お目覚めでしょうか。」
「起きておる。入れ。」
言葉が終わり数秒。一人の女性が彼女の部屋に入ってくる。その姿は毅然としており、女性用の使用人の服を身につけている。
畏まった風体の女性に彼女はうんざりした表情になる。
「いつも勝手に入ってきても構わんと言っているだろう?ミュゼット。」
「皇女様。そんな恐れ多いこと・・・」
「皇女呼びも止めぬか。もはや妾に価値など無かろう?」
そう言って彼女、ローゼリア・クラウン・アルフィストは自虐的な笑みを浮かべる。それに対して使用人の女性、ミュゼットは悲しみを隠せない。
「そのような事仰らないで下さい。価値の有無であなたに従えてるわけではございません。」
「そうか?ならば主の命令だ。皇女呼びを止めよ。」
「・・・。」
だが、ミュゼットは彼女の本名を呼ぶことを躊躇う。ローゼリアの前でその名を口にすることはもう出来ることではない。
それを不快に思ったのか、鼻を鳴らし自室に備えられた化粧台へ向かい座る。
と言っても化粧をするわけではない。最低限の身だしなみを整えるだけだ。ローゼリアは前述したとおり、騎士団の稽古に混ざっている。化粧などしても汗で崩れるし、何よりも面倒臭がって好まない。なので鏡の前で長髪を左右の少し後ろの方でリボンで二つに括るだけだ。
最初はリボンもしていなかったのだが、ミュゼットの珍しい嘆願により、リボンで括ることに決めたのだ。
ローザリアは今年で19歳となる。子供の頃から男の騎士に囲まれてばかりで、女性らしさなど特に持ち合わせてなどいない。
多少の羞恥はあるが、それでも小物で自分を飾り付けるのは苦手だった。
「大変お似合いです。」
「世辞は良い。妾が良く分かっておるわ。」
ミュゼットとしては心からの賛辞なのだが、ローゼリアには届かなかったようだ。
直ぐ様立ち上がり部屋を後にし、食堂へ向かう。ミュゼットはその後ろを何も言わず付いてくる。昔はこうではなかった。ミュゼットは優秀な使用人だったが、もっと世話焼きなタイプで、事あるごとにローゼリアに口出ししてきた。
それが変わったのは数年前。ローゼリアの父でありアルフィスト王国の王が崩御してからだ。今では年若い一番上の兄が王となり、この国を支えている。
しかし、それを快く思わない者共が動き始めた。若さを理由に国の代表には相応しくない、力不足な点もあるだろう。と。
何も知らず甘い汁ばかり啜っていた蝿共が、ここぞとばかりに動き始めた。王に半期を翻すつもりがあるのかはローゼリアにはわからない。重要なことはもう彼女の耳には届いてこない。
兄が王となったその瞬間ローゼリアから価値は消え去った。前王が生きていた時は、政略結婚のためにとそれなりに目がかけられていた。だが、もうその価値も無くなった。
現王の妃が子を産んだ時の宣言により、ローゼリアからは王位継承権は完全に剥奪されたからだ。もう自分は王族であるだけの国にとって重要なカードの一枚では無くなった。
それ自体はローゼリアに不満は無い。この国は好きだが、王となりこの国を導いていくことは自分にはできないことくらいはわかっている。
教養は受けた、武芸にも秀でている自信はある。ただ、腹芸は出来無い。自分の言葉を巧みに操り、相手を誘導する事が出来無い。
裏切りなど日常茶飯事の世界で生きてきた。その日常で生きて尚、ローゼリアは人を騙すことを嫌う。
裏切りによって命を失いかけ、約束によって救われた彼女にとってそれは当たり前の事だった。王族として相応しくなくとも、譲れないものが彼女の芯にある。
暫く二人が無言で歩き続けると目的の場所の扉の前にたどり着く。そこでローゼリアは深呼吸を一つし、緊張した面持ちで扉を開ける。
そこには、彼女の予想通りの人物がいた。先程よりも顔が強張っていくのが自分でもわかる。
「来たか。ミュゼット、もう良い。下がれ。」
その人物はこちらを一瞥すると、端的に告げる。ミュゼットは言葉のままに下がり部屋から離れていく。
対し、ローゼリアはその人物に近づき、口上を述べる。
「遅くなり申し訳ありません、カイゼル陛下。今日も良き日のようで、」
「朝から実の妹の口上など聞く気もない。挨拶だけよこせ。」
鷹のような鋭い目つきをした長い金髪を後ろに流した偉丈夫。ローゼリアの兄にして現国王、カイゼル・クラウン・アルフィストは言葉を遮り、睨むように見上げローゼリアを黙らせる。
その姿に萎縮してしまい、ローゼリアは俯き、そのまま少し後ろへ下がる。すると、そこへもう一人やってくる。
「そう言わないでよ兄さん。もう家族は三人だけじゃないか。」
少し目が垂れ、二人に比べふくよかな男性、短い金髪のサイフォン・クラウン・アルフィスト。ローゼリアの兄で、カイゼルの弟である人物は、笑顔を張り付けカイゼルを嗜める。
カイゼルはそれに対し何も言うこともなく、ただ腕を組み目を瞑る。その様子にサイフォンは肩を竦め椅子に座る。
「ローズも座りなよ。ご飯が来るよ?」
笑みを崩さずローゼリアに座るよう促すサイフォン。だがその目は一切笑っておらず、底冷えするような目付きだった。
言葉に従いやっと彼女も着席すが、そこからは終始無言。ただ時間だけが流れていき、配られる食事も味もなにもわからない。サイフォンは美味しいと言っているが、少なくともローゼリアには味の有無がわからない。
カイゼルは変わってしまった。昔は優しき兄だったが、父が崩御し王位に就いて暫くした後、ローゼリアには冷たくなり、サイフォンにも言葉を掛ける場面は少なくなった。
無言のまま食事が終わりいてもたってもいられず、ローゼリアは立ち上がり部屋を後にしようとすると珍しいことにカイゼルから声がかかる。
「ローゼリア。今日は遠征だったか?」
「・・・はい。少しばかり遠出致します。」
「そうか。グラッドも共にか?」
「?はい。その通りです。」
「分かった。もう良い。」
そこまで言うとカイゼルは腕を組み手を顎の下に置く。ローゼリアは何か失礼な事をしたのかと問おうとしたが、それは声にならず、一言添えて部屋を出て行く。
自分を取り巻く環境は大きく変わった。優しかったカイゼルはもうおらず、自分に興味はない。姉の様な存在だったミュゼットは距離が遠くなり、サイフォンも冷たくなった。
家族だったはずの存在は遠い存在となり、人に囲まれ孤独を感じる。
その理由はローゼリアには分から無い。変わらぬものは幼き日の思い出だけだった。
続きは明日。
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