43 彼は何を
部屋は荒れ果て、荒い呼吸音だけが場を充たす。衝動を抑えきれない事はままあったが、これは今まで感じた事が無いほどの激情だ。
頭は時間が経つ程冷静に、心は時間を置いても業火を消すことが出来ずにいた。
怒りのままに発散させた。壊れた家具に、その場で踞る裸の女性。所々に飛び散った赤色は彼が付けたもの。
にも関わらず、その赤を見て更に怒りが膨れ上がる。忘れる事が出来ない。自分に対して興味も無く、何の感情も抱かない赤色が。
実際には怒りは見えていた。にも関わらず、どうでも良いとばかりにすぐに興味を他に移し、自分の姿は眼中に無いことはわかっていた。
思い出し、また荒れる。既に壊す物が無いとなれば、次に選ばれる物は簡単には壊れないもの。
気を失っているのか動かない女性の髪を掴み、割れたベッドに放り投げる。何をしたいか等もはや彼にもわからない。ただその気持ちを晴らす事に精一杯だった。
「勇者様。入りますよ。」
そこに扉の外から声をかけられる。言葉を聞いて勇者は途端に表情を変え、冷静さを取り戻す。
扉は開かれ、白い服の女性が部屋に入る。女性は部屋の惨状を見渡し勇者に視線を寄越す。
「どうしました?何かありましたか?」
最初に言葉を発したのは勇者。まるで何事も無かったかの様に平然と言葉を紡ぐ。
「いえ。夜も更けてきます。あまりうるさいのは誉められませんと伝えに来ました。」
対して女性も何も問わない。こんな事は日常茶飯事だと。一々気にする事でもない。
ここ数日は更に拍車がかかっているが、それを理解して尚女性は何も言わない。勇者のやる事は全てが認められ、全てが正しいのだから。
「そうですね。無害な民草の営みを邪魔する訳にはいけませんね。」
「ええ。何でしたら別の女性を宛がいましょうか?勇者様もより楽しめると思います。」
「いやいや。僕の寵愛を受ける人は少ない方が良い。あまりに手を出しすぎて浮気者と噂されても困りますしね。」
穏やかな表情で話す勇者は、自分が何をしたのか覚えていないのか。
部屋は赤く染め上がっているのに、勇者に傷らしき物は見当たらない。精々手の甲が赤くなっているくらいだ。
裸の女性は未だ起きる気配は無いが、何が起きたか聞く必要も無い。そんな有り様で白を切るつもりなのか。
「それにしても汚い部屋ですね。もう少しマシな宿は無かったんですか?」
そうではない。白を切るなどと言う話ではなく、彼は自分がした事を覚えていない。そして自分が出した現状も見えていないのだ。
彼は部屋が荒れているとは思っていない。彼の中では最初からこうなっていた。勇者がこんな真似をしないなら、自分はそんな事は絶対にしないと信じている。
「あまり贅沢は言えないですよ。窮屈を強いますが、どうかご容赦を。」
「そうだな。僕達にお金は必要ない。ただ正義たれば良いのだから。」
勇者はとても誇らしくその言葉を吐き出す。聖教連の一人の女性はそれをただ見守る事しかしなかった。
◇
夜になれば流石に町に戻る。本来なら危険性の少ない場所の筈なのに疑心が拭えず、ロゼ達の足取りは少し重い。
「仕方無かろう。町中で争いは起こさぬよう出来るだけ忍ぶしかあるまい。」
ネヴィルにそう諭されるが、そもそも何も悪いことをしていないのに隠れなければならないのは納得出来ないだろう。
ミーネだけは耳を隠すためフードを被っているが、ロゼからすればそれさえ不服。その上で自分達も隠れれば何か悪い事をしましたと言っている様なもの。
「聖教連には会うべきでは無い。ただ、聖教連だけが悪党と決めつけるべきでも無い。」
「つまりは全員を疑えって事でしょ?息が詰まりそうだわ。」
「それが最悪の回避の為じゃ。可能性は考えその上で動かねばならぬ。」
「でも町中では遭遇する可能性も高いよね?ソフィーを探してるんじゃないの?」
「野営すればすぐに見つかる。それに危険もある。本来町の外で夜を明かすべきじゃない。」
どれだけ考えても泥沼だ。本気で逃げるつもりならこの国から去れば良いのだが、それを良しとする者はここにいなかった。
誰もが目の前で起きた現状を見ているのだ。放置して消え去るには後味が悪く、不安だと重いながら日々を過ごしたくはない。
「ソフィーとアルバの宿探し。聖教連に出会さない事。あの二人を国に預ける。そんな所か。」
「そうじゃのう。二人に関しては儂が預けてこよう。」
「ならば後二つだな。聖教連に出会さないは気を付けるしか無いが……。」
「ロゼはどこなの?」
「町の入り口に近い。いざとなれば逃げる事も容易だ。」
「ならそっちにしましょう。私達も空き部屋か近い所に変えるわ。」
聖教連の二人は死ぬことはなく、ただ痛みに気を失っている。今はロゼとリカが木の板に乗せて運んでいる。
自分達だけで解決を図るより、国に報告した方が良いと判断してネヴィルも頷いた。ネヴィル自身の報告と二人の身柄さえあればこの国も動いてくれる。
「……。」
「ロゼ姉?」
「それが良いな。ネヴィルに二人は任せ、ソフィーは妾と同じ部屋に泊まる。アルバも居心地は悪いかも知れぬが我慢してくれ。」
「う……。いや、大丈夫、です!」
年頃の男の子に、女性三人と同じ部屋に泊まれというのはキツいだろう。だが守りやすいよう手の届く範囲にはいて欲しい。
目的がソフィーだとしても、その手がアルバに伸びないとは言い切れない。ソフィーに近づくのが難しいとなればアルバから近づいてくる可能性もあり得る。
ロゼは止めどなく湧き出る疑問に全て蓋をしていく。腹芸は苦手だと自覚しているから、何も言わない。
「ギフト兄。大丈夫かな?」
ミーネが心配そうにギフトの名を呼ぶ。恐らくこの中で一番心配のいらない者だが、それでもミーネは今どこにいるかもわからないギフトが心配なのだろう。
「あいつは大丈夫だ。今頃星でも見上げているのではないか?」
「そうかな。何かギフト兄おかしかったから。」
「変なのはいつもの事でしょ?」
「んー……。」
リカが諭すもミーネは納得していない。直感なのか、それとも思考の末なのかは知らないが、ミーネに取って腑に落ちない出来事があったのだろう。
「そんなに変?」
「ギフト兄って、面倒臭がりで自分優先の人だもん。率先して動くなんておかしいよ。それに……。」
「……それに?」
「ギフト兄、ちょっと怒ってた。」
「……?ギフトさんって割りと怒りやすい人だと思いますけど……。」
ミーネの言葉にロゼ以外が少し考え込む。ルイの言葉通り、ギフトは少しの事で怒る傾向がある。
釣りの邪魔をされた時でも怒っているように見えた。子どもっぽい一面があると言うのが全員の見解なのだろう。
一人ロゼだけがその怒りの理由を知っている。と言うより考えればわかることだった。
「それほどムカついた。あの出来事はそれほどの事だったという事だ。」
「んー……。そうなのかな……?」
首を傾げながらロゼの言葉に納得しようとする。当然真実ではない。
それも理由の一つだろうが、恐らくギフトはミーネに怒っていたのだろう。あの時ギフトならミーネを褒めたりしないとロゼは思う。
やったことは褒められる事で、言ったことも事実だろうが、それを隠してミーネを叱りつけた筈だ。危険な真似を二度とさせないためにミーネに嫌われても守ろうとする。
違和感しかない。聖教連の二人を置いていったことも、ミーネに甘過ぎる事も、一人で動いていることも。
これではただの善人だ。優しい奴ではあっても善ではない。それを理解しているロゼはやはりと思う。
「ギフトは強く賢い。阿呆に見えてしっかり物事は考える。許せなかったのであろうな。」
「豪放磊落に見えて、見逃さない男なのかのぅ。」
「それはそうさ。意外と神経質だぞ?」
ロゼは笑う。ギフトのにやけ面を一発ぶん殴ると決めて。推測が正しければ一発では済まないかも知れない。
せめて自分やミーネ。リカ達位には話していけと強く思う。そう思いながらロゼは何も言わずにギフトの普段の行動を楽しく話始める。
辺りが暗く染まった頃にロゼ達は門に到着する。ネヴィルは一人でディーゴに会いに行くと場を離れ、ロゼは真っ直ぐ宿に向かう。
「行くぞ。しっかり寝て英気を養わねば。色々あって疲れたであろう?」
「はい……。お言葉に甘えます。」
「存分に甘えるが良い。何なら姉と呼んでも構わんぞ?」
ロゼは優しく笑いかけ、ソフィーの頭を軽く撫でる。身長がミーネと同じ位だからか、手癖の様なもので撫でてしまったが、嫌がる様子は無くて安堵する。
だがロゼの腰に衝撃が来る。フードを被りながら、頬を少し膨らませたミーネと目が合って、空いた手でミーネを撫でる。
「そんなにくっつくと歩きにくいぞミーネ。」
「むー……。でも眠たいー。」
「後少しだ。頑張れ。」
ミーネの手を引きながら宿に入り、ソフィーとアルバも後に続く。それを遠目で確認した人物は一人呟く。
「んー……。まぁそうなるわな。」
顔をフードで隠し、星の明かりの下で煙を吐き出す。決定打は未だ打てず、ただ焦る様子もまるでなく。彼は一人夜の闇へと消えていく。