36 燃やす物
単眼の魔物はそれを自分の手足と認識する。人なら曲がらぬ方向に曲がっているが、徐々に感覚を掴んでいるのか、小刻みに動く。
奇妙な生物を前にロゼ達は動けない。動きの鈍い今が叩く時とわかっていても、迂闊に手を出す事を躊躇ってしまう。
魔物の軍勢も消えた訳ではない。数は目に見えて減っているが、悠長に数える量では無く、焦りが心臓を叩く。
「舞え歌え踊れや騒げ。儂からの餞別食らって、破ぜるが良い。魔素発破。」
そこにネヴィルが詠唱を唱えて、単眼の魔物に魔法を浴びせる。魔物の肩の空気が歪み、大気を震わせ爆発する。
右腕は弾け、遠くに飛ぶ。それでも魔物は痛がる素振りを見せず、ただ目だけ動かし見定める。
「何をしておる!動かぬなら叩け!不気味であっても傷を付けれぬ相手では無い!」
ネヴィルの一喝に我を取り戻し、リカは近くの魔物を突き刺し煙に還す。ロゼの目の前の存在も気にはなるが、敵の数を減らさなければ以前危機は変わらない。
「儂の魔法は通る!呆けてる暇は無いぞ!」
ロゼは直ぐ様剣を持ち直して駆ける。単眼の魔物の右側から回り込んで距離を詰める。
剣を両手で持ち、力一杯振り抜く。鈍い音が響いて単眼の魔物を弾くが、かすり傷を付けただけで満足いく結果にはならなかった。
「硬い……!なら!」
攻撃が通らないならばロゼのやるべき事はこも魔物の引き付けだ。硬く、攻撃の速い魔物をロゼ一人で受け持てれば、他の魔物はリカやミリアが倒してくれる。
連続で切りつけ余裕を与えない。その為に踏み出された一歩は魔物の左腕で刈り取られる。
体が浮いたロゼの腹に、光線が放たれる。剣を支えに防ごうとするが、浮いた体は威力をいなせず吹き飛ばされる。
「ロゼ!?」
「……っ!大丈夫だ!」
直撃しなかったからか、ロゼは空中で体を捻らせ余裕を持って着地する。だが腕に鈍痛が走る。腕を振ってそれを体から払いうと、ロゼは慌てて横に跳ぶ。
「ギィエァァァ!!」
単眼の魔物が急に走りだし、ロゼに向けて左腕を叩き付ける。大きな挙動のそれは回避は可能でも、受けることは出来ない事を悟る。
標的を無くした腕は叩きつけられ大地を抉る。当たれば剣が折れるか骨が折れるか。どちらにせよ無事ではすまないだろう。
「ギィ……!ギィィィィ!!」
魔物は止まらず放つ。それはロゼを狙っておらず、手当たり次第、とにかく動く者を標的にしている様子だった。
そして魔物の左腕はふわふわ漂う目玉を捕まえる。攻撃を当てるだけで煙になる存在は、単眼の魔物に捉えられても抵抗しない。
左腕は目玉を捉えたまま掲げられる。本能か知性か。それは誰にもわからない。ゆっくりと下げられ単眼の魔物は涎を垂らす。
「な……。」
「く、食ってるの……?」
肉も血もない存在を食らい、魔物の長い舌は口を湿らす。口の端が吊り上げられ、奇声が上がると、弾けとんだ筈の右腕か生えてくる。
「……リカ!周囲の魔物を倒せ!こ奴は食らって再生する!」
「くっ……!こっちも厳しい!こいつら強くなってる!」
場はどんどん荒れていき、徐々にロゼ達が押し込まれている。ネヴィルはミーネ達を守りながらも加勢してくれるが、数の多さに攻めあぐねる。
ミリアは前衛二人の支援に精一杯で、ルイはミリアを守る為に動けない。集中放火を浴びない為にバラけたのは、最初は上手くいっていたが、今になって個人の技量に左右される戦場となる。
「た、助けてくれ!」
「いや!来ないで!なんなの!?」
この件の発端と思われる聖教連は、それでも何が起きたか理解できず、必死で自衛していた。
だが時間が経つに連れ、数は減ったが一体一体の魔物が強くなり、自分達の技量では捌ききれなくなったのだろう。情けない大声を上げる。
ロゼは急いで彼等の下まで走ろうとする。彼等は怪しい上に嫌いたが、死んでほしいと迄は思っていないのか、それとも何も考えていないのか。
「邪魔だ!」
駆け出したロゼの行く手を目玉が阻む。切れば煙に変わると思い振るった剣は、目玉に止められロゼの足は止まる。
ミーネが言った生物になっていると言う言葉。恐らくミーネは黒い煙が実体を持った事を指摘していたのだろう。見た目は何も変わっていないが、倒しにくさは段違いに上がっている。
そして、単眼の魔物の視線は一つに止まる。動き回るロゼとリカ。抵抗できるミリアやネヴィルよりもずっと狙いやすく、倒しやすい相手に。
「……ひっ!」
口元だけで笑顔を浮かべ、長い舌は涎で光る。その様相に心を縛られたのか、聖教連は膝から落ちて涙を流す。
戦意を失った人間を魔物は見逃さない。生えた右腕を振り上げ、奇声を上げながら走り、彼等の寿命を縮める。
「逃げろ!」
「立ちなさい!」
「え……待って!?」
ロゼとリカが声をかけるが、それで立ち上がれるなら元々折れたりしない。自衛の術もなく心が折れた時点で彼等の運命は決まっている。
無慈悲な右腕は、容赦なく振り下ろされる。自分達も魔物と戦うので手一杯。目をやることも、手助けする事も出来ずに彼等は命を散らした。
ロゼが悔しさを噛み締めながら単眼の魔物を睨む。土煙を上げた魔物に怒りが通じるかわからないが、それでも怒りをぶつけずにはいられない。
「速く逃げて!こっち!」
だがロゼの感情はそこで消える。怒りより義務が勝り、他の一切を無視して土煙の方向に向かう。
土煙の中に三つの影が見える。その影は一つが小さく、聞こえる声は震えてる。
「走って!生きてよ!」
ミーネは一人走り、彼等を助けた。恐怖も怒りも悲しみも。全て押し殺してミーネはただ一つの思いだけで走り出したのだ。
二人の聖教連の手を引っ張って走る。それでも間に合わないと判断したのだろう。二人から離れて震えて叫ぶ。
「来いバケモノ!僕が相手だ!」
敵わない事など百も承知。ミーネは自分を強いとは微塵も思っていないし、ロゼ達が苦戦する相手に何かできるとも思ってない。
助けたい。それだけの理由でミーネは命を懸けた。何一つ策は無く、身一つを囮にして、自分を蔑む者を助けた。
単眼の魔物は自分の邪魔をされたからか、ミーネに目標を絞る。目があったミーネは涙を目に貯めるが、それでも逸らさず魔物と対峙する。
「迅れ!疾風迅雷!」
ロゼは目にも止まらぬ速さで魔物の首を狙う。弾かれる可能性がある以上、魔法の無駄撃ちは出来ないと控えていたが、それを考える余裕も無くなった。
何よりミーネが命を懸けたのに、自分の安全を気にしてミーネを喪う位なら、今ここで全てを捨てた方がマシだと。
だが効くかわからないと判断しての攻撃は魔物の首に突き刺さる。奇しくもミーネによって気が逸れて、無防備な魔物に剣が刺さる。
「っ!弾けろ!!」
ここしかない。そう判断してロゼは魔法の制御を手放す。疾風迅雷は元は雷の槍の改良。それをロゼの剣に宿した駿足移動。
制御を手放せば、宿った魔法は雷の槍として発動する。触れた者の肉片を焼き焦がす魔法として。
バチンッ!うるさい音と光がロゼの眼前で炸裂する。自分の魔法の威力に耐えきれず、ロゼは後ろに吹き飛び地面を転がる。
「ロゼ姉!?」
「だ、いじょうぶだ。それより……。」
剣を地に突き刺して上体を起こす。ミーネが心配そうに駆け寄るが、ロゼは頭部を失った魔物から目を離さない。
予想外の事しか起きていない状況だ。もしかすれば頭部を失っても動くかも知れない。そう思っていたが、体はゆっくりと力を失い傾いていく。
地面に倒れるより前に、その体はボロボロと崩れていく。末端部分から消えていき、破片は地面に触れること無く消失した。
「……っミーネ!速くネヴィル殿の下に戻れ!」
「ロゼ姉はどうするの!?」
「まだ、戦える!まだ生きてる!」
ロゼは剣を支えにして立ち上がる。無理な魔法の使い方をしたせいで、体がふらついているが、未だ敵は健在だ。
一番強かった魔物が消えても、それで全て解決したわけではない。戦わなければ死ぬ。なら戦うしかない。
ロゼは残りカスの力を集めて剣を構える。辛い痛い苦しい。だがここで泣き言は言えない。ミーネはこれ以上の感情を押して動いたのだから。
敵の数は減っている。まだ可能性はある。そう思って顔を上げれば、ロゼは思わず目を逸らしたくなる。
「あ……。」
「離れていろミーネ。もう一度……。」
少し離れた場所で、今倒したばかりの魔物と同系統の生物が生まれようとしている。同じ事は出来ないとわかっていても虚勢を張るしか出来ない。
「ロゼ姉!あそこ!」
「わかっておる。まだ生まれたばかりなら、」
「違うよ!」
魔物を睨みながら虚勢を張っていると、突如それは起こる。
胸の当たりが爆発する。ぽっかりと空いた空洞から、煙が上がり魔物は崩れて消えていく。
「……ああ。そうか……。」
「うぅ……。」
ロゼは力を抜いて座り、ミーネは涙を流す。それだけが見えた者は何が起きたか理解でき無かった。
だがそれも一瞬の事。広がる魔物の上空から、無数とも呼べる炎が降り注ぐ。黒に覆われていた大地は色を変え、赤く熱く染めていく。
悠々と、それでいて笑みを浮かべずに。炎に負けない赤い髪を揺らして歩く。
疑問は尽きない。興味もある。それら全てを塗り潰して今は状況制圧が先だと、赤い髪は揺れる。
「全部殺して良いな?」
「頼む。」
「お願いギフト兄!」
それだけ聞いてギフトは獰猛に笑う。煙草を咥えて大胆不敵に。冒険者三人はギフトの姿を見て駆け寄り後ろに隠れる。
「疲れた。」
「もう無理!頼める?」
「お願いしますギフトさん!」
「ん。歩けるか?ネヴィル達の所に向かうぞ?」
ギフトを知っている者は、それだけで全て終わったと判断する。頷いたのを見て、ギフトは炎の渦を掌に宿す。
「邪魔だ!吹き飛べ!」
ギフトの周囲に炎の渦が二つ生まれる。暴風と熱風を携えて、目玉は煙へと消えるか、吹き飛ばされて遠くに行く。
いなくなった空間をギフト達は歩き、ネヴィルの下に辿り着くと、ギフトは振り向いて顎に手を当てる。
「俺が守るよ。お前の魔法でやれば?」
「良いのか?」
「良いよ。頼みがあるし、恩を売っとく。」
「ほほっ!買うとするわい。」
ネヴィルはギフトを疑うこと無く詠唱を始める。魔物の攻撃はギフトが全て炎の槍で防いでいく。
時間さえかければネヴィルは魔物を一掃できる。その条件が整わなくて焦りもあり、少し苛立ちもあった。
その鬱憤を晴らすかの様に、老人は快活な笑顔で言葉を紡ぐ。そして杖を掲げて終わりを告げる。
「沈め。終演の一幕。」
杖から光が放たれ魔物を照らす。魔物の姿は見えなくなり、光が消えた時そこには魔物が現れる前の静けさを取り戻していた。
「すげえな。」
「時間がかかるのが難点じゃな。儂一人では到底使えぬ魔法じゃ。」
盛大に魔法を使えてスッキリしたのかネヴィルは良い笑顔をしている。
冒険者とロゼは疲労を込めて溜め息を吐き地べたに座る。疲れた体に潮風が吹き抜けて、自然と笑みが漏れて笑い合う。