35 黒い煙
「何故ここにいるのですか?」
ソフィーは改めて問いただす。ここにいることは伝えていないし、付いてきて良いとも言ってない。
「聖女様をお守りするのが我等の役目ですから。」
それに対して彼等の言葉は素っ気なく、変わらず笑みを浮かべたまま。
不気味な雰囲気を纏いながら一歩踏み出し、ソフィーは少し退がる。本来なら上の立場の人間がするべき行動ではない。
「私は命じてません。」
「我儘を言わないで下さい。あなたは我々の代表なのですよ?」
「今のあなた方のやり方は間違っています。」
「組織の維持の為です。消えてはいけない存在なんですよ。私達は。」
ソフィーはどんどん押し込まれ、言葉を紡げなくなる。ミーネがロゼの後ろからハラハラと見守っていると、ロゼはミーネの頭を撫でて前に出る。
そのままソフィーの前に立ち、威風堂々と腕を組んで聖教連を見る。彼等は高圧的な態度に眉を潜め、口を開いた。
「何の真似ですか?」
「何。幾つか言いたい事があってな。」
本当は特に聞きたい事など無い。出来るなら今すぐ叩きのめしてやりたい。
事情など知らないが、態度に腹が立つ。今までの件も合わさって、ロゼの怒りは収まらない。
それでも会話を選ぶ。ロゼはギフトと違って敵にも甘い。叶うなら誰も傷付かない方法を選びたいのだろう。
「話す事など無い。下賤な者と行動を共にしては格が落ちます聖女様。」
「ふむ。聖女とはお主らにとって大事な存在なのだな。」
「早く帰りましょう。」
「ならば無理やり連れ去れば良かろう?それとも怖いか?自分達の意思に従わない強さは。」
流暢に喋る聖教連をロゼの言葉が止める。否定出来ない質問は無視するべきだが、聖教連にはそれが出来ない。
「出来ぬよな。お主らには。それが出来るなら声はかけん。」
「……我等は聖女様の為を思って……。」
「ならば『どうされますか?』と聞くべきだな。人の為を思うならその人の意思を確認せよ。それをしないなら潔く自分の為と言うが良い。」
誰かの為にと言う人間を信じてないとは違う。ただロゼは自分の信じることに素直なだけだ。
一度も人の為など言わない男は、誰より人の為にしか動かない。誰かの為にと言い続けた女は、誰より自分の為にしか動かなかった。
忌々しく、忘れてはいけない過去。自身を振り返り前を見据えればその言葉がどれ程寒々しいことか。
「妾はお主達を否定する。聖女を思うなら行動で示せ。ただの子どもに責任を擦り付けるな。」
聖女をただの子どもと言うのは恐らくロゼとギフトくらいだろう。彼女にはそれだけの力があり、特別なんだと世界は言う。
それでもロゼは認めない。子どもは笑うべきだと心が訴える。剣を静かに抜いて構え、言葉と態度で自分の意思を示す。
「我儘を言うなだと?ふざけるな。成長は見守り促すものだ。下郎が止める資格はない。」
「……いい加減にしろ!無関係なお前が口を挟むな。」
「醜いな。よくも聖女の為と言えたものだ。」
言い返すことが出来ずに切れるなど、ロゼから見れば下も下の人間だ。
ここで素直に謝るか、もしくは認めた上で反論出来ればマシなのに、それも出来ずに怒るなど愚かしいにも程がある。
「聖女様!早く行きましょう!こんな者といては穢れます!」
「何がどう穢れるのだ?妾達の何が悪いか言ってみよ。」
「……獣人族がいる時点で!」
「はっ。困れば他者を見下すしか出来んのか?己より下の立場の者を蹴落とす事でしか自分を保てぬか?」
「……人は神に選ばれた種族だ!選ばれなかった種族は人族の施しがなければ生きていけない!」
「違うな。人が全てを奪ったのだ。無いものを妬み、優れたものを妬み。迫害を重ねて今の妾達がいる。」
「……む?」
ロゼの言葉にネヴィルやソフィーは違和感を持つ。自身の持っている知識と明らかに違う歴史をロゼは堂々と語っている。
聞いただけで真実はわからない。それでもロゼはそれが正しいのではと考えてしまう。神と言う曖昧な存在を信じるよりか、ギフトの語った歴史の方がロゼにとって説得力があった。
「神は誰も選んでいない。少なくとも人族はな。」
「……貴様は悪魔の手先だ!天罰が下るぞ!」
ロゼの言い分は聖教連にとって認められない、認めてはいけない意見なのだろう。
神が人を選び、その声を聞ける。だから聖教連には地位がある。それが揺らいでしまえば地位は落ちて、人族の有利性は失われる。
絶対的な存在が、支えが人の心を安定させる。ロゼの言葉は人の心を惑わす悪魔の甘言と、聖教連は泡を飛ばして激昂する。
「聖女様!早く始末しましょう!神を信仰せぬ者には災いが……!」
「……む?」
「な、何?」
聖教連がソフィーを必死で説得しようとするとそれは起きる。空間に黒い煙が現れ、複数の塊となっていく。
地面から揺らめいて煙が上がり、集まって形を成していく。あまりにも不可思議な状況に全員が警戒心を跳ね上げ、聖教連の動きを見逃さない。
「な、何だ!?」
だがその現象は聖教連にとっても意外だったのか、慌てて周囲を見回して驚きの声を上げる。
その間も黒い煙は形を成していき、そして現れる。黒い刺に揺らめく足。ふわふわと宙を漂う大きな目玉。
「魔物!?」
「嘘……何が?」
「話は後だ!ミーネ!妾の後ろにいろ!」
目玉は眼球だけ忙しなく動かし、やがて焦点を一つに絞ると光の塊を目から撃ち出す。
ロゼは後ろにミーネがいる状況で逃げる事は出来ない。構えた剣を盾にして衝撃に備える。
「ロゼ姉!」
「問題ない。少し熱いだけだ。」
強がりでもなく、ロゼはそう答える。光の塊は質量を持って、剣に当たると同時に衝撃と熱風を叩き付ける。
だが弱い。まともに喰らえば痛むだろうが、防いでいれば気にならない。そう判断してーーー、冷や汗を流す。
「……不味いな。この数は。」
「興味は尽きぬが、先ずはなんとかせねばな。」
「ネヴィル殿。打開できるか?」
「現状は難しいな。儂は遠間から攻撃が基本じゃしの。」
「……ミーネ達を守れるか?」
「任せておけ。隙があれば撃ち落としていくわい。」
「うむ。リカ!」
「ええ!」
数を数えるのも馬鹿らしい魔物が一斉に現れるが、ロゼ達は直ぐ様戦闘体制を整える。
「ルイ!私を守って!後ろから倒す!」
「はい!任せて下さい!」
ロゼとリカは一気に駆け出し、漂う目玉に剣を突き刺す。それだけで目玉は霧散し、二人は少し体勢を崩す。
突き刺すつもりで力を込めた。なのに勢いは一つも殺されず、そのまま力が流れてしまった。
「なっ……!」
「何よこれ!?」
それでもリカは無理やり足を踏み出して堪え、ロゼは勢いそのままに前転して目の前の敵を切りつけ、同じ結果を生み出す。
二度目も衝撃は来ることなく、霧散する。意味のわからない状況に混乱し、ロゼは急いで後ろに下がる。
「……実体が無い?」
「はっ!」
リカもロゼ同様もう一度確かめるように突きを放つ。そして煙となって消えていく魔物に目もくれずリカは別の魔物を横凪ぎに切る。
「どうなってるの!?」
「集え水精。落ちる水滴は石をも穿つ。水弾!」
ミリアは詠唱を紡いで水弾を魔物に当てる。強い魔法でも無く、当たってもそれほど効果は無い。そう考えていた魔法は敵の体を消し去ってしまう。
「リカ、ロゼ。今は考えないで殲滅して。弱いならチャンス。」
「……確かにな。攻撃さえ当たらなければ良い。」
予想外の事ではあるが、当てれば消えてくれるなら楽ではある。黒い煙は未だ魔物を作り上げて増えている。
この数をまともに戦うのは得策ではないが、弱いとわかれば話も変わる。ロゼとリカは目を合わせ頷くと、反対方向に走り出す。
一ヶ所に固まれば攻撃に曝される。ならバラバラに散った方が回避もしやすい。魔物は今いる場所に向けて撃つだけで、動き続ければ当たらないし、ルイの障壁も破られない。
斬る、斬る、斬るーーー。それだけで消えていくが、数は減らない。それでも単調な作業を繰り返して、魔物の絶対数を可能な限り増やさない。
ロゼは素早く動いて、魔物の群れを駆け回る。力は入れずに速く振り回す事に注力していると、剣が弾かれる。
いきなりの衝撃に腕が痺れ、慌てて距離を取る。そこにいるのは周りと変わらない目玉の魔物。それに攻撃は弾かれた。
立ち止まっている暇は無い。攻撃に当たらぬ様その場を離れ、それでも先程の魔物から目を逸らさない。
すると、大きな目玉がロゼに向く。光が集まり攻撃が来るが、ロゼは今までと変わらず動き、慌てて屈む。
光の塊ではなく、棒状になった光を振り回した。周囲の魔物も巻き込んでロゼも纏めて始末しようとしたのか。だが周りから敵が消えてロゼは安堵する。
繰り返してくれるなら有り難い。数が減ればそれだけ動きやすくなる。ミリアの支援もあるし、ミーネやソフィーはネヴィルが守ってくれている。確実に魔物の数は減っているだろう。
「ロゼ姉!そいつら変だよ!」
ミーネが大声でロゼに注意を促す。変なのはわかっている。だが、ミーネが態々それを言う意味が見当たらなかった。
ミーネだってこれが異常な状況とわかっているだろう。なのに敢えてそれを口にした。それはつまり。
「匂いがついた!そいつら生き物になってる!」
もっと異常な状況が起きた事を意味している。
「……何?……っ!」
ロゼがミーネに聞き返そうとすると、風切り音が聞こえてその場を跳び退く。
音の方向を見ると、単眼の生物が細い体を生やして蠢いている。珍妙な姿を晒しながら立ち竦み、呆然としている。
目だけが動き、動く物に敵味方構わず攻撃する。ロゼやリカには当たらないが、どんどん敵の数が減っていく。
暫くそれを避けていると、ピタリと動きが止まる。細く黒い体を震わして、顔と思われる場所を手で覆う。
「……。……………………ギ。」
単眼の魔物から音が聞こえる。細い体を徐々に膨張し、やがて人と同じ程の体躯に変化する。
そして空を見上げて、目の下が裂けて長い舌が現れる。
「ギィヤァァァァァァァァァ!!!」
咆哮は空に木霊し空気を揺らす。単眼の魔物の眼球は一人一人の目を居抜き、長い舌で口元を濡らす。