28 釣果
ギフトの釣果が五匹になった頃。ディーゴの執務室に一人の老人が訪れる。白髪を後ろに流し、長い髭を蓄え黒い帽子に黒いマント。皺の刻まれた顔は威圧感を醸し出す。
「久しいなディーゴ。盛況そうで何より。」
「皮肉か?去年俺を虚仮卸した者の言葉とは思えんな。」
老人はディーゴの知り合い、王になる前からの付き合いだ。友達ではないが、王になってからも態度の変わらない気楽な関係。
「ふんっ。これでも贔屓しておる。だがここ最近は質が落ちておるわ。」
「それは俺も同感さ。目立った危機もないから当然だろうがな。」
「儂の若い頃は何処にでも危機があった。戦乱の時代を生きた自負がある。だが今の若いのは何処に行くにも安全安心。育つ気概が見受けられん。」
鼻息荒く若者を見下す老人。それをディーゴの前でだけなら嫌な人間だろうが、直接言ってその言葉が正しいと認識出来るくらいに老人は腕がたつ。
ディーゴも共感できる部分は多いが、この話は幾度も聞かされた。ディーゴが成長してからは話さなくなったのに、随分不機嫌なのか、言葉が止まらない。
「何かあったか?」
「……儂の学園の卒業生。今は冒険者になっておる者がいる。」
老人は急に話を止めて、暗い表情で訥々と語り始める。
「決して優秀な魔導師では無かった。それでも愚直に研鑽を積み、前に進む姿勢を儂は評価し、今でも数は少ないが手紙のやり取りもしておる。」
語られる内容は爺馬鹿の孫自慢。そう思ったディーゴはうんざりする。どうせ最近冷たくなったとかその手の話だろう。
長に立つ身分の癖に平気で依怙贔屓をする老人は敵が多い。だが、その分味方も多く、ディーゴもその態度を思うところはあれど気に入っている。
「だがな。最近の手紙に儂と同等、その域に至っている可能性がある若者がいると記されていた。」
「……ん?」
「なのに!その詳細は何も書かれておらん!儂もそ奴に会いたいと言うに!今どこにいるかもわからんとな!」
「……はぁ。」
違った。老人はただ自分の知的好奇心を満たしたいだけだった。
老人の立場からすれば若く有望な人間に興味は惹かれるだろう。だが会う方法が見つからず、今ディーゴに愚痴を溢しているのだ。
王になったと言うのに、まだ下らない愚痴で時間を潰される。それは構わないが、できれば暇な時間を狙って欲しい。
「……そう言えば。優秀な人物なら心当たりはあるぞ。」
「お前の言う優秀は当てにならん。人並み以上では足りん。」
「俺とあんたが協力して、良い勝負になる可能性がある。」
「……ほう。」
ディーゴは剣士として優れている。王の立場でなければその名を広く知らしめる事が出来る位の力はある。
老人は魔導の深い知識がある。魔導師ならこの大陸で知らない者はいないだろう。様々な派閥はあれど行き着く先は老人の下に全て集うだろう。
その二人を相手にして、数十秒持てば優れていると言えるだろう。それを良い勝負になると言えるなら、ディーゴはそれほどその人物を買っているのだろう。
「お前の言葉では信用できんな。嘘を吐くとは思わんが、見謝っている可能性もあるじゃろ?」
「そう思うなら会いに行けば良い。今頃大会の為に弟子を育てているだろう。」
「弟子がおるのか?」
「さあな。本人がどう思っているかまではわからん。」
「ふむ。何はともあれ会いに行くか。暇だしな。」
暇なら町を彷徨いて欲しかった。ディーゴは老人の暇潰しに付き合うほど余裕があるわけではない。
老人の話はギフトの為にもなる。と言う体の良い言い訳の元、厄介払いをギフトに押し付ける。
本人がそれを知れば間違いなく文句を言うだろうが、老人が言わない限りはそれも伝わらない。面白い話の一つでもあればギフトも文句を言わないだろう。
「今は町の外、西の海岸にいる筈だ。」
「ほっほ。楽しみが出来た。期待はずれだった時は覚悟しておくようにな。」
「問題ないさ。」
ディーゴがそんなことはあり得ない。そう笑うと、老人の皺がより深く刻まれる。
執務室の窓を開け放ち、杖を持ったまま老人は身を乗り出す。そして何事か呟くと、そのまま窓から落ちていく。
「……すまんなギフト。」
空を走る老人を見ながらディーゴは謝罪の言葉を口にする。そう思うくらいなら最初からやるな、そんな声が聞こえて来るが、ディーゴは一人取り残された部屋で椅子に深く座り直す。
◇
「なー。師匠ー。」
「今良いところだから!これは大物の予感……!」
「ギフト兄ー。」
「ちょっと待って!これが終わればすぐやるから!」
ギフトは今戦いの真っ最中。のんびり釣りをするのが目的だったが、思いの外強い当たりに熱中してしまっている。
魔力を通す事で釣竿や糸を強化できるがそれは面白くない。真剣勝負の場に無粋な魔法は持ち込まない。
「むー……。」
完全に修行そっちのけで熱中するギフトにミーネは頬を膨らますが、ギフトは勝負に勝つことしか考えていない。
「待ってろ!旨い飯をロゼが作ってくれるぞ!」
「妾が作るのか……?」
出来れば余計な事に割く時間は取りたくない。ミリアとの魔法談義は今までに無い知識を得られてとても有意義だと感じている。
と言っても我儘を聞いてもらってるのはロゼ達の方で、あまり強く言うことも出来ない。何よりギフトに食事を任せるのは今後に支障を来す可能性がある。
何よりテンションの上がっているギフトを止める気は無い。たまに見える子どもっぽい部分もロゼは嫌いではない。
「お……?おお……!来た来た来た……!」
「火でも起こしておくか……。」
完全に自分の世界に入ったギフトを置いて、ロゼはギフトの言う通りに食事の準備に入る。どうせ町に戻って食事を取るだろうが、釣った魚を食いたいのはロゼも同じ。
「私が魔力を流して燃やせるのかしら?」
「たぶん燃えない。もっと魔力を流せれば違うかもだけど。」
「なら丁度良いわ。特訓よ特訓。」
「こちらはこちらで火を起こしますね。」
リカの魔力属性は火。と言ってもリカの力量ではまだ枝を燃やす程には至って無いが、日常的に使う事は大事なことだ。
いずれリカだけで火を点けれるだろうが、待つ訳にもいかないのでその間にルイが火を起こし、ロゼが魚を捌く。
「ロゼ姉。僕も捌き方教えて。」
「ああ良いぞ。……む?」
ミーネに渡すナイフを探すと、視界の端に異物が入る。鳥かと思ったが少し大きい。
それも真っ直ぐにこちらに向かってきている。正体が掴めず凝視していると、ミーネがロゼの視線を追いかける。
「何あれ?」
「わからぬ。警戒はすべきだろうが……」
距離から考えてあの大きさは人と同じ程になる。魔鳥の類いの可能性もあるが、それにしては動きがない。
鳥より遅く、羽ばたきの動きもない。不可思議な物体がこちらに向かってきている事に、ギフトを除き警戒を顕にする。
「くぉ!?最後の足掻きか……!だがここに来て逃がしはしないぜ……!」
ギフトだけ我関せずだが、その正体はすぐにわかる。近づくにつれ速度が上がり、砂を盛大に撒き散らしてそれは着地する。
目に入らぬよう全員が顔を腕で防ぎ、一人だけ無防備な背中に砂が当たり、力が入る。
「ほっほ。久しぶりすぎて少し失敗したのぅ。」
「……誰だ。」
「そう警戒するでない。しがない爺じゃて。」
「……。」
そう言われて警戒を解く者はいない。ただ一人はその顔を見て表情を曇らせ、一人は肩を震わせる。
「……何でここに、学園長が?」
「おお!ミリアではないか!壮健そうで何より。」
「質問に答えて。」
「相変わらず冷たい奴じゃなー。この国の大会を見に来ただけじゃ。他意はない。」
長い顎髭を触りながら老人は相好を崩すが、ミリアはより一層警戒する。
ミリアは老人を良く知っている。世話になったし、恩師でもある。ただ態々やって来る様な理由が思い当たらない。さっきの反応を見るならミリアに会いに来た訳でも無さそうだ。
「大会を見に来たなら何故ここに?」
「なに。ちぃと面白い話がありそうでな。様子を見に来ただけじゃ。」
「何の様子?」
「質問責めじゃのー。少しは自分で考え……。」
「ならお前も少しは考えて動くべきだな。」
ギフトはゆったりと老人に近寄る。先程までの昂りは鳴りを潜めて静かになっている。
「ほっ?何を怒っておる?」
「何かに怒ってんだよ爺!」
ギフトは声を張り上げて老人を怒鳴り、腕を横に振って炎の剣を一瞬で形成する。
瞬時に何に怒ってるか理解したロゼとミーネがギフトを止めに入る。危険があるならともかく、そんな理由で切れているなら流石に止めるべきと判断したのだろう。
「待てギフト!怒る理由が小さい!」
「ロゼェ!?お前は俺の味方じゃないの!?」
「ギフト兄!釣りは後でも出来るよ!」
「あの魚は俺を待っていたんだ!離せミーネ!」
「素晴らしい!なんと無詠唱とは!もっと近くで見せてみよ!」
「上等だ爺!眼前で披露してやるよ!」
「学園長!ギフト君を煽らない!」
ギフトをロゼとミーネが止めて、鼻息の荒い老人をミリアが止める。その様子を見ながらリカ達は既に無関係を装う。
「釣りってそんなに楽しいのかしら?」
「子どもの喧嘩ですね。」
「ギフト様は同族嫌悪っぽい気がします。あのご老人にはギフト様と同じ臭いがします。」
「楽しいを見つけた人と、楽しいを邪魔された人の構図ですね。」
呆れるし、止める気力も沸かない。あの老人がミリアの知り合いなら危険は無いだろうに、ギフトは自分の楽しみを奪われ怒っている。
ロゼとミーネが必死に止めているのは恥ずかしいからだろう。釣りを邪魔されたからなんて理由で老人を本気で殴りかねないのがギフトだ。
「暫く置いてれば大丈夫じゃない?任せましょ。」
「巻き込まれたく無いですしねー。でも長引きそうですよ?ギフトさんの機嫌回復の為に魚でも焼いておきます?」
「なら私は木を拾ってきますね。」
「あ、聖女様。手伝います。」
ギャーギャー騒がしい者達を無視して動き始める。紅くなり始めた空は、騒がしさを受け流し、その色をより一層鮮やかに彩っていく。