1 旅立ち
新しく始めます。
頑張ります。
満天の星空の下、森の中の少し開けた場所で、青年は腰掛けていた倒木からゆっくりと立ち上がる。
目の前には枯れ木を束ねて起こされた火が燃えており、その奥には初老と呼んでも差し支えない白髪が多く混じり顔に皺の刻まれた男が地べたにあぐらをかいており、幅広の剣を自分に立てかけている。
その周りにも顔はよく見えないがそれなりの人数が思い思いの方法で、休息を取っている。
炎に負けないほどの真っ赤な髪を三つ編みに括り、腰の近くまで垂れている。その瞳は髪と同じくらいの赤い色をしている青年にとって、目の前の男は恩人だった。
その恩人に対して不義理かも知れない。それでも青年は立ったまま星空を見上げ、思案に耽ける。
すると目の前の男が青年に話しかける。
「・・・行くのか?」
咎めるような声でもなく、悲しむような声でもなく、ただ慈しむように青年に語りかける。
血の繋がりは一切ない。でも、いやだからこそ、その二人には親子のような絆が確かに存在した。
「恩知らずって罵ってくれても構わないよ。」
「馬鹿を言うな。お前は俺たちにとって最高の息子だ。例え袂を分かったとしても、それは変わらん。」
男の相変わらずの物言いに青年は相好を崩す。忌み嫌われるべき自分を温かく迎え入れてくれた。自分に生きる術を教えてくれた。そんな恩人の元を今日で去ることになる。
寂しさは確かにある。自分にとってここほど居心地の良い場所は無かった。それでもここを離れることに決めたのは、青年の我が儘だ。しかしそれに文句一つ言わず快諾してくれた。
「ありがとう。だからこそ、俺は行くよ。皆にとって最高の息子で居続けたいからさ。」
「・・・そうか。お前はてっきり俺についてくるものと思っていたがな。」
「それもありかもだけどね。でもそう言ったらぶん殴ってくるでしょ?」
「当たり前だ。そんな情けない奴に育てた覚えはない。」
男はニヤリと笑い、それを見た青年も笑い返す。周りの者達もその様子を眺めている。
男たちは傭兵だった。各地を転々とし、戦いに駆り出されても尚生き残り続けた真の猛者たち。
別の傭兵団に移ったものもいる。戦場で息絶えたものもいる。ここにいるのはそんな中、この男についていくことを決めた者たちだけだった。
誰からも甘いと言われた、人を守るための傭兵団。その理想を貫き実現してきた男は多くのものに希望と絶望を届けてきた男。特別強いわけでも無い。カリスマ性がある訳でもない。それでも多くのものに慕われ、皆を率いて生きてきた男に誰もが感謝している。
青年とてそれは同じ。いや、誰よりもこの団長を慕っているという自負さえある。
だからこそ彼は行く事を決めた。それが彼等への恩返しにいつかなることを信じて。
「それで、お前はこれからどうするんだ?冒険者にでもなるのか?」
青年が自分の下から去るのは分かっていた。しかし何をするかまでは知らない。
老婆心からかそんなことを訪ねてみた。この世界でこの青年が生きるには傭兵か冒険者以外に道は無いだろう。そもそも彼が普通の生活を送ることを望むとは思えなかった。生来の放浪癖がそれをさせてくれないだろう。
「いや、冒険者にはならないよ。未開の地には行ってみたいけど。」
「なら、傭兵団でも作るのか?」
今から彼が他の傭兵団に入ることは難しいだろう。彼は戦場でその名を轟かせすぎた。その力を欲しがるものは多いだろうが、望みのままに力を振るうことは出来無い。道具として利用されるのが目に見えている。
ならば、自分で傭兵団を作り、そこで手腕を振るうしかないだろう。だが、それはあまり選んで欲しくない道だった。傭兵に拾われたからといって、傭兵として生きねばならない訳ではない。できることなら別の道を進んで欲しいという願いがあった。
「いや、傭兵にもならない。そう呼ばれるかもしれないけど、自分からは名乗らないよ。」
「ならば一体何をするのだ?」
「旅をするよ。世界を転々と見て回る。」
「ならば冒険者ではないか。」
そこまで言うと、青年はカラカラと笑う。
その態度から冒険者でもないことは見て取れる。しかし、ならば一体何をするのか、それがわからない。
世界を見て回るが冒険者ではない。傭兵と呼ばれる可能性はあれど、傭兵を名乗らない。
青年が何を見ているのか分からず、じっと視線を向けていると、青年は迷いのない眼で星空を見上げる。
「俺は自分の名前が気に入ってるんだ。大切な人たちに付けてもらった大切な名前。」
「・・・?」
「その名前に似通った事をするよ。」
「はぁ・・・。お前は一体何をするつもりだ?」
時折青年は自分の世界に入るのか答えにならない答えを言うときがある。
青年に名前をつけたのはこの傭兵団だ。その名を忘れるわけがない。
―――ギフト―――
それが青年に与えられた名前。
肉親に捨てられた自分に、ただ愛することを教えてくれた者が付けてくれた名前。
「俺はギフトだよ?届けるに決まってるじゃん。」
「何をだ?」
「全部。俺が叶えられるものは全て。手紙でも人でも、悲しみも喜びも、希望も絶望も。ありとあらゆるものを届けるのさ。その報酬にお金をもらうよ。届け屋になるんだ。」
「・・・確かに、物を運ぶ行為は金が取れる。しかし運び屋とは・・・。」
運び屋という職業ならばある。国と国を渡り歩いてあらゆるものを売りさばく商業だ。必要とあれば武器も人もなんでも運ぶ。はっきり言えばあまり好きになれない職業だった。
傭兵とは違い、その身で戦場に出ることはなく、更には戦火を大きくすることも厭わないものもいる。そんな奴らにはなって欲しくはなかった。
傭兵の団長である自分が何を言うか。とも思うがどうせなら、戦火を広めるのではなく戦火を鎮めるために戦って欲しい。自分の理念を押し付けるようで嫌だが、そう願わずにはいられない。
「違うよ。あんな戦争凶と一緒にしないで。届け屋。運ぶんじゃなくて届けるの。」
「何が違うんだ?」
「人に運ぶんじゃない、心に届けるんだ。泣いてる子に笑顔を届けて、病人に薬を届ける。当然後払いも可!報酬は金に拘らない!気に入らないものは届けない!」
「・・・それは職業とは言えんぞ・・・。だが、そうか・・・。」
片手を開いて天に掲げ堂々と語るギフトに男は溜息を漏らす。
同時にギフトの優しさを垣間見て親として嬉しく思う。金に拘らないのはそれを取ることも出来無い者のために、気に入らないものを届けないのはそれで悲しみを産まない為に。
自分の息子が世界を恨みながら生きて、傭兵という血なまぐさい場所に居ても尚、心を失わなかったことは男の人生にとって最高の贈り物だった。
「と言っても、ムカつく奴には絶望だって届けるかも知れないけどね。あくまでも旅のついでかな。結局は自由に生きたいだけだよ。」
拍子抜けした。いやそう言う奴だとは分かっていたはずだ。決めたことはやり続けるくせに面倒臭がりなのだ。恐らく冒険者になってランクだなんだと言われるのも、傭兵となって命令を受けるのも面倒だからこの道を選んだのだろう。
だが、それもらしいと笑い飛ばす。
「辛い道だぞ?自由を選ぶのは。」
「辛い道の先に幸せがあることを教えてくれた人がいるからね。俺は迷わないで済むよ。」
自由には責任が付きまとう。自由であることを目指したつもりが、誰よりも不自由な人生を送るなどザラにあることだ。
だが、恐らく何を言っても止まることはないだろう。もう選んでしまったのだから。
「そうか。なら届けてこい。この世の全てに教えてやれ。ギフトと言う存在が、どれだけこの世で幸せに生きたかを。」
「当然。教えてやるさ。この世界はそんなに捨てたもんじゃないって、胸張って言えるからな。」
笑い合う二人に今まで会話を聞いているだけだった者達が近づいて来る。そして口々にギフトに言葉をかけていく。
風邪をひくな。ご飯はちゃんと食べろ。体は洗え。辛かったらいつでも頼れ等々。
当たり前のことから危険への対処法など、笑いながら、時には泣きながらギフトと別れの言葉を交わしていく。
「別に会えるのが最後って訳じゃないだろ。ほれ、散れお前ら。」
「そりゃねーっすよ団長。ギフトは俺らの息子みたいなもんなんだから。」
彼らとは今の自分の半生以上を共に生きた。辛い時も楽しい時も悲しい時も一緒にいた。
戦うことを、生きることを、喜ぶことを、守ることを、悲しむことを。人生を教えてくれたギフトにとっての家族。
別れを惜しむものはいたが、それでも別れはやってくる。これ以上ここにいれば決心が錆び付いてしまう。
「じゃあ、俺は行くよ。皆元気でな。」
「おう。もし俺に子どもが出来たら、お前は最高の長男だって自慢しておくさ。」
団長は笑いながら、団員は目に涙を浮かべながらも最後には笑顔を浮かべ、ギフトを見送る。
その背が見えなくなるまで全員がギフトがいる方角に手を降り続ける。一度も振り返ることがなかったが、それを不満に思わず、自分たちの逞しき息子を最後まで目に焼き付ける。
「行っちまいましたね・・・。」
「ああ。」
「悲しくないんですか?」
「何故だ?俺は今嬉しくて仕方がないさ。旅立ちにもふさわしい。今日は星が綺麗だぞ。」
団長はその目に涙を浮かべる素振りも見せず、口癖の言葉を紡いで笑い続ける。ギフトにとっての理想がそうだと信じ続けて。
そしてギフトも涙は浮かべない。歩いて歩いて皆から完全に見えなくなった頃、立ち止まって空を見上げて鼻歌を歌う。
「今日は星が綺麗だ。明日は良い日になりそうだな。」
どこか調子はずれの鼻歌を歌いながら、ギフトは巣立ち旅に出る。