一話
異世界転移、転生という物語りは過去何度となく作家たちの手によって描かれてきた。
それは夢物語、妄想、紙あるいはネット上の画面の中の作りモノの世界のはずだった。
その世界が実在するとわかってはや数十年、こちらの世界と異世界との交流が始まって十数年。
戦争だのなんだの、物騒な話しもあったものの、なんとか世界は表向き平和であった。
この日本においては、数年前からその異世界の技術を学ぶための専門学校が出来るくらいには、異世界の実在は浸透していた。
春。桜の咲き乱れる中を突き進む電車の中、今年その専門学校に入学した少女は携帯を弄っていた。
制服はなく私服である。何を着て良いのか分からず早々にジャージでの登校を決めた彼女の名前は、夏宮樹。
誕生日が来ていないのでまだ18歳。短く切った黒髪、同級生のようなオシャレに興味が無いのでとにかく地味。カラコンもしていなければ、髪も黒いままだ。
特徴といえば生まれつき右頬に北斗七星のように綺麗にならんだ黒子があるくらい。
逆にいえばそれくらいしか特徴がない。
普通、地味。それが樹であった。
樹の通う専門学校は、異世界の所謂魔法が学べる学校である。
いまでは立派な国家資格が取れる学校だ。
ならこの学校に通う事ができれば魔法が使えるようになるのか、と問われれば答えはイエスでありノーだ。
魔法は使えるようになるが、それは道具を使っての使用ができるということだ。
詳しくは知らないが、近い言い方をするなら河豚の調理免許のようなものが取れると言えば良いだろうか。
要するに道具を使っての魔法を扱える資格、が卒業と同時に取得できるのだ。
危険な技術であるため国家資格となったらしい。
樹がこの学校に進学したのは、どこにでもいる厨二病患者と動機はさして変わらない。魔法が使えるようになりかたかったのだ。
物語りの主人公たちのように自由に空を飛び、不思議な薬を作る、恋のおまじないなんかも出来る、そんな魔女に憧れていたのだ。
もちろん年齢を重ねるにつれ、それがいかに現実的でないことかは理解していった。
ならば、と作家を目指したのだが、中学の頃から応募しネットにも投稿しつづけた小説は日の目をみることはなく落ち続けている。
しかし書く事は楽しいので、今ではほぼ趣味でネットの投稿サイトに作品を投稿し続けている。
それはともかく、
「おはよー、樹」
「あ、おはよ蒼」
ぼんやりと流れる景色、咲き乱れる桜を眺めているとひとつ前の駅で乗って来たのだろう、専門学校の同級生が声を掛けてきた。
脱色した金髪、化粧もばっちり、いわゆるギャル系の少女だ。
名前は安田蒼。高校までと違い、合わないだろうなぁという人種が何故か多かった。蒼もその一人である。
蒼の進学動機は、手に職をつけるためらしい。
なら他にも大学なり、就職なりと手はあったと思うのだが、全部落ちたらしい。唯一受かったのがこの異世界魔法の専門学校ということだった。
地元から自転車で四十分の場所にある駅、そこから電車に乗り揺られる事一時間。さらに電車を降りて歩く事一時間。山間の中にその学校はあった。
寮に入るのが通常なので、樹や蒼のような生徒は珍しい。
ただでさえ入学金や授業料、教材費などで学費ローンの大半をつかってしまったので寮に入るだけのお金がなかったのだ。
親からも、汚部屋を指さされこんな部屋で暮らしている人間に寮生活はおろか独り暮らしも無理だと怒鳴られた。
それはその通りだったので、頭の拳骨で出来たタンコブを摩りながら部屋の大掃除をしたのは去年のことである。
この専門学校に入ることも最初は反対されたが、卒業後の就職先、初任給の平均を説明したら折れた。
結局世の中金である。
「今日の授業ってなんだっけ?」
蒼に問われ、樹は頭の中に時間割を引っ張りだす。
「座学と実技」
「もうやめたい。やめて遊んで暮らしたい。宝くじ当たらないかなぁ」
蒼は入学式の時にも同じ事を漏らしていた。
たしかに高校までとは違う。
通学距離はさして変わらないが、授業内容が二人のように通うモノからするとハードなのだ。
特に実技。
座学は理論やら魔法関連の法律を学ぶのでまだ座ってられるが、実技は実際に魔法を使っておこなう授業である。
三年制の学校なのだが、一年生は座学中心の授業で、二年生になると実技中心の授業になる。
さて、では三年生は何をするのかというと就活と実践のためインターンシップに出掛けるのである。
卒業生の殆どは異世界に進出しつつある企業に就職する。
魔法やそれに関する技術もそうだが、異能力者を育成する学校と違うのはこう言うところだろう。
よく勘違いされるのだが、樹達の通う専門学校は異能力者ーー本来の意味での魔法使いを育てる学校ではない。
現在、日本では資格がなければ異能力を持たない人間は魔法関連の道具を扱えず、またそれらの道具を使用しての魔法も使えないように決められている。
三年間過ごせば、それを扱えるようになる【魔学師】の資格を取れるのだ。
この資格が国家資格になったのには、もちろん理由がある。
異世界の国との交流が進みつつあった二十年前。
一部のバカが向こうの技術、魔法を使ってテロ騒ぎを起こしたのだ。
幸いと言うべきか、そんな危ない世界との交流を止めろと言う声よりも、きちんと魔法技術を学べる場を作り、それを扱う人間の人格を育てようという考えが広まった。
危ないから禁止、ではなく、きちんと正しい使い方をしようという考え方だ。
「宝くじね~、当たったらどうする?」
下らない会話をする彼女達を乗せて電車は進む。
☆☆☆
いつものことだが、始業時間ギリギリの登校になる。教室はガヤガヤと賑わっている。
何度もいうが、異能力持ちを育成する学校ではないので、生徒の殆んどは普通の人間である。
そして、転職目的の資格取得のため通ってる者もいる。
樹の隣の席の長谷川は、離婚を切っ掛けに貯金とローンを組んで入学してきた元主婦である。
子供はいないらしい。地雷っぽいので詳しく聞いたことはない。
ただ、元旦那の不満が時折吹き出すのか、樹は時々愚痴を聞かされる。
正直、大変だったんですねぇとしか言えない。この言い方を間違えると、愚痴が中々終わらなくて厄介なことになるのだ。
「なっちゃん、蒼ちゃんおはよう」
長谷川は樹のことを『なっちゃん』、蒼のことは『蒼ちゃん』と呼ぶ。
ちなみに、夏宮なので、なっちゃんである。
「おはようございます。長谷川さん」
「あなた達、この前の課題提出忘れてたでしょ?」
「へ?」
課題、課題? と呟いて樹とその横で蒼が声をあげた。
「あーーーーー!!!」
「課題なんてあったっけ?」
「あれだよ、アレ!」
「アレアレいわれてもわからん」
二人のやり取りに、長谷川が苦笑しつつ続ける。
「異世界のことについて調べて、レポートにまとめるやつあったでしょ?」
その言葉に樹は、ぽんっと手を叩いた。
「あ~、あの図書室の調べもののことか」
あれ課題だったんだ、と樹は呟いた。
先日の授業で異世界のことを独自に調べ、まとめるようにと言われたことがあった。
授業時間内でレポートを仕上げられ、提出した者はよいとして大半は調べるだけで時間が終わり、後日提出することになっていたらしい。
「このまま書いたままのルーズリーフ提出でいいかな」
バインダーに挟んだままだった、レポートもどきを取り出して樹が呟くと、その手をガシッと掴みキラキラした瞳を向ける蒼。
「おお、神よ」
「蒼ちゃん、ズルはダメよ」
「えー」
「リュシド先生からまた拳骨もらうことになるわ」
リュシド先生、と言うのは彼女達の担任である。
本名はリュシド・ノクターン29歳独身、異世界からきた人間である。
前職は、ゲームなどで目にする職業、冒険者だったらしい。
大剣をふるい、害獣駆除よろしくモンスターを狩っていたらしい。
「あの体罰教師、アタシばっかり目の敵にしてるんだけど」
「教育の範囲内だと思うけどね。私が子供の頃なんてイタズラしたら物置に閉じ込めらるか、庭にある木に縄でぐるぐる巻きにされて1日放置なんて普通だったし」
なかなか、スパルタな教育を受けていたようだ。
「それ、虐待なんじゃないですか?」
自分の家の事は棚に上げて、樹は言った。
「今じゃ、そういう風に見られるんでしょうね。でもお陰で、していいことと悪いことの区別はつくようになったし。
反省すれば、それで終わりだったし」
懐かしそうに言う長谷川の横で、せっせと蒼が樹のレポートもどきを写し始めた。