第105話 陰謀
取り敢えず溜めてた分出していきます。
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首相官邸 某和室
広瀬が時たま使用しているこの和室に新たな客人である木戸口永一が座っていた。木戸口は広瀬が来るのをジッと待っていた。
そして、奥の暗闇から襖を開ける音が聞こえる。
「悪いね、いきなり呼び出してさ。お前さんとはサシで話したいと思ってたんだ。」
「いえ、此方こそ貴方様とこうして2人で飲める事に大変嬉しく思っています。」
いつもの調子で話し掛ける広瀬に木戸口は冷静な態度で応える。広瀬が座ると、直ぐに使用人が用意していた酒を持ってきた。2人はそれを御猪口に注ぐと互いに会釈した後、グッと飲み干した。
「……美味いですね。」
「悪くねぇだろ。」
ある程度飲んだ後、広瀬が彼に質問を投げ掛ける。
「率直に聞くぞ。俺は回りくどいやり方はどうにも好かねぇんだ。」
木戸口は無言で広瀬の目を見る。その時の広瀬の目は鋭く木戸口を見ていた。木戸口は思わず目を逸らしたくなったが、何とか踏み止まる。
「お前さんは何者だ?」
「木戸口永一ですよ。」
「悪いがお前さんの素性を調べさせて貰った。……新潟県の田舎育ちで昔から秀才らしいじゃねぇか。」
「それ位なら…少し調べれば素人でも分かる事では?」
「まぁ念のためだ…お前さんが某国の工作員って言う可能性も否定できん。臼井が居ない今の野党はハッキリ言って使えない阿呆ばかりだ。もう戦後から続く与野党の犬猿の仲を演じる事は出来なくなったんだしよ。」
この言葉を聞いた木戸口は少し驚いた表情を見せる。
「……そんな事を私に言って大丈夫なのですか?」
広瀬はニヤリと笑う。
「へへ、意地悪はするもんじゃねぇな。」
「……え?」
「お前さん……黒巾木組のモンだろ?」
御猪口を持つ木戸口の手が止まる。静寂のひと時…ほんの数十秒が彼にはとても長く感じた。そして、少し溜息を吐いた後、御猪口を置き、改めて姿勢を正し口を開く。
「ハァ……よくお気付きに。」
「元黒巾木組の組頭なんだ……これくらいは独力でも可能…だったが、流石に尻尾を出さなくてかなり手こずったよ。」
「まさかそこまでとは……!」
木戸口は驚きを通り越して笑ってしまう。
「ははは……ええそうですよ。木戸口永一は偽名です。」
「…やっぱり、お前さんは……」
すると木戸口は顔に手を伸ばした。顔の皮を掴み、引っ張るとそれは異常な程に伸びた。そして掴んだ皮を上げて、下から剥がれていった。
変装マスクだ。それは3Dプリンタによって造られた最新のマスクである。その繊細さは眉毛や瞼、唇の動きは勿論、肌の質感まで本物と同じレベルにまで製造可能なシロモノである。
その剥がされたマスクの内側……つまり木戸口の素顔は、浅黒い強顔の男であった。マスクの好印象的な顔とは大違いである。
「流石ですね……東條栄治……元大日本帝国第40代総理大臣、東條英機の子孫の1人です。」
東條英機ーー
戦前、大日本帝国時代の陸軍大将にして第40代総理大臣を務めた男である。更には関東軍総参謀、陸軍航空総監、陸軍大臣など様々な役職を尽くした者であり、日本が大戦に敗戦した事で国連にA級戦犯として東京裁判で裁かれ、死刑となった男でもある。
彼の孫子はその後数多の迫害を受けながらも、各々の道を進み、一応は平穏な生活を続けている。しかしー
「東條英機の家系には栄治なんて奴がいたと言う話は聞いて無えけどなぁ。」
広瀬は少し警戒する。しかし、木戸口は薄く口角を上げ、そんなに警戒しなくても良いという表情を浮かべながら首をゆっくりと横に降る。
「私は赤ん坊の頃、父親に戸籍を変えられ、全く別の家へと預けられました。その後、私は黒巾木組と接触し、また新たに戸籍と名前を変えて今日まで生きて来ました。因みに前の名前は『野口』でした。」
まだ警戒を解かない広瀬は、今の話に対する疑問を口にする。
「…どうやって黒巾木組と?」
黒巾木組は日本の極秘隠密組織である。そんな組織と接触するなど、超一級レベルのハッカーや裏世界の支配者でさえ探る事は出来ない筈だった。彼らは神出鬼没で人間離れした能力と用心深さを持っている。下手を打つような組織では断じてなかった。
「当時私はドライブ中に交通事故に巻き込まれたんです。更に運が悪い事にそのぶつかって来た車がタンクローリーだったんです。事故で発生した炎にタンクローリーに積まれていたガソリンに引火し大爆発。私は身元が分からない程悲惨な死体となった事になってます。」
成る程…何となく予想がついた。広瀬は少しだけ納得した様子で僅かに首を縦に振った。木戸口は話を続ける。
「私はまだ辛うじて生きてたんです。その時、黒巾木組の1人が偶然にも私の生い立ちを知ったんです。そこで田中さんが私を引き取り、治し、新たな人生と生き甲斐を与えてくれたのです。」
非常に奇跡的な出逢いであるが、決して広瀬は納得していないわけでなかった。
ごく一部を除き、黒巾木組の構成員は戸籍上、死んだ事になってる者が多い。何かしら死亡事故があれば、被害者の身元を徹底的に調べ上げたのちその人物を勧誘する。その時に断ったり、死にたくないが為に了承する輩は言わずもがなそのまま殺す事になっている。
どのみち死んだ事になっている存在である為、気にする者など1人もいない。
しかし、選ばれた者には新たな顔と戸籍をあたえられ、一生国を影から支える隠密としての人生を歩む事となる。
広瀬は少し前に話した彼の言葉を思い出し、質問をする。
「…だが、アンタの父親は何故お前の存在を隠した?」
あれだけの説明を聞けば、彼の父親は相当なロクデなしか頭がイかれてるとしか思えない。木戸口は少しの間を開けた後、静かに答えた。
「当時、東條英機の子孫は酷い迫害を受けていたと聞きます。その迫害から助ける為に父は私を野口家へ預けたのかと……まぁ私にとってはどうでも良い話ですが…。」
東條英機の子孫はその世代によって酷い仕打ちや迫害を受けていた事は知っていた。しかし、それに巻き込まれる前に彼を助けたのだとしたら、手放したのだとすれば…恐らく彼の父親は断腸の思いだっただろう。これも彼の話が事実だった場合の話ではある。
広瀬はまだ疑問に思っていた事を口にする。それは東條栄治という黒巾木組構成員の存在を知らされていないと言う事であった。
「俺はお前さんの存在は何も聞かされてねぇぞ?」
「私が黒巾木組に入った時、既に組頭は田中さんでした。」
彼が黒巾木組の組頭だったのは20年前で、その後は息子の広瀬譲二が田中一朗として、新たな黒巾木組組頭として勤めていた。彼には逐一自分に報告するようにと伝えてある為、彼の存在を知らされていない事に少しショックを受ける。
「…ふーん。」
「それに私の存在を口外しないように頼み込んだのは私なんです。申し訳ありませんが広瀬さん…あなたも含めてです。」
「……随分とオレは信用されてなかったわけか…かぁ〜泣けるねぇ。」
広瀬はワザとらしく不機嫌な態度を取る。東條はクスリと笑う。
「すみません、時期を見て報告するつもりではいました。重要な任務がありましたので。」
「ん?」
「身内組織の調査ですよ。敵は外からだけとは限りませんからねぇ……コレは田中さん以外誰も知らない極秘中の極秘任務だったのです。特に政界側にいる身内にはバレないように…かなり厳しかったですが、その甲斐あって身内に裏切り者がいた事が判明しました。」
「何だと?」
広瀬の表情が一層厳しくなる。日本の極秘諜報機関である黒巾木組内にそのような輩がいては冗談では済まされない事である。かなりエゲツない事から国がひっくり返るほどの情報も全て黒巾木組で管理しているからだ。
「その裏切り者は誰だ?」
「……臼井太一…ご存知でしょう?」
広瀬の額に汗が垂れてきた。
臼井太一……黒巾木組の構成員でも古参の一人。そして、広瀬の同期でもある。彼は進民党の党首として、戦後から続けている与野党の茶番劇を引き継ぐ者であった。
彼は殺された……幻狼会に。
「何が……どうなってる。」
広瀬は拳を静かに握りしめた。この心の中に湧き上がる怒りを抑えるのに必死であった。
「各野党に2人の構成員を潜入させている事とその動きを知っていたからこそ、我々の目を欺く事が出来たのだと思います。」
「………。」
広瀬は静かに聞いていたが、その目は怒りに燃えていた。
「彼の動きを不審に思ったのは彼が党首になってから数年後の事でした。当時、都内で不審な中国人の目撃情報が相次いでました。我々は早急に捜査に移りましたが、その時の指揮に臼井さんが名乗りを上げて来ました。」
「なにっ?」
広瀬は驚いた。臼井は私事なら兎も角、任務の事では変にでしゃばる男ではないと知っていたからだ。そして、そんな事も起きていた事に気が付かなかった自分にも腹が立った。
「臼井さんは古参で信頼もあった為、田中さんもそれを良しとしました。臼井さん指揮の元、我々は極秘裏に彼らを捕え、尋問しました。しかし、彼らは見てくれだけの何にも知らない小物でした。そうこうしているうちにも不審な中国人の情報は後を絶たず、遂に彼らの行方が不明になったところで、彼は指揮権を放棄しました。その時の彼は自分の不甲斐なさに絶句していました。我々は彼の失敗を責めず、気を取り直して彼らの捜索にあたりましたが、進展はありませんでした。今思えば、アレは囮でしたね。そこで、田中さんがある命令を俺に下したのです。それがー」
「身内への潜入操作か。」
「はい。最初は他の野党も考えてましたが、田中さんが真っ先に目を付けたのは進民党でした。」
「……。」
「私はマスクを付け、戸籍も変えて調査にあたりました。政界内にいる身内には極秘でしたから、かなり厳しかったですよ。そして、臼井さんが…幻狼会の張と電話で連絡をしている所を傍受しました。」
広瀬は顔を手で覆いながら話を聞いていた。
「…話の内容は?」
「まぁ簡単に言えば、所詮彼も人の子…完全に人として生きる事を捨て切れず、カネに目が眩んだっと言ったところでしょうか。」
広瀬は呆れ果ててモノも言えない。大きなため息を吐いた後、背後に仰け反り、そのまま大の字で倒れた。
「黒巾木組の……それも古参がカネに目が眩んだ?……これ以上滑稽な話があるか?…俺たちは日出づる国…大和国…日本国を護る影の存在だぞ。先人等が命を懸けて守り抜いた来た国を……カネに目が眩んで……異国のマフィア風情に心を売ったってのか?」
「……心情お察しします。」
すると広瀬はグンッと身体を起こし、顔を東條に近づける。
「じゃあ何で殺された?」
「私が彼ら……幻狼会を嗾しかけました。彼は貴方達を一網打尽にする為に近づいているということを。無論、簡単には信じてくれませんでしたよ。」
「じゃあどうやってだ?」
東條はニヤリと笑った。
「……シャブの密売ルート及び武器製造工場の新たな候補地と労働人員の確保です。これらの情報は全て本物で、直ぐに提供しましたよ…無償でね。」
「つまり……その密売ルートとなった場所にいる人々を…ある意味犠牲にしたって事か?」
「致し方無いでしょう……国の未来を守る為です。それに彼らを潰せば…それも治るでしょう。」
広瀬はこの男から国の為なら鬼にでもなると言う愛国心と非情さを実感した。しかし、侮蔑する気は毛頭無い。自分も同じだったからである。
「まぁその後も色々と警戒はされましたが、何とか彼らの信頼を得ることが出来ました。私が民自党へ移籍し、将来総理大臣になった暁には、幻狼会に異世界の国を差し上げる約束までしてね。そして……あの日……決行されました。」
広瀬はそれが臼井の件である事に気が付いた。
「アレは裏切り者の処罰って訳か?」
「裏切り者は裏切りによって死ぬ……相応しい死に方です。」
「じゃあ彼の付き人の…山崎は?」
臼井専属の運転手であった山崎。彼は多額の借金で追い詰められていた所を臼井に拾われた恩がある男で。臼井暗殺を助長した者でもある。
「フフフ……彼も黒巾木組の1人ですよ。幻狼会の口車に乗せられたフリをして、今は彼らの元で労働員としてこき使われてます。」
「おいおい…。」
「兎に角……田中さん、山崎、そして私による超極秘任務はもうすぐ成功を迎えようとしています。今頃、田中さんも他の構成員に召集を掛けている頃です。」
広瀬は全てしてやられたと言った表情をしていた。臼井の裏切りとそれに気付かなかった自身の奢りに対する憤りを感じていた。
そんな広瀬を哀れむ様に見つめる東條は静かに声を掛けた。
「貴方の話を田中さんから何度も聞きました。国の為なら文字通り修羅の鬼となる貴方の功績を…。国の未来を阻もう者いれば殺し、己が偉業の為に大勢を犠牲にする者いれば陥れる。また、少数の犠牲で多数が助かるのであれば躊躇なく実行する。某国の工作員を見つければ、必ず追い詰め、捕えて、拷問し、惨殺する。」
「はぁ……昔の話だ。」
「現役時代の貴方は身内からも恐れられた存在……敵であったならこれ以上恐ろしい存在は無く、味方であればこれ以上に心強い存在は無かった。……しかし、組織から抜けた後、この国の総理大臣として今ご活躍なさっている。今までとは違う…独特な環境で、流石の貴方様も盲目的になってしまったのやも知れませんね。」
この言葉に広瀬はムスっとする。
「お前は俺を傷付けさせたいのか励ましたいのかどっちだ?」
「ハハハ……すみません。」
すると広瀬は立ち上がり、踵を返した。
「どうなされたので?」
「あとは任せた…と伝えてくれ。コッチはコッチで専念する。」
「……傷心なさっておいでで?」
「…してないとは言わない。が、燃えて来たよ……この国を護る為なら何処までも堕ちるつもりだ。改めて決心したよ。」
そう言い残すと広瀬は襖を開けて出て行ってしまう。
それから少し経った後、東條は誰も居ないはずの和室で話を始めた。
「…だそうですよ、田中さん。」
そう言い放つと和室の奥の暗がりから田中が歩み寄って来た。
「気付いてたか……。」
「ええ……。」
「……やっぱり親父には伝えるべきだったかな?」
「どうでしょうね……。」
「それよりも作戦の方はどうだ?」
「潜入させている山崎から送られたアジトは8つ。構成員達はいつでも動けます。」
「ヨシ、今作戦は同時進行かつスピードが求められる。一番のターゲットは張と楊だ……分かってるな?」
「はい。」
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「……とか言ってるんだろうなぁ〜、あの2人はよう。」
広瀬は1人官邸内を歩きながら呟いていた。
「ったく、譲二の奴…人をお荷物みたいに扱いやがって…流石は俺の子だな、畜生!」
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某廃鉱山跡
すっかり闇夜に飲まれているこの廃鉱山跡地の地下では大規模な武器製造工場が建てられている。しかし、夜更けとなると労働者達の身体を考え、交代制で製造を行っていた。決して静かではないが、昼間よりは幾分か騒音は落ち着いている。
休憩に入る者はそれぞれの部屋で簡易ベッドで眠る様になっている。無論その間、銃を持った幻狼会構成員の見廻りは行われている。しかし、その中に1人寝たふりをしている者がいた。
山崎である。
(………5…4…3…2………キタッ)
寝たふりをしている彼の部屋の前を幻狼会構成員が通った。
(よし……そろそろいいか。)
ベッドから出る山崎は隠し持っていた鏡のカケラをそっと部屋の外へ向ける。見廻りの構成員達は詰所に置かれているテーブルと椅子に集まっていた。
〈よし、異常は無しだ。〉
〈トランプやろうぜ、トランプ。〉
〈おいおい、良いのか?上の連中に見つかったらー〉
〈馬鹿、ボス達はちゃーんと自分達の住処で寝てるよ。〉
どうせ逃げ出す事は出来ないと思っているのか、構成員達は詰所で遊び始めた。此方には見向きもしない。
「さてと…この時間帯が見張りの集中力が切れる頃だな。」
山崎はおもむろに床の一部を剥がし始めた。すると剥がれた床の下から小型無線機が出てきた。山崎はそれを手に取ると早速通信を始めた。
「俺です、そっちはどうですか?」
『いつでもいける。』
「他の8つのアジトは?」
『同じく準備万端だ。お前の報告通りの場所だったよ。』
「まぁ一年もここで働けば、この場所の大体の構造は勿論、他のアジトの話も盗聴出来ますよ。それよりも、突入時に私を撃たないで下さいね。」
『大丈夫だ、お前の体内にある発信機能付きナノマシンで位置情報はバッチリだ。』
山崎の体内には自身の居場所を報せるナノマシンが埋め込まれていた。それもあって、山崎がいるアジトの場所が真っ先に特定出来た。しかし、他にもアジトが多数あったのは誤算であった為、特定に時間が掛かってしまった。
「あと分かってるとは思いますが、張と楊は此処には居ません。彼らは別の場所に居ますが、何日か前に取り付けた超小型発信器を身体に装着させたのでそれも特定出来てますよね?」
『安心しろ、その2人にも既に他の隊員達が囲んでる。』
「分かりました…じゃあお願いします。私はベッドの下に隠れてます。」
廃鉱山跡地の周囲から特殊武装した黒巾木組がゆっくりと包囲しながら突入して行った。暗闇に見えるは、不気味なほど真っ黒な何かがサプレッサーを付けた銃を構えている姿が僅かに見える程度だった。
クアドラードもこれくらいアッサリで良かったかもと今更ながら思います。