六章 鴉と蝶
週末の某日、昔から家同士が親睦を深める法成王寺家の御曹司が誕生日だということで、月歌も招待を受けた。
セレブ御用達の高級ホテルを貸し切り、一流の招待客のみが集められた。
「金子さま、本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「月歌さんがいらしてくださるなんて……息子も喜びますわ」
もちろん同行者に雨田が伴っており、周囲の方々は彼の素性を気にしている。
「このような場所に雷鳴我門の方が……珍しい」
「お美しい……」
「同伴者の方はとてもハンサムね」
今回の主役である銀一郎が、揚々とこちらへ近づいてくる。
過去には婚約の提案もあったものの、あまり話したことがないので実感はない。
「月歌さん!」
目をキラキラさせ、きてくれて嬉しいと言う。
「お久しぶりです」
「そちらの彼は代打のエスコートですか?」
彼は昔からこうなので、嫌味で言っているわけではないのだろう。
それでも彼に失礼なことを言われて、このままパーティーを笑顔で楽しむつもりはなかった。
「お誕生日おめでとうございます。気分がすぐれませんので、本日はこれで失礼させて頂きますね」
「それは大変です! 貴女がこのようなパーティーに参加なさるのはお珍しいですから……」
彼を見ていたら、ふと……陽人を思い出し、似ている印象を感じた。
銀一郎の場合は作ったようなキザではないが、似ていても育ちから違うのだろう。
こちらの場合は天然で、悪気がない分なおのこと性質が悪いのだ。
「……不快な思いをさせてしまいましたね。帰りましょうか」
「気にしなくていいよ」
雨田は気を使ってそう仰るけれど、このままではどうも落ち着かない月歌。
出口へ向かおうとしていたところ、照明が落とされてしまい辺りが真っ暗になった。
「プロジェクションマッピングですね」
今どきの演出要素は成金じみていて、月歌はどうもこういうものが苦手だとため息をついた
「誰かが私を殺そうとしてる!」
突然会場の話し声を掻き切るような鋭い高音の叫び声が響く。あまりのことに、一瞬にして喧噪が静まった。
彼女は銀一郎の妹で、海外で語学留学していたと聞く。
数年前にたまたま帰国していたので、一度は見たことがある。
「お嬢様! 落ち着いてください」
「やめなさい白藍」
金子が毅然とした態度で気を鎮めるように、部屋へ連れていかせることを傍の執事へ指示する。
ものの数分ほど経つと、何事もなかったように観客達は各々の挨拶周りを再開しだした。
「お嬢様のお話はご存じ?」
「もちろん、海外で恋人に裏切られたとか……」
「精神病にかかられたって噂もあるのでしょう?」
噂話はあることない事を面白がる心無い人々の遊び。
こういった人間はどこにでもいるから、一々腹を立てることもない。
「雷鳴我門さま」
「あなたは……」
以前買い物の帰りに会った分家の方だ。
パーティーのことも彼女から聞いて思い出したから実家に電話をした。
「やあ青佳」
「銀一郎さま……!」
さきほどとの無表情な雰囲気とは異なり、恋する乙女のようだ。
「あらあら」
「すみません……! 月歌さんを差し置いて出過ぎた真似を」
月歌のあたたかい視線に、しどろもどろになりながら弁解をはじめた。
「ねえ、あそこにいらっしゃるの……」
「烏間さまだわ」
彼の登場で女性達が一気に沸き立ち、主役の銀一郎よりも囲まれている。
一体彼は何者なのか遠目からではでわからないものの、容姿が整っていることは容易に想像できた。
「ちょっと、そこの貴女!」
「……あたしですか!?」
13歳くらいの少女が30代くらいの女性に呼び止められ、キョロキョロと辺りを見渡して戸惑っている。
「この私に挨拶もなしなんて、どんな貧しい家庭に生まれたのかしら」
「申し訳ありません、私もご挨拶しておりませんでした」
面識もないのに挨拶をしなければならないほどの、
“偉い立場の方が参加なさっているなど、誰も教えてくださらなかった”と言う。
「彼女のような大勢の前で恥じらいもなく、横柄に他者を見下す発言をする方を私は初めて拝見いたしました」
「言うね」
パン、パンと軽い拍手を烏間に送られ、どうしたものかと月歌が困惑した。
「……なぜここに」
「どうなさいました?」
雨田が浮かない顔をして、烏間のほうをじっと見ている。もしかすると知り合いなのだろうか?
「どうしました」
「銀一郎さま! あの二人が!」
女性は私と少女を睨みつけて不満を訴えている。
「新規参入の方はご存じないかもしれませんが、彼女は雷鳴我門のご息女ですよ」
「え……!」
銀一郎から名字を聞いて、女性は私に関わりたくないのか気まずそうな顔をして立ち去ってしまう。
■■
「大丈夫ですか?」
「ありがとう!」
それからすぐ、泣きそうな顔の少女に声をかける。安心してか、目じりにうっすら涙を溜めている。
指でぬぐいながら笑顔でお礼を言われて、こんなふうに心から感謝されたのは初めてのことだった。
……だから、気がつくとつられて笑顔になっていた。
ふと、烏間がいなくなっている事に気づいて、周りを見渡すが、どこにもいない。
「月歌さん」
“さっきのことだけど”一息ついて、ようやく雨田さんは口を開いた。
「彼とは少し因縁があるんだ」
「まあ……」
何より好奇心をくすぐるのは、ミステリー小説のお約束である探偵の宿敵たる存在。彼らの因縁とはどんなものなのだろう?
「それより、まずいことになったな」
「何か?」
彼は”今日この場所で事件が起きてしまうだろう……予感ではなく確信だ”と言った。
これは烏間が事件を起こすと言ったも同然だ。
「僕はいつかは彼を捕まえなくてはいけない。
一人では無理だけど……どこかに散り散りの仲間が揃えばね。その場合君を巻き込む気はないよ」
真っすぐに見つめられ、目を離せない。あえてだろうか?
いつもより距離のある言い方で、関わらないでほしいと瞳で伝えている。
「……そうですか」
漠然とした話にただただ頷くしかできなかった。
こんなことを言われて、なんと返すのが正しいかなどわかるはずもない。
「彼の現れた場合に起きてしまう事件は、彼から貴方への嫌がらせですか?」
「そういうわけではないかな……きっと本人の趣味だよ」
聞き方を変えると、想定した通り雨田さんは烏間が事件を起こすと肯定した。
いつもならば面白そうだと関わりたくなる案件だが、他者が干渉する余地はなかった。
「ただ、例外はあるから100%ではないか」
「例外ですか」
彼が自ら出向くことはめったにないが、事件を起こすためでないなら何のために外出した?
雨田さんはそう呟きながら、推理をはじめてしまった。
■■
「不老不死の薬がもうすぐ開発されるそうですね」
「ああ、後5年ほどはかかるそうだが、その前に寄生虫が流行してしまうとAIが予測したぞ」
「不老不死などこの世にいるはずがないのに、非現実的な会話に反吐が出るな」
「あくまでも若返りというではないか、ただでさえ東は人口の爆発がひどいというのに」
「腐れた上層部がさらにのさばる期間が延びるなんざ、永遠悪夢だぜ」
葉巻を銜えた壮年の男は侍らせた女の顔へ煙を吐き出した。
「しかし、ワンコインで60代が20代では……」
「金持ち連中だけ長生きするのでは不平等ですから」
平等でないことは当然で、公平などまやかしだ。同じ言語なのに彼が何を言っているのか分からない。
「先ほどから黙っておられますな、揚羽殿」
「育ちがよくないもので、喋るとボロがでてしかたないんです」
「ここは歯に食い破った端切れを残した者らの集い。気になさる必要はありません」
「じゃ、先程の薬についてですが、格安で売る利益はないと思います。
高く売りつけて資金がたまったら一般人も使えるようになさるわけではないんですか?」
「マジでガキっぽいこと聞いてきたな」
「賢いビジネスは向いていないので、マネージメントは別の者に任せていますねー」
金より研究そのものが好きなのだろう。常人には理解しかねる考えだ。
「すみません、俺は天才高利貸しでもなければ、科学者でもない凡人なんです。陳腐な問いでしたね」
「ご謙遜を……凡人なら、このような場所にいるはずがありませんよ」
科学者は腕時計を見ながら、右手でティーカップを持つ。もう冷めているであろうお茶に、まったく警戒せずに口をつけた。
ただの馬鹿か毒物が効かない体質に改造でもしているのだろうか?
「皆さん飲まれないんですか~?」
「貴方は度胸ありますね、毒殺が怖くないなんて……」
「日常的に毒液を飲んで药中毒してますから! 毒はほとんど効きません」
「引くわ……」
「俺は気にならなかった。アンタまともですね」
揚羽は紙タオルで鶴を折り、出来栄えを見てから即座に壁へ叩きつける。
大した威力が出るわけもなく、形が崩れた紙屑が音もなくその場に落ちた。
「ところで、新しいガキは使えんのか?」
「それなんですが、全く役に立ちません。銃も使えなければ話術も……」
「はっ……本当にレディ・ゴルドンの子かよ?」
お荷物新人を面倒みることになった同業者を鼻で笑う。
男は葉巻を灰皿に擦りソファにもたれかかって脚を組んで座りなおした。
「その小娘には戦闘力も話術の堪能さも求めてはいない。あいつには別に使い道がある」
「おや、珍しいこともあるものだ」
闇はすでに間近に迫っていた……
■■
『本物の炎も血も赤くない。こんな朱色なんだよ』
あの人と出会ったのも、視界に朱色があった。火事の起きた日は家族を全員亡くした。
お使いして家に帰ったら燃えていて、私だけ生き残って、あの人が私を助け出してくれた。
「あんた、コンロとアルコールランプは平気なんだねぇ」
「炎は嫌い。だけど、朱色は嫌いじゃないの」
「何となく察した」
私は青色が好きで、それはあの人の瞳と同じ色だから。
■■
心配していたパーティーは平和そのもので、何の問題も起きなかった。
私は忘れていた。
嵐の前の静けさというものが、探偵小説では最も大きな事件の前触れだということを。