三章 ‘警部’片瀬雪雄
依頼人は訪れず、暇をもてあます月歌と雨田は、何をするわけでもなく、ただソファ、事務椅子に座っていた。
「明日イベントがあるんだが」
雨田が沈黙を切るように突然、呟やくように言った。
「どういった催しですか?」
「その名も左利きの左利きによる左利きのための“左利きしか参加できない”イベントだよ!」
雨田は参加をするつもりのようで、月歌にチラシを見せた。
「左利きは珍しいんですか?」
月歌は不思議だと、首をかしげた。
「そうだよ」
雨田は人類の話をし始める。
「手は二つあるのに、使う位置が違うだけで?」
人は見た目も役割も同じなのに、左右にこだわる。
それは月歌にとってどちらも愚かしく感じることだった。
「君の言葉は間違っていないね」
雨田はうんうんと頷く。
「そうですか」
月歌は認められ、少し照れたように頭を低くした。
翌日、二人は私服でイベントに参加した。
「洋服なんだね」
月歌はゴシックロリータ風の衣装を着ている。
雨田は意外そうに眺め、息をつく。
「私は好きで和服を着ていたわけではないんです」
月歌は洋服に憧れていたのだと嬉しそうに話す。
「ああ、お嬢様は大変だね」
「雨田さんこそ探偵の服を着ないのですか?」
雨田は黒皮のコート、首には首輪のようなチョーカーを着けている。
「もしも事件が起きたとしよう、そのとき探偵だと初めから知られていたらつまらないからね」
事件が起きればささっと着替えられるようにしていると、下に着こんだ探偵衣装を見せた。
「行く先々で事件が起きたら嫌ですよ」
まるで自分達のせいで事件が作られたようで、いたたまれない月歌。
「何を言うんだい月歌‘くん’!事件が起きなければ探偵なんていらないのだよ」
月歌は反論できず押し黙った。
「今、ワト●ンくんノリでしたね」
「すまないね…つい」
二人は会話に行き詰まり、静かに会場に入ることにした。
会場に入ると、参加者は20人ほどだった。
席はたくさんあるが、人数が少ないのか、会場の広さなのかまだ席があまっている。
「こうしてみると人はあまりいませんね」
「来た僕が言うのも変だけど、こういうイベントは怪しいからね」
雨田は空いている席に座る。
「以外と徹底しているんだね」
ナイフやフォークが通常とは逆の位置に置かれている。
雨田は見るやいなや、すぐにその配置を直した。
「どうして直されたのですか?」
月歌は訝しげに雨田に尋ねる。
「左手でナイフを持ち、肉を切ると食べるときに持ち変えることになるからだよ」
「言われてみれば…それは気がつきませんでした」
ストンと腑に落ちる。月歌は席についた。
「どちらにせよ左手でフォークを持つのだからこの配置は非合理的だ」
“だからと言って上手く切れるわけではないが”雨田は苦笑する。
「皆様お集まり頂きありがとうございます!」
司会者は左手にマイクを持ち、右手を高くあげた。
「同じ左利きでも皆が皆がナイフを左手で使うわけじゃないだろう?」
雨田はマウスや鋏やティーカップなどを例に出した。
「私は洋鋏も和鋏も左手で使いますが…マウスやカップは右手です」
「前から聞きたかったんだが、君の家は作法に厳しいだろうに、矯正はされなかったんだね」
「はい、昔から左利きが生まれやすい家系で、かつては矯正もあったそうですが、脳に悪影響を及ぼしたとかで」
なにやら曰くがありそうなので、雨田はそれ以上の追求をやめる。
「失礼致します」
二人がイベントの開始を待っていると、ウェイターが現れ、テーブルに火の点ったキャンドルを置いた。
突然辺りが暗くなり、停電かと騒がしくなるが、幻想的に灯った蝋燭の火で、騒ぎは静まる。
どうやらこれは演出の一部らしい。
すぐに明かりがつき、月歌は暗闇から切り替わったせいか、目が慣れない。
「きゃああ!」
女性の悲鳴があがり、何事だと周りは注目する。
男性が全身を焼かれて、黒コゲになっていた。
イベントは当然中止になり、警察が呼ばれた。
「片瀬さん」
二人にとって見知った顔の彼がいる。
「またか」
三人が事件現場で遭遇したのは三度目である。
普通は一般人が同じ刑事と顔をあわせる事など有り得ない。
そしてどれも残忍な殺人事件である。
若者が嬉々としながら現場を推理するなど、片瀬からすればほめられたものではない。
「今回の事件は?」
しかし、選り好みしている暇はない状況だ。
「使えるものは棒でも使う」
片瀬は二人にそう言った。
「ではアリバイから、僕と月歌さんはこのイベントに二人で参加、その間僕たちはずっと会場の椅子にいました」
雨田が話終えて、月歌も間違いないと頷く。
「なら犯人の可能性は低いな」
これは形式的なもので、片瀬は二人を疑ってはいない様子で、すんなり納得した。
「ところでこのイベントはなんなんだ」
片瀬は聞き込みを始めた。
「お客様、ウェイターなど左利きだけが参加できるイベントです」
主催者が説明した。
「左利きの従業員を集めるなんて大変じゃないですか?」
気になって主催者に問う月歌。
「イベントの日限定でアルバイトを雇ったんですよ」
成る程、と呟いて月歌は納得した。
「探偵、何かわかったか?」
「いえ、まず会場客とウェイターの人数を調べてください」
いつも見透かしたような雨田が、珍しく推理を開始しない。
「…雨田さんならとっくに謎が解けているかと思っていました」
「トリックが二通りあって、決まらないんだ」
犯人は複数いるのかもしれない。
犯人が一人なら推理しやすいが、複数犯の場合は複雑な人情が交ざる。
それが邪魔になって、答えにたどり着けないのだろう。
「現場にいるべき客がお前らも入れて22人、ウェイターが5人、主催者が一人だ、だが客が2人行方不明だ」
片瀬が告げると、向こうから鑑識がやってきて、片瀬に耳打ちをした。
「なに?」
「片瀬さん、どうしたのですか?」
「死体が2体見つかった」
新たな死体が2体、発見されたらしい。
「…数がおかしいですよね?」
行方不明者が二人、死体は三体、一人多いのだ。
「犯人はイベントの前に死体を用意したんだろう」
「つまり、犯人は何時間か前に男性一人を殺害、会場に運んだんだ」
「リストに名前がない焼死体、犯人はを受け付けを済ませていない一人を殺害した後に、いつ二人を?」
月歌は雨田に問う。
「これ以上考えても謎は深まる…まず犯人を当てる必要があるね」
雨田は犯人の予測がついているのかいないのか、判断のつかないような、月歌の問いとは反れたことを曖昧に答えるのだった。
「警察の方はまず一人一人に聴取をして、怪しい方は連れてきてください」
雨田が片瀬に頼むと、面倒そうに部下に話をつけた。
「まずスタッフは会場の内部について詳しい、犯人の可能性が高い」
片瀬は主催者をつれてきた。
「待ってください!自分でイベントを台無しにする主催者が何処にいると言うんですか」
「落ち着いてください主催者さん、貴方が犯人でないなら堂々と取り調べを受けられますよね」
雨田はにこやかに主催者を事務室へ誘導した。
「まず、会場にいたのは22人で間違いないですよね」
「ええ、リストを見ればはっきりと」
月歌は手渡されたリストを眺める。
数えてみてもピッタリ同じで、番号の重複もみられない。
「では貴方はイベント開始前に何をしていました?」
「ウェイター達とイベントの準備をしておりました」
「片瀬さん、間違いありませんか?」
雨田は他のウェイターとアリバイが同じか確認する。
「ああ、資料を見るかぎり開始前は店の掃除と打ち合わせ的なものだったな」
「なるほど、では保留にします」
次に呼ばれたのは悲鳴を上げていた女性。
焼死体の第一発見者なので、雨田は怪しいと判断した。
「あの…あたしはまったく関係ないですよ、イベントに来ただけの客なんだから」
「犯人は大抵、自分は関係ないとか言うんですよねー」
「なんですって…この!」
女性は右手で雨田の襟首を掴み、左腕を振り上げて雨田に殴りかかろうとした。
片瀬は左腕を持ち上げ、女性を止める。
「貴女、右利きですよね?」
「はぁ?そんなわけないでしょ…」
雨田の突飛な問いに、女性は動揺した。
「貴女の右手の指にイボのようなものがあります」
「あ、ホントだ」
女性の右手にはタコがある。
「他の方やウェイターの利き手を、ペンや箸を持たせて調べてください」
全員を集めて調べたところ、やはりあの女性を除いて全員左利きであった。
「これで言い逃れはできませんよ」
「どっどういうことよ!?」
「ああ、そういえばこのイベントは左利きしか参加出来ないんじゃなかったか?」
片瀬のなんとなしの発言に、女性は異様なほど取り乱した。
「三人を殺害した犯人は貴女ですね」
月歌は言った。
「なんでよ…あたしは一人しか殺してないわよ!!」
「え?雨田さん、そうなんですか?」
雨田はニヤリと、意味深な笑みを浮かべる。
「早く名乗り出ないと、貴方の分まで、見知らぬ女性が罪をかぶりますよ…」
雨田は他の人間から背を向ける。
「私が!やりました!!」
主催者が地に崩れ落ちる。
「警部!まだ別の遺体がありました!!」
―――――また遺体が増えた。
「ややこしくなってきたね」
雨田が困った様子で両手を上げる。
「焼死体が大きさから男性と推測、ロッカールームに男女の遺体、そして新たにみつかったのが冷蔵庫に男性の遺体、裏庭に白骨死体が」
見つかった死体の様子を片瀬は雨田に話す。
「焼死体はともかく、男女はまるで心中のようだったらしい
そして裏庭の白骨死体はあまりに古い、どう考えても別件だ」
取り調べで、女性はほんの些細な事で友人の男性とトラブルになったため、衝動的に殺害したと答えた。
偶然イベントをやっていることに気がつき、食材の配達員を装い裏口から侵入し、遺体を大きな冷蔵庫に入れた。
そして主催者は三角関係のもつれから男女を殺害した。
男女の遺体を隠すために、床下の冷蔵庫へ。
主催者は殺害してしまった遺体を隠蔽し、罪を擦り付ける為にイベントを開いたことが後の供述でわかった。
しかし、なぜ床下の遺体がロッカールームで発見されたのか、他にも不明な点が残ってしまった。
「でも焼死体、白骨死体は謎のままです」
「冷蔵庫の遺体について、主催者が知らなかったことも不思議だね」
臨時のバイトでシェフまで雇う時間はなく、主催者がの代わりに料理をしたからだとして、なぜ冷蔵庫を開いた時に男の遺体を見つける者がいないのか。
「主催者が先に床下の冷蔵庫に隠した、女性が大きな冷蔵庫に隠したのでは?」
「でも主催者が冷蔵庫をあけるのは変わらない」
たしかに料理をするのに冷蔵庫を開くので、雨田の言葉は正しい。
「焼死体を仕組んだ謎の犯人が冷蔵庫の遺体を移動させたとかでしょうか?」
「それは面白いね」
本当は雨田はおもしろくないのか、顔の表情を然程変えない。
「罪を犯したあの女性と謎の第三者が現れなければ、彼の事件はみつかることはなかったね」
「そういえば…あの主催者は実は右利きなんだって」
「お箸とペンを左手で使えてましたよ?
それにマイクを左手に持って…」
月歌はハッとしてそれに気がつき、自分が右手にマイクを持ち、左手で動作をすることを想像して納得した。
雨田が片瀬から聞いた話では事故で一時期左手で生活したことがあった為だと。
「どんなイベントを開くか迷った彼が、偶然考えついたのが推理小説のようなトリックってことだね」
「そういえば…ウェイターさんは5人でしたよね?」
「うん、たしかそうだったね」
雨田はなぜ月歌が関係のないウェイターの話をするのか、予想がつかない様子で次の言葉を待った。
「私達のテーブルの蝋燭に火を付けた方がいなかったので…」
「不思議だね…」
多くの謎を残し、これにて今回の事件は解決した。
―――はずだった。
「冷蔵庫の食材がなくなったね」と言って雨田が扉を閉める。
「では買い物にでも行かれますか?」月歌は返事も聞かずにドアノブに手をかけた。
「買い物、行きたいんだね」
「……はい」
「じゃあ近くのスーパーにしようか」
二人は事務所の戸締まりを済ませると、スーパーまで歩くことに。
「私スーパーは初めてなんです」
月歌はスーパーに向かうことで頭がいっぱいと言わんばかりに目を輝かせた。
「死体がいくつもみつかったらしいわよ~」
「やーね怖いわー」
雨田は視線をやる。井戸端会議中の主婦達が、事件のことを話しているからだ。
「行こうか」
関係者であることを悟られたくないからだろう。月歌はそう思い、歩く速度を早めた。
「そういえば奥さん……あの辺りに昔―――――」
スーパーに着くと、警察が駐車場に車を止めていた。
「え?」
二人は急いで中へ入る。
「またおまえたちか!」
雲松がずかずか二人の元へ歩く。
「なにか事件ですか」
「殺人ですか!?」
「ちげーよ!」
「スーパーの金が盗まれたんだ」
やれやれと、片瀬が事件について説明する。
「そうなんですか……」
買い物どころではない。と月歌は落ち込む。
「せっかくなんだ協力していけよ探偵」
「あら、めずらしいですね」
雲松がいつになく機嫌良く話すため、月歌は驚いた。
「ガキ相手に殺人事件の解決なんて喜んで依頼するわけないだろ」
雲松はあきれている。裏を返せばそれ以外はやれ。ということだと月歌は察した。
「お金を盗まれたのはどのレジなんですか?」
「あれだとよ」雲松が指を指す。
「はあ……」
「スーパーの店長から連絡があって、警部が資料とレジの中身を全部調べた」
「スーパーのレジには10万と2156円があったがあのレジだけ11156円消えていた」
「警部自ら全部調べたんですか」雨田が凄い。と言ってかんしんする。
「それによく覚えていらっしゃるんですね」
「ここだけの話、警部は瞬間記憶能力者なんだぜ!」
「まあ!!すごいです!」
「……おい」
「それで、従業員や客は調べましたか」
「今日の監視カメラには何も映ってなかった」
「となると皆目見当がつきませんね。事件が発覚したのは今日ですもんね……」
「事件が発覚したときの状況は?」
「はい――――」
女性従業員が話す。
『店長!お金が計算と合いません!!』
『なんだって!?』
『誰か盗んだんじゃねーの?』
『お前怪しいな今月ピンチっていってたし』
『あんたこそパチンコで生活費スッたらしいじゃない』
「と、いう感じで……」
「ですが監視カメラにはそのようなものは映っていない。ということは……」
「お金を数えた貴女が怪しい……いや十中八九、犯人だ」
雲松が手錠を用意した。
「ええ!?」
「待ってください。彼女が犯人なら精算で隠蔽する筈ですよ」
雨田が雲松を止める。月歌は推理が出来たのだろうと思う。
「なら誰が……」
「あ、そういえば何故昨日の監視カメラを確認しないんですか?」
月歌がハッとしてたずねる。
「あ……」
「雲松……!」
「保管テープが昨日のだけ抜かれている!」
「犯人の仕業ですか」
「やはり、犯行は今日ではなく昨日だった。ということになります」
「誰がやったのか、振り出しに戻ったな」
「……あら?」
ロッカー付近に一円が落ちている。
「このロッカーはどなたのロッカーですか?」
「それは店長のよ。あ、もしかして犯人は店長だったりします?」
女性従業員が冗談めきながらたずねる。
「何を言うんだふざけるな!」
店長は犯人扱いに、過剰なまでに憤慨し、部屋を出ようとする。
ちゃりーん”100円玉が転がる。
「あら?」
「違う!違うんだ!!」
店長は慌ててそれを拾う。
「僕たちはべつに貴方を犯人とは思いませんよ?100円くらい皆、財布に持ってますし。
なのになぜ動揺したんですか?」
店長が青ざめ、うなだれる。
「ほんの出来心だった……」
「つまりあんたが犯人か」
「156円ならバレないと思って……」
「え?」
店員が盗んだのは156円だった。では残りの11000円はどこに消えたのだ。
「あ……そういえば」
女性従業員が思い出したと言わんばかりに口を開く。
調べ直すと、レジの番号と売り上げは別のレジと入れ替わっていたのだった。
「つまり、間違えた売り上げ履歴を参考に計算したからってことか……」
「でも156円でも犯罪は犯罪ですから」
店長の処遇は刑事に任せ、月歌と雨田は別のスーパーへ向かった。