二章 ‘作家’狂魔四郎
事務所は月歌の屋敷から遠いため住み込みだ。
まだ一日だと言うのに、二人は仲良くダメ人間生活スタイル。
昼間起きてからの活動である。
「あ、雨田さん、依頼人の方が来ましたよ」
雷鳴我門月歌
【この物語の主人公。旧華族のお嬢様で、素人探偵宅に、住み込みタダ働き中】
月歌は事務所のチャイムに反応。
屋敷には最新のインターホンはなかった為、聞きなれない音に吃驚している。
「はっはっは、君より早く起きた筈なのに、二度寝していたみたいだね」
雨田清斗
【月歌の雇い主。読める空気をあえて読まない陽気脱力系電波男】
「すみません…」
「気にしなくていいよ」
月歌はドアを開こうとするが、ずっと和室にいた彼女はノブの捻りかたなどわかる筈もなく、雨田が開いた。
「あのう…探偵さんですかあ?」
依頼者は黒い洋服を着て、悪魔のように目元を真っ黒に塗っている。
「あたし狂魔四郎ってゆー小説家のファンなんですけどー」
“狂魔四郎”月歌の愛読書である推理小説の作者。
月歌が幼い頃、差出人不明で送られて来たのが彼の書いた本〈深窓の令嬢〉だった。
それを読んで以来、月歌は推理小説にのめり込むようになる。
「あたし先生と付き合えたらいいなーってだから探偵さん!!センセーの住所調べてほしーの!!」
さすがの月歌でも、家を特定し、本人に突撃するのは犯罪行為だと判断できた。
「…雨田さん」
月歌は目で訴えている。しかし、雨田はチラりとも彼女を見ない。
「はい、もちろん、喜んで!」
それどころか、依頼人の名前も何も聞かずに引き受けた。
雨田は事務所を無許可で自称ひっそり、営んでいると宣言している。
端から彼の辞書に法などなかった。
雨田は主人公の秋火愁のモデルで狂魔四郎とは知り合いの筈である。
場所を教えるなら今、その場で答えれば良いのではないか、月歌は疑問を抱く。
「調べますから一週間後にまた会いましょう」
雨田は調べるまでもなく場所を知っている。
彼女から報酬を貰うためなのだと月歌は察した。
「そういえば、君も狂魔四郎のファンだったね」
雨田は会いに行こうかと笑う。
「はい」
月歌は雨田の言葉が耳に入らないほど自分の世界に入り、狂魔の姿を想像する。
年は30代、目がクマだらけで、病弱で、長く延びた髪、眼鏡、ソバカス等を揃えたスタンダードなものをイメージをする。
次に60代の髭を生やして常に締め切りから逃げる年配の男性を想像した。
「行きましょうか」
軽く冗談を言ったつもりが、月歌は目を据わらせて、本当に行く気になる。
「月歌さんその目恐い…」
雨田は渋々、狂魔四郎の家へ向かった。
月歌はまだ知らなかった。
その出会いはあらたな事件を引き起こすことを―――
「ここが先生のお宅ですか…想像していた避雷針も無…いえ、家と先生は別ですよね!」
月歌が想像していたのは、雷が鳴り響く、悪魔の住まう洋館だった。
普通の一軒家に拍子抜けしている様子。
憧れの作家に会える事を心待ちにする月歌。
対照的に気乗りはしない様子の雨田。
「僕あの人苦手なんだよね…」
チャイムを押すと、返事はなく、玄関をノックして呼び掛ける。
「お留守でしょうか、執筆がお忙しいのでしょうか」
「空いてる…」
ドアを引くと、鍵はかかっておらず、玄関に一人の男性が倒れていた。
「死んでる!?」
月歌はピクリとも動かない男を見て、衝撃を受けた。
「雨田さん!!事件ですか!?」
取り乱す月歌を見て、雨田は相対的に冷静になる。
「まったく…死んだフリは止めなよ狂魔」
「やっぱり、バレた?」
むくり、男は起き上がる。
「え?先生!?」
あわてふためいていた月歌を面白がって、いる。
「バレるもなにもコレ、何回目だい」
「さあね」
月歌は二人のやりとりを傍観する。
「改めて、狂魔四郎こと倉摩翔です宜しく」
雨田とはまた違う雰囲気で、整った容姿に、タレントのような細身の長身。
「雷鳴我門月歌です。こちらこそ先生に宜しくしていただけて光栄です!」
長くサラリとした赤茶の髪を低い位置でまとめて、黒いシャツの若い男性。
「ごめんねこんな軽そうなヤツが小説家気取ってて」
月歌のイメージと、本人の風貌はかけ離れていた。
「そんなことは…」
だが、気を悪くされないように、否定する月歌。
「珍しく雨田が彼女を連れてくるなんて、何か私に用でもあるのか」
「彼女じゃないよ」
雨田は月歌を自身の恋人と勘違いされ、きっぱりと否定した。
「なら彼なのか」
はじめから“月歌を雨田の恋人とは言っていない”倉摩はにこやかに、笑みを浮かべる。
“彼女”という単語は恋人だけでなく、女性を差す言葉でもある。
倉摩はそれを利用したのだ。
「さすがは物書き、言葉遊びが上手だね、ははは」
雨田も笑っているが、心からではない。
月歌はこの険悪な雰囲気を、どうにかしたいと考える。
「ああ、そうだ聞くのを忘れていた」
倉摩は雨田から、月歌に視線を変える。
「はい?」
彼は自分に尋ねたいことがあるのか、どくどくと月歌の鼓動は速くなる。
「雷鳴我門さんって実在したんだね」
出会えたことを嬉しそうにする倉摩。
「ええ、まあ…」
倉摩は月歌のことをまるで伝説の都市伝説の存在であったかのように語る。
それが気恥ずかしくなり、月歌は頬を赤らめた。
「喜びなよ倉摩、月歌さんはキミのファンなんだと」
「へぇ…若い女の子でも推理小説を読むんだ。意外だなあ」
感心したように倉摩は息をつく。
「あの…宜しければ…」
本を取り出した月歌は、“サインをください”といいかけ、飲みこんだ。
世俗から遠ざかっていた為、有名人の書く実物のサインを見たことはない。
だが、そう簡単に貰えないだろう。
月歌は落ち着かない様子で、指を動かした。
その動作を見て、二人はサインを貰いたいのだと気がつく。
「書いてあげたら?」
「…そうしたいのは山々だけど、その子がほしいのは違うと思うんだ」
結局、サインは貰えず月歌は雨田と共に事務所に戻った。
「とつぜんだが今日は狂魔のサイン会があるんだ」
“サイン会”それはサインが貰えるイベントである。
「行きたいです!!」
驚くほど、間を置かずに即答した。
雨田は行くかとは聞いていない。
彼女はそれも考えられないほど舞い上がっている。
「しかし、今日は依頼人が来る日でもあるのだよ約束の時間を大幅オーバーオールしているが」
「サインを貰ったらすぐに帰りますから」
「いや、僕もいこう」
会場に向かう最中、依頼人の女性がいた。
「あ、ごめん!サイン会があったから!!」
「だと思ってましたよ」
「あなたたちもサインもらいにきたの?」
「はい、サインをもらうにはどうしたらいいんですか?」
月歌はサインをもらうには本が必要だと言われ、雨田と共に会場の書店に入る。
本を買い、二階の会場へ向かうと、そこにいたのは昨日の倉摩という青年ではない、見知らぬ女性だった。
「あの、雨田さん」
「どうかしたのかな」
「狂魔さんって女性なんですか?」
「違うよ、実は…」
雨田は“倉摩は人前に出られない、サイン会には代役を立てている”
小さな声でそう説明する。
月歌は本人のものでないなら、必要ないと残念そうに、サイン会場を後にする。
二人が店から出ると、丁度依頼人の女性と会う。
「ホントごめんなさい!!明日聞きにいきますから!!」
「ええわかりました」
雨田は知名度が低く、依頼が大量に来るわけではない。
むしろ暇なので、いつ人が来てもいいくらいだ。
だが翌日、依頼人の女性は現れなかった。
月歌がテレビをつける。
探偵の出る番組は少ないので刑事ドラマを見ようとチャンネルを回していると、雨田が制した。
「気になるニュースでも?」
「まずいことになったね」
雨田は新聞をバサリと机に置く。
月歌が覗いてみると、そこには見知った顔が写っていた。
<今日未明、書店のトイレで女性の遺体が発見されました>
化粧をしていなくても、顔写真の雰囲気がよく似ている。
「あれは依頼人の方、ですよね…」
テレビでは“田中里里”とだけ。
新聞はそれに“タナカリリ”とルビがふってある。
「ああ、おそらくは」
「どうして彼女が…」
「それはまだわからないが、彼女がここに依頼に来たことには何か意味がありそうだ」
「田中さんは、倉摩さんの家を知りたがっていましたよね…」
田中は狂摩の自宅を聞きに来るほどの熱烈なファン。
それを迷惑に思った倉摩が田中を殺害。
そんな映像が月歌の頭に浮かぶが、尊敬する先生が犯人とは考え難いと頭をふった。
「月歌さん、まさか倉摩を犯人だと考えたわけじゃないよね?」
雨田は強引な月歌の推理に、うっすら苦笑いを浮かべる。
「ごめんなさい!!つい!」
「犯人が身近な人間、なんて推理小説の読みすぎだね、僕も人のことはいえないが」
出会った相手の中に、犯人がいる。
推理小説ではよくある展開だった。
「まあ現状、容疑者に上がる人間はアイツ一人だけどね」
雨田は意地の悪いことを言って、月歌の反応を楽しむ。
「そんな…」
「ただし通り魔の可能性もある…アイツの知り合いだから擁護するわけじゃないが、アイツが現実で殺人を犯すなんて、考えられないよ」
“完全潔白な人間は存在しない”
これは倉摩が狂摩として書いた本でよく出てくる台詞だ。
人は誰しも、たとえ善人でも罪を犯すことがある。
それは自分にも、雨田にも、倉摩にも例外なく皆等しくあるのだ。
それとも雨田には倉摩が犯人でないと絶対的な根拠があるのか、月歌は考えた。
まだ犯人と決まったわけでもない。
狂魔のファンであっても、こうまで冷静に彼を犯人と仮説して判断出来る自身に月歌は戦慄した。
「まずは現場に出向くしかない」
「はい」
事件のあった書店に着く。
「あ、雷鳴我門月歌」
「こんにちは片桐さん」
「月歌さん、片瀬さんだよ」
名前を素で間違えた月歌に小声で指摘する雨田。
「…お曾さんの犯人はまだ調査中だ」
「そうなんですか…」
「ああ、そういえば、雲松さんは?」
「…いつも一緒にいる愉快な上司と部下、とでも思ったのか?ドラマの観すぎだ」
まだ何も言っていないのに、二人が言いたかったことをきっちり言った。
「様式美ってヤツですよ」
「雲松は新人のクセに親父の権力で早々に警部補になりやがった。個人的に嫌いだ」
「なるほど」
その割には、警部も結構若いのだが、雨田は何も言わなかった。
月歌はドラマと現実は違うのだと知り、肩を落としてがっかりする。
「偽とはいえ探偵を名乗るくらいなんだ。君たちの知恵を貸してくれ」
「探偵は人探しが主な仕事、本来殺人事件等は警察の仕事では?」
「警察は犯人を逮捕するのが仕事だ……推理は探偵がやればいい」
月歌は合理的な片瀬の考えに圧倒される。
「では現場を…ドラマと違って僕達は見られないんですよね…孤島で事件が起きればいいのに」
雨田は周囲が後ずさるような事をさらりと言った。
現場を見られない代わりに、検察から情報を聞き、それから推理することに。
「今さらだが…君たちはなぜここにいる」
雨田は気むずかしく、事件の選り好みをすることを、片瀬は噂程度に知っている。
事実、片瀬が雨田の姿を見たのは、初見の雷鳴我門の屋敷での件以来だ。
彼からすれば、大したことのなさそうなよくある事件。
なぜ今回、一般女性が殺害された事件を推理しているのか、片瀬は疑問を抱く。
「お察しの通り、普段なら僕は陳腐な事件には興味を持ちません。
今回は被害者と面識があるので来ました」
「面識…君はまた容疑者候補になりたいのか」
「まさか、僕は彼女にある依頼をされただけです」
受けた依頼、それは“狂魔の自宅の特定”だ。
個人的な依頼ならまだしも、あの程度に守秘義務、は必要ないと判断し、雨田は受けた依頼の内容を片瀬に話す。
「情報を整理すると、8日前、君達が被害者の田中里里から依頼を受けた。ややこしい話だが、依頼を受けてから一週間後に田中は事務所に来るはずだった。
しかし、田中は姿を見せず昨日のサイン会で当人に遭遇し、事情を知る。
翌日の今日、田中と会うはずが、やはり現れず不信に思っていると、訃報をニュース等で知る。
そして今にいたる…合っているか?」
片瀬は二人が驚くほど事細かく完璧にまとめた。
「まず遺体について…遺体は女子トイレで発見される、死因は首を尖ったもので刺されたことによるショック死」
片瀬は二人が混乱しないよう報告書から必要な箇所を抜粋して読み上げた。
月歌はなぜ現場がトイレなのか、なぜ凶器が無難なロープや鈍器ではないのかが気になる。
「尖ったもの…か。謎は解けたわけではありませんがいま、僕には三通りの考えがあります」
雨田は突然、大まかな推理が出来たと言う。
「三通りですか?」
「自殺、他殺、事故等の、ジャンル分けではないよ」
「…どういうことですか?」
雨田は咳払いをし、推理を語りだした。
「まず、一つ目、田中さんの自殺とします
彼女は狂魔の、熱烈と言うよりは異常なファンです
格好は派手な黒い化粧にゴシック、パンクな衣装をしていますから、外見的にそんな性格だろうと予想できます」
雨田が言いたいのは、普通の格好の子がストーカーなら驚く。
病んでいそうな子がそれをしているなら驚かない。
そういうことだろうと月歌は考える。
「ストーカーなら自殺より相手を殺害するほうが多い」と片瀬は語る。
たしかにストーカーは対象に自意識に基づいて執着し、自分の思うがまま、本能的に行動する。
つまり、対象が思い通りにならないと、逆上して殺害する。
そういう印象が月歌にはあった。
「まずストーカーは自分が大事だから、自殺なんてありえない
狂魔にアプローチするために、命を絶ったという可能性はないね」
雨田はまるでストーカーの経験があるかのごとく、断言する。
「ストーカーされたことがあるんですか?」
「まさか!次にいくよ!」
「はい」
あからさまに動揺、する雨田。
月歌は見逃してやることにした。
「片瀬さん、資料に他には何がありますか」
「面倒だ自分で読め」
なら最初から渡せ、と雨田は言いそうになる。
「事故と仮定すると、凶器は恐らくペン
ペンの先は鋭利で、出血が少なくとも首になら手や足の倍、死まで到達するショックがある。
しかし田中さんはトイレで何かを書いていた
あやまってペンが首に刺さったと考えると矛盾が出る」
月歌は見解の中にある矛盾を探した。
「ペンが見つかっていない…ですか?」
「そう、自殺なら凶器のペンを持ったままだね、資料によれば書店のトイレは一つ。
【洋式】で、【遺体が便座のフタに座った状態】ペンはどんな偶然が起きても流せないんだ」
なら手を洗う場所の丸い穴から落ちたと考えれば、事故となるのではないか、と月歌は考え付く。
「それと【カバンがタンクに乗せられていた】
なら手を洗う場所は個室にはない。つまり流しても手が洗えないタイプだ。
どう考えてもペンは落ちないね」
言おうとしていた推理を、無自覚に否定され、月歌は口をつぐむ。
「最後は他殺、まず依頼人は僕に“狂魔四郎”の家を調べてほしいと言った。
ちなみに僕と狂魔はプライベートで知り合いです」
片瀬は雨田が狂魔と親しい関係だと聞いて、驚くことはなく。ただ話を聞いていた。
「いくら知り合いとはいえ、赤の他人に家を教える奴がいるか?」
「ええ、さすがに心苦しいので、彼女には彼の仮住まいの場所を教えるつもりでした」
ならはじめから依頼を受けなければいいのに、月歌はなんとも言えない気持ちになった。
「なぜ場所を知っているのに、依頼人が来た当日に教えず一週間後にしたんだ」
「さすがに彼女は普通じゃない人なので、狂魔と僕が知り合いだとバレたくなかったんですよね~」
たしかに違法に近いグレーな境界にいる彼女に、友人関係にあることを知られると、雨田が利用されたり嫉妬されたり等する筈だ。
「成る程」
雨田の判断は間違ってはいない。
片瀬は納得した様子、月歌も雨田の言動を理解できた。
「そして、始めに話したように、彼女は約束の日に来ませんでした。
なぜならその日は偶然にも狂魔のサイン会だったからです」
おそらく雨田は一週間後に、サイン会があること、依頼人が来ないことを既に想定していた。
まちがいなくそうなのだと月歌は直感したが、余計な情報で場を混乱させないよう、言うのは後にする。
「彼女は狂魔のファンなので依頼人はそれに参加しているのだと考えていました。
月歌さんも狂魔のファンなので、サイン会があることを教えると、案の定行きたいと言いましたから、世間知らずそうな月歌さんを一人で歩かせるのは心配なので、二人で会場である書店へ行きました」
雨田が自身を心配してついてきたのだと、知って月歌は少しときめいた。
「それから書店の前で田中さんとバッタリ会い、事務所へ来なかった理由は、サイン会だと彼女は言っていました」
「つまり君が考えていた通りだったんだな」
月歌が感じたその違和感に、片瀬も気がついているようで、雨田がどう答えるか、様子を見ている。
認めることは“一週間後に依頼人が殺害される”と雨田が予測していたと言っているようなものだ。
依頼の話をサイン会のある一週間後にしたわけは、十中八九雨田が仕組んだ計算だ。月歌はそう感じた。
恐らくは、依頼よりサイン会を優先するということだけでなく、殺害されることも彼の想定の範囲内であろう。
「そうなりますね!」
片瀬にカマをかけられて、少しも動揺する素振りを見せない。
開き直りなのか、さすがに考えすぎで、田中の何者かによる殺害は偶然なのか、それは月歌にはわからないのだ。
「おや、話が脱線していた。
【被害者の携帯には狂魔からのメールがあった】とあるね…」
さすがの雨田も、狂魔が絡むことを考えていなかったのか、言葉を失った。
月歌も狂魔がこの件に関係があることに、声を出せない。
初めは軽い気持ちで狂魔を疑った彼女だったが、候補はいつの間にか雨田に代わっていて、犯人は雨田ではないかと確信する寸前だった。
「警部!狂魔を逮捕しますか!?」
「馬鹿か…推理小説の作家が、そんなバレバレの証拠を残すわけないだろ? まるで逮捕してくださいと言ってるようなもんだ」
動揺していた二人は片瀬の発言で落ち着きを取り戻した。
月歌はどうすればいいのか、落ち着きを取り戻した雨田に目で語りかける。
けれども、雨田は何も言わない。
月歌は動くに動けずにいる。
「雨田さん、このままだと狂魔先生が家宅捜索されちゃいますよ!?」
彼はあまり有名ではない。そんなことになれば不名誉な作家として、名が上がることになる。
「待ってください!!」
「誰だ…?」
「私を逮捕してください!!」
突然現れた女が片瀬の腕を掴み、その場に泣き崩れた。
「あ!この人はサイン会の!」
彼女は狂魔の代理で、“狂魔四郎”のフリをしてサインを書いていた女性だ。
「犯人が自ら名乗り出るなんてな…黙っていれば暫くは隠れられただろうに…まあ捜査が長引かず手間が省けたが」
片瀬は手錠をかける前に一応話を聞こうとしている。雲松のようにせっかちな者なら即座に逮捕しているであろう。
「あんたは何をやった」
「昨日…書店で女性を殺しました…先生はその人とは面識もありません!!女性を殺したのは私なんです彼には何も関係ないんです!!」
女性は精神が不安定になっている。彼女は人を殺したのだから当然か。
片瀬は頷き、手錠をかける。
「細かい取り調べは署で聞く」
片瀬は女性を連れてパトカーに乗る。
「事務所に帰りましょうか」
事件はこれで幕を閉じる。
「月歌さん、まだ終わってないよ?」
「え?」
月歌は犯人は逮捕されたのに、といいかけて、はっとした。
「気がついたみたいだね」
「はい、このパターンは真犯人である先生の代わりにあの女性が罪をかぶった。ですよね!?」
頭の中に描写を浮かべる。
「違うよ」
「即答ですか」
雨田はわかっていない様子の月歌に、”事件が終わっていない根拠を話す”と言う。
「犯人はまだ捕まっていないんですか?」
「ああ、もう一人がね」
今回犯人は、おそらく二人いると雨田は語る。
「田中さんを殺害した犯人は二人…女性の他にまだ犯人がいるんですか?」
「わかるかな?」
雨田は必死に考える月歌を面白そうに観察する。
「もしかして、先生が田中さんを呼び出したメール?」
「そう、誰かが狂魔を装い、彼女にメールを送ったと僕は考えている」
雨田の推理に疑問が生じた月歌は、腑に落ちないと言いたげな顔をした。
「なにか言いたげだね?」
「先生と女性が協力していたとは考えないのですか?」
「短絡的に考えれば、狂魔が犯人なら狂魔が出向けばいい
しかし、本人が出向けば、ただでさえ危ういアリバイが作れない」
月歌は、考え直した。
狂魔は独り暮らし、外出すれば周りが目撃している可能性がある。
雨田の助言によりようやくそれに気がつく。
「それに、女性の発言“先生と彼女に面識はない”もし狂魔があの女性を利用していたとして、田中さんとアイツに面識があれば、狂魔をかばいたい女性がそんなことを言う必要がない」
「必死になりすぎて、余計なことを口走ったのではありませんか?」
女性が逮捕されることによるなんらかの打算、演技も感じられなかった。
月歌はただ、理由なくそう感じた。
「しかし犯人だと思われた狂魔、被害者の田中さんの二人を同時に並べると、余計に怪しくなる。
君が言ったように、ドラマでもありがちな状況たからね…」
「つまり“不良”と“普通の人”、どちらかが犯人なら真っ先に不良が逮捕され、後日探偵が活躍して本当の犯人、普通の人が逮捕されるということですか…?」
雨田は満足そうにうなずく。
「それに…彼女は本来逮捕されるつもりはなかった筈だ」
「それはなぜですか?」
犯人は現場に戻るということだろうか。
月歌は尋ねようとして、止めた。
「先ほど、偶然かは判らないが、ここを通りかかった容疑者は狂魔の名が出たことで、自分が逮捕されて、狂魔の事を守ろうとした」
「狂魔さんが犯人でもそうでなくても、逮捕されるつもりがない彼女が名乗り出るなんて、どうしてですか?」
月歌は考えるほど謎が深まり、ますます解らなくなった。
「さあ、彼女の頭を覗いてみない限り、答えはわからないな…強いて言うなら愛かもね」
「愛…ですか…」
月歌は雨田の、キリリとした表情に笑いそうになる。
「まず狂魔が共謀した犯人なら、自分の携帯でメールを送るわけがない」
「つまり、狂魔さんの携帯を扱える人が怪しい…」
「ただ、アドレスや携帯が使い捨てで、本文で狂魔を名乗っただけかもしれない」
「紙面ではわかりませんね」
「もう本人に直接訪ねるしかないか」
月歌と雨田は、狂魔こと倉摩の家に訪ねた。
何も知らない様子の倉摩は、訝しげに二人を交互に眺める。
雨田は依頼人、サイン会、代理人等の一連の繋がりの話をする。
「サイン会なんてあったんだね」
「代理人の方を頼んだのは、先生ではなかったのですか?」
「どういうことだ?サイン会の話は倉摩がメールで…」
雨田がハッと、何かに気がつく。
「倉摩、携帯は何台持っている?」
「三…いや四つかな」
「四つも何に使うんですか?」
倉摩は色白でいかにも不健康そうで、靴も玄関に出る為の草履のみ。
明らかに外出はしていないだろう。
となればあまり友人が多くなさそうだ。
月歌は玄関を眺めながらそう偏見を持った。
「持っているのを全部出してごらん」
「そういえば携帯が一台みつからないなあ」
携帯に【Ⅰ番・アプリ用、Ⅱ番・サイト用、Ⅳ番・ゲーム用】とそれぞれ手書きのシールが貼ってある。
1、2、4があるということはⅢ番が抜けているのだ。
「アプリ用とゲーム用って分ける必要ないだろ…というか三つもいらないよ!」
「雨田さん!落ち着いてください!」
「Ⅲ番の【ついで用】がないね」
ついで用とは、恐らく編集関係者との連絡用なのだろう。
「そう言えば最近担当が変わったんだった」
「いつだ!?」
「10日前」
それは依頼人が現れた日から二日前だった。
「はあ…もう携帯を盗んだ奴が犯人ということでいいよね。」
やる気をそがれ、なげやりになる雨田。
「はっはい多分」
雨田は自分の携帯を取り出すと、片瀬に解った事を話す。
翌日、犯人の男が逮捕された。
男は同じ編集社に勤めており、狂魔の担当に成り済まして狂魔の家にあがり、隙をついて携帯を盗んだ。
携帯を持っていれば、すぐに居場所を特定されてしまうのに、犯人はなぜ、そんなリスクを負ってまで狂摩に成り済ましたのか、後の凶日でそれは判明する。
“ただ狂魔が気に入らなかった”
それは、狂魔に対する怨恨からの衝動だったという。
しかし、男は携帯を盗んで、田中里里を呼び出しただだけで、書店での殺害は認めていない。
また、共犯かと思われた、田中と男に面識はあるが、田中を殺害した女性と男に面識はなく、たまたま時期が重なっただけの、単なる偶然だったと述べている。
男が田中をメールで呼び出したのは、田中が狂魔に好意がある事に気がつき、それを利用して狂魔を貶める為だったという。
男はまず新しい担当を偽り、狂魔のアドレスを聞く。次に田中に近づき、アドレスを聞きだす。
そして計画を実行するため携帯で呼び出したが、田中が殺害されていた。
それでこの事件は幕を下ろした。
「でも、わからない謎が一つ残りましたね」
月歌は残念だとため息をつく。
「どこらへんが?」
「代理人の方の田中さん殺害の動機です」
男はあの女性と共謀したわけでもなく、田中の殺害計画までは考えていなかった。
あくまで殺害は代理人の女の単独行動なのである。
「いや、それは既にわかっているよ」
拍子抜けしたような顔の雨田。
「え!?なら教えてください!」
「これはあくまで僕の想像に過ぎないが、彼女は狂魔のことをかぎまわる田中さんが気に入らなかった
そして殺したんだと思うよ」
「そんな理由で!?」
気に入らないから殺す。
なんとも中身が伴わないない理由だ。
月歌は情状酌量の余地がない、理由無き殺人に納得できない。
「彼女はあの男が狂魔を貶めるメールがなければ捜査線上にあがることなく、平穏に暮らしていただろう」
「感情的になって考えてしまいますが、それは許せません…謎と罪は暴かれるべきだと私は思っています」
月歌が探偵への一歩を踏み出し始めたことに、先への楽しみがある。
想像して、雨田が笑う。
「ところで、一つきになるのですが」
「なにか?」
「ミステリー作家がリアルに事件に巻き込まれた!
という風に有名になるチャンスでしたのに、どうして一切露出がないのでしょう?」
「それはまた、別のお話」