トレンチ8 勅任文人試験
「あのう」
良平はユエに話しかける。だが、ユエは至って大真面目だ。物々しい武人たちが槍を携える廊下を歩きながら振り返るや、どうした、と声をかけてきた。
「緊張しているのか」
「いえ緊張はしているんですけど、なんですかこの格好は」
良平は自分の格好を指した。
さすがに勅任文人試験当日に、ジーパンにシャツというわけにいかないということくらいは分かっていた。でも、それにしたって、まさか鎧を着せられる羽目になるとは思ってもいなかった。もっとも、ユエのようなフルメタルアーマーではなく胸辺りを部分的に守る鎧だったのがせめてもの救いだが、木製とはいえ剣まで佩く羽目になっている。これではまるで近世の銃兵だ。
ユエは鼻を鳴らす。
「これが、無役の弓兵“旅人”の第一正装だ。いかに君が文人向きの素質があるからと言って、君達“旅人”が軍の所属であることを忘れてはならぬ」
そうだ。あまりに見るもの聞くもの感じるものにリアリティがあるから忘れていたけれど、この世界はゲームの世界だ。そして、この世界にやってきたプレイヤー“旅人”は、異国との戦に駆り出される一兵卒にすぎない。それに気づいて虚心に見れば、今、良平がしているのは、“ブレインガルド物語”において弓兵を選択したプレイヤーの初期グラフィックそのままだ。
なるほど。自分の地位を再確認した思いだった。
今、僕は軍人なわけだ。けれど、そこから抜け出してやりたいことをやるためには、文人にならなくてはならない。そういうことだ。
大学院の試験のようなものだ。もっとも、大学院試験に落ちても生きてはいけるだろうけれど、もしこの試験に落ちたらどうなるものか……。
「ここだ」
様々な不安を抱える良平をよそに、ユエは廊下の奥にそびえる大扉を指した。巨人が使うのではないかと疑いたくなるようなその大扉の横には、通常の大きさの扉がある。ユエはその扉を開き、中に入れと促してきた。
中は存外に明るかった。近世くらいまでの西洋建築は暗くて陰鬱なイメージがあるけれど、中世西洋建築のカラーを残しつつ光を多く取り入れたデザインとなっている。溢れんばかりの光に照らされた赤絨毯が奥まで続いている。その絨毯の先を見やると、霞むほどの奥に、玉座が鎮座してあった。
「参れ。“旅人”」
しわがれた声が部屋中に響き渡った。
「ほれ、呼ばれておるぞ」
ユエに言われるがまま、赤絨毯を辿っていく。絨毯の上を歩いているというのに自分の足音が痛いほどに響いて、心音と重なる。唾が固くて飲めない。喉の奥がカラカラだ。けれど、大学受験の面接のことを思い出しながら、お決まりの『前にいるのはかぼちゃにナスにピーマン……』という自己暗示をかける。そうしてようやく、玉座より三段低いところに、玉座と対面するように椅子が二脚用意されているのに気付いた。きっとここが定位置だろう。そこで足を止め、まっすぐ立った。
玉座には、肘掛けで頬杖をつく王冠を被った青年が座っていた。中肉中背、真っ白な肌。緑色を基調としたローブを身にまとうその青年には、覇気という覇気が見られなかった。それどころか、今にも玉座から転げ落ちるのではと心配したくなるほどいかにも眠そうなのだった。
「うむ。“旅人”よ。大儀である。予はショク王国の王、リュウ十三世である」
「ははっ」
ユエに教わった通りに頭を下げる。とはいっても、そのやり方は現代日本と同じ。つまりは九十度のお辞儀だ。
「座られよ」
恭しく頭を下げて椅子に座ったのに満足したのか、王はあくびをして、横に居並ぶ者たちに視線を向けた。すると、王の後ろに侍る群臣たちが頭を下げた。
それら群臣たちは、一切鎧をまとっていなかった。それどころか、柔らかそうでなめらかなローブを身にまとい、装飾らしい装飾もしていない。唯一あるとすれば、胸からぶら下げている拳大の四角いメダルのようなものだろう。
すると、その中の群臣の一人、いかにもしわがれた老人然とした男が、白を通り越して黄色がかりはじめている顎髭を撫でながら声を発した。
「ユエより報告があった。良平、そなたはこの世界には存在せぬ、不思議な学問体系を身に着けておるそうだな。確か、“コウコガク”とか。それを吟味するゆえ、王国法第83条に則り、貴殿を特別に勅任文人試験に参加させるものとする」
「異議なし」
群臣たちが雷同する。どうやらここまではテンプレのようだ。それが証拠に、先ほどの老人が、して、と髭をいじりながら聞いてきた。
「まず良平に問う。“コウコガク”とはなんであるか」
「はい、考古学とは、歴史学の一部と目されることが多い学問です」
む……! 群臣たちにある種の緊張が走った。すると、長老格と思しき老人が下がり、代わりに居並ぶ群臣たちの中から、一人の男が姿を現した。
青年。しかも、良平などよりもはるかに若い。もし現実世界にいるのならば高校生くらいの年齢だろうか。しかも、考証を無視した現代風の縁なし眼鏡をつけ、口角を上げているさまは非常に絵になる。年齢はさておき、イケメン度ははるかにその青年の方が上だ。
その青年は、眼鏡をくいと上げて傍らの辞書めいた厚みの本を開いた。
「“旅人”良平殿。初にお目にかかる。私はジュ。勅任文人にして史部の長です。歴史の専門家として、これから貴殿にいくつか質問をさせていただきます」
フヒトベ。その名前からして、歴史関係を司る部署なのだろう。もちろんそれだけではどれだけの規模を誇るのか知る由もないが、とりあえず国家内に歴史を司る部署があったということは大いなる前進と言っていい。
ジュは問いを発した。
「コウコガクは歴史学の一部と目される、とあなたはおっしゃいましたが、歴史学とコウコガクの違いを教えてください」
「歴史学は、主に文献によって過去を知ろうとします。しかし、考古学は違います。過去の遺物――つまり、物から人の営みを知ろうという試みが考古学です」
ほう。ジュが感嘆の声を上げた。しかしそれは一瞬のことで、すぐに表情を試験官のそれに改めた。
「物から、とは、具体的にどのように?」
「たとえば、土器などの時代による変化から、人々の生活を復元することができます」
「ほう、どうやって?」
「はい、たとえば、器物にはその役割に応じた形が与えられます。たとえば、僕がここに来る前の世界では、米という作物を蒸すための甑という器物がありました。しかし、これは米なしには成立しないものです。なので、この土器が出土したところでは、米を早いうちから食べていたことがわかるのです」
どこまでも単純化した話だが、煎じ詰めればそういうことだ。
しかし、さすがは面接官だ。ジュは嫌なところをついてきた。
「しかし、そうすると、どうしても地味な研究となることは否めませんね。たとえば、政治史であるとか、経済史であるといったテーマには取り組みづらい」
良平は答えた。
「ええ、けれど、歴史学そのものにも限界はあります」
「歴史学の限界?」
「はい。歴史学の持つ構造的な問題として、“何者かが書き残してくれない限り、その事実が残らない”という点があります。当時の人たちにとって当たり前の事であったり、あるいは感知せずに推移していた出来事を歴史学から拾い出すのは難しいのです。しかし、考古学は物を相手に歴史を浮かび上がらせるため、歴史学が感知しないものをときに浮かび上がらせます。それに、そもそも文字を持たない時代の研究は歴史学ではできません。それができるのが、考古学というものなのです」
「ふむ。つまり、歴史学にも“コウコガク”にも得手不得手があり、お互いに協力することで新たな知見を得ることが可能、という主張をなさっておられるということでよろしいですか」
「はい、結構です」
頷きながら、良平は目の前の青年の理解の速さに舌を巻いていた。こちらの言いたいことをすべて代弁してくれる。これ以上なく好意的な面接だ。
「また」良平は畳み掛ける。「考古学の進展によって、新たな文献資料が手に入ることがあります」
「なんですって?」
ジュが身を乗り出してきた。
乗ってきた。良平は心中でガッツポーズを決めた。しかし、それを出来るだけ表に出さずに続ける。
「もちろん、このブレインガルドで見つかるかどうかは分かりませんが……。僕のいた世界では、石版であったり木の板に記された文字資料であったり、あるいは紙の形でも遺物が出土することがあります。そして、それらの発見が歴史学を発展させてきたのは一度や二度ではありません」
「おお……!」
ジュが眼鏡の奥の目を輝かせる。
この論理展開は、ずっと胸に秘めていたものだ。
学部生時代、古代史を友達がこうぼやいていた。『日本の古代って、全然史料がないんだよな。おかげで研究が難しいんだよ。卒論どう書こうかな』。日本の古代史料の多くは京都に残存していたとされているが、応仁の乱で焼けて残っていない。おかげで日本の古代史はほかの時代の歴史とはまた違った難しさがあるという。そして、その友達はこう続けたのだ。
『良平、なんでもいいから新史料を土の中から見つけてくれよ。そしたらそれを卒論テーマにするからさ』
歴史学者にとって新史料の解析はそれだけで業績になる。そういう功利的な面を無視しても、やはり新史料というものに心ときめくのが歴史学者というものなのだろう。実際、ジュの浮かべた、飢えてぎらぎらした目はそういう歴史学者のホンネを垣間見させるものだ。
ふむ……。ジュは本をぱたんと閉じて群臣たちに――。そして興味なさそうに頬杖をつく主君へと振り返り、頭を下げた。
「今まで聴取したところ、確かに既存の歴史学とは一線を画する学問体系であるように思われます。確かに、話だけ聞いた限りにおいては有用な学問とも目すことができましょう。が」
ジュは首をのろのろと振った。
「学問として見たとき、こうして問答をしているだけでは今一つどういった学問なのかを理解しづらい面があるように見受けられます」
群臣の長老がジュに問う。
「どういう意味であられるか。ジュ殿」
「算術であればこの場で難しい問題を解かせてみればよろしかろう。また、語学であればその道の学者と問答させることによりその可否を測ることができましょう。されど、この者が持ち込んだ“コウコガク”なる学問は、そういった一朝一夕に成果が出るものではありませぬ」
「なれば、どうしたらよい」
「提案としては、たとえば、一年あまり、この者に時間と一定の資金をやるのです。その中で、学問として見るものを出すことができたのならば勅任文人に任命するという形を取ればよろしいかと。少なくとも私は、良平氏の語るコウコガクとやらが、詐欺師の考えた机上の学問とは思えませぬ」
「ふむ……。一理ある、か」
長老がそう頷いた。
おお、やった。これはかなり感触がいい! どうやらジュは完璧に此方の味方のようだし、ジュの話しぶりから見て、どうやらこの群臣たちはそれぞれに専門を持っているもののほかの学問を評することができるほどの学識ではないようだ。ということは、この試験は、ジュを丸めこんだ段階でこっちの勝ちということになる。
よかった。心中で凱歌を上げた、まさにその時だった。
「あいや、少し待たれよ」
雷のような声が広間に響いた。




