トレンチ7 カトルの語るブレインガルドの歴史
「太古、混沌の海があったのです」
誰もいない図書館の片隅で、カトルはそう切り出した。
「混沌の海には何もなく、ただただ闇が広がるばかりでした。しかし、その凪の海にやがてうねりが出来、そこに神が生まれました。そしてその神は万物を作ったのです。しかし、やがてその神は自らの創造物である巨人たちに滅ぼされてしまいます」
カトルは柔和に微笑む。
「されど、巨人たちも神殺しの際に死に絶えてしまいます。そうして残された大地には、人やエルフやドワーフ、オークといったささやかな者たちが残ったのです。そして、そういった者たちが、やがて歴史の綾を創り上げていきます」
ざっくりと神話を語るカトル。しかし、その内容はエジプト神話や北欧神話、はたまた旧約聖書などのイメージが混在している。きっともっと深堀りすれば色んな神話類型の集合なのだろう。しかし、神が絶えている、という“設定”はオリジナリティがあるかもしれない、そう考え直した。
カトルは続ける。
「火を作り出したのは、エルフでした。エルフはもとより魔法を持っていたため、火を扱う技術を持っていたのです。そのため、エルフの魔法文明はしばし栄えることになります。されど、その魔法文明はエルフとオークの戦争、“十日戦争”により衰退します。そうしてエルフ文明は崩壊し、エルフたちは散り散りとなります。この様は、世界初の史書『十日戦争戦記』に記されています。そして、祖国を失ったエルフたちが、やがて魔法技術を人間にもたらします」
しかし、純粋な人間は魔法を使えませんでした。そうカトルは言う。
「異世界人は別として、ですが、この世界の純粋な人類は魔法を使うことができませんでした。しかし、魔法の有用性に気づいた人類は、エルフと混血することで魔法技術を得てきました」
カトルは自らの尖った耳を撫でる。
「私は祖父がエルフで祖母が人類です。現代においては純粋なエルフは存在しません。ただ、エルフの特徴を備えた者のことをエルフ、人類的な特徴を備えた者のことを人、その中間をハーフエルフと呼びます」
なるほど。日本で流通している俗説で“縄文人顔”、“弥生人顔”というのがあるけれど、この世界における人間とエルフの違いというのはそれ程度ということだ。
「なので、現在、人とエルフはほぼ同一種といってもいいでしょう。事実、人同士の間に生まれた子供がエルフであることもありますし、その逆も然りです。こちらは本草学者のメンデル氏の研究が有名です」
どうやらゲーム製作者は遺伝学の祖・メンデルの名前をそのまま借りているようだ。しかし、この中世ヨーロッパ的世界観にあって遺伝学があるというのは驚きだけれども。
「いずれにしても、人類史はおおむね、エルフとの関わりの中から論じることができます。エルフと混血した後に魔法技術を手に入れた人類は、ブレインガルドの統一に乗り出します。それまでは小さな集落を持ち、その中で細々と農耕をしていた人類は、魔法を手に入れるやオークたちの討伐に乗り出します。やがて人類が国家をつくるようになってからも、“オーク討伐”は国家の大義名分として機能します。そして、現在の三国鼎立の前の王朝、カン王朝の時代に、オークは絶滅します」
つまり、オークが姫騎士を捕まえて云々……みたいな「くっ殺」展開は起こらないわけだ。もっとも、このゲームは全年齢対応であるからしてそんなことがあっては困るのだけれども。
「? なんか残念そうな顔をなさっておいでですね。ええ、それはそうでしょう。人類が手を染めてしまったのは、異種族の絶滅だったのですから。――ちなみに、ドワーフは今でも残っています。ただし、人類によって住む場所を制限され、我らがショク王国では“自治領”と呼ばれる土地を与えて朝貢関係を結んで支配している形ですが」
ドワーフについていろいろ聞いてみたい気もしたが、その問いかけにはカトルは答えてくれなかった。
「今の三国鼎立についてご説明しましょう。とはいっても、大して難しいことではありません。ただ単に、カン王朝の権威が地に落ち、地方の豪族が自ら王を名乗っただけのことです。……我らがショク王国の場合、王であらせられるリュウ十三世がカン王朝の末裔ですので、正当性は我らの側にあるという点、お間違えなきよう。とにかく、北の大豪族ソウによるギ王国と、東の大豪族ソンによるゴ国、そして我らがショク王国――私たちは公式にはショクカン王国と称呼しています――に事実上鼎立しているのです」
この辺の歴史については確実に中国の三国志を下敷きにしている、というか、元ネタそのまんまだ。
「さて、ここまでは簡単な流れです。ここからは個別の細かい事項の確認なのですが……」
そしてそこから、トイレに立つ間も与えられない、ずっとカトルのターンが始まったのであった。
「という感じですけど……ってユエさん、聞いてませんね」
「はっ! な、なんだ、私はしっかり聞いているぞ」
いや、確実に寝てたじゃないですか。それが証拠に口元に涎跡がありますよ。疑惑のまなざしで眺めていると、ようやく気付いたのか涎を手で拭いてきりっと顔を整えた。
「しかし、我が国の歴史とはこのように展開していたのだな」
「ご存じないんですか」
「私は武人の道を歩んだからな。知識とは無縁だったのだ」
なるほど、日本のように義務教育があるわけではないだろうこの異世界では、歴史などというのはごくごく限られた人々のための学問だということか。
それについては不安がないではない。けれど……。
「いや、ブレインガルドに“歴史”があってよかった」
「はは、ブレインガルドは歴史は長いぞ。その中身は知らぬがな」
「いや、そういう意味ではなくて、歴史という学問があってよかったという話です」
「む? 歴史という考え方があってよかった、ということか? されど、歴史がないことなどありえるのか?」
「ありえるんです、これが」
現実世界でもあったのだ。一般に、歴史学の発祥地はメソポタミア・エジプト地域と中国であると言われる。しかし、四大文明の一角を占め、今も昔もその存在感を無視できないインドにおいては、歴史が紡がれることはなかった。インドが歴史を刻むようになるのは、そういった他地域からの輸入であるといわれている。ここで言いたいのは、人類は必ず歴史を刻む生き物ではないということだ。もちろん、文字を有していれば、税の報告や品物リストといった“今を記録するもの”を残すことはあるだろうが、“過去にあったとされる出来事を過去から伝わる文献から記録し直す”歴史に至るには、どうやらさまざまな飛躍があるようなのだ。
しかし、このブレインガルドでは“歴史”がある。これは大きい。
「それに、どうやらブレインガルドの皆さんは、直線的時間感覚をお持ちなので、考古学も根付きやすいと思われます」
「チョクセンテキジカンカンカク? どういうものだ、それは」
「要は、過去から未来への時間の流れを川のようなものと捉え、過去にあった出来事は二度と繰り返すことはない、と捉える考え方です」
「当たり前ではないのか?」
「全然当たり前じゃないんです」
実は、日本人は必ずしも直線的時間感覚だけで生活しているわけではない。
輪廻転生という概念が仏教にある。インド系哲学にみられる時間感覚は、直線ではなく円環を描いているとされる。永遠の繰り返しの中、必ず時間は一巡し元のところに戻ってくる、という世界観の中では、かつて経験した過去は未来に起こる出来事でもあるために、わざわざ歴史を書き残そうというインセンティブが生まれづらいのだという。日本の場合は、直線的時間感覚を有していた中国から歴史を取り入れているがゆえに、円環的時間感覚の影響は少ない。実は歴史という学問を裏支えしているのは、「歴史は繰り返すことがない」という公理なのだ。
さらに。
「あと、この世界ではしっかり因果律が根付いています。これも大きいです」
「なんだそれは」
「たとえば、僕がユエさんの頭を叩くとしますよね。そうすると、ユエさん、痛いと思います」
「ふん、鍛え方が違う。君の拳ごときで揺らぐ私ではない」
「いえ、そういうことではなくて……。じゃあ、たとえを変えます。僕が、ユエさんの髪の毛をさっと払います。すると、髪の毛が揺れますよね」
「あ、ああ……」
「なんでそんな嬉しそうな顔するんですか。……つまり、こうして“原因があるから結果が伴う”という考え方が因果律です」
ユエは不思議そうに首をかしげた。
「なんだ、当たり前ではないか」
「まあ、正直これはあんまり心配してませんでしたけど」
現実世界では因果律を持たない人々は見つかっていないはずだ。もしかすると、因果律の発見こそが人を人たらしめるものなのかもしれない。むしろ、人間は因果律を信じるあまり、偶然というものを信じずに超自然的な力を崇拝するようになるし、現代では占いに凝ったりするきっかけになるのだ。
「とにかく。この異世界で考古学は十分可能です」
「そうか。それはよかった!」
ユエは満面に笑みをたたえた。しかし、何かに気づいたのか、はたと表情を変えた。
「そういえば……。一つ、君に伝えておくべきことがある」
「はい?」
「恐らく、勅任文人試験に顔を出してくるだろう、コウコウという男についてだ」
「コウコウ?」
「重臣の列に並ぶ男でな、勅任試験には必ず試験官として顔を出す男だ。だが、あれはとんだ佞臣だ」
曰く、元は宮廷出入りの掃除夫だか大工だか……。とにかく決して身分の高い男ではなかったし、学があるでも武芸に優れるでも芸があるでもない男にすぎなかった。しかし、わずかばかりにためておいた金を賄賂にして引き立てられたのを皮切りに官人となり、官人となってからはその役得で賄賂を得て上役に賄賂をばらまいて上へと登り、今では王の側近なのだという。
「でも、賄賂を貰おうが貰うまいが、別に優れた人なら問題はないんじゃないですか?」
「優れたところがないから問題なのだ。それどころか、優れた人間の足を引っ張ることに血道を上げている男だ。ろくなものではない」
吐き捨てるようにユエは言ったが、むしろ良平は面白かった。なるほど、異世界といってもそういう困ったちゃんはいるんだなあ、と他人事だったのだ。
「おいおい、分かっているのか。そのろくでもない男が君を審査するんだ。奴の機嫌を損ねれば、如何に君が優れた文人であろうが試験を通ることができないのだぞ」
とは言われても。
俄然興味が出てきた。
異世界にいる、いかにも人間臭い困ったちゃん。
まだ見ぬコウコウなる男に、俄然興味が沸いてきたのであった。




