トレンチ3 特殊技能?
窓枠に切り取られた、ショク王国王都セトの景色を見やる。
やっぱり例のごとく無国籍感がいっぱいだなー。良平は歴史クラスタとして当然のツッコミを入れる。
“ブレインガルド物語”の建物デザイン担当はどうやら古代のギリシアを参考にしているらしく、ところどころ中央部分が膨らんだ柱を採用している。いわゆるエンタシスの柱が随所に配されているのだ。その割、その柱に支えられている屋根が破風造りだったりするから訳がわからない。日本でも戦前に、コンクリートを用いて破風造りの建物を造るという中途半端な復古的建築物が流行したのだけれど(代表は上野の国立博物館本館だ)、そういうちぐはぐさを思わせる。端的なことを言えば、様々な建物文化の文脈を無視して、ただパッチワーク的に色んなモチーフを繋げただけの建物だということだ。目を建物から町全体に広げると壊滅的だ。ある街区はバザール的なたたずまい、ある街区は中世ヨーロッパの小都市のありさま、ある街区は中世ヨーロッパの城塞都市……という風に、参照先が異なっている模様だ。
ううーむ。なんか落ち着かない……。良平は心中で毒づく。
良平がこの“ブレインガルド物語”の世界に迷い込んで早や三日になる。だが、歴史クラスタとしての本能が疼きツッコミまくってばかりだ。いい加減ツッコミ疲れもしてきたところだ。
すると――。
「入るぞ」
そう断って、銀髪を揺らして部屋に入ってきたのはユエだった。最初に出会った時とは違い重苦しい鎧は脱ぎ去って、赤いノースリーブのワンピースを着て、足に巻きつくようなデザインのサンダルを履いている。鎧姿では体型が隠れてしまっていてよくわからなかったが、この銀髪の姫騎士の体は程よく引き締まり、かつ女性らしい柔らかさを輪郭に残していた。
「ん、どうした?」
ユエが良平のすけべな視線に気づいた。良平は視線を外した。
「いやなんでもないです」
「まあ、ならいいのだが」腕を組み、『このけだものが』と言いたげなユエは難しい顔をした。「それにしても、あなたが“戦人のメダル”を所持していなかったのは大いなる誤算だ」
「あ、本当にすいません」
「いや、そういうこともママあるからな……」
ユエはこれ見よがしにため息をついて見せた。
良平も知っている。“戦人のメダル”というのは“ブレインガルド物語”のアイテムの一つだ。とはいってもアイテムではない。というのも、このゲームの始まりの時点で、プレイヤーの道具袋に入っているアイテムだからだ。設定としては、『戦うものが魔を払うために肌身離さず持つメダル』らしい。ゲーム的には、名前の横にメダルマークがついている形で表示され、これでプレイヤーとCPUを識別するという仕組みになっている。
つまり、そのメダルを持っていない僕はCPUってことになるのか……。良平は冷静に、けれど残酷なことを思い知る。ゲームにおいてCPUなんていうのは『ここは○○の町です』と延々言い続けるだけの存在でしかない。
ユエは赤いワンピースを揺らした。
「それにしても、“旅人”よ。のんびりだな」
「これから先に待ち構える運命に尻込みしているだけです」
良平はため息をついた。
“戦人のメダル”を所持している、つまりは“ブレインガルド物語”のプレイヤーである場合は、導き手によって王都へと連れられて、その国の王に世界観の説明を受ける。そして、幾ばくかの軍資金と初心者向けのミッションについて仄めかされて町に蹴り出されるという仕組みになっている。
しかし、“戦人のメダル”を所持していないとなると、その道は辿れない。ユエは残酷な現実を教えてくれた。
『君はとりあえずショク王国の首都・セトに護送される。しかし、“戦人のメダル”を持っている旅人のようにはいかない。メダルを持たぬ“旅人”は、ショク王国の国民として何らかの生業についてもらう形になる』
まさか異世界に来て就職活動することになるとは思わなかった! 絶望した!
そう、どうやら良平には、異世界の経済活動を支えるための歯車として生きる道しかないようなのであった。というわけで、チュートリアルを受ける“旅人”用の宿舎を与えられ、一時金を持たされて就職活動にいそしむこととなったのだった。
「まあ、時間はいくらかかってもいい。だが、必ずや自分の生き方を探してほしい」
「自分の生き方、ですか」
「ああ。ただし、メダルを持たないゆえ、兵隊にはなれんがな」
くすりとユエは笑った。持たぬ方が幸せだろう? そう言わんばかりに。が、そんなレアで柔らかな笑みは、すぐに生硬な表情によってかき消された。
「うむ、すまんが、今日も職を探してみてくれ。私は今日も降りてきた“旅人”を迎えに行かねばならぬゆえな」
「なんか、ユエさんの仕事も大変そうですね」
踵を返そうとしていたユエは、その足を止めた。
「大事なお役目だ。――だが、大変でない仕事などどこにもないさ」
そう言い残して、ユエは部屋を後にした。
銀髪の姫騎士の残り香を嗅ぎながら、良平はその言葉を反芻していた。
大変でない仕事などどこにもない、かぁ……。
きっとそれが真理というものだ。
現実世界では考古学の研究員なんてことをやっていた。だから、何も知らない人に「好きなことを仕事にできていいですね」と言われたことは一度や二度ではない。もちろん考古学は大好きだ。だが、仕事にしてしまうとただ好きではいられない。好きな考古学をやるために、楽しくもない教授たちの懇親会に参加してビールをラッパ飲みして見せたり、やる気のない学部生相手に土器の実測図の描き方を教えたりしているのだ。
けれど、一方で『好きなことを仕事にしていた』のは事実だ。もしかしたら現実世界に帰ることができるのかもしれないけれど、しばらくはこの異世界にいることになるだろう。となれば、意に沿わない仕事をして過ごすのが順当というものだろう。
それに――。良平は自分に言い聞かせるように呟いた。
「これで、気も紛れるかな……」
並河さんのことを忘れることができるかもしれない。そんな期待を胸に秘めながら、良平は部屋から飛び出した。
ダメだ。
町の真ん中で腕を組みながら、良平は肩を落としていた。
ユエに教えてもらったギルド(これは歴史学的なギルドとは意を異にする。むしろ口入屋や人材あっせん業、はたまたハ○ーワークの言い換えと理解したほうがわかりやすい)に顔を出してみた。むっつりとした顔を浮かべながらカウンターに座っている中年男に仕事があるか聞くと、「お前みたいなもやしっ子に仕事なんてあるわけないだろ」とにべもなかった。
いや、僕、一応考古学やってて土砂を運びまくってたから、それなりにガタイいいんだけど……。そう反論しようとしたところに、さながらボディビルダーのような筋肉お化けがカウンターに割り込んできて仕事を求めた。が、店主は「お前みたいなもやしっ子に仕事なんてあるわけないだろ」とにべもない返事をぶつけていた。すごすごと引き上げていく筋肉お化けの後ろ姿を見やったその時、ギルドからの仕事の斡旋は諦めた。っていうか、この世界のもやしってどんだけ太いのか。
とにかく、ユエに紹介されたギルドを諦めて、次に向かったのは冒険者ギルドだ。ここは“戦人のメダル”を持つ――すなわちプレイヤーがミッションを受けるための施設だ。ゲームをプレイしているときにはここが拠点の一つとなる。
だが、ここでも門前払いをされて今に至っている。“メダルのない奴に出せる仕事はねえ”と、どこかで聞いたギャグに寄せた顔を店主は見せた。
いずれにしても、これで就職活動はどん詰まりだ。
どうしたもんか……。
さまざまな文化的イメージが奔流となってごてごてと町を彩る風景は、控えめに言って悪酔いしそうだ。うげろ……。
気持悪い。顔面蒼白で街をうろついていると……。
腿のあたりに何かがぶつかる感触があった。
おおっと。前を見ると、十九世紀のイギリス風のシャツに短パンサスペンダー姿をした、七歳くらいの男の子が尻餅をついていた。金髪碧眼、目の下にはそばかすまである。しかも――。尖った耳。
キター! トールキン型エルフ! しかもショタ!
しかし、そんな心中の不謹慎な叫びを噛み殺して、少年に手を差し伸べる。
「ごめんな、大丈夫かい」
「う、うん、ごめんよ、おじさん」
「待て待て、これでも僕はまだ二十九、立派なお兄さんだよ。その辺間違えないように――」
「ごめんよ、おじさん」
このガキャ……、ベタなボケを張りやがって……。
だが、あえて大人であるところの良平はその怒りを奥歯で噛み殺した。と、少年の短パンのすぐそばに、見慣れたものが落ちているのに気付いた。
それは、矢印型をした黒曜石と思しき石だった。大きさはおおむね五×五センチくらいだろうか。先端が尖っていて、薄く削ってある。
「あー、それ、僕のだよ!」
少年が抗議をしてくる。
「少年、一つ教えてくれないかな。これ、どこで拾ったんだ?」
「へ? なんでおじさん、これを拾ったってわかるの?」
「おじさんが余計だ。いい加減改めようね坊や」ちょこっと不満を述べてから種明かしをする。「何せ、見慣れたものだからね。どこで拾ったのか教えてほしい」
「え、ああ、こっちだよ」
エルフの少年は良平の手を引いた。そうして連れてこられたのは、町のはずれの荒れ地だった。
辺り一帯は背の高い大麦のような作物が植わる広大な畑になっている。しかし、この一帯だけは耕作されておらず、白っぽい土が露出していた。見れば。丘を切り崩したようで人工的に土をさらった跡がある。
「ここで拾ったんだ」
「なるほどね」
確かにこういうロケーションなら出る可能性は高い。
しばらくその白い土の上を歩く。懐かしさを覚えながらも目を皿にして探すうち、すぐにさっきの少年が持っていたのと同じ、矢印型の石を拾うことができた。
「面白い石でしょ? 僕だけが知ってるんだ。でもおじさん、これ、なんなの?」
いい加減、おじさんの天丼ネタに食いつくのも面倒だったので、質問にだけ答えた。
「これは、石鏃だよ」
「せきぞく……?」
「うん、石の矢じり。つまりは昔の矢の一部ってことだよ」
日本では縄文時代から弥生時代くらいまで検出することができるものだ。矢の一部でありたくさん作られて恐らく多くは回収されずに放置されたことが想像される上、無機物のために残存状況がいいこともあって数多く検出することができるものの一つだ。発掘箇所を決める前、地表面調査をする際に縄文から弥生時代の遺跡の有無を判定するのにも使われる。例えば、畑の隅っこに盛られている土に石鏃を発見できれば、ははあ、この畑の下には弥生時代くらいの遺跡があるんだな、と当てをつけることができるという寸法だ。
「へえ、矢じりなんだこれ! へええええ!」
顔を真っ赤にして、少年は頷いた。
しかし、良平はそれどころではなかった。
石鏃が落ちている。もしここが日本だったなら、その意味するところは『この地下に縄文から弥生時代にかけての遺跡が眠っている』というだけのことでしかない。だが、ここはMMORPGの異世界だ。そこに石の矢じりが落ちているというのは驚きだ。つまり、この色んな文化が混交されて成立しているパッチワーク的な異世界も、もしかすると石の矢じりでもって獲物を追っていた時代があったのかもしれないのだ。
もしかすると、僕は見つけたのかもしれない。この異世界で何をするべきなのか。
良平は強く手を握った。
「痛い!」
石鏃が掌に刺さった。それを見た少年が、「馬鹿でー」と笑った。