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トレンチ20 脱落?

 本来は、今日も発掘のはずだった。しかし、良平は今、ショクの首都、セトの王宮にいる。いつものようにジーンズにTシャツなんてラフな格好をするわけにもいかず、用意されたローブのような服に身を包んだ。それにしても重い。どうやら白地に白い刺繍が施されているようだ。

 慣れないこともあってこの装束に身を包んで速足をするとすぐに息が上がる。しかし、前を歩くジュは同じ格好をしているというのにまるで疲れの色を見せなかった。

 前を歩くジュは不機嫌そうだった。

「おのれ、コウコウめ、こまごまとした嫌がらせを仕掛けてくるものだ」

「でも、これはコウコウの仕業なんでしょうか」

「そうに決まっているでしょう。事実、あなたは相当お困りではないですか」

「そ、そうなんですけど」

 ジュは赤じゅうたんが続く廊下を延々歩いた。そして、そのまま赤じゅうたんが続く先へと進んでいく。やがて兵士二人が守る大きな扉が見えてきた。ジュの姿を見るや、兵士たちは頷いてその大扉を仰々しく開いた。

 そこは玉座の間だ。

 はるか奥に、天幕に覆われた玉座が見える。しかしその玉座には誰も座っていない。しかし、数段高いその玉座の下に、ローブ様の服をまとった一人の男が立っていた。

 果たして、それはコウコウだった。猜疑心にあふれた狐めいた眼をこちらに向け、ふん、と鼻を鳴らしてきた。なまじ声の反響しやすい部屋だけに、そのいやらしい鼻の鳴らし方は耳についた。

「ジュ殿、か。いやはや、お早いお着きで」

 その言い回しには皮肉がにじんでいる。けれど、ジュは眉一つ動かさずに頭を下げた。

「いえいえ、若年寄なもので朝が早いのですよ」

 皮肉を皮肉で返している。不敵に微笑むジュに対し、コウコウは青筋を立てる。しかし、その表情を一瞬で引っ込めると、コウコウは咳払い一つでジュの皮肉を振り払った。

「さて、そんなことはどうでもよろしい。そろそろお越しの頃と思いましたぞ」

「お越しの頃、と。つまり、コウコウ殿はこうなるのを見越していらっしゃったということですか」

「それはそうだ。人事権の発動は、いかに正当なものであったとしても文句が上がるものよ」

「ほう、正当、と。それは面白い。ではお聞きしましょう。今回ユエ殿に降って沸いたこの人事は一体どういうことにございましょうか」

 そう。ユエが突然良平の前から姿を消した。

 今日の朝のことだ。集合の時間になってもユエが来ない。なんだかんだで時間には厳しいユエが遅れるなど珍しい。どうしたものかと思案していると、やがてユエの代わりに物々しい一団がやってきた。牛に引かせた二輪のいわゆるチャリオッツだに乗った貴人。その周りを警護する兵士たち。やがてその一団が良平の前にやってくると、車の上の貴人が下に降り立った。その貴人は、埃っぽい発掘現場を一瞥して不快そうに眉を顰めると、良平にある巻物を手渡した。

『かしこくも、王よりの勅である。謹んで拝受するよう』

 その巻物に書かれていたのは、ユエの解任なのであった。

「人事は一大事。なぜなら、人員の移動はただそれだけで組織の弱体化につながる恐れがあるからです。なればこそ、人事権の発動は大臣たりといえども軽々しくできないのが道理にございましょう?」

 かなり踏み込んだ。大臣といえどもそう簡単に従わないぞ、とジュは言っている。

 けれど、その傲岸不遜にも聞こえるジュの発言をコウコウは取り上げることはしなかった。それどころかジュの言い分をすべて飲み込んだ。

「うむその通り。確かに人事権を発動する際には関係する組織間で協議せねばならぬ。貴殿の言うとおりだ。されど――。誤解してはおらぬか? ユエについては、そなたには何の権限もないぞ」

「なんと?」

「ユエは、“導き手”であるぞ。では聞くがジュ殿。“導き手”はどこの所属か」

 ジュは忸怩たる顔をうかべた。

「軍属、ですな」

「そう。それなら話は早いですな。此度の配置返還は、軍属内部で行われるもの。それがため、あなたがた文官には通す必要のない案件である。それにお忘れか。ユエは“導き手”である。彼女の主業務は“旅人”の保護と、“旅人”の生活が落ち着くまでのケアのはず。そしてユエはその任務を終えた。なればそこなの“旅人”から離れるのは当たり前のことではないか」

 勝ち誇ったように、コウコウはにたりと笑う。

「お分かりですかな? そもそも、この話について、ジュ殿が口を挟むのは職権乱用である」

 ぐっ……。ジュは一瞬たじろいた。しかし、やがてその瞳に激情をたぎらせ、こう切り出した。

「――つまり、コウコウ殿は、我ら文官と約した取り決めを破るということにございましょうか」

 取り決め? その言い方に疑問が湧かぬではなかった。

 コウコウは声を上げて笑った。その声は大理石敷きの部屋の中に反響する。

「いやいや、少なくともわしは破っておらぬ。確か、こういった取り決めであったな。“ユエは戦場の最前列に出さぬこと”という……。ユエ殿の新しい任地を見よ。まるで最前線ではないではないか。わしは約束を守っておる」

「確かに“麦原の地”は、今でこそ紳士協定により安定しています。が、あそこにはシバイなどのギの将が控えており、いつ最前線になるかわからぬ地でありましょう! それどころか、今後あの地が激戦地になるという噂も」

「おや、意外ですな。文官きっての秀才ともあろうジュ殿が、市井の噂をお取り上げのようだ。軍属からの報告によれば、“麦原の地”のギの将官たちは無能ぞろい。到底戦など起こす気配はないとのこと。――それに、文官であるジュ殿が、この話に嘴を挟むのはそれこそ越権行為とお見受けするが、いかがであろうや」

「ぐぬう」

 あのジュが完封されている。良平の耳にする範囲ではコウコウは『文字も読めない無能者』という評判だが、実際にはその評価はかなり過少に過ぎるのかもしれない。確かに文字を読むことができないかもしれないが、有能・無能というのはそれだけで測れるものではない。

 とにかく――。コウコウはいやらしく顔を歪めた。

「この件はもはや決まったこと。勅任文人といえども、この決定に反することはできない。なぜならこの決定は、勅による決定だからである」

「は? 勅と申されましたか?」

「その通り」

 勅。すなわち、王様直々の命令ということだ。

「なぜ人事ごときに勅が発動されるのです。それこそ面妖ではありませぬか」

「しかし、勅という形で今回の人事が通った以上、仕方あるまい?」

 にたにたと笑うコウコウ。その顔を見るにつけ、こちらの旗色の悪さが目立つ。

 現実世界でいえば、いきなり社長からの命令で人事権が発動されたようなものだ。良平は会社勤めをしたことがないからわからないけれど、同期の連中からいろいろサラリーマンの愚痴は耳にする。サラリーマンにとって序列はすべて、課長より部長、部長より取締役、取締役より常務、常務より社長の命令を絶対視するのが会社というものらしい。つまり、ユエの辞令は、相当ひっくり返すのが難しいということになるだろう。

 けれど――。

 ユエを失うわけにはいかない。

 あの人は、発掘作業においてなくてはならない人だ。おそらくこの国の中では、ジュの次くらいに考古学について理解してくれている。いや、発掘作業そのもののスキルを加味すれば、もしかしたらジュを凌ぐだろう。その人が突然抜けるのはあまりに痛い。

 思わず、良平は切り出した。

「何とか、ならないのですか」

 む? コウコウは顔をしかめる。

「勅任文人でもないそなたに発言を許した覚えはないが――。よかろう。どうにもならぬ。あきらめよ」

「けれど」

「反論は許さぬぞ。そも、勅に盾突くということは王への反逆行為。それだけで首が飛ぶと心得られよ、“旅人”よ」

「しかし、それでは発掘が進みません。発掘が進まなければギに伍していくことができなくなります」

「待て良平」

 ジュが割って入る。しかし、目の前のコウコウは顔を真っ赤にして此方を睨みつけてきた。

「これ以上の議は許さぬぞ。いかに非公式のこととはいえ、忠実なるショクの臣として、いかに無知なる“旅人”とはいえども不敬行為を許すことはできぬ」

 ぬぅ……。

 どうやらこれ以上の抗弁は叶わぬらしい。良平も口をつぐまないわけにはいかなかった。

 そして、勝ち誇りにも似た笑みを浮かべたコウコウは、短く息をついて、良平の脇をすり抜けた。

「ではな。これにて失礼。はっはっは」

 これ以上なく堂に入った高笑いを響かせながら、コウコウは去っていった。

「くそっ」

 コウコウが去ったあと、ジュが柱を拳骨で殴りつけた。その顔には怒気が滲み、歯を強く噛み、口元からはつうと血が流れ始めている。

「コウコウめ……我らとの約定を破るつもりか」

「約定? さっきからユエさんについて何か約束めいたものがあるように聞こえるんですが、僕の聞き方がまずいのでしょうか」

「いえ、あるんですよ。約定が! なにせ彼女は、我らが師匠、ショウゲン様の忘れ形見なのですから!」「どういう、ことです?」

「彼女は、ショクに多くいる勅任文人たちを育てた大学者・ショウゲン様の一人娘なのです」

「え? ユエさんが、学者の? でも、ユエさんは」

「ええ。ほとんど文字は読めません。それもそのはず。ユエ殿が生まれてすぐ、ショウゲン様は無実の罪を着せられて王宮に幽閉されていたのですから」

「それは……」

「あのコウコウめが、目の上のたんこぶであったショウゲン様を陥れたのです。しかも、“本来なら死罪となるところ、王の慈悲により罪一等を減ずるものとする”などとおためこがしな勅を王に発させたうえで」

 ジュは怒気を全身に滲ませた。

「私は、幽閉の中にあったショウゲン様に教わった最後の弟子です。だからこそ、ショウゲン様の願いもわかるのです。ショウゲン様はこうおっしゃっていました。“娘を文人にしてはならぬ。武人として育て、安泰な道に進んでほしい”と。それを耳にした私は、ユエ殿の家令にその旨を伝えました。そしてそれからは、ユエ殿は軍人としての道を進んだのです」

 そういうことだったのか。つまり、もとはユエの家は大学者が出るほどの文人の家だった。しかし、政変に巻き込まれて微妙な立ち位置となってしまい、ユエはその政変に巻き込まれないためにも軍人としての道を選ばざるを得なかった、ということか。

「ショウゲン様は軍人文人の隔てなく公正に見ておられた方。軍人からも人気の高い方でした。それゆえ、フェイ将軍などの国家に大功ある将たちも、ユエ殿の預かり人となってくれたのです」

 フェイ……。虎髭の居酒屋店主だ。軍人だったとは聞いていたけれど、そんなに偉い人だったのか。

「ユエ殿が長じてから、勅任文人となっていた私は、コウコウと取引したのです。“ユエ殿を文人にはせぬ。彼女は軍人として歩かせる。その代わり、彼女を危険な任務に就かせないでくれ”と。コウコウはそれを飲んだのです。にもかかわらず、今回のこの人事はそれを踏みにじるもの」

 頷ける。ユエが配置されるという“麦原の地”にいるシバイなる将軍、あれはとても無能などと言える存在ではない。むしろ、一朝ことあらば牙をむき出しにして噛みついてやる、そう言わんばかりに気を発しているようにも見受けられた。今後、あそこが前線になるかもしれないというジュの見立ては突飛なものではないのかもしれない。

「どう、なさるのですか」

「そうですね。これは何がなんでもユエ殿を取り戻さなくてはなりませんよ。そしてそのためには――。良平さん、あなたの協力が必要です」

「へっ?」

 ジュの目はすっかり据わっていた。

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