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トレンチ19 ある疑念

 カンテラの明かりを頼りに、良平は一人ペンを走らせていた。

 作業員さんたちが残してくれた日報の整理をしているところだ。今日は初の給料日だから早く帰りたいものの、日報だけはできるだけ早く目を通しておかねばならない。でないと、作業員さんの気づきを成果にフィードバックできない。それに、日報を読むことで、作業員さんたちの本気度や取り組み方も見えてくる。日報は、作業員さんたちの評定にもつながるものなのだ。

 それに。この遺跡にはある懸案がある。それだけに、作業日報の扱いを慎重にせざるを得ない。

 その懸案とは――。

 本遺跡Aブロックc5グリッド近辺の発掘だ。

 この遺跡は貝塚遺構だ。日本考古学でいえば縄文時代くらいの遺跡ということになる(もちろんこの比較が何の意味もないことくらいは良平にもわかっている)。ということは、貝塚遺構より下にはおそらく人工物はあるまいというのが良平の想像だった。この貝塚遺構から出土する石器は磨製石器も多いため、おそらく現実世界でいう新石器時代にあたるものだろうという想像はついた。だとすれば、その下の地層に打製石器がある可能性もあるだろうが、そうそう遺跡は重層化することはない。あえて発掘しなくてもいいだろうと踏んだ。

 だが――。

『あのう、先生、変なものを掘り上げちゃったんですが。見てもらってもいいですか』

 始まりは、ある作業員さんからの報告だった。

 いわれるがままその作業員さんが担当しているグリッドまで足を運ぶと、既に貝塚層はすべて剥がされており、赤土の層が出始めていた。この作業員は夕方の勉強会にも参加し、非常に丁寧な日報も残している上に作業も早い。それゆえに、赤土層にまで調査が及んでいたのだろう。

 しかし、その赤土層のところに、ある遺物を見つけた。

 それは――。

 良平は机から立ち上がり、ゲルの隅に置いたそれに向き合った。

 こんなこと、ありえるのか? 

 と――。ユエがゲルの中に入ってきた。

「待たせたな」

「いえ。で、見つかりましたか」

「ああ。あったぞ磁石。しかし、こんなものを何に使うんだ」

「こう使うんです」

 磁石を受け取ると、良平はそれを出土した遺物に近づけた。磁石を持つ指にわずかながら引力を感じる。そろそろと近づけていくと、磁石がそれに引き寄せられていく。

 赤茶げた、長さ1キュビットにも満たない棒。ところどころ朽ちてはいるが、往時の姿を思い出すのは大して難しいことではない。

「これは……」良平の脇からそれを見下ろしていたユエが頷く。「もしや、剣なのか?」

「はいおそらく。それも、鉄製の剣ではないかと思われます」

「鉄製の……?」

 ユエは今一つ、この発見の意味を解していないようだ。

 鉄剣それ自体はそうそう珍しいものではない。日本にだって多くの出土例がある。金属器が流入した地域ならば普遍的にみられる遺物だろう。

 しかし、問題は出土した地層だ。

 あの発掘地点は貝塚によって覆われていた。そしてその貝塚からは、磨製石器と打製石器が出土している。日本でいえば縄文時代くらいの文化レベルということになるだろう。ということは、その下の地層にあるのはもっと素朴な文化――旧石器時代の遺物――、があってしかるべきだ。しかし、この貝塚層の下に金属器が出土してしまった。

 金属器というのは技術の塊だ。特定の金属を採掘し、その金属の融点まで熱を与え、鋳型にはめ込むなり鍛造するなりして形を作らなくてはならない。石器や土器などと比べて、はるかに知識や技術の要る作業をしなくてはならない。なので現実世界では、旧石器→新石器→石器と金属器の混用→金属器と遷移していく場合が多いとされている。もちろん例外はいくらでもあるけれども、新石器時代よりも低いレベルの地層から鉄器が出るなんてことはまずありえない。

 といったことをかみ砕いてユエに説明すると、ユエもその意味するところが分かったのだろう、怪訝な顔を浮かべた。

「ふむ、なんとなくおかしいということはわかったぞ。けれど、なぜこんなことが」

「まず考えられるのは攪拌作用です」

「攪拌?」

「ええ、自然の作用かはたまた人工的な作用か。いずれにしても何らかの理由で地層が乱されて本来の地層ではないところに遺物が潜り込んでしまうことがあります」

 けれど、その線は薄い。

 地層の攪拌が起こった時には何らかの痕跡を見出すことが可能だ。例えば人為的なものならばそれはピット(穴)として検出することも可能だし、自然作用ならば大規模な地層の断裂として検出もできる。しかし、あの作業員さんが残した日報によればピットらしいものはないようだったし、一応良平も一日の作業の終わりには遺跡を見て回るようにしている。少なくとも、良平にも地層の攪拌が起こっているような痕跡を見出すことはできなかった。

「あるいは――。発掘のねつ造である可能性もあります」

「ねつ造?」

「ええ。発掘者が地層の中にそれっぽい遺物を挿入してやって、発見して見せるんです。簡単な方法ですが、意外にばれないんです」

 実際、これで日本の考古学はひっくり返った。

 日本の旧石器発掘ねつ造問題といえば、良平が子供の頃の出来事だ。けれど、あの時流れたニュースは今でもありありと覚えている。神の手と呼ばれたアマチュア考古学者が、実はその手で石器を地層の中に押し込んでいただけだったのだ。しかし、この研究不正に日本の考古学は自浄作用を発揮できず、新聞のすっぱ抜きというスキャンダラスな形でしか告発ができなかった。結局、学問内部のタコツボ化を露呈したこの事件は、未だに考古学内でのしこりとなっている。

 けれど――。

「今回については、その可能性は低いです」

「なぜ?」

「ねつ造する理由がないからです。普通、考古学のねつ造というのは、学説を立証するために行われるんです」

「どういうことだ?」

「つまりですね、考古学内で、“おそらく当時はこういうことだったのだろう”という推測があったとします。けれどそれを立証する決定的証拠はない。そういうときにねつ造が起こるんです。その決定的証拠を作ってしまい、その推測を確定させるために」

「うん、それはわかる」

「翻って今です。今、これはむしろ僕の怠慢ですけど、僕はまだ学説らしい学説は唱えていません。それに、この作業員の皆さんは歴史に詳しいわけではない。発掘をねつ造する理由がないんです」

「なるほど、そういうことか」

 日本の旧石器発掘ねつ造問題も、“日本には前期旧石器時代があった”という説を補強するために石器を混入させた、というのが大方の見方だ。つまり、ねつ造をするからにはねつ造者の側に理由が要るということになる。

「じゃあ、これは……?」

「実際の遺物ととりあえず考えるべきでしょう」

「とすると、何が分かるんだ?」

「それが、さっぱりですよ」

 何せ、石器時代 → 金石混用時代 → 金属器時代 というタイムテーブルが描けないのだ。石器時代のさらに前に金属器が来てしまうということは、現実の考古学では考えづらい。

 だが、ユエが、むーんと唸った。

「まさか、その鉄器はオークのものではないか?」

「オーク。あのオークですか。もう絶滅しているという」

「ああ。神話は知らんが、昔話でならオークのことは知っている。人の武器を軽く砕く武器を持ち歩いて人の住む村を襲ったと聞いている」

 昔話をどこまで信用していいものかという疑問はある。けれど、オークが猛威を振るっていたのならば、何らかの技術的優越があったと考えてもいいのかもしれない。

「やはりこれも昔話だが――。昔、ドワーフはオークに道具を卸していたという。もしかしたら、この鉄器はその名残かもしれない」

 む?

 オークなどというから訳がわからなくなるのだ。オークを仮にグループAとし、貝塚を作った人々を仮にグループBとして考えてみる。

 まず、鉄器文化を持ったグループAがこの遺跡近辺に暮らし始める。その後、何らかの理由でグループAは消え、その跡地に石器文化を持ったグループBがやってくる。そしてグループAの遺物の上にどんどん貝塚層を形成していく……。

 無理がない。

 それに、何も現実世界でもあり得ない想定ではない。たとえば東南アジアには石器文化のまま現代にいたっているグループがある。例えばだが、文明人が一週間島にキャンプして、そこにジッポライターを忘れたとする。そのあとに石器文化を持った人々がその上に村を作って生活したとして、千年後、学者がそれを発掘したとしよう。そうなれば、今、良平が出会ったような状況になる。石器→金石混用→金属器 というタイムスケジュールは、実際には文化の伝搬の問題もあって地域の差がある。現実の歴史では比較的その差は小さいが、このブレインガルドでは相当な差となるのかもしれない。

 奥深いぞ、ブレインガルド。

 むむむ、と唸る。と、ユエがふいに口を開いた。

「君は、いいな。やりたいことができて」

「へ?」

 思わず良平はユエの顔を見た。銀髪がゆらめくその姿は、どこかはかなげだった。それは、普段意志の強そうにつり上がった眼が、今日に限っては伏し目がちだからだろうか。ランプの炎が揺らぐたび、彼女の銀髪もその光を反射した。

 しかし、ユエは首を振った。

「ああいやすまん。どうやらわたしは疲れているようだ」

「ああ、なら早く帰ったほうがいいですよ。明日も発掘がありますから」

 ユエは本当に発掘の際に活躍してくれる。重い土嚢を軽々と運んでくれるし、軍人さんだからか作業員さんたちへの指示も的確だ。この人にこんな才能があるのか、と新たな気付きを得たくらいだった。

 だから、このいたわりの言葉は本心だった。

「そうか、明日も発掘か。――では帰る」

「ええ。また明日」

 けれど、ユエはその良平の言葉には応じず、ゲルの入り口の幕を跳ね上げて外に出て行ってしまった。

 良平は気づかなかった。その時のユエが、とてつもなく悲しげな顔を浮かべていたということに。

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