トレンチ17 魔法使いを探せ!
「ふふふ、それは大冒険だったわね」
長くとんがった耳を撫でながら、カトルは柔和に笑う。
「大冒険どころじゃないですよ」机に突っ伏しながら、良平は抗議する。「死ぬかと思ったんですから」
と、横のユエが良平を小突く。
「生きているのだからいいではないか」
「いえ、死ぬかと思いましたからね本当に!」
おやおや、とカトルは二人を見比べて苦笑した。
しかし笑い事ではない。
遠藤教授と別れ、来た道を帰っているときのことだった。国境付近でたむろしている兵隊と行き会った。青い揃いの鎧はギの兵だ。間違いなくそれは検問だった。
最初は何ということはなかった。出身地と目的を聞かれ、それをギエンが答えるだけだったのだ。ところが、ユエが何かの拍子にポケットから何かを落とした。どうやらそれが、ショク王国の関係者であると一発バレするような代物だったらしく、いきり立ったギの兵たちに追われまくって命からがらショクまで逃げ帰ったという次第だったのだ。
「まったく、これだからユエさんは」
「まさか君がこんなにねちっこい性格だとは思わなかったぞ」
二人して同時にそっぽを向いた。するとカトルがうふふと笑う。
「なんだか、ユエさんがそうして自然な顔をしているのを見るのはずいぶん久しぶりね。良平さんとはどうやら相性がいいみたいね」
「……はっ!」
ぱっと顔を赤くしたと思ったら、何度も首を振ってその表情を追い出す。そうしてユエの顔に浮かんだのは、いつものポーカーフェイスだった。その顔を浮かべたユエは、ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。
「けれど……」カトルは首をかしげた。「やっぱりギのコウコガクは進んでいたのね」
「ええ。異世界からやってきた考古学者が、きわめて精緻に組み上げていました」
「そう。……ジュ君に報告には行ったんでしょ? なんて?」
「ええ、それが……」
今回のこの遠征の発案者であるジュには最初に挨拶に向かった。最初、どう報告したらいいかわからず悩んでいたのだけれど、意外なくらいジュは上機嫌だった。
『そうですか! ギではコウコガクが盛んなのですか! それはよいことを聞きました。で、学問水準はどれほどであったと見受けられますか……?』
正直、僕がいた世界の水準からすると、技術そのものは二十年ほど前の水準です。そう答えると、なおのことジュは上機嫌に拍車がかかった。
『なるほど、これは朗報です』
訳がわからずにいると、ジュはその種明かしをした。
『ギがコウコガクに対して多額の援助を行っている。しかも研究水準もかなり高いとなれば、我らがショク王国でも、何がしかの動きを取らなくてはなりません。政治的に正統争いをしているショク王国にとって、他国がやっていることは追随しなければなりませんからね』
そういうものなのか。いや、現実世界でもあることか。良平は考え直す。
研究は“国家間競争”だ。古くはアメリカとソ連が競い合った宇宙開発競争などは代表格だろうし、今でもスーパーコンピュータ開発は国家の面子をかけた大プロジェクトだ。もっとも、現実世界ではそうそう国家間競争になりうる研究分野は多くない。少なくとも、考古学のような人文科学の世界にあってはそうそう競争になりえないというのが実情だ。しかし、19世紀のエジプトで異物を発掘しまくった西洋列強の行動を見るに、考古学が必ずしも国家間競争と無縁というわけではないということはわかる。条件が揃えば、いくらでも競争の具となりうるのだろう。
一通り話を聞いていたカトルが、むーんと唸った。
「彼が喜ぶ理由がわかるわ。これで史部も予算が増額されるものねえ」
「え?」
「それはそうでしょう? コウコガクは歴史学の一部なのでしょう? なら、歴史をつかさどる史部の予算が増額されて、そこからコウコガクの予算が割り当てられる形となるでしょう。それはつまるところ、史部にとっては――そして史部の長官であるジュ君からすれば――、悪い話じゃないわ」
ああなるほど。
高校生にも見間違うほど若いジュは、史部の長官、言い換えるなら官僚だ。官僚からすれば、どれだけ自分の所属する機構に金を引っ張ってくるかが重大事だ。確かにジュは歴史学徒として非常に熱いものを持っている人ではあるけれど、ただそれだけで突っ走っている人ではない。歴史学者としての無邪気な顔の下に、怜悧な組織人としての計算を隠し持っている。
そして、ジュがギヘ視察をさせた理由もわかる。それも、良平やユエだけではなく、軍人であるギエンも加えた訳が。実際にギの考古学の技術水準を測る役目は良平だった。しかし、この際大事なのは良平ではなくギエンだ。ただの軍人で、歴史に関して何の利害関係のない人物を連れて行って、のちのちギの発掘の実際について印象を語ってもらうつもりなのだろう。
だとするなら、ジュ、あまりに辣腕すぎて怖い。
ところで――。
カトルが首をかしげた。
「まさかお二人さんは、わたしに挨拶に来ただけじゃないでしょう?」
「もちろんです」
良平は頷いた。
「何か、困ったことでもあるのかしらん?」
「ええ、カトルさんにご協力を要請したいことがあるんです。ずばり、魔法使いの周旋をお願いしたいんです」
「魔法使い? これまたどうして?」
「ギの発掘現場で、魔法使いが協力する場面を多く見たんです」
ギの発掘現場で見た魔法使いたちは驚きの連続だった。人々を魔法力で使役したり、魔力で三次元的な距離を測定したり。そういったことができるのならば、ショクの考古学も劇的に進むはずだ。
だが――。カトルは顔をしかめる。
「恐らくそれはジュ君の差し金ね。……でも、厳しいんじゃないかしら。だって今は戦争中よ。はたしてこの国にそんな余裕はあるかしら」
「ええ。それは僕の方からも言いました。そうしたらジュさんが『カトルさんがきっといい案を出してくれるに違いないから』と……」
「あの子はいざというときにはいっつも他人を頼るんだから。そういうところが人望をなくすところよねえ」
そう不平を述べながらも、カトルは司書机の引き出しをあけ、三十センチ×二十センチくらいの石板を取り出した。短い呪文を詠唱するとカトルの右手が光り出す。その手を石板にかざすと、3D映像のようなものが石板から飛び出してきた。そうして映し出されたのは、ショク語で書かれた名簿らしかった。
「うーん、やっぱり……。ショウゲン学派の人たちのほとんどは戦場に行っちゃってるわねえ……」
その名簿を見れば、かなりの数、横線が引かれている。その末尾にはその横線と同じ色の文字で『戦死』と書き添えてある。やはりこの時代は戦の時代なんだということを再確認して胸が痛くなる。
どんどん名簿がスクロールされていく。けれど、ほとんどの人は戦場にいるらしい。戦場にいることを示している青い文字か、戦死を示す横線が引かれた名簿が延々と続く。
というか、これほど多くの人物を輩出したショウゲン学派とはいったい……。
と、ユエが欠伸を一つした。
「皆、戦場にいるのか。なあ、ならばホウトウはどうだ」
ホウトウ。その名前が響いたその時、カトルは一瞬動きを止めた。目の前で突然凍りついたかのようにまんじりとも動かなかったものの、その内、ようやく目をしばたかせて元の色を取り戻す。
「ほ、ホウトウさん……。ユエちゃん、どうしてあなたはいつもそういうことを……」
「いや、あの爺なら閑だろうと思ってな」
「いや、このご時世閑なのは……」
何やら不穏な空気が流れている。どうやらこのホウトウなる人はびっくりするくらいの食わせ者のようだ。けれど、あの名簿を見るにつけ、ショクには余剰な魔法使いはそうはいないようだ。
なら。
「カトルさん。そのホウトウさんとかいう人の居場所を教えてください」
「え、でも……」
「構いません。逢ってみる価値はあると思います」
それに。ここだけの話だけれど、学問は問わず、院生という人種は一種異様な人々の集まりだ。その中で揉まれてきた良平としては、それくらい何ということはない、という思いでいた。
だが、この時の良平は忘れている。上には上がいる、という格言のことを。
ショクの都・セト。その町はずれにホウトウは住んでいた。
だが――。
「お嬢さん、久しぶりだねえ。ちと見てくれ。この発明をどう思う」
「わけわかんない」
「うひゃひゃ、そうだろうそうだろう」
一目見ただけでは何に使うのか、というより、そもそもなんなのか形容すら難しいものを前に、ユエと爆笑し合っている老人。どうやらこの男がホウトウらしい。
この屋敷にやってきて一時間は経つ。けれど、ホウトウと良平は未だに会話できていない。ユエを見遣るや、「おお、お嬢さんじゃないか、久しぶりだねえ」と相好を崩し、まるで良平のことなど見えていないかのように振舞った。そうしてまるで相手されることもないまま、ホウトウが奥から持ち出してくるガラクタを一時間余りずっと見続ける羽目になっている。
さすがに焦れてきた。ユエとうひゃらうひゃらと笑うホウトウに声をかけた。
「あの、ホウトウさん」
「あ?」
先ほどまでユエに向けていた猫撫で声から一転、冷たい響きのする声を喉の奥からひねり出してきた。どう聞いても好意的な反応ではない。
「話を聞いて頂きたいんです」
「断る」ホウトウはにべもなかった。「なんでお前の話を聞かなくちゃならんのだ。わしはお嬢さんに芸術品を見てもらうので忙しいのじゃ」
なるほど、偏屈者の中でもオーソドックスなパターンである、『自分の気に入った人間としか話をしようとしない人』か。この人種は考古学の世界にも結構多い。だからこそ、対処法ならいくらでも知っている。
良平はユエに目配せをした。すると、ユエがウインクをしてホウトウに向いた。
「ねえ、ホウトウじいちゃん。今日はお願いがあって」
「お願い? なんじゃ? お嬢さんのお願いなら、この老骨で果たせることならば聞こうぞ」
「実は……。じいちゃんの魔法の力を貸してほしいの」
「わしの? まさか、戦争に連れて行く気じゃあるまいな」
「戦争じゃないよ。じいちゃんに参加してほしいのは、発掘」
「ハックツ? なんじゃそりゃあ」
説明をしたい気持ちをぐっと抑える。ここで良平が出てしまってはこの老人の態度を硬化させかねない。ここはユエにすべて下駄を預けるべきだ。
ユエは頷いた。
「土の中に埋まっている昔の建物とかを掘って、当時がどんな様子だったのかを調べるっていう学問らしいよ」
「ってことはなにか? わしに穴掘り人足をやれと? この老骨に!?」
「違うよ。じいちゃんにやってほしいのは、魔法機械の作成」
ユエは手はず通りに用意しておいたプレゼン資料をホウトウの前に置いた。その資料には、距離測定器のおおまかな理屈を記してある。
ホウトウはあからさまに疑惑の目を向けながら資料に目を落とし始めた。が、直ぐにその顔から疑惑の色が消え、好奇心でいっぱいの表情に変じた。
「ほうほう、閃光魔法を魔法反射素材で反射させて、その到達にかかった時間を元に距離を算出、さらには角度などを補正してやって平面距離を算出する、か。こりゃ難しいぞい」
しかし、ここでユエはアドリブを取った。
「なに、じいちゃん、出来ないの? 噂だと、ギの連中はこれを実用化してるらしいよ」
おいおい、そこまでぶっ込んで大丈夫なのか? さすがの良平もそこまで踏み込んでもいいという確信は持てなかった。この煽りが吉と出るか凶と出るか……。良平は、ユエの決断を信じて固唾を呑む。
すると、ホウトウは、おお、声を上げた。
「なんと、ギの連中が、だと? あんな田舎者どもに後れを取るとはなんと恥ずかしきことよ。それもこれも、あのコウコウが文人を弾圧するからじゃあ! あの能無しのノータリンのせいで我が国は危急存亡の秋じゃい」
「でも、じいちゃんなら作れるでしょ。これ」
「もちろんじゃ。こんな糞みたいな機械、一日で作れるわい。三日もらえれば、この改良型まで作れるわい」
「さすがじいちゃん! やるね」
「がっはっは、任せろい!」
ホウトウが胸を叩くのを見ながら、良平はそっと胸をなでおろしたのと同時に、「計画通り」とほくそ笑んでいた。いろいろ危なっかしい場面がないこともなかったが、これですべてが丸く収まるという寸法だ。
そして――。ジュの示してきた条件を果たすことができそうだ。
これでようやく――。ショクとしても発掘ができる。
一人、良平は快哉を叫んだ。
 




