トレンチ16 異世界で考古学をやるということ
「わあ……! すごい!」
良平は遺跡の全景が見渡せる櫓の上で声を上げていた。
見渡す限りに広がる発掘風景。海外の考古学ならまだしも、日本の考古学の発掘現場ではここまで大きいことはできない。しかも、その方法論は極めて現代的だ。恐らく二メートル×二メートルで一グリッドとし、五×五グリッドごとに朝服姿の助監督がついている。そして、その助監督に命じられるがまま、発掘作業員たちが袋に入れた土砂を運んだり、地層の検出を行なったりしている。大規模な発掘においては一定のフィールドを取り仕切るリーダーを選出するのが普通だけれど、ここは王政国家だ。そんなことをするより、役人を宛がってやれ、というところなのだろう。
手すりから乗り出さんばかりに食い入る良平のことを、後ろからユエが宥めた。
「おい、危ないぞ」
「大丈夫です! でも、まさかこんなにすごい発掘現場があるなんて……まさに理想の発掘現場じゃないですか」
すると、後ろでパイプをくゆらせていた遠藤教授がニコリと笑った。
「ああ、もしかすると、ここは理想の発掘場かもしれないね。――そうだ、発掘現場も見学するかね」
「い、いいんですか」
「もちろんだとも」
「やったあ!」
飛び上がらんばかりの良平を呆れ半分に見るギエンはふうとため息をついた。けれど、横に立つユエに脇をつつかれて、元の謹厳な表情を取り戻した。
遠藤教授は三人を発掘現場へといざなった。
きょろきょろ眺める良平。右を見ても左を見ても考古学。そうそうこれだよこれ、この熱気を待ってたんだよYAHOOOOOOOO!
こほん。
後ろからユエの咳払いがした。慌てて良平は正気を取り戻す。すると、良平は発掘作業員の中に、見慣れないことをしている一団がいることに気づいた。
この土っぽい中だというのに、真っ黒なローブ(埃が立つ発掘現場では真っ黒な服も汚れが目立ちやすい)に身を包み、頭に三角帽子をかぶって蝙蝠があしらわれた杖を携える男性の姿が発掘現場のほとりにある。その横には、三脚に乗った水晶玉が置いてあり、その水晶玉の下には糸で吊るされたペン、そしてそのペンに接地するように置かれた紙の姿がある。
と――。
ぶつぶつと何かを唱えた男の持つ杖の先から閃光がほとばしり遺跡の一点に走った。しかし、その光は遺跡の下で小さな手鏡を構えている男の元に達し、鏡の作用によって跳ね返った。そうやって跳ね返った光がどうしたわけか水晶玉に吸収されるや、水晶玉と繋がるペンがカサカサと動き始めた。
これは、もしかして。
良平の疑問に先回りするように、遠藤教授は教えてくれた。
「ああ、あれは測量をしているところなんだよ。レーザー測量器ってあっただろう? あれの代わりだ」
考古学徒の間では、“黄色いあいつ”とか“機材”とか言われるあいつだ。ってことはもしかして……。
「あの黒いローブの人は魔法使いだ。彼に閃光魔法を撃ってもらって、それを鏡で反射して水晶に当てる。あの水晶は特別性でね。あの水晶内部で計算を行なうようになっていて、閃光魔法の射入角度から高さと距離を即座に算出してくれるようになっているんだ」
おお! これはすごい。レーザー測量器がないとなると、正確な深さや距離を算出するのが難しい。大規模な発掘になればなるほど尺を使って測量など煩雑になるはずだ。
「でも、弱点もあってだね」
遠藤教授のボヤキの意味を即座に理解したのはユエだった。
「ああ、あの方式では人員も限られる上、そう頻繁に使用することはできませんな」
「さすがですな」
遠藤教授が拍手を送る。ユエはなんだか鼻高々に胸を張っている。
どういうことです? 水を向けると、ユエは鼻を膨らませながら教えてくれた。
「閃光魔法は一番初歩的なものでMPを2だけ消費する。恐らくあれは一番初歩的なものだろう。しかし、あの魔法は当てるのが難しい。かなりの精度を必要とするはずだ。それをほぼ確実にあの手鏡に当てる力量が必要になる。さらには、一日に百回測量するとすれば最低でもMPが200は必要になる。これは中級魔法使いの実力だ」
なるほど。
頷く後ろで、ギエンも腕を組んだ。
「それほどの腕前の魔法使いだったら、戦場に配備したいっていうのは人情だろうわな」
「その通りなんだよ」
嘆かわしい、と言わんばかりに遠藤教授は頭を抱えた。
「やっぱり、戦はよくないですね。どう考えても悪影響です」
良平がそう感想を述べると、遠藤教授は複雑な顔を浮かべ、遺跡のある一角を差した。そこでは屈強な作業員たちがスコップを手に遺跡表土を掘っているところだった。だが、何かがおかしい。作業員たちの顔に表情がない。やがて、その一角で働いている者たちが皆白目を剥いていることに気づいた。
ああ。ユエが声を上げた。
「あれは、“魂なき旅人”だな」
「なんですかそれ」
「君たち“旅人”はまことに不可解でな。突然三日ほどまんじりとも動かなくなることがある。かと思えば何事もなく動くから不思議なのだがな。そうやって全く動くことのない状況を、我々は“昏睡”と呼んでいる。そして、一年経ってもその“昏睡”から目覚めなかった場合、“魂なき旅人”として扱うという慣習になっている」
そうか。良平にはピンとくるものがあった。
“旅人”――。つまりこのゲームのプレイヤーたちは、アバターを通じてこの世界に干渉している。しかし、ゲームプレイヤーたちはいつもこのゲームに張り付いていられるわけではない。現実世界での宿題や課題に追われているかもしれない。急な不幸で何日も家を空けなくてはならないのかもしれない。あるいは他のゲームに精を出しているのかもしれない。……もっといえば、このブレインガルド物語に飽きてしまって、もはやログインする気もない人だって大勢いるだろう。現実世界のプレイヤーはそれでいい。だが、このブレインガルドに残されたアバターはどうなるのか?
つまり、こういうことなのだろう。
ユエは顎に手をやりつつ、ははん、と唸る。
「なるほど、“魂なき旅人”を遠隔操作魔法で操っているわけか。魂を持っている人間では相当のMPを用いてしまうが、魂がない相手ならば呪文の効きも良かろう。それに、“魂なき旅人”は食事をせずとも生きていける。安価に労働力が得られるということか」
はは、と遠藤教授は笑う。
「まあ、詳しいことは私にも分からないが、恐らくお嬢さんの言う通りなのだろうね。これを最初観たときには驚いたものだが、まあこういうものだろうと慣れてしまったよ」
「うーむ」
ユエが目を輝かせる横で、ギエンが厳しい顔をして緩慢に動く“魂なき旅人”を見遣る。どうしたんですか、と水を向けると、ギエンは、ああ、と虚ろな返事をした。
「まさか、ギがこんな技術を開発しているとは」
「え、ショクにはないんですか。あの技術」
「残念ながら、な。知ってるだろう。我らがショクはあの馬鹿宰相のせいで技術やら学問やらの研究がされてねえんだ。その中には魔法だってあるわけだ。魔法技術についてはギ、ゴにはまったく勝てないレベルだ」
ああ、コウコウさんか。
こんなところにも名前が出てくるあたり、コウコウさんってば相当恨まれているんだなあ……。そう思わざるを得なかった。
と、ふいに遠藤教授がわら半紙のような粗末な紙を差し寄越してきた。
これは……?
その紙の上に視線を落としたその時、思わず良平は息を呑んでしまった。それとは対照的に、遠藤教授は鼻を膨らませて顔を上気させた。どんなものだい? そう言いたげに。
「君にあげよう。私の作った、この地域の土器編年表だ」
土器編年表というのは、地層ごとに検出された土器を元に、その変遷をまとめた表のことだ。土器の変化を一世代、つまり約30年と仮定してやれば、概ねその土器が検出された時代がどのくらい前のものなのか分かるという仕組みだ。
しかし、これをたった五年で!?
土器編年を作り上げるためには、どうしても多数の出土例が必要になる。たかだか五年で出来る仕事ではないのに。
と、遠藤教授は悪戯っぽく笑った。
「何、トップダウン方式で組み立てた編年表だからね。あくまでこれは暫定的なものに過ぎないんだよ」
「とっぷだうん?」
話を聞いていたユエが不思議そうに首をかしげている。仕方なく、良平は説明を重ねた。
日本の考古学は、ずっとトップダウン方式とは逆のボトムアップ方式を取っている。極端なことを言えば、すべての遺跡を発掘し終えて完璧に全てのデータが出揃ってから当時の社会像を構築しようとする考え方だ。しかしこれではいつまで経っても詳しい全体像が見えてこない。今回遠藤教授が取ったのはそういう方法ではない。恐らく、現実世界での考古学などを参考に特定のモデルを作り出し、少ない発掘例に押し込んでいったのだろう。
つまり……。
「まだまだ、見直しが必要かもしれないってことですね」
「かも、ではないよ。必要なんだ」遠藤教授は真面目な顔をして良平の肩を叩いた。「まったく何も指標がないのでは研究しようもない。かといって、今の段階でこの編年を定説化してしまうわけにもいかない。だから、これは暫定的なものとして扱うべきなんだ。分かるかい」
「もちろんです」
「うんうん。それならいい。これで、ぜひ考古学の研究を――」
遠藤教授がそう言いかけた、その瞬間だった。
良平たちの前に、一人の男が立ちはだかった。
白面に狐のような顔。手には白い羽扇を持ち、ところどころ金刺繍が施されたローブをまとっている。発掘現場にはまるで似つかわしくない男だ。それになにより、その溝の底のような色をした目は、どこか見る者を威圧する何かがある。
誰だ、こいつは。
場に緊張が走る。しかし、遠藤教授は恭しく胸の前で右拳を開いた左掌にぶつけた。これが挨拶なのだろう。それが証拠に、狐顔の男も同じ仕草をとった。慌てて良平たちも同じ仕草をとる。
ふん、と鼻を鳴らした狐顔の男は良平たちを一瞬睨み、溝の底のようなその目を遠藤教授に向けた。
「エンドウ殿。発掘任務、ご苦労である」
「ありがたいお言葉。シバイ将軍におかれましては、いつもいつもこの発掘のために骨を折って頂きこれ以上の厚遇はないと……」
「おべっかはいい」
ばっさりとお追従を切って捨てる。
前言撤回――。心中で良平は呟いた。目の前のこの男は狐じゃない。むしろ狼だ。しかも、相当腹を空かせた。
「それはそうとエンドウ殿、一つお伺いしたいことがあるのだが」
「はあ、なんなりと……」
「国境を見守っておる兵から連絡が入ってな。ショクから軍属の人間がこちらに入ってきたということなのだ。ショクと我らの間の条約によれば、民間人の行き来は自由だが、王室関係者の出入りは固く禁じておる。もし露見したならば八つ裂きにして誅すべき話だが」
舌なめずりしながら良平たちを見遣る、シバイなる男。いや、こいつはこちらを見てすらいない。まるで良平たちを八つ裂きにして晒している様を想像して身震いしているかのような――。とにかく、その目には恍惚が浮かんでいる。
ヤバい人だー。
心臓が高鳴る。しかし、そんな中でも、遠藤教授は見事なものだった。まるで狼狽した様子も見せずに、ふうむ、と顎を撫でた。
「さあ、知りませんなあ。そもそも異世界人である私には、誰がショク人で誰がギ人なのかなど区別もつきませんな」
「それもそうか。――それは失礼した。しからば」
冷たい流し目の視線だけ残し、シバイは去って行った。
誰からともなく浮かんだため息。そのため息を払うように、ギエンが四角い顎の下にたまった汗を腕で拭った。
「あれがシバイか」
「知ってるんですか」
「そりゃそうだ。あいつはギの対ショクの総大将だからな」
「若いですけど」
「ああ見えて、実はけっこうな爺のはずだ」
そうか。この穀倉地帯はお互いに手を出さないように決まっているとのことだけれど、もしかしたらとち狂った敵が攻めてこないとも限らない。だからここにも将軍がいるわけか。
ユエが、ふむ、と唸る。
「厄介だな。あの将軍は相当の切れ者だと噂だ。これまでショクもこの地域に間諜を放ってはいるんだが、誰一人として戻ってきていないとはもっぱらの噂だ」
「あのうユエさん、そんな誰も帰ってこないところに僕は派遣されたんですか」
「というわけで、もう帰った方がいいと思う」
ええー。僕の抗議、シカトかよー。
良平の心中のツッコミをさらに遠藤教授がシカトする。
「確かに、帰った方がいいでしょうな。あの男はとにかく執念深く鼻が利く。今の内にドロンしたほうがいい」
真面目に“ドロン”とか言ってるー!
しかし、遠藤教授は真面目な顔を浮かべて良平の肩を掴んだ。
「君。この異世界に来て、きっと寂しい思いや苦しい思いをしているだろうとは思う。だが、ぜひこの世界に考古学を根付かせるべく力を尽くしてもらいたい。特にショクにはまだ考古学の芽が出ていないと聞く。頼んだぞ」
「はい」
即答だった。
もちろん一番乗りでなかったという悲しさはある。でも、見方を変えればこの狭いようで広いブレインガルドにも同好の士がいたということになる。
がんばろう。
良平は、力強く頷いた。
 




