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トレンチ15 異世界考古学者は砕けない

「おや、あなたがたはショクの商人ですか」

 良平たちの前に現れたのは、年の頃五十ほどの東洋人の男だった。麻のような粗末ななりをしていたが、その目には知性の光が感じられた。それに気づいてからもう一度見てみれば、オールバックにしている髪型といい、口元に蓄えた白いものが混じる形のいい髭といい、なんとなくインテリの臭いが嗅いで取れる。それに、この年齢の男性にも拘らず引き締まった体つきは男である良平が見てもため息が出る。……自分の腹を見てため息をついたのはここだけの話だが。

 でもこの人、どこかで……。

 そう疑問に思っているうちに、ギエンがその男の問いに答えていた。さっきまで良平に見せていた居丈高な態度ではなく、その辺にいる商人のような物腰で。

「へえ。ギで儲けさせてもらおうかと思いましてねえ」

 揉み手をしてへりくだるギエンだが、男はあまりギエンには興味を示さず、良平に穏やかな視線を向けた。

「君、発掘がそんなに珍しいかい」

 良平は眼前に広がる発掘の光景を眺めながら答えた。いや、もしかしたら良平はその男の問いに答えていたわけではないのかもしれなかった。

「はい、こんな大規模な発掘、見たことがありません。しかも、この発掘は日本式のもの。まさかブレインガルドでこんな発掘が見られるなんて」

「む、日本!?」

 男がきっと目を鋭くした。それを見るやギエンは懐に手を突っ込んだ。きっとその中には不穏なものでも入っているのだろう。

「ということは、君は“旅人”か。しかも、日本考古学をある程度かじっている、そうだね?」

「は、はい。そうですが」

「おおー!」男は満面に笑みを浮かべ、良平の肩を両手で叩いた。「ならば私のことを知っているだろう? 遠藤恵一だ」

「えんどうけいいち……。ああ! 遠藤教授ですね」

「ああ、分かってくれる人がいたか。この喜びたるや表現できないよ」

 日本人なら遠藤教授を知らない人はないだろう。専門はメソポタミア研究。というか、日本におけるメソポタミア文明研究の権威だ。N○Kなどの教養番組にも呼ばれる人だったし、民放のちょっとゆるい教養バラエティにも時々顔を出すことから国民的な知名度がある。精悍な顔立ちにオールバック、さらには口にひげまで蓄えているといういかにも考古学者然としたキャラクターがテレビショーという場にもってこいだったのだろう。

 もっとも、良平は面識がなかった。専門が違えば仮に同じ日本考古学を志していても言葉を交わすことさえないのが学問の世界だ。良平もこの教授のことは液晶テレビに映った顔でしか知らなかった。

 でも……。

「遠藤教授、なぜここにいらっしゃるんですか。確か遠藤教授は……。イラクで行方不明になったと」

 フセイン政権の崩壊とISISの跳梁跋扈。日本に住んでいる限りにおいては対岸の火事でしかないことだけれど、遠藤教授にとっては死活問題だった。イラクにはメソポタミアやペルシャ、すなわちムスリム文化が入る前の遺物が多く残されていた。しかし、ISISの狂信者たちはイスラムの名のもとに貴重な遺物を無残に破壊した。また、悪意ある盗人たちが博物館に押し入って貴重な遺物を闇のマーケットに流してしまった。フセイン政権の崩壊は何も政治や経済にだけ影響を与えるものではない。学問にすら影響を与えるのだ。

 このことに憤慨したのだろう、遠藤教授は記者会見を開き、メソポタミア文明遺物が置かれている状況に強い懸念を表明した。のみならず、反対する周囲(一説には政府からも諌止があったという)を振り切って自らアラブ圏に創り上げた人脈を駆使してイラクに入ったまま行方不明になってしまっていたのだった。

 遠藤教授は死んだのだろう。それが、誰も言い出さないにせよ誰しもが心中に抱いていた観察だった。

 しかし、その遠藤教授はのほほんと答えた。

「実はあまり記憶がないのだがね。バクダッド郊外の宿舎で寝ていたはずなのだが、起き上がると既にこのブレインガルドの大地に寝そべっていたという次第なんだよ。もう、こっちに五年余りいるんだ。君はこちらに来て何年になる」

「そう時は経っていませんよ。せいぜい数か月です」

「そうか。来たばかり、か」

 良平はふと心中に沸いた疑問をぶつけてみた。

「あのう、この世界に、現実世界の人が迷い込むというのは、そうあることなんでしょうか」

 難しい質問だ。そう遠藤教授は前置きした。

「あることなのだろうな。ただし、明確に現実世界の人間に出会ったのは君が初めてだし、考古学的な見地から見ても、この世界に現実の文明が入った痕跡は見いだせない」

「え?」

 遠藤教授は顎をさすりながら、子供のような笑みを浮かべた。してやったりと言わんばかりに。

「こちらに来て五年になると言ったぞ。それまで私が座して待っているだけとは思うまい?」

 その悪戯っぽく確信に満ちたその顔には一点の曇りもなかった。

 そうだ。この人はテレビで見たままの、考古学バカなんだ。この人が異世界に飛ばされたからといって己の研究を止めるような軟な人ではないことくらい容易に察しが付くというものだ。

 どういった方法であるかは知らない。けれど、目の前の髭の考古学者はギ王朝に取り入って考古学という学問の有用性を認めさせ、この世界の考古学を確立すべく発掘を続けていたのだろう。今回巡ってきたカ王朝の発掘報告書や、国家にとって重要であるはずの穀倉地帯を潰してでも行なっているその発掘の影に、ギ王朝の全面的なバックアップがないと考える方が不自然だ。

「研究、なさっておられたのですね。異郷の地で」

「はは。私の専門はそもそもメソポタミア。日本に生まれた私にとってはメソポタミアとブレインガルドの間にさしたる違いはないさ」

 ああ、この人には勝てない。良平はほぞを噛む思いだった。

 バイタリティがまったく違う。器が違う。学者としての志も何もかも……。

 正直、この世界で考古学をやろうと思えたきっかけは、「もしかしたら僕、この世界でなら考古学無双できるかもしれない」という淡いきっかけだって無論あった。でも、遠藤教授がブレインガルドにいる以上、その夢は決して叶うことはないだろう。

 しかし、そんな良平の心を知ってか知らずか。遠藤教授は肩を叩いた。

「君はショクの関係者だろう? あるいは私のように食禄を得ている。違うかね」

「おっしゃる通り、です」

「けれど、私たちはギ王国人でもショク王国人でもない。日本人だ、そうだね?」

 あえて確認しているのは、きっとこの遠藤教授はずっと見ているからだろう。あるコミュニティから外れ、強烈な他のコミュニティに無理やり参加させられてしまった人間の行く先が、ただの狂信者であるということを。もちろん、遠藤教授は2011年頃にこの世界に飛ばされた人だ。ISISも存在していたとはいえ武装勢力の一つに過ぎなかったことだろう。けれど、そうした鬼子が産まれそうな気配はきっと肌で感じていたに違いない。

 その意味を察して頷くと、遠藤教授は薄く笑った。い良し、と。

「では、ついてきたまえ。発掘の様子を見せてあげよう」

「い、いいんですか」

「当たり前だよ。せっかく訪ねてきてくれた同郷の学問の士に、何もお土産を持たさずに帰すなど失礼じゃないか。ぜひ、君の学問の参考にしてくれたまえ」

「は、はあ……」

 かかと笑いながら遠藤教授は遺跡のほうに歩いて行ってしまった。

 その後ろ姿を眺めながら怪訝な顔をしているのはギエンだ。背中を丸めて手で衝立を作って、良平に耳打ちしてきた。

「おい、大丈夫なんだろうな。話し振りじゃあ、こっちがショク王国の手の者だと露見しているようじゃねえか。あのままついていって、気がついたら弓兵に囲まれてた、なんて間抜けな死に方はしたくねえぞ」

「たぶん、大丈夫だと思います」

「その根拠は」

「あの人はそんなに悪い人じゃない……と思います」

「はあ? そんな曖昧な理由で、ほぼ丸腰な俺たちを死地かもしれねえところに送り込もうってか!? おいおい、いくらなんでも承服できねえ――」

「ギエン、黙らないか」

 良平とギエンに割って入ったのはユエだ。腕を組んで、ギエンのことをきっと睨む。

「さっきから聞いておれば、ギエン、そなたの物言いは武官にあるまじき怯懦ぶりであるぞ。これがカンチュウの戦いで名を馳せたギエン将軍の言葉とは思えぬが」

「そ、そりゃあ、あの時は鎧兜を身にまとっておりましたし、それに、ユエ様にもし何かあったら」

「何かあればそなたが守れ!」

「そ、そんな……」

 無茶振りにもほどがある。

 しかし、そんなユエは、銀髪を揺らして良平に向いて凛と微笑んだ。

「行こう。行かねば知りたいものは得られぬさ」

「は、はい!」

 なんだろう。さっきまで、正直ギエンと考えていたことは一緒だった。けれど、ユエの一喝ですべてがひっくり返った。この力技な感じ、そして、見据えられただけで安心してしまうこの感じ――。

 ああそうか。ユエさんは、並河さんにやっぱり似ているんだ。

 全然その姿かたちは違う。けれど、集団の空気を引っこ抜いて挿げ替えてしまうがごとき強引さはそっくりだ。

 そして、そんなユエのことを好ましく思うのと同時に、心の奥底が急速にしぼんでいってぎりぎりと内側に向かって収縮していくような、そんな気持ちに襲われている。

「ん? どうしたんだ? ぼけってしているようだが」

「あ、いえ、すみません」

 現実世界で生死の境をさまよっている人となんとなく被るものがあったんです、なんて言えるはずもなかった。苦笑いでユエの問いを躱した。

 と、既に十メートルほど先にいる遠藤教授がこちらに振り返った。

「何をしているんだね君たち、早く見せてあげるからおいでなさいな」

 その顔にまったく屈託はない。

 そう、あの顔は考古バカの見せる笑顔だ。

 その髭面も、やっぱり並河さんに被ってしょうがなかった。

 けれど、良平は頭を振って並河さんの影を頭の中から追い出すと、遠藤教授の背中に追いつこうと駆け出した。


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