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トレンチ14 ギ国へ……

 麦形をした穀物の海に、飛行機雲のように伸びるあぜ道。そんな、風が吹けば消えてなくなりそうな

 ぎらぎら輝く太陽を見上げながら、そんなに照らなくてもいいんだよ、と文句を言うと、後ろのユエがたしなめてきた。

「この時期の太陽は農作物の出来を決める重要なものだ。戯言でもそんなことは言ってはならぬぞ」

 まったくしまり屋だなあ。顎に滴る汗を拭きながら振り返ると、そこには、麻のようなつるつるした素朴な服に身を包むユエの姿があった。野暮ったい姿は村娘のコスプレのようで、普段の鎧姿や赤いワンピース姿とは違う魅力がある。なんというか、ユエにはこういう素朴な姿が一番似合う気がする。

「どうした」

「いえ」

 まさか“君の村娘ルックに見惚れてました”とは言えず、慌てて前を向いた。

 やはり麻のような素材の粗末ななりに身を包む大男が、立ち止まって良平のことを睨んでいる。年齢はおそらくそう良平と変わらないだろうに、とにかく強面で怖い。

「おい、ここがどこか分かっているのか。分かっているとすれば極楽とんぼにもほどがあるな」

「はあ、すみません」

「謝罪を聞きたいわけではない。ここはどこかと聞いているのだ」

「はい、ギ国です」

「分かっておるなら黙って歩け。敵国でスパイ行為が露見すれば、拷問の上殺されるぞ」

 そうだった。忘れかけていた緊張感を取り戻した。

 でも、これはブレインガルドの地理が悪い。

 だって、まさかショク王国とギ国がこんなに近いなんて!

 ショク王国を出立したのは昨日。そして今日には既にギ王国の領地に入っているのだ。その間、国を分かつような大山脈も大河も存在しない。ただただ、麦のような植物や米のような植物が植えられている畑(どうやら日本のように水稲栽培ではないらしいから、畑という表現で間違いはあるまい)が広がるばかりだった。

 しかし、いつものように“なんでブレインガルドは~”式の批判はできない。この前、王国図書館長のカトルが教えてくれた歴史の中にその答えがあったからだ。

 ギ王国とショク王国にまたがるようにして存在するこの地域は、“麦原の地”と謳われている。ブレインガルドにおいて初めて“麦”(彼らは総称しているが、現実世界の麦とはちょっと形が違う)の生産が始まったとされるこの地域はギ・ショク両国において重要な穀倉地帯だ。そのため、かつては両国がその帰属をめぐって争ったらしいが、三十年ほど前の“チョーハンの戦い”の余波で、ギ軍がこの大いなる麦の原に火をかけ、その結果八割余りの麦が焼けてしまいその年の二国の麦生産量が落ち込んで飢餓寸前まで行ってしまった。その反省から、“麦原の地には手を出さない”という協定が生まれた。そのため、ずっと平野が続き、進軍にはもってこいであるはずのこの地は軍事的空白になっているのだ。

 あんまり緊張感を保てないのも致し方ないだろう。

 それに――。

 あぜ道の向こうに、毒々しい彩が見えてきた。とても村のものとは思えない、ネオン色の大きな門。その奥には、ピンクやオレンジといういかにも下世話な色の暴力が続く。遠くで見ていても目が痛いのだから、これ、中に入ったらどうなってしまうのだろうか。

 もういい加減慣れてきてしまった。この“麦原の地”に入ってからというもの、いくつも見てきたからだ。

 良平は前を歩く男に聞いた。

「あのう、入らないんですか」

「当たり前だ。あのような淫売の地に入れるわけがなかろう。貴様はともかく、ユエ様をさようなところにお連れするわけにもいかん。フェイ殿から、“ユエ殿をくれぐれもよろしく頼む”と言われているのだ!」

「いや、わたしも後学のために入ってみたいのだが」

 ユエの言葉に、男は、いやいやいや、と今日一番の狼狽を見せた。

「何をおっしゃるのです。ああいった堕落と悪徳の都など焼いてしまえばよろしいのです! かようなことをおっしゃると、泉下の御父上が泣きますぞ……!」

「えー、楽しいと思うのだがなあ」

「ゆ、ユエ様……! このギエン、何が何でもユエ殿を押し留めますからな!」

 そんなに年嵩が上ではないだろうに、前を歩く男は老将軍のようなことを言ってピンク色の町に未練たらたらのユエを押し留めた。

「気になっていたんですけど、あれは何なんですか」

 そう男――ギエンに問いかける。しかし、虫の居所が悪いのか、ギエンはふんと鼻を鳴らした。

「お前に教える意味はない」

 しかし、ユエがギエンを取り成してくれた。

「この男は“旅人”だぞ。“旅人”に礼節を尽くすのが我らショクの民の矜持ではないか」

「ううむ……そうユエ様がおっしゃるのであれば」

 ユエ様に感謝するのだな。ギエンは鼻息荒く、あのピンク色の村について説明してくれた。

 やはりあの村は歓楽街らしい。それこそあっはんうっふんなサービスが格安で受けられる上、お酒やたばこ、はたまた本国では合法ギリギリの怪しい薬までやり放題なのだという。

「なんでそんなことに……」

「決まっているだろう、商人どもを集めるためだ」

 ギ・ゴ・ショク三国の係争地となっているケイとよばれる地域は、かつて商人たちが通う大動脈であった。しかし、今ではそこが主戦場となっている今、どうしても商人同士の交易が委縮しているのだという。

「委縮しちゃまずいんですか? 自国で経済を回すことは」

 それに答えたのはユエだった。

「ブレインガルドは決して広くはない。そのため、ギ・ゴ・ショク、いずれも自国内ですべてを回すことはできない。それがゆえに、我ら軍人は敵国を滅ぼそうとしているわけだ」

 なるほど。つまり、どの国も自国経済だけでは回らない。三国が三国とも、それなりに交易をしなければやってられないということか。しかし、国家間が仲良くないのなら、どうしたって民間活力を導入しなければならない……。

 ギエンは吐き捨てるように言った。

「それがための、あの歓楽街だ。あの町の形成には国家の資本が入っている。つまるところ、あの国に交易に行けば楽しい思いができる、という餌で以て商人どもを釣ろうという策なわけだ。これだからギは汚いのだ」

 いや、確かにさっき見たのはギ国の歓楽街だけど、ショクにも同じものがありましたよね……? しかし、さすがに軍人さんの空気を厭が応にも放っているギエンにそんな口答えができるわけもなく、ひたすら良平は空気を読んだ。

 しかしまあ、ありがちな話ではある。

 特に国家体制がさほど強くない時代にありがちなことだけれど、近現代なら国家統制がある程度働く貿易も、昔は民間で勝手に行なわれていたものなのだ。いくら国家側がその流れを止めようとしてもそんなことはできないし、そもそもそんなことをする意味もない。出口を閉ざしてしまうということは入口を閉ざしてしまうのと同じこと。いずれ自らも飢えてしまうという寸法だ。

「ってことは、人の流入などもよくあること……?」

 するとユエが憂いを帯びた表情を浮かべ、ゆっくりと頷いた。

「言う通りだ。我らが王道に則らぬ政治をすれば民は他の国に流れてしまう。その逆も然りだ」

 なるほど。ジュがあれほどギ国の遺跡の発掘に興味を持った訳が分かった。

 ブレインガルドは古代から中世近辺の国家体制でありながら、どうやら庶民の行動の自由が保障されていて、しかも国家側がそれを縛ろうという気はない。それぞれの国家がそれぞれの施策で競い合い、王様の人気によって庶民が戴くべき王を選ぶ、という徳治政治みたいなことをやっているらしい。

 そんな政治倫理の中にあって、正当な初代王朝であるカ王朝の遺跡は格好のプロパガンダとなることだろう。“我が国の正当性はカ王朝の遺跡の存在によって認められているのだ”ということだ。

 しかし、これはたまったもんじゃないぞ……。この国での学問をやることの難しさに、ようやく良平は気づき始めていた。

 そういう国家においては、どんな石くれのような存在でも国家の威信のために動員される。現実世界では人畜無害どころか金食い虫と呼ばれ蔑まれる考古学が、こちらの世界では一種の実益をもって迎えられてしまうかもしれないという可能性を孕んでいる。

 この想像は決して杞憂ではありえない。現実世界でも存在したのだ。

 第一次世界大戦後のドイツに、コッシナという考古学者がいた。彼は「同じ器物や同じ住居が検出された場合、同じ民族と考えて差し支えない」という、「縄文土器を使っている人々は皆、日本人の祖先たる縄文人」というような分かりやすい説を述べた。今にして考えればそれは間違いであることはわかるけれど(たとえば現代日本人は洋服を着てマンションといったアメリカ風の建築に住んでいるけれど、決して僕らはアングロサクソンというわけではない)、これがやがてナチスに利用されることになる。ヨーロッパ一帯に広がる同じような生活スタイルを持つ遺跡群の主をゲルマン人遺跡と認定することによって、「かつてゲルマン人はヨーロッパ一帯を支配していたのだから、我らゲルマン人がヨーロッパを支配するのは当然ではないか」という政治的な論理に悪用したのだ。

 もちろん、コッシナさんには罪はない、といって差し支えはないと思う。けれど、やっぱりうーんと悩んでしまうのも事実だ。

 うーむ。良平が唸っていると、ユエが後ろから背中をつついてきた。

「どうした? 突然黙りこくって」

「ああ、なんでもありませんよ」

「む? ならいいのだが。腹でも壊したかと思ったぞ」

 そうだったらどんなにいいことか。良平は心の中で呟いた。

 国と深く関わるということは、すなわち国の都合で使われてしまうかもしれないということだ。それは、どうにか国から金を巻き上げようと腐心する、現代のアカデミズムとは逆を行く悩みだといえよう。それだけに、良平は未だ権力と関わるという恐怖に慣れてはいない。そして、もしかして、自分の学問が利用されてしまうのではないかという疑念と戦うことにも――。

 と、ふいに記憶の中から、あの懐かしい声が響いた。

 愉しくやればいいじゃん。

 ああ、そうですよね。並河さん。

 あの人はいつだってそうだ。いつも尻込みしそうになる時に、こうやって声を掛けてくれるんだった。けれどもう、あの人は帰ってこない。

 そうやって自分のモノローグの世界に沈み込んでいた良平のことをウザがるかのように、ギエンがだみ声を張り上げた。

「ほら、もうそろそろ目的地のはずだ。そのハックツホウコクショとやらが正しいとするなら、の話だがなあ」

 ずっと穀倉地帯が続いている風景に変化が訪れた。小高い丘が始まるある一角から、人工的に麦が刈り取られて黒い土が露出している。休畑しているのだろうか。しかしそれは違う。見れば、収穫にははるかに早い若麦が刈り取られてその辺にうず高く盛られている。

 刈田狼藉みたいなもんか?

 しかし、それが間違いであることに気づくのに、大して時間はかからなかった。見れば、高さ二メートルほどの棒を二メートルほどの間隔で立てて、地面を掘っている一団がいる。マス目のクロスポイントに立てられた棒、あれはどう見てもグリッドを構成する標準棒だ。

 しかし、その規模が半端ではない。

 良平が貝塚で行なった試掘はせいぜい四×四メートル程度の小さな範囲での発掘だ。しかし、まるで墓標のように立ち並ぶグリッド棒を数えれば、恐らく百×百メートル規模での発掘を行なっていることが容易に想像できる。

 すごい……!

 そうやって見遣っている良平の前に、一つの影が現れた。


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